闇の巣穴

          1


地を揺るがす程の軍勢が城を目掛けて近づいてくる。

黒眼鏡の男を先頭に、武装した山賊集団が町を襲いに来たのだ。このあたりの山々から集められた山賊の数は裕に100を超えていた。


黒眼鏡は怖れるものなどもう在りはしない。矢が飛んで来ようが剣で斬りつけられようがその全てから護られる、そうしてあらゆる金品を手に出来る。何故か分からないがそうした揺るぎない予感が自信として己の中に満ちている。

野望と欲望に満ちた邪悪な瞳には紫色の光が宿っていた。




雨はひとまず止んだ様だ。森とは反対側の遠くの空には雲の切れ間も見え始めている。

いつもなら、雲を動かす風はあの切れ間の方角へ向かって吹いているのに今日は違う。

タオは変だなと思った。

何より不気味なのは空を覆い尽くす真っ黒な雲が、ベカラズの森の方から忍び寄る様に動いている事だった。


 風にが逆に吹いている。

こんな事は初めてだった。何かが起きようとしている予感が頭を離れず、皆不安を抱えていた。

水浸しの門扉を警備していた衛兵が慌てた様子で、王の部屋にいる衛兵長の元へ駆け足でやって来た。

「え、衛兵長殿!大変です!山賊の集団がこの町目掛けて近づいて来ます!」

「山賊?何故森を出て…。第一兵隊を招集して警戒せよ」

衛兵は青ざめた顔で

「それが…、第一隊だけでは対応出来ません」

「情けない事を申すな!武具を装備した第一兵隊なら…」

「ならず者の数は…100以上とみられます」

「なっ!?」



第一兵隊が招集され宮殿を出た頃、山賊集団は町へ侵入し家々や店舗にある金目の物を根こそぎ奪い始めていた。被災した町には人影もまばらで、どうにか片付けを始めようとした時の、血も涙もない行為だった。

「…許せぬ!!」

兵隊長は自ら剣を装備した。


「騎士総隊長の名をもって総員に下命!重装の武具を装備し、直ちに決起せよ!衛兵隊、警備隊並びに近衛隊の全勢力をもって対応にあたれ!第一目標は、住民の避難及び安全の確保とする!急げ!」

宮殿の全部隊が町へと投入された。

町であばれまわっていた山賊達は次々と成敗され、彼らに脅かされていた住民達は兵に守られながら裏山の洞窟へと向かった。


 

          2


作戦はうまく遂行された。

宮殿の中はもはやもぬけの殻だ。ここに仕える者達など王の居なくなった今、抵抗の気概すらあるまい。もはや守るべき、仕えるべき存在は居ないのだから。


黒眼鏡の目的は一つ。宮殿の最上階である王の部屋を制圧、占拠することにあった。武装兵団が町でこちらの軍勢相手に手をこまねいてるうちに自分が王の座につく。兵たちは宮殿を制圧されて士気を失うだろう。王の部屋は特別頑丈に造られているはずだから簡単には排除出来まい。こんなにたやすく物事が運ぶとは、かえって怖い程だった。


宮殿の最上階に上がった時、部屋の前で王の側近と思われる者と鉢合わせした。外が騒がしくなったため様子を見に出てきたのだろう。

 丁度いい。

黒眼鏡は慌てて部屋に戻ろうとする側近を捕まえた。

「貴様は王の側近だな」

「ち、違います!私はただの掃除係で…」

黒眼鏡は鋭い剣を見せつけた。

「ひっ!」

「嘘をつくな。掃除屋が自分の部屋など持つものか。良く聞け。これから俺は王室に行ってその座を我が物にする。王の次に発言力を持つお前が、国民に宣言するのだ。今日からこの俺様が王であると」

「そ、そんな事は出来ません!王になられる人は王が指名された方でないと…」

「その指名する王が居なくなったから、お前が代わりを務めるんだろうが!ごまかすなよ。ここの仕組みも決まりも、俺は全部知ってるんだからな」

黒眼鏡の言う事は嘘では無いと側近には分かった。そしてここで逆らえば自分の首も簡単に落とされる事も。

彼はこの残忍で凶悪な男に羽交い締めされたまま、王の部屋に案内させられた。

 あぁ神よ。これもこれまでの行いの罰でしょ

 うか。今こそお詫びします。どうか私の命を

 お救い下さい。


側近がここですと示した扉を、黒眼鏡は乱暴に蹴り開けた。無人と思っていた部屋には二人の男女がいた。

「おお?おやおや、いつかの綺麗なお嬢さんじゃねぇか。こんなとこでまた会えるなんてな。」

黒眼鏡はニタニタと卑劣な笑みを浮かべる。

「丁度いい。お前は俺様の妃(きさき)にしてやろう。今日から俺はこの国の王となる。何不自由なく暮らせるぞ。国中の宝も全部俺とお前のもんだ」

黒眼鏡は部屋の隅で震えているタオに気がついた。

「おや?そこに隠れてるのはお前の召使いか。今日からは俺の靴磨きをさせてやるぞ。せいぜい逆らわずしっかり働けよ。命が惜しいならな」

ナーナは黒眼鏡の男に近づいた。

「その方を離して下さい」

羽交い締めされたままの側近を解放するようナーナは求めた。

「おいおい順番が違うだろ。俺様にお願いを聞いてもらいてぇならな、妃になってからだ。」

ナーナは静かに口を開いた。

「では今ここで契りを交わしましょう。その方と、その物騒な物を離して下さい」

「おやぁ?随分素直じゃねぇか。こりゃあ手間が省けるぜ。さすが花びらのおかげだな」

ナーナの眉がピクリと動いた。

「さぁ、側近たちの目の前で契りってのを交わそうじゃねぇか。こいつらが証人になる」

 ナーナ…!

タオは身動きが出来ない自分が恨めしかった。

僕に力があれば!あんな奴、コテンパンにのしてやれたら…!


黒眼鏡が大きく広げた手に、ナーナは身を預ける。そして彼の胸に顔を埋(うず)めた。

「はっ、はーっはっは!美人なお嬢さんは意外と積極的だなぁ!どぉれ、契りの接吻から頂くとするか」

ナーナは顔を埋めた男の胸に手を当てる。その手を通して彼の生まれ育った貧しい村、山賊に命を絶たれた両親、その山賊の中で生きてくしかなかった過去、そして彼の下で彼を信頼して生業(なりわい)を続ける男達の姿が思い浮かんだ。

「な、なんだ…」

黒眼鏡の男はその暖かい手に悪いものが吸い取られていくように感じた。代わりに遠い昔に味わったような安心感、幸福感に包まれる。それは物欲を満たされた時の幸福感とは違う。

 母の愛に似ていた。


 見返りも求めず。理由もなく。ただひたすら

 に、生まれた命を慈しむ偽りのない真実の愛。

「お、…あぁ…」

既に失くしたはずの言い知れぬ感情が蘇る。

ナーナは彼をぎゅっと抱きしめて囁いた。

「悔しい。悲しい。ひもじい。さみしい。

 あなたを縛り付けて苦しめていたもの。

 今、あなたをそこから解き放ちます」

抱きしめた両手が暖かい色で輝いた。


 かあさん…。


男の両目から知らぬ間に涙が溢れていた。

ナーナは黒眼鏡を外してその瞳に語り掛ける

「大丈夫。もう大丈夫よ…」

慈しみの眼差しを向けて、ナーナは彼を解放した。

男はひざまずき、がっくりと首を垂れる。

彼の胸のポケットに入れられていた紫の花びらを取り出し、ナーナはフゥーっと息を吹きかけた。

花びらは力を失って粉々になり、小さな光の粒となって風に運ばれていく。


町で暴れていた男たちも、突然力を失われたようにその場に座り込む。危機にさらされていた人々が不思議そうにその様子を覗き込んだ。



「俺は…おれたちは、これまでにたくさんの悪事を働いてきた。それは、もう取り返すことも無かった事にも出来ねぇ…」

ナーナは彼の前に座って話し掛けた。

「そうね。犯した罪は洗い流す事は出来ない。それは生涯に渡ってあなたの重荷となるわ」

男は、ナーナを真っ直ぐ見つめる。

「その重荷を背負って、あなたはこれから生きていかなければならない。どんなに辛くても、それはあなたに架せられた贖罪。償う気持ちがおありならば、民のため森を開き、人のために力を使って下さい」

男は目を閉じ、深く頷く。

「そして、仲間とご自身を大切にこれからを生きてください」

額を床につけ、咽(むせ)びながら

「ありがとうございます」

と男は目の前の神の化身に誓った。



窓辺の花が色味を帯びて輝き、枯れ落ちた葉の根元から新たな葉が芽吹いている。

「これで一件落着、だね!」

タオがナーナに笑いかける。

青い花を見つめながらナーナが呟いた。

「まだ、終わってない」

「えっ!?」

「諸悪の根源を。絶たねば」



           3


「あの山の頂に行かれると?」

衛兵長は耳を疑った。


水は引き、被災した家々を洞窟の住人も含めみんなで立て直していた。

みんなが心豊かに暮らせる町を。

その願いを込めながら人々は一丸となって働く。森の山賊達はその道を再び人の行き交う交流の地にするため、懸命に整備していた。

人々の願いで新たな王に選ばれた衛兵長は、まだその椅子には座らずみんなと一緒になって汗をかいている。その彼の元に、ナーナが伝えに来たのだ。

「危険すぎる。王様の云われたように、あそこはもう道らしき道はない。何とか行き着けたとして、帰るすべがあるかどうか…。目印もなく王が帰られたのは奇跡に近い。そんな場所に一人で赴かれるなど…」

横で聞いていたタオが

「一人じゃない!僕も行くんだよ!」と力強く言った。

「なおのこと不安だ。子供に登れる山ではない」

タオは不服そうに不貞腐れた。

「どうしてもとおっしゃるなら、近衛隊を付けます。山は険しいだけでなく、何が棲んでいるか分かりません。」

「彼らは今、町の人達と一緒に復興に向けて働いておられます。あの方々のお手を私どものために煩わす訳にはゆきません」

「しかし…」

彼が返答に困っている所に

「衛兵長殿…、あ、いや王よ!家が全て倒壊した区域に、みんなの広場を作ってはどうかと話が出ておるのですが」

と、兵隊だった人物が意見を求めにやって来た。

「何度も言っているが、私はまだ王ではない。町が復興し、皆が安心して住めるようになり、森が開拓されたあかつきには改めて…、いやその話は今はどうでもいい。ナーナさん、とにかく山へ向かうことはいけません。これは命令ではなくお願いで…」

彼が振り向くと、ナーナ達の姿はもうそこには無かった。彼女は判断を委ねに来たのではなく、ただの報告に来たのだ。

「なんと……」衛兵長はクワを放りだし、ひざまずいて祈った。

「神よ、アガタの神よ。あなた様のご加護が、なにとぞ彼(か)の者たちにあらんことを」




その山は、ベカラズの森よりも人が近づけない場所だった。誰も居ない暗い森よりも、何かが居るような気配がつきまとう方がずっと不気味だとタオは思った。

時々茂みがガサガサ音を立てたり、木の上を何かが飛び交う音がする。動物ではないとタオは本能的に感じていた。じっとこちらを覗っている様な気配も。

「ナ、ナーナ。ここ、何かいる…?」

先に立って歩く彼女はいつもより険しい表情をしている様な気がする。疲れではなく、何か懸命に力を放出している様にタオは感じていた。

 何かを寄せ付けない様にしている?

タオは目に見えぬその何かに怯えながら彼女の後を必死に付いていく。

「怯えてはだめ」

ナーナがやっと口を開いてくれた。

「隙があれば、いつでも心に入り込もうと狙っている。怖れや怯えがあいつらをより引き寄せるわ」

「…あいつら、って?」

ナーナはふうっと息を吐いて言った。

「闇の者達。人の心の、陰の部分を餌にする。そうして闇の木に同化して育成する。」

「同化…?」

タオが更に尋ねようとした時、「ガサガサ!」と茂みの中から何か飛び出してきた。

タオに襲いかかるそれをナーナが素手で払い除けた。

「ア"ァ゙ァ゙ッ!」

叫び声のようなものを発して「それ」はまたどこかの茂みに逃げて行った。

人の様にも見えたが、四つ足で駆けていくおぞましい姿は獣のようでもあった。

ナーナの手から血が出ている。

「ナーナ!」

「大丈夫よ」

彼女が自らの手でさするとキズも出血も無かったかの様に消えた。

「さ、もう少し。山の頂を目指しましょう」

「うん…」

タオはまたナーナに助けられた事が歯がゆかった。

僕は何しに来たんだろう。僕は何のために居るんだろう。僕なんか居ない方がナーナは楽なんじゃないか。僕なんか居ない方が…

突然ナーナがタオを抱きしめる。

タオはハッとして暗い気持ちから引き離された。

「お願い。私のそばに居て。私のそばから離れていかないで」

 泣いてる?ナーナ、泣いてるの?

タオは彼女をぎゅっと抱きしめ返した。

「そばに居る。ぼくは、ナーナのそばに居るよ」

この人を守りたい。たとえ大した役に立てなくても、ナーナを守りたい。僕は、ナーナが好きだ。

タオは一心にそう念じた。

体から力がみなぎってくる。


 この人に指一本触れさせない。

 大切だから。

 神様の使いだから。

 ううん。ナーナが、大好きだから。

 

タオの体は透き通る様な真紅のベールで包まれた。

そのベールで、小さな彼の体が大人以上の大きさに見えるようになった。

「タオ、あなた…」

ナーナに言われて自分の体を見たタオは

「わっ!」と声を上げた。

体は小さいままなのに、そのままの形で赤い光が大きく包んでいる。

「何これ?呪い?」

タオは慌てて手足を振った。

「守護神の色だわ」

守護神…。僕を神様が守ってる?…違う。ナーナを護るために、力が湧いたんだ。

「ナーナが、出してくれたの?」

「いいえ。これはあなたの中にあるものよ」


タオは嬉しかった。

 僕の中に、あったんだ。こんな力が。こんな

 強い気持ちが。

タオはナーナの手をしっかり握り

「行こう。僕が君を護る」

と先陣をきって歩き始めた。

「あ、タオ!まって!頂上の方角は、こっち」

彼女が別の方角を指差すのを見て、大きくなっても中身は変わらないんだな、とタオは照れくさそうに「エヘヘ」と笑った。

この小さな守護の神の化身を、ナーナは愛しい気持ちて抱きしめた。


 


          4

 

もうすぐだ。白い雲のさらに上に、この山の頂きがある。


ここへ来るまでに何度も闇の者達の気配を感じたが、タオがひと睨みするだけでその殆どの気配は消えた。

それでも襲いかかる獣とも人ともつかぬ者にはタオが守護の力をもって応戦した。

だが、とどめを刺すまでには至らなかった。やられて横たわる妖かしの生き物に、何故か哀れみの気持ちが生まれた。

こちらが命を奪われていたかも知れないのに、逆に彼らの命を奪う事が出来ない。タオの苦渋する姿を見たナーナが「それでいいのです」と言った。

「彼らは、元は人であったもの。怨恨、傲慢、強欲。

人が持つ陰の部分を、抑えることが出来ず闇に取り込まれてしまった哀れな者たち。人として生きれず、死ぬ事も出来ない。いつか許される日が来るまで、永遠に存在し続ける。もはや人であった事も覚えていないでしょう。喜びの時も、もしかしたらあったかも知れない。でもそれすら忘れてしまう」

ナーナは哀しそうだった。

「だからこそ私は、その根源を絶たなければなりません。それが私に与えられた、最後の役目です」

タオは一瞬、不安にかられた。役目を終えたら彼女はどうなってしまうのか。人が生きてその時間(とき)を、役目を終えるのと同じ様に、命が尽きてしまうのだろうか。

暗い気持ちを彼は振り払った。

闇に取り込まれては駄目だ。

先の事は分からない。今はともかく、ナーナと一緒に成すべき事を果たすんだ。

僕はそのためにここに一緒に居るのだから。

 


白く覆われた雲を抜け、雄大で畏れすら感じる山の頂きが見えてきた。

頂上には何もなく、植物すら生えていない。見渡しても白い雲がどこまでも続くだけ。景色を楽しむために来たのでは無いのだが、余りにも雄大、そして哀しいほど果てしない。

 

 生きる者の赴く処ではない。

タオには直感的にその言葉が思い浮かんだ。


頂上を越え、裏側に足を運んだ時「ここよ」とナーナが無機質に言った。

そこは他のところとは違い、岩で覆われた斜面だった。ここにも大雨が降ったらしく、こぶし大の石は転がり落ちて引っかかっている。だがそのおかげで滑落の危険は少し解消されていた。

ナーナは迷うことなく一つの大きな岩の前に降りた。

「何か、描かれてる?」

苔に覆われてはいるが、その表面には明らかに何かの絵か文字か分からない物が彫られていた。

「タオ。私が唱えるから、あなたはこの岩をどかしてもらえる?」

タオは初めてナーナにお願いされた事が嬉しかった。

 いつもの僕ならこんな岩を動かすことさえ

 出来ないだろうけど、今の僕の力なら出来る。

「まかせて!」と言ってタオは岩の出っ張りに手をかけようとした。

「待って!私が唱え始めてからにして」

ナーナはそう言うと、傍にあった小石を岩に投げた。

バチッ!と音がして、火花とともに小石が粉々に弾け飛んだ。

タオはびっくりして彼女の方を見る。

「この奥に穴がある。これは、それを閉じ込めるための封印。大昔、徳の高い魂を持った人がこれを封じ込めたわ」

彼女は何故そんな事まで知ってるんだろうと思いながら、「ここに何があるの」とタオは尋ねた。

ナーナは一瞬だまって、

「諸悪の根源。悪い力を持った植物。闇の大樹よ」と告げた。

 闇の大樹……。

洞穴の中に、そんな物が生えてるのが、タオは想像出来なかった。

「闇の大樹が育つのに必要なのは水でも風でもない。人の心に巣くう、闇の部分よ。


最初は、小さな苗だった。やがて人が大地を闊歩し、その心に闇を宿し始めた時からこの植物は成長を始めた。人が増えるに従ってその速度は異常なまでに加速した。餌となる物は絶えることなく得られたから。それを封じるために、賢者がこの穴を塞ぎ封印をかけた。…自分の命と引き換えに」

タオに話しかける声はナーナの口から発せられるが、まるで誰かが彼女の声を借りて語られている様に思えた。

「ナーナは、自分の命と引き換えに封印したりはしないよね?」

タオはもっとも心配している事が口を突いて出た。

ナーナは振り返り「それはないわ」と答える。

「封印したりはしない。この樹を、大きく成りすぎた大樹を、滅する」

その言葉に、タオを不安を抱えるではなく寒気がした。ナーナの持つ力に治療や癒しだけではなく、破壊の要素も含まれていた事に。

そもそも彼女が行っていたのは治癒ではなく、諸悪の源を断ち切っていたのだ。

傷を負った体も、心の中に在る暗い部分も、それを滅する事で救ってきた。救っているように見えたのだ。だが本当の目的は全てを滅する事。一つ間違えれば、いや、彼女の怒りに触れるようならば滅されるのは人間の方かも知れない。

タオは改めてこの人の、この神の化身である存在を遠く感じ、その課せられた使命を偲び、今は畏怖の念さえ感じていた。


ナーナがタオには分からない言葉で何かを唱え始めた。タオは恐る恐る岩に手をかける。大丈夫だ。

彼は力を込めて大きな岩を動かした。まとっていた赤い光がより強くなった気がする。思い切って岩を持ち上げ、そのまま崖下へと放り投げた。

随分長いこと転がり落ちる音がして、やっと下に到達したようだ。ナーナは唱えるのをやめ、タオに向き直った。

「ここから先は私一人で行きます」

タオはかぶりを振った。

「ここまで来て一人ぼっちにはさせない。僕も一緒に行く」

タオはナーナが一人で命を落とす覚悟をしているのではないかと思った。自分が一緒なら、頼りない護衛を残して命を捨てる事はしない。彼女ならそんな事は出来ないだろうと考えた。

それに、もし命を賭してその役目を果たそうというのなら、自分も運命を共にする覚悟だった。

「ナーナに迷惑はかけないから。お願い!」

ナーナはフッと表情を緩めて

「仕方ないわね。……この先は何が起こるか私でも分からない。あなたを守る事も出来ないかも知れない。それでも?」

「それでも。護るのは僕の役目だから」

彼女は一瞬、泣きそうな顔をしてタオを抱きしめた。

「あなたに、アガタの神のご加護があります様に」

「ナーナにも」

二人は一瞬だけ顔を見合わせて、暗い洞窟の中へと足を踏み入れた。



          5


中は意外と広く奥まで続いていた。壁や天井にツタの様な物がはびこっている。

「闇の大樹の枝よ。これが岩の隙間から外へ出て、一本の花を咲かせてしまった」


人の心を惑わせ、いずれ国をも滅ぼす力を持つ植物。

今僕らはその中枢に向かおうとしている。

 怖れるな。隙を与えるな。

タオは胸の中にある自分の魂を信じてそう繰り返していた。

 

しばらく歩き続けた頃だった。自分たちとは別に、誰かが入り口から近づく気配がする。ナーナも当然の様に先に気づいて足を止めて振り返っている。

それは人のようだった。だが、人では無い。

ゆっくりとした足取りで、タオの放つ光が照らした時、その姿が見えた。

目は白目を剥き、手足がおかしな方向に曲がっている。少し開いた口から念仏の様に何かを呟いている。

「…ぜ、おれが……だけなのに……なぜ…が……したがっ………なのに……」

それは不気味でおぞましい、怨恨の言葉だった。

(なぜ俺がこんな目に。命令に従っただけなのに)

それが何を意味し、あれが何者なのかナーナには分かった。

かつて大勢の兵と一緒にこの山の頂を目指し、王様に命令されて崖の花を摘もうとした若い兵。

おそらく彼は最後までそれを手放さなかったのだろう。左手に紫の色をした花が握られていた。

「なぜ、おれが……なぜおれがァァァ!」

ゆっくりした歩きが急に速度を増し、獣の様な四つ足で二人目掛けて突進してくる。

タオは身構えてナーナを守ろうと両手を広げる。

だが、獣はビュンッとジャンブして彼を飛び越え、その先に立つナーナに襲い掛かった。

「ナーナッ!!」

人であった獣は見境を失くし、ナーナの肩に噛みついた。鮮血がポタポタと流れ落ちる。

「ナッ……ー!」

彼女は身動きせず、ゆっくりと獣の体に手を回した。ぎゅっと抱き締め、静かに語り掛ける。

「悔しかったね。怖かったね。…悲しかったね。辛かったね…」

ナーナは獣の背なかを優しく撫でる。

「大事な家族を守りたかった。そうよね。……安心して。あなたの家族は町で元気に暮らしているわ」

「ウゥゥ…フウぅぅ…!」

 

獣はナーナの肩に食い込ませていた刃歯(やいば)を離した。

その姿が次第に人間だった頃に戻っていく。

体中大怪我を負い、立っていることも難しい彼をナーナはそっと地面に降ろした。その手はしっかりと握られたままだ。

「あなたは王に従い、精一杯与えられた事を成し遂げた。家族はあなたの事を忘れない。王はあなたの勇気と忠誠を讃え、自室にあなたの絵を飾っていた。命の尽きるまで、あなたへの懺悔を忘れなかった。あなたの家族は、子孫の代までずっと守られる。あなたの栄誉と共に」

「うぅ…ああぁ…」

彼は泣いていた。心残りだったのは大切な家族。

これでやっと、人間として天命を全う出来る。

「……つた…えて…か…ぞく…に… あ、あ…いして…い…」

 彼は安らかに目を閉じた。

ナーナはそっとその胸に触れる。

「約束するわ。必ず伝えます。もう、大丈夫…」


堪えきれず涙を流すナーナ。

タオは静かに、その姿を見守っていた。




「あの時、どうしてよけなかったの。ナーナなら、きっと避けれたはず。…僕が、やっつけ損ねたのがいけなかったんだけど…」

タオはまた役に立てなかったと唇を噛んでいた。

「あの時、あなたが彼を傷つけなくて良かった。もしそうすれば、彼の魂は永遠に憎しみを抱いたまま、闇と現世の間を彷徨うことになるから」

「もしかしたら、わざと彼に?」

自分が食いつかれると分かっていながら、ナーナはそれを受け入れた?

「彼が抱えていたのは憎しみだけじゃない。恨み、憎悪、怒り。それが手にした花の力で増幅して、人で無くした」

 人の姿を成して人でないもの。

タオは改めてそのおぞましさと闇の花の恐ろしさを知った。

「でも彼を留めていたのはそんなものじゃない。心の深くにあった、大切なもの」

「家族への、愛…」

傷つけ無きものにするのではなく、その執念と遺恨を浄化させることで、彼に人として最後を迎えさせたかった。ナーナは彼の中にある本当の強い思いに気づいていた。

「でもここから先で出会う者は、きっと浄化出来る様なもので無い。闇の大樹の根に巣くう、既にこの世の者ではない。形なき、想念だわ」

ナーナの見つめる先には大きな枝が葉を広げている。あの向こうに、おそろしい闇の力を放つ大樹が、おびただしい花を広げているに違いない。

「行きましょう」

 そうだ。いかなければ。

誰かのためにという訳じゃない。人を惑わせ、世界を崩壊へ導くその根源を、僕は断ち切らなければという使命にかられていた。


 

 

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