死に戻り〜Time Rewind〜
中島しのぶ
その姿は、まさにあの時見た少女そのものだった――
二〇一三年七月三十日の火曜日。母は自宅階段の手すりに腰紐をくくり付け、縊死。享年四十八。
腰まであるストレートの黒髪が似合っていた。
死の前日、「自分はもう役目を果たした」と伯母に洩らしていた――
*
オレは清村翠(キヨムラ アキラ)、二十二歳の男性。
二〇〇七年四月に、大学新卒でソフト開発会社に入社した。
システム開発部に配属されて二年目、上司に誘われ、その上司が社長として新たに立ち上げた物流系のソフト開発会社に転職。
プログラマやSEを経て技術営業部の部長を務め、退任した取締役の穴を埋めるかたちで三十五歳の若さで取締役に就任。取締役は社長と常務、そしてオレの三人だった。
二〇二一年八月、ある冷凍食品会社の自動倉庫出荷システムにバグが発生し、業務に重大な支障をきたした。
その結果、莫大な賠償金の支払いを余儀なくされ、これが主因となって二度目の不渡りを出し、事実上の倒産状態に陥った。負債総額は約二億円にのぼった。
これに伴い、約半年にわたる給与未払いが発生し、労働争議へと発展した。
オレと常務取締役の二人は、二〇二二年八月四日に責任を取る形で取締役の退任を申し出た。
しかし、社長は責任を放棄して雲隠れしてしまい、退任後も社員の再就職先探しや売掛金の回収交渉のため、残されたオレたち二人が奔走する日々は続いた。
*
保証会社が借入先に代位弁済を行ったのは、二〇二二年十月三十一日。
その後、管財人により十二月十四日、会社の破産手続きが完了した。
債務の返済義務は、当然のごとく連帯保証人であるオレに回ってきた。
その額は、八千万円を超えている。
もちろん全額返済は到底不可能だが、「月々いくらかでも返済してくれれば法的手段には出ない」と保証会社の担当者は言った。それがたとえ毎月数千円程度でも構わない、と。
そんな時、債権者とオレ、もう一人の債務者の常務との間に割って入ってきたのが、労働争議で世話になった女社長、大澤だった。
「債権者との約束だから、正社員で就職はするな。絶対に自己破産はするな」――彼女はそう言い放ち、「債務者からあんたらを守ったのは私だ」と断言した。疲弊していたオレは、その言葉を信じてしまった。
そのため、オレは契約社員として技術営業職やプロジェクトマネージャーを務め、いくつかの会社を転々としながら生活を繋いでいた。何度か正社員への誘いもあったが、断り続けていたため、翌年には契約社員としての仕事も失ってしまった。
もうしばらく待てばよかったのだが、焦っていたオレは、二〇二三年のお盆休みに件の女社長に仕事を紹介してもらうために電話をした。それがすべての運の尽きだった。
「私が全部教えてやるから、あんたはただ入力作業だけをすれば良い」
その言葉を鵜呑みにし、オレは大澤の会社に就職することになった。
*
会社と言っても独自の事務所があるわけではなく、大澤の自宅がそのまま事務所になっていた。
この会社は、社会保険労務士事務所だ。顧問先は個人事業主や中小零細企業で、給与入力や健康保険協会への書類提出代行を主な業務としている。
が、厚生年金保険と健康保険には未加入だった。さらに、従業員を雇用しているにもかかわらず、労働保険にも未加入。
社労士事務所であるはずなのに、そんな基本的な部分すら守られていないスーパーブラック企業だった。
表向きは社会保険労務士が在籍しているが、大澤の『おさんどん』をしているだけだ。官庁に提出する書類の作成や社労士印の押印は、社員が代わりに行っているのが実情だった。
そしてすべての指示は社長の言うことが絶対。
それでも、こうした異常な状況を『おかしい』と思わなくなったのは、いつの間にか大澤のマインドコントロール下に置かれていたからなのだろう。彼女の「債務者からお前を守ったのは私」という言葉が、その理由だった。
*
そして全ては入社三年後、二〇二六年八月十四日の金曜日に始まった。
社長からいきなり電話があった。
「あなた、小笠原さんへいつ給料届けた? まだ届いてないって、失くしちゃったんじゃないかって、たった今電話あったわよ!」
小笠原さんとは、倒産した会社の元常務だ。大澤の会社から出向社員の形で、元部下の経営する会社に潜り込んでいた。
「いえ、社長が行く日を決めるから、それを聞いてから届けるということになってるので、まだですけど」
「あんた、何言ってんの。行く日をあなたが決めてそれをあたしが小笠原さんに伝えるってことになってたんじゃないのよ!」
「なんですかそれ。今まで行く日は社長が決めて、何日に行ってきなさいってルールだったじゃないですか」
「そんなことないわよ! あんたが何日に行きますって言うのをわたしがわざわざ小笠原さんに電話してるんじゃない! 早く会社に給料取りに行って、小笠原さんちに届けてきなさいよ!」
ものすごい剣幕と大声で怒鳴られた挙句、電話を叩き切られた。
振り返れば、この日を境に七年近くにわたるパワハラの日々が始まった。
八月二十一日 金曜日
社長一家は毎年、お盆が終わった後に一週間ほど帰省するため、話をするのは一週間後の今日になった。そしてその場で、社長から今年の十二月までの勤務だと告げられた。
「清村さん、あんたさぁ、あんなことしてどう責任取るのよ? あたしの言ったこと無視して、勝手にルール変えるなんて、何なのよ? 変えたなら変えたって、ちゃんと言えばいいじゃない!」
「私、別に変えてませんけど。電話でも言った通り、社長が小笠原さんに……」
「また相変わらず嘘ついて、何なのよ? あたしは前から、あんたが行く日を決めてから小笠原さんに電話してたじゃない! 一体どうなってるのよ?」
「……」ルールを変えたのはあんたじゃないのか? そう思ったが、オレは言い返さず黙っていた。どうせ反論しても無駄だとわかっていたからだ。
「わかった。あたしの言うことが聞けないなら、あんた、今やってる仕事を片付けたら、十二月に辞めてくれない? それとさ、あたしへの賠償金一千万円を払ってよ!」
はぁ? 何言ってんのこの人?
オレはびっくりして何も言えず、返事もできないまま仕事に戻った。その日はそれだけで話がうやむやになった。
八月二十八日 金曜日
「清村さん、あんたあたしへの賠償金なんてとても払えないでしょ? だから、給料を減らすわよ。いい?」
「?!」
オレは承諾も否定もできず、返事のしようがなかった。
どうせ元から大した金額ももらっていないけど、何だろう? 何の賠償金? 一体いくら取るつもりなんだ?
そして次の日から、社長の許可がない限り土曜日も出勤日となった。
九月十日 木曜日
七月分の給与支給額は二十七万三千円――住民税と源泉税のみが控除された額――だったが、八月分は十六万六百十二円になっている。
え! なんだこれは! 一体、この差額十一万二千三百八十八円は何なんだ?
思えば、このとき労働基準監督署に駆け込めばよかった。今となっては後の祭りだ。今日初めて家に帰って吐きそうになった。
九月十九日 土曜日
通常ならうれしいはずの賞与の日だった。けれど、あれだけ散々言われたオレは、素直に寸志――十万円そこそこだったので――を受け取る気になれず、社長に言った。
「私、このお金、受け取りません。損害賠償にでも何にでも充ててください」
「あっそ、ならいいわ」
すんなりと受け取った。この人、最初から渡すつもりなんてなかったな。
十一月五日 木曜日
二〇二六年時点でも、社員の給料は六十歳になった際に一定割合減額され、その減額分を『高年齢雇用継続給付金』で補填する制度は継続していた。
ある顧問先はその制度を利用して、給料を少なくし、「高年齢雇用継続給付金」が支給されるように計算していた。
そして、少なくした分を集計しておき、半期ごとの「賞与」で支払うという操作をさせられていた――これは違法だと思うんだが。
賞与は「高年齢雇用継続給付金」の対象外。でも、これも違法じゃないのか?
その後、給与計算だけをして、半期の賞与(確か九月だった)支給を何回か忘れていたことが発覚し、顧問先に支払い総額百四十万円を支払うように指示された。
さらに、来年の一月二十九日に退職するように言われた。前回は確か今年の十二月だと言っていたような。
「あんたさぁ、なんで毎月毎月やるべきことができないわけ? 仕事ノート見せなさいよ! ほら、毎月集計した分を賞与で支払うってここに書いてあるじゃない! どうすんのよこの百四十万円! 一体何回分なのさ!」
「申し訳ありません……」
「申し訳ありませんじゃないわよ! これから、容子ちゃん(顧問先の社長の妻で事務担当者)のところに行って話してくるからね!」
家に帰って吐く。
十一月二十八日 土曜日
話しに行った日からだいぶ経ち、なぜか今日になって、「容子ちゃんと話がついて、あたしが七十万円、容子ちゃんが七十万円にしてくれたのよ。だからあんた、そのうち六十八万円(なんで六十八万円かは謎)を払いなさいよ! いいわね!」
「はい、来月の給与から二万円ずつ返済します……」
「返せばいいってもんじゃないわよ、全く!」
十二月二十六日 土曜日
本当なら、そろそろ辞めさせられ、債権者との約束も切れて毎月ウン十万円も返済しなければならなくなるだろうと思っていた頃、なぜか社長が先月に失敗した顧問先の金額を減額してやると言い出す。
「アキラちゃん、こないだの容子ちゃんのところの罰金だけど、やっぱ五十万円にしてあげるわ。いい?」
機嫌がいい時は清村さんと言わず、アキラ『ちゃん』と呼んでくるのが気持ち悪い……。
一体なんの裏があるんだ? 五十万円だって多額だけど……ま、いいけど、怖い。
オレは内心そう思いつつも、「え、良いんですか? えーありがとうございます!」と喜んでみせた。
「その代わり、払える時は二万じゃなくて三万でも良いんだからね!」
「はい……ありがとうございます」
ところで、オレはいつ退職するんだ?
二〇二七年
一月一六日 土曜日
十二月までの勤務なんて言っていたのが、いつの間にかうやむやになっていた。それどころか、社長は「社員の前でお金を受け取りたくないから」と言い、土曜日に罰金を持ってこいと指示してきた。結局、二万円を渡したが、残り四十八万円はそのまま。もちろん、領収書なんてもらえるわけがない。
夕食後、家で吐く。
一月三十日 土曜日
そして今度は、これまであれだけ『金、金、金』と言っていたのに、今日は「あ、アキラちゃん、容子ちゃんへの支払いだけど、二十五万円にしてあげるし、毎月一万円でいいわよ」と言い出す。
ということは、残りは二十三万円ということか? でも、一体どういうことなんだ?
二月十日 水曜日
今日も楽しくない給料日――つまり、罰金支払い日。一万円でいいと言われたけど、悔しいので二万円支払う。これで残りは二十一万円。ただ、またいつ金額を変えてくるか……。
給料も手取り十五万円を下回っている。実家暮らしで、父の年金もあるからまだ助かっているけど……。ああ、気持ち悪くなってきた。
二月十八日 木曜日
ちょっとした社内で修正できるミスが原因で、前回の残金は四十六万円と言いだす。
思ったとおり、この人は計画も理論もなにも通じない人だ。
そして挙句の果てに「あんたさ、もう五、六年いるんだからさ、その給料分全部返してよ」などと言い出す。
実際には二〇二三年八月入社なので三年半なのだが……。
もう、ほんとになんだかわけわからない。家に帰って吐く。
三月五日 金曜日
社長の例の気まぐれで、十日払いの給料が今日支払われた。
なので、罰金を支払おうとしたら、「あ、アキラちゃん。容子ちゃんと話して、十万円で決まったから、アキラちゃんの罰金分は半分の五万円で。今まで四万円返してくれてるから、もう残り払わなくていいわよ」だって。
何を考えてるのか全く分からない。
四月九日 金曜日
今日もちょこっとした入力ミスで「アンタには学習意欲ってのが見えないんだわ」と延々三十分説教される。
そりゃぁオペレーションだけすればいいって言われて何も勉強しないオレも悪いけどさ……胃が痛い。
六月九日 水曜日
何を思ったか、突然「過去の仕事のミスはリセットしてあげる」と社長が言い出す。
それで安心してしまっていたが、過去のミスが発覚し、「容子ちゃんのところの七十万円の半分は払ってもらうわよ!」とまた話を蒸し返す。もういやだ!
今日も帰宅して吐く。
六月十六日 水曜日
もう我慢できなくなり、社長に退職したい旨を伝えるも、
「あんたに合った仕事内容に変えるから、退職しない方が良いわよ。なんせ保証会社の件があるからねぇ……。あんた、辞めたら今までみたいな金額の返済じゃ済まされないわよ。分かるわよね? 清村さん」
それを言われるとぐうの音も出ないじゃないか!
「分かりました。もうしばらく続けます……」
いつまで続くんだろう……。
八月九日 月曜日
なんのミスだったか……社長から「今度こそ、保証会社へ連絡して、あんたのお父さんの土地家屋と年金を差し押さえてやるからね。こんなミス、二度と許さないからね!」と脅され、三十分以上説教される。
「怠けない、マイナス思考しない、甘えない、言い訳しない、5W1Hで報連相! はい、十回くり返して言いなさい!」
胃が……。
二〇二八年
二月一日 火曜日
しばらくミスも起こさなかったが、確定申告でチェック漏れがあり、たまたま手伝いに来ていた顧問――昔社長が世話になったと聞いている人で、ほんとは顧問でもなんでもないんだけどみんなそう呼んでいる――から、
「あんたはこんだけ会社に迷惑をかけてるんだから、五年位丁稚、タダ働きして返さなきゃだめだろ!」と言われる。
結構他の人もいい加減なチェックしているのになんでオレだけ? と理解できない。たしかにミスはミス。でも、それって社内で見つけたミスなんじゃないの? 丁稚? タダ働き? 江戸時代かよって内心言い返した。
二月二十二日 火曜日
去年言われた、社長の『あんたのお父さんの財産の土地家屋と年金を差し押さえてやるからね』がどうも引っかかり、勇気を出して保証会社へ社長の留守中に匿名で電話した。
オレ「あの……今保証会社さんに返済をしている者で匿名でお聞きしたいのですが……」
職員「はい、何でしょう」
オレ「はい……えっと、会社からですね、『あんたが退職したら、あんたのお父さんの土地家屋を売って、そして年金も差し押さえて保証会社に返済させますって、言ってやるからね』って脅されてるんですが、本当にそんなことしなけりゃいけないんですか……?」
職員「そんなことありませんよ、毎月ちゃんと返済しているのであれば、土地家屋の差し押さえ、ましてやお父さんの年金まで差し押さえなんて一切ないですよ、安心してくださいね」
それを聞いて涙が出た……。
当然だけど会社には一切黙っておいて、いつか反撃してやると誓った。
この時、さっさと退職していれば人生やり直せたのかもしれない……後悔しかない。
四月八日 土曜日
「今後、月に一回くらい、アキラちゃんのメンタル面の打ち合わせというか、相談するようにしてあげるわ。ね、その方がいいでしょ?」
突然、この人は何を言いだすんだろう。きっとまた何かに影響されたんだ。
いつものことだが、それもその日限り。二回目なんて、結局やりはしなかった……。
五月十七日 水曜日
「あんたってさ、本当に冷たいわよね。他人に感情なんて持ち合わせてないんじゃないの?」
はいはい、とりわけあなたに対しては、負の感情しかありませんよ。いつか、必ず思い知らせてあげますからね。
十一月十八日 土曜日
今までここに書いてこなかったけど、失敗や間違い――それもチェック段階でのもの――をするたびに、『反省文』や『始末書』を書かされてきた。いったい、これまでに何通書いたんだろう。書いたところで、オレの『うっかりミス』『片付けの悪さ』『同じミスを繰り返す癖』etc.は一向に治らない。そのうえ、毎回罰金まで払わされる始末だ……。
「あんたの始末書って、いつも同じことばかり書いてあるわよね。最初の何日かは素直にちゃんとやるけど、すぐダメになる。だから、数ヶ月様子を見て、今度こそ本当に解雇するからね。いいわね」
何か月か前に「辞めるな」って言ったのは、いったい誰だったんだ?
*
オレは小学校の頃から、机が散らかっていたり、何かをちゃんとできなかったりして、『ちょっと変わった子』とか『不思議ちゃん』なんて思われていた気がする……。
前の会社では、そんなことはほとんど気にされずに――まぁ、プログラムのバグがあったり、仕様の抜けがたまにあったかもしれないけど――それなりにプログラム開発も営業もこなしていた。
でも、この会社に入った途端、『うっかりミスが多い』『片づけられない』『同じことを何度も注意される』『ミスを繰り返す』『いつもギリギリになって慌てる』『計画が立てられないし、立てても実行できない』といったことばかりが目立つようになり、実際にミスもかなり増えた。そのせいで、精神的に追い詰められてウツもどんどん進んでいったようだ。
これ以降、ウツの影響なのか、記憶や記録が抜け落ちることが増え、ミスも多くなって、まともな文章が書けなくなってきた。
……ごめん。
*
二〇二九年
七月十七日 火曜日
記録というか記憶が半年以上抜けている……。
社長には娘がいるんだけど、以前は他の会社に勤めていたけど辞めて、この会社の仕事を手伝うようになった。
これでいよいよ、経理上の同族会社じゃなくて、本当に同族支配の会社になった……社長の旦那は、設立当初から監査役として登記されているけど、実際には監査の仕事なんて全くやってないけどね。
「いい? あんた、パソコンの操作だけはできるんだから、桃子ちゃんに教えてあげなさいよ。わかった?」
はいはい、聞かれれば答えますよー。でも「わたし、自分で調べながらやりますので、いいです」だってさ。
八月十日 金曜日
嬉しくもない給料日。社長が一人ひとりに給与袋を手渡す。
「はい、桃ちゃん、七月分のお給料。途中入社で十一日分しかないけど、来月は一ヶ月分渡すからね」
「ありがとうございます」
そんな会話が聞こえてきた。
あれ……? 確か、社長の娘って、前の会社を退職した後、ハローワークに行って……ついこの前、次の認定日が何日だとか言ってたような……。これって……三倍返しの案件?
十月十八日 木曜日
会社から請求する、各顧問先約四十社分の請求処理のデータミスで、一ヶ月分、請求日が一ヶ月先にズレるミスが発生してしまった。
「あんた、その復旧にかかった費用を払うだけじゃ済まされないよ、わかってんの? 一ヶ月請求できない分、一年間タダ働きすることになるんだよ、わかってんのか? ええ?」
復旧費用は十四万九千円だったけど、一ヶ月請求できないということは、その分入金がないわけで……タダ働きにはならなかったけど、辞めたら同時に請求される……はず……あの人の性格なら。
二〇三〇年
二月二十七日 水曜日
長い間入院していた父が、肺炎で他界した。享年七十二。
母は十七年前に他界しており、不動産は一人息子であるオレが相続した。これで完全に一人きりになった。
八月二十一日 水曜日
何のミスだったか覚えていないけど、また小さなミスをした。
「あんたさ、辞めるならあんたの土地売って、保証会社への返済に充てて残りをあたしに弁償くらいしなさいよ。ったく。今度またミスしたら、土地売却する旨、一筆書いて持って来な!」
しぶしぶ決意表明と、またミスをしたら土地売却して、保証会社へ返済と、社長に弁償する一文を書いて提出してしまった。
ああ、もう、どうにでもなれ……。
二〇三一年
二月八日 土曜日
たまたま休みがもらえた。
ここのところ気分が優れず、またどうしてずーっと何度も同じ間違いをするのか、整理整頓できないのか、テレビで『片づけられない女』なんてのを見たり、ネットでいろいろ調べていくうちに、オレやっぱりADHDなんじゃないかと思い、心療内科を予約して受診した。
まず、ウツかどうかの簡単な『はい』か『いいえ』のテストと『実のなる木の絵』を描くテスト――『バウムテスト』っていうらしい――を受け、
「あー、あなた今まで三回挫折してますね。実が三個おちてるでしょ?……でも木の枝の張り具合、絵の右側が大きいから、未来を見てますね……」とか、その後問診で小さい頃のことや、現在仕事で困っている、片づけられない、同じミスを繰り返す、忘れる、集中できないことを話すと、問診でもADHDっぽいので、診断テストを受けることに。結果は翌週とのこと。
一週間が長いな……。
二月十五日 土曜日
なんとか社長を騙して休みを取り、心療内科に結果を聞きに。
ウツの診断では、CES-Dの値が二七で重度のウツ。そしてCAARSテストのスコアは七四と異常値を指し、ADHDと診断された。
二月十七日 月曜日
このままでは危ないとの医師のアドバイスに従い、休職願いを申し出ても、大澤の鶴の一声「そんなのはやる気がないだけ。気のせい」と診断書も揉み消され、仕事を続けさせられる。
ウツの治療もまともに受けさせてもらえず、作業ミスが出てさらに増加し、給料もいつしか最初に言われた額の三分の二からやがて三分の一にまで減額されていく。
さらに休暇は隔週土曜日と日曜日が、いつしか日曜日も月に二日しか与えられなくなった。
二〇三三年
七月三十日 土曜日
二年半近くの空白――ウツの薬も飲めなくなり、記録する気力もなくなっていた。
今日は母の祥月命日、……母が亡くなってから二十年か。その年の三月、オレは母が亡くなった歳に追いついた。
なのに、オレは女社長から必要のない『一週間の作業内容のまとめと、失敗したことのレポートと反省文』なるものを作らされていた。
まったく意味のない作業。
母のことを思い出したら、突然死にたくなる。今は自分一人しか会社にいない、今がチャンスだと思い、仕事部屋の外側のドアノブにビニール紐をくくり付けた。
紐の長さを調整し、座った状態で頸動脈が圧迫される角度を見定める。
そして、ゆっくりと全身の重みを紐にかけてい……意識が飛ぶ――
*
気がつくと、オレは懐かしい大学の掲示板の前に立っていた。
夏のムッとした暑さの中、掲示板は大学本部棟と一号館の間にある屋根の下にあるので、少しだけ涼しい。
掲示板のガラスに映った自分は、若い頃――そう、大学生の顔をしていた。
一体、何が起きた? オレはたしか四十八歳で、ドアノブにビニール紐をくくり付け縊死したはず……。
呆然と立っているオレのTシャツの右下が、ツンツンと引っ張られる。
驚いてそこを見ると、小学生くらいの女の子がオレのシャツを摘んで引っ張っていた。
「な、なに? キミは?」
腰まであるストレートの黒髪の少女はそれには答えず、こう言った。
「今日は二〇〇四年の七月三十日、金曜日よ。早くしないと学生課が閉まっちゃう。そうしないと、わたしに逢えなくなっちゃうから」
そうだ、オレは後期の博物館実習の手続きを、まだしていなかったんだ。
ありがとうと言おうと少女の方を見ると、誰もいなかった。
暑さにやられたのかと思いながら、オレは学芸員資格取得に必要な履修手続きをしに、学生課に向かった――
*
教職課程も履修していたため、四年生での教育実習先として、卒業した学校を選んだ。担当は中学一年生の理科だった。学科は異なっていたが、同じ中学一年を担当していた、学生時代に一度も話したことがない同窓の女の子と知り合い、付き合い始めた。
二〇〇七年、オレは無事に卒業し、学芸員資格と恋人を手に入れた。残念ながら就職先は博物館ではなかったが、学芸員資格を活かして出版社に就職した。
母は二〇一三年七月三十日に交通事故で亡くなった。
オレは二〇二一年、三十六歳の十二月。十五年半以上、くっついたり離れたりしていた恋人とやっと結婚した。
母に孫を抱かせてやれなかったのは残念だったが、その翌年には長女が生まれた。
長女が生まれたことをきっかけに、マンション暮らしから実家に戻ることを決め、父も喜んで迎えてくれた。
父は娘や四歳年下の息子の面倒をよく見てくれたが、二〇三〇年二月二十七日に肺炎で息を引き取った。
そして今日、二〇三二年七月三十日は、オレの母の祥月命日であり、娘・梓の十歳の誕生日でもある。
仕事も順調で穏やかな暮らしの中、オレはふと、七月三十日という日付に違和感を覚えた。
存在しない現実? 全てはやり直しから始まったのか?
いや、違う。きっとこの暑さのせいだ。自分に言い聞かせるように、そう思い込むことにした。
「パパ! わたし、思い出したことがある!」
その声に振り向くと、梓が勢いよく抱きついてきた。腰まであるストレートの黒髪が揺れる。
その姿は、まさにあの時見た少女そのものだった――
Fin.
死に戻り〜Time Rewind〜 中島しのぶ @Shinobu_Nakajima
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。死に戻り〜Time Rewind〜の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます