第3章:宿木の森の住人たち
体を起こした律子は、戸惑いながら周囲を見渡した。
深い森の中のようなその場所には、たくさんの木々が生い茂り、淡い無数の光の玉がその周りをふわふわと漂っている。
見上げると、目の前には空まで届きそうなほど巨大な木がそびえ立っている。
その幹は滑らかで、木全体が淡く優しく、輝いていた。触れると、不思議な温かさと心を安らげる感覚が広がる。どこか懐かしく、優しい。
「ここは…?」
律子が呟くと、隣で目を覚ました健二もぼんやりと起き上がり、同じように周囲を見回した。
やがて足元の方から気配を感じる。幹に開いた小さな空洞から、次々に人々が現れた。
彼らはどこか人のようだが、背丈が低く、どの住人も二人一組で動いている。ペアの一人が笑うと、もう一人も笑う。どのペアも自然と肩を寄せ合い、まるで空気のように一体感を漂わせていた。
律子たちに気が付いた彼らは、わらわらと周りを取り囲む。
「誰??」「あなたたち、大きいね!」「どこから来たの?」
口々に話し出す彼らに、律子と健二は慌てるが、不思議と敵意は感じない。
彼らの服装は森の中の植物や花を思わせるカラフルなもので、軽やかに動き回るその姿はどこか浮遊感のようなものがあった。
その時、住人たちの間に一人の少年が現れた。透き通るような目と銀色の髪、青みがかった白い衣服をまとい、落ち着いた笑みを浮かべている。見た目は幼くとも、その立ち姿は威厳に満ちていた。
「ようこそ、宿り木の森へ。」
少年の澄んだ声が静かに響いた。
住人たちは一斉に少年に向かって頭を下げ、口々に「王様」と呼んだ。
「僕は宿り木の子。この森の守り人だよ。君たちは迷い人かな?」
王様と呼ばれる少年は、優しい笑みを携えて問いかける。
「…わかりません。森の中で、古い大木の根元を覗き込んだら……気が付いたらここに…」
律子が戸惑いながら答える。
「そうか。大変だったね。今日は遅いから、今夜はここで休むといい。明日になったら森を案内させるよ。でも約束だ。夜が来たら木の家からは絶対に出ないこと。そして明日、森が赤く染まる頃には宿り木の麓に戻ってきてね。」
少年の言葉に、律子と健二は戸惑いながらも頷いた。
森の奥の木の中に案内されると、外からは想像もつかない広々とした空間が広がっていた。
床には柔らかなクッションが敷き詰められ、心を落ち着かせる香りが漂っている。
翌朝、律子と健二は木の中で目を覚ました。
漏れ込む朝日の光が木の内部を淡いオレンジ色に染め、心地よい静寂の中、鳥のさえずりと風に揺れる葉音が耳に届く。
外に出ると、昨日とは違う清々しい空気が二人を包み込んだ。森全体が生きているような活力を放ち、緑の中に鮮やかな色とりどりの花々が咲き乱れている。
「おはよう!」
明るい声に振り返ると、小柄な男女のペアが二人に向かって手を振っていた。
彼らはマルコとリアと名乗り、森の住人たちの中でも特に親しみやすい存在だった。
宿り木の前の広場では、住人たちが集まり朝食を楽しんでいる。
自然の恵みをふんだんに使った料理が並び、食欲をそそる匂いが律子たちの周りを取り囲む。
「さぁ、二人も一緒に食べよう!」
マルコに手招きされ、二人は住人達と食卓に着く。
パンやスープ、果物、香ばしい焼き野菜…。律子がその美味しさに驚くと、リアが笑いながら言った。
「私たち、食べなくても生きていけるけど、食事を楽しむのが好きなの。こうしてみんなで分け合うのが一番の幸せなのよ。」
食後、健二とマルコは川へ釣りに向かい、律子とリアは森に木の実を摘みに行った。
帰り道、リアはマルコのことを楽しそうに語り、律子もつい笑みをこぼす。
「あなたたち、仲良しね。」
律子の言葉に、リアはふと律子の顔を覗き込んだ。
「あなたたちも仲良しでしょう?」
その言葉に律子は一瞬言葉を詰まらせた。そして苦笑しながら答える。
「私たち…もうすぐ別れる予定なの。」
その言葉を聞いたリアは驚き、泣きそうな顔で律子を見つめた。
「そんなの駄目よ!絶対に駄目!」
ちょうど釣りから戻ってきたマルコも、リアの大きな声に驚き、その話を聞くと険しい表情になった。
「大丈夫。宿り木はすべてのペアを救ってくれる。今夜、一緒に宿り木に戻ろう。必ず救われるから。」
夕方、森が赤く染まり始めると、律子と健二はマルコとリアに連れられて宿り木の根元にやってきた。そこには無数の空洞があり、柔らかな光がこぼれていた。
王様と呼ばれる少年が二人の前に立ち、穴の中へ促す。
「律子、健二。よく来たね。さぁ、宿り木の中へ入り、二人で手をつなぎ目を閉じるんだ。そうすればすべての事が解決する。僕と宿り木が、君たちを守るよ」
二人は言われるがまま宿り木の中に入る。
木の家よりも温かな空気が漂い、柔らかいものに包み込まれる感覚がした。
そこに横たわり手をつなぎ目を閉じる。
すると、心の中にあったさまざまな負の感情が溶けていくように感じられた。
異世界に迷い込んだ不安、別れの悲しみ、互いへの不満や苛立ち…。それらが一つずつ消え去り、代わりに懐かしい記憶が蘇ってくる。
かつての幸せな記憶――初めて出会った時のときめき、結婚式の日の誓い、二人で過ごした穏やかな時間。それらが次々と蘇り、互いに微笑み合った。
「律子……ごめん。僕は…別れるなんて、本当は嫌だ…もっと早く言えばよかった」
照れたように、バツが悪そうに健二は目を伏せ、ぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「健二……わたしもごめんなさい。別れたいなんて……本当は思ってない!」
二人は目を見つめあい、強く抱きしめあった。
(……こんな風に健二が自分の気持ちを話してくれるなんて。)
初めてのことに、律子は嬉しさのあまり涙がこぼれた。
宿り木から出ると、マルコとリアが満面の笑みで二人を迎えた。
「もう大丈夫ね!」
健二は律子を見つめながら、優しく微笑む。律子もまた、久しぶりに心が穏やかになっているのを感じた。
どこかで失ってしまっていた温もりを、取り戻したような気がする。
けれど、胸の奥にほんの小さなざわつきが残る。
――本当に、これでいいのかな?
森の静けさに包まれながら、幸せの余韻に浸り、律子はその疑問をそっと飲み込んだ。
次の更新予定
mistletoe ~ とある夫婦の愛と再生の物語 ~ 杠葉亜眠 @amin_uzuriha
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