第7話 ―データの海へ―

夏休み、亮介は東京・丸の内の高層ビルに向かっていた。クオンツ系ファンドの研究員から届いたメールに記された「データラボ短期インターン」の招待。報酬は出ないが、板歩みの高速解析を一緒に作ろうという誘いだった。高校生が足を踏み入れるには異質な場所だが、亮介の心は迷わなかった。


オフィスの一室には、サーバーラックの低い唸りと無数のモニターの光が広がっていた。壁に映し出されているのは日経225先物のティックデータ。秒単位ではなく、ミリ秒ごとの約定と板気配が延々と流れ続ける。


「これが“市場の呼吸”だ」

研究員の一人がそう言いながらキーボードを叩く。画面には色分けされた買い注文と売り注文が高速で出入りし、その一部だけが約定に至る様子が見える。


「ニュースや決算なんて、大きな波の一部にすぎない。実際に価格を動かすのは、直前の需給の歪みだ。ここを読む力が、裁定やイベント前後の勝率を決める」


亮介は夢中でデータを追った。ある瞬間、板の買いが薄くなる一方で売りが急増し、数秒後に価格が一段下がる。そのパターンを統計的に拾えば、1%にも満たない値動きを先回りできる。


「こういう“秒足の歪み”を数万件集めて、確率に変換する。それが我々の武器だ」


夜遅くまでの実習の中で、亮介は未来の知識以上に「今この瞬間を読む力」が重要であることを痛感していった。未来を知っている自分にとって、数年後の大波は確かに大きな武器だ。だが、日々の売買を積み重ねるには、このデータの海を泳ぐ力が不可欠だった。


一方で、外の世界は穏やかではなかった。学校では「亮介が株で大金を稼いでいる」という噂がさらに広がり、教師からも呼び出しを受けた。母親のもとには近所から「息子さんが怪しい投資をしているらしい」と心配する声が届き始めていた。さらに、証券会社からは再び「金融庁から追加の確認がありました」という通知が入り、未成年の身に重くのしかかる。


ラボの帰り道、夜風に当たりながら亮介は思った。

(数字を読むだけでは足りない。俺自身をどう“正しく見せるか”も戦いの一部なんだ)


翌日、研究員から課題が与えられた。

「亮介くん、板データからアルゴリズムの痕跡を探してみろ。一定のタイミングで繰り返される約定、わずかにズレた指値の並び。そこに“人ではない取引”の影がある。市場を支配しているのは、必ずしも人間じゃない」


画面に映し出されたのは、買いと売りが同時に出入りしながら価格をわずかに動かす不自然なパターン。まるで透明な存在が相場を操っているかのようだった。


(これが……機関投資家のアルゴか)


震える指でキーボードを叩きながら、亮介は悟った。未来の知識も、データの海を泳ぐ技術も、すべては「巨大な力」との戦いに繋がっていく。


その夜、帰宅すると机の上に一通の封筒が置かれていた。差出人は証券取引等監視委員会。中には短い文面が一枚。「近日中に事情をお聞きする場を設けたい」とだけ書かれていた。


胸の奥に再び重い緊張が走る。

(ここから先は、逃げられない。俺は正面から戦う)


モニターの光に照らされた亮介の瞳は、かつてないほど鋭く輝いていた。

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逆行トレーダー ~市場の覇者への道~ なちゅん @rikutui3

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