第2話 白井さん

 夜勤明け。早番で来た白井しらいさんに夜間の申し送りをした後、緊張しながら、


「あの……ちょっと訊きたいことが……」

「ん? 何?」


 訊き返されて、さらに緊張が高まる。そんなに凄いことじゃないのに、何故こんな状態になるのか、自分でもよくわからなかった。


「白井さん、篠原しのはら由美ゆみさんって知ってますか?」


 私の質問を怪訝そうな顔で聞いた後、白井さんは、


「シノちゃん? 何で早川はやかわさんが知ってるの?」


 それはどういう意味でしょうか、と訊いてみようかと思ったが、私が口を開く前に白井さんが、


「前に、このフロアーで働いていた、すごく可愛い人だよ」


 にやけた表情で言う白井さん。もしかして、シノちゃんを気に入ってるのだろうか。


「その可愛い人、今どうしてるんですか」


 白井さんの表情が急に暗いものになったと思うと、


「残念ながら、デイサービスに異動になった」


 その言い方には、何か含みがあるように感じたが、さらに質問しようとした時、利用者さんのコールが鳴って白井さんがその人の部屋に向かってしまった。体の力が抜けた。


 シノちゃんが、今はデイサービスにいることはわかった。でも、その異動には何らかの事情があるらしい。白井さんの様子が、それを物語っている。


 その後も忙しくて、シノちゃんに関する情報を得ることが出来なかった。ノブさんの願いを叶えよう。そう思ったが、はたして上手くいくだろうか。ちょっと不安になった。



 ノブさんには、何故か夜勤の時にしか会えない。


「いつも、どこにいるんですか」


 訊いてみたが、ノブさんは首を傾げて、「どこだろうね」と言うばかり。


「シノちゃんなんですけど、今はデイサービスに配属されているそうです。相田あいださんの大好きな白井さんがそう言ってましたよ」

「誰が大好きなんて言った?」


 真剣な顔で全否定してくるノブさん。白井さん、担当だったのに可哀想、と同情してしまった。


茉莉まりちゃん、シノちゃんに会ったかい?」

「会ってません。そもそも顔がわかりませんから、すれ違ってたとしてもわかりませんよ」


 利用者さんからコールがあったので、ノブさんに断ってから向かった。介護室に戻ってくると、ノブさんが難しい顔をしていた。私はノブさんを覗き込むようにしながら、


「どうかしましたか」

「別に何もないよ。ただ、シノちゃんに会いたいだけ」

「シノちゃん、相田さんに好かれてるんですね。余程いい人なんでしょうね」

「それは間違いない。でも、それだけでもないんだ」

「それだけでもない?」


 ノブさんの言葉を復唱してしまった。ノブさんは深く頷き、


「そう。それだけじゃないんだ」


 その声は、何だか哀しみを秘めているように思えた。


 ここにとどまっているノブさん。心残りがあると言っていた。生きている時、ノブさんの身に何が起きたのだろう。訊いてみようかどうしようかと考えていると、ノブさんはふいに私に背中を向けて、「今日はこれで帰るよ。じゃあね」と言って消えてしまった。


 怖いから、突然現れたり消えたりしないで、と訴えたくてもどこに向かって抗議すればいいのやら。私は溜息を吐いて、記録を始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ノブさん ヤン @382wt7434

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画