第5話 落ち着いた俺の店が、あいつの笑顔で盛り上がりすぎた件
01.
スポーツバー『ラズベリー』は、渡会彰の穏やかで落ち着いた雰囲気が売りの店だった。しかし、先日の店長の祝賀会を境に、その空気は少しずつ変わり始めていた。
すべての発端は、祝賀会に招かれた泰夢の存在だった。彼の明るさと気さくな性格、そして飾らない笑顔が常連客たちを魅了し、熱烈な「泰夢待望論」が巻き起こったのだ。
「店長、今日はあの可愛い子来てないの?」
「あいつとまた話したいんだよな!」
「いや、ほんとに天使みたいだったよな~。」
日に日に増していく常連客たちの熱望に、渡会は困惑しつつも内心苦笑を禁じ得なかった。
「……まったく、泰夢も罪作りな奴だ。」
それでも要望が止まらない中、渡会はついに泰夢へ連絡を入れた。
「お前、またうちに来ないか? 客たちが会いたがってるんだ。金は要らないから頼むよ」
「えっ、またですか? 別にいいですけど…。」
泰夢は軽い調子で了承したが、その背後でとんでもない計画が進行していることを彼はまだ知らなかった。
02.
泰夢が訪れる日、スポーツバー『ラズベリー』は異様な熱気に包まれていた。店内には既に常連客が集結し、興奮した様子で談笑している。
「今日、あの子来るんだろ?」
「うわ~、めっちゃ楽しみ!」
その光景を見た来斗は、隣に立つ東田に声をかけた。
「トンちゃん、なんか今日はほんまにすごいな。」
「……そうっすね。」
どこか浮かない表情の東田に、来斗は首をかしげた。
やがて扉が開き、泰夢が姿を現すと、店内は大歓声に包まれた。
「キャーーー!泰夢くん!!!!!」
その声の中、客たちは一斉に何かをを掲げた。
常連客たちは独自に「Time’s Knight(タイムズ・ナイト)」という会を結成していたのだ。泰夢を勝手に「騎士団長」に仕立て上げ、自作の応援グッズまで用意していた。タオル、うちわ、さらには手作りのぬいぐるみまで。特製のタオルやうちわには、泰夢の名前やイラストが描かれている。彼らの本気度に、渡会も思わず頭を抱えた。
「ほんと、こいつらどこまでやるんだよ……。」
それを見た泰夢は目を丸くし、照れたように笑った。
「なんやこれ……みんな、ほんまにやりよったん?」
泰夢は「特等席」とされるカウンターの一角に座らされ、次々と話しかけてくる常連客たちと気さくに会話を交わしていく。
「泰夢くん、これ僕が作ったんだよ!気に入るかな?」
「ええやん! こんなん作ってくれたん? 嬉しいわ~!」
その無邪気な笑顔が場の熱狂をさらに加速させた。渡会はその様子を眺めながら、やれやれと肩をすくめる。
「ほんと、ここまで盛り上げるとか泰夢くらいだよな。」
一方で、来斗は東田の様子が気になっていた。
「トンちゃん、なんか考え事でもしてるん?」
「いえ、別に。」
そう言いながらも、東田の表情にはどこか影が差していた。
03.
常連客たちは次々にスマホを取り出し、「泰夢くん、写真撮らせて!」と周囲を取り囲んだ。泰夢は最初こそ照れていたものの、やがて彼らの熱気に引き込まれ、自然な笑顔を浮かべていた。
「はいはい、並んで並んで~!」
常連客たちはお互いに肩を並べ、泰夢を中心にスマホのカメラを向けてはシャッターを切る。その光景を渡会は微笑ましげに眺めていたが、次第に人だかりの中心で少し疲れた様子の泰夢に気がついた。
「おい、ちょっと休憩しろ。」
渡会は人だかりを割って進み、泰夢の頭をそっと撫でた。
「ごめんな、しんどかっただろ?」
「いや、大丈夫ですよ!」
泰夢はすぐに笑顔を浮かべ、
「皆優しくてめっちゃ面白いです」
と、どこか嬉しそうに答えた。
その二人の様子をじっと見つめている視線があった。カウンターから静かにその場を眺めていた東田だった。
「ライトくん、トンちゃんも!一緒に撮ろうよ!」
常連客の声に押され、来斗と東田は無理やりカウンターから引っ張り出された。
「え、俺も?」
来斗は驚きつつも笑顔を浮かべながらカメラの前に立った。東田を囲む形で笑顔をつくる来斗と泰夢。しかし、東田は微妙な表情を浮かべながら直立不動の姿勢を崩さない。
泰夢はそれに気づき、そっと東田の耳元で囁いた。
「緊張せんでええ。自然体でおれって。」
その言葉に東田は一瞬だけ泰夢を見つめ、冷静に言い返した。
「こうした方が面白い写真になると思ったからですよ。人を弱いもの扱いしないでください。」
「あ、そうなん……ごめん。」
変わった奴やな、と泰夢は少し面食らいながらも、すぐに笑顔を作り直した。
カメラがシャッターを切ると、結果的にそこにはちぐはぐな写真が出来上がった。笑顔を浮かべる泰夢と来斗に挟まれ、無表情で直立した東田。そのアンバランスさが写真に独特の味わいを与えていた。
撮影後、泰夢は東田の肩に手を置き、少し申し訳なさそうに話しかけた。
「さっきはすまんかったな。でも君、笑った顔の方が可愛いで?」
その一言に、東田の表情が微かに変わった。目を伏せながら、小さく頷く。
「ちょっとこれ見てみ!」
常連客が撮った写真を覗き込む泰夢と来斗。二人は写真の東田の無表情ぶりに思わず顔を見合わせて笑い合った。
「確かに、これはこれでおもろいな!」
泰夢がそう言うと、来斗もお腹を抱えて笑い始めた。その様子を見て、東田は少し困ったような、しかしどこか複雑な表情を浮かべていた。
04.
東田の胸には複雑な感情が渦巻いていた。それは、彼がこの場所でバイトを始めた頃から続く一つの思い出と絡み合っている。
東田が『ラズベリー』で働き始めたのは、まだこの店がオープンしたての頃だった。あの頃はひたすら忙しい日々で、カクテルの作り方や接客マナーを覚えることに必死だった。
そんな彼を導いたのが、店長としてやってきた渡会だった。渡会は実直で頼りがいがあり、それでいて時折見せる優しい笑顔が魅力的だった。
「トンちゃん、お前、ほんとに真面目だな。でも、もう少し肩の力抜けよ。」
「すみません、渡会さん。もっと頑張ります。」
そのやり取りが日常だった。渡会は厳しくも温かい指導をし、東田はその言葉に応えようと一生懸命だった。渡会はそんな東田をとても可愛がり、東田もまた彼に懐いていた。
渡会との関係は良好だったが、東田にはどうしても心に引っかかる言葉があった。渡会がときおり口にする、過去の「教え子」の話だ。
「俺が昔勉強教えてた奴がさ、本当に優秀で優しくてな。お前もそういう子になれよ。」
渡会が語るその「教え子」の話はどれも素晴らしい内容ばかりで、東田の胸に小さな棘を残していった。
(過去の話だし、今は俺がそばにいるんだから。)
そう自分に言い聞かせて、東田は割り切って過ごしてきた。
そして、突然、その「教え子」が店に姿を現した。
美しすぎる顔、明るい笑み、自然な振る舞い、そして周囲を巻き込むような人懐っこさ。泰夢は、東田が想像していた「教え子」のイメージをはるかに超える魅力を持つ人物だった。
(こんな奴だったのか……。)
泰夢と名乗るその青年は、渡会と満面の笑顔で会話を弾ませている。その様子を見て、東田は胸がきゅっと締め付けられるのを感じた。泰夢の一挙一動が気になり、渡会との親しげなやり取りに目を逸らしたくなる。
(なんでこんなに胸がざわつくんだろう。)
彼は泰夢への嫉妬心が抑えられなくなっていた。
05.
泰夢を囲む笑い声が響く中、店の隅にいた外国人グループの一人がゆっくりと泰夢に近づいてきた。がっしりとした体格の外国人男性が、流暢な英語で何かをまくしたててくる。言葉の意味は分からなくても、その仕草や目の輝きから、泰夢への興味がひしひしと伝わってきた。
泰夢は一瞬戸惑ったものの、すぐにニコッと笑みを浮かべた。そしてその笑顔は国境を超えた。外国人男性が勢いよく泰夢を抱きしめ、歓声が店内を包む。
「おーっ!」
指笛を鳴らす外国人グループ。
「これが泰夢の魔力か……」
渡会は苦笑しながら、常連客と外国人客が座れるように店内のレイアウトをさりげなく変更した。
外国人グループと常連客がひとつになり、言葉の壁を越えた会話が繰り広げられた。ジェスチャーや笑顔、そして泰夢を交えたジョークが、店内の空気をさらに盛り上げる。
「泰夢くん!こっちにも!」
「No, no, come here, buddy!」
その盛り上がりの中で、常連客たちはついに泰夢を胴上げし始めた。泰夢は宙に浮きながらも笑顔を崩さず、「みんな楽しんでるならそれでええわ!」と叫んでいた。
その様子を、渡会と来斗はあっけにとられて見つめていた。ふと来斗が視線を横に向けると、東田がカウンター越しにスマホで写真を撮りながら、小さく笑っていた。
深夜、宴が終わり、店内が静かになると、泰夢は常連客たちが散らかしたテーブルを片付け始めた。
「手伝うで。」
泰夢は笑顔でそう言い、来斗と一緒にグラスを拭いている。
しかし、ふと鋭い視線を感じて振り返ると、そこには東田が無表情のままじっと泰夢を見つめていた。
「何?どないしたん?」
泰夢が声をかけると、東田は少し間を置いてから答えた。
「……そういうところ、見習いたいです。」
その目の鋭さと言葉のちぐはぐさに、泰夢は少し戸惑った。
「…ああ、ありがとう。」
「また、いろいろ教えてください。」
ニカッとやっと笑顔を見せてくれた東田の言葉に、泰夢も無邪気に笑って応じた。
「こっちこそやで、トンちゃん。」
その笑顔を見ながら、東田は今日のところは負けたことにしておこうと思った。いつか、もっと強い自分で彼と肩を並べるために。
06.
翌日、図書館のいつもの席に座る来斗のもとに、血相を変えた泰夢が駆け寄ってきた。
「なあ、これ見てや!」
スマホを差し出された来斗が画面を覗くと、そこには泰夢が常連客や外国人グループと笑顔で並ぶ写真や、胴上げのリール動画が。そして、「#世界の泰夢」「#Show泰夢」といったタグが付けられ、既に数百ものいいね!がついている。
投稿者の名前を見て、来斗は呆れた声を上げた。
「……トンちゃん、何してんねん。」
泰夢は苦笑しながら頭を抱えている。
「ほんま、なんで俺、こんなことなってんねん。」
来斗は軽くため息をついた。
「ほんま、波乱ばっかりやな。」
東田が投稿した写真は瞬く間に拡散され、大学内では「久しぶりの燃料投下」として泰夢を追いかける女子大生たちが大はしゃぎし、さらに大学外にも話題が広がっていった。東田がつけたタグは、新しい視聴者の興味を引き、コメント欄には称賛や笑いの言葉が並んでいた。
その様子を眺めていた東田は、スマホの画面を見つめながらふと小さく笑った。
「渡会さんのこと、見逃すんで……これくらい許してくださいよ。」
渡会、東田、そして泰夢――それぞれの立場で泰夢を見つめる彼らは、まだ自分たちの感情の行方を知らない。ただ、彼らがこの波乱の日々を通して何かを掴み、交わり合う未来がそこに待っていることだけは確かだった。
泰夢の笑顔が生み出す波紋は、これからも広がり続ける。来斗と泰夢のキャンパスライフは、その温かな光で輝き続けていくのだった。
人たらしがすぎてカオスの申し子になってます @Danuber91
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