続カチカチ山
稲羽清六
続カチカチ山
ここは火の国森の国、ふたつあわせて山火事と、背中を焼かれた黒狸、またもや兎の姦計で、砂舟川にどんぶらこ、溺れて無念の最期をとげた。
これが世にいう『カチカチの変』。
ことの次第は人と獣の口を伝い国中に広まった。人族一同溜飲をさげ、我らに仇なす畜生ども、やれよい気味だ、やれ地獄に落ちろと、お祭り騒ぎで酔いしれる。
おさまらぬのは獣族のほうだ。婆汁婆汁と人は黒狸の所業を責めるが、創世以来、人と獣とは汁にしなければ汁にされる間柄、数を量れば汁にされた獣の方に秤がさがる。ひとりふたりを汁にしたとて、いったい何が悪かろう。族としての因縁はさておいても、元を質せば、農夫の一家と黒狸の縄張り賭けた真剣勝負。どちらが汁にされても恨みなし。むしろ、連れ合いを奪ったせめてもの償いと、
獣一同雄叫びをあげ、稲荷大明神の社に集まった。
「我ら件の兎を見つけだし、鍋にて分け食らうことを誓う。先駆けし、ひとり食らう者は畜生道に落ちるべし」
と、団結して祈念した後、役割の分担とあいなるところが、ここはしょせん獣の性か、我は食らう役目よ、我は食らう役目よと、誰もが賞味の役を主張して肝心の探しだす者がいない。けっきょく、仇は縁者がとるべしと、黒狸が一子、たぬ吉が選ばれた。
もちろん、このたぬ吉の心中穏やかではない。
「何だとこの畜生どもめ。要は兎汁を啜りてぇだけじゃねぇか。仇だと? バカにしてらぁ。石を打つのをカチカチ山だからとか、薪が燃えるのをボウボウ山だからだとか、そんなでまかせで騙されるたぁ、実の親だけに情けなくて涙も出ねぇ。一族の恥、血族の恥、むしろ死んでくれてせいせいしてらぁ」
と、思わず口にしてしまったのが失敗か。お山の獣たちから「親不孝者よ」と袋叩きにあい、某年某月の吉日。一歳にも満たぬ子狸は、自分よりも大きな親の形見の茶釜を背負い、「仇を取るまでは帰るべからず」と、獣たちの義憤に追い立てられるようにしてお山を発ったのである。
西へ東へ。南へ北へ。夏には茶釜をかぶって暑さをしのぎ、冬には茶釜にのって雪上を滑る。不思議であったのは、行く先々で耳にする兎の噂であった。十の国を回れば、十の噂。百の国を回れば、百の噂。追いはぎに知計を与えて女子供を殺めたというものもあれば、飢えた民に食物を与えてこれを救ったというものもあり、どうにも
こうなればことは簡単である。竜に化身して飛行し、その竜眼をもって仇の兎を見つけだす。ところが、様子がおかしい。兎は草色に青ざめて木々の間をうろうろ歩いている。少し離れたところに、兎ではない一人と二匹の姿があった。旅人らしき人間が火の傍に横たわり、熊と狐が鮭と山菜を料理している。
兎と縁のある者たちやもしれぬと、たぬ吉は好奇心にかられ、雀に変化して忍び寄った。木の陰に隠れ様子をうかがうこと、半刻ほどか。やはり、兎がこちらに歩いて来る。
兎はカタカタと歯を鳴らして言った。
「あの……、やはり私には、その旅人に何をしてさしあげることもできません」
他の者はそしらぬ振りで、わきあいあいと歓談をつづけている。
兎は涙目になりながら弱弱しく言った。
「私はもとより力も技もない哀れな兎にすぎません。熊さんのように魚を捕まえることもできませんし、狐さんのように木の実を見つけることもできません。私には、その旅人に何もしてさしあげることができないのです」
すると狐が忌々しそうに横目をやった。「お前にもできることはある」という風に、くいと、あご先で焚き火の方を示す。兎はギョッとした顔つきになって、救いを求めるように旅人を見たが、旅人は目を合わせようとせず、いっそうの病人をきどって熊に気づけの水を求めていた。
兎はすっかり泣いてしまって、膝を折り、蚊の鳴くような声で哀願した。
「私はかつて、人に害をなす狸がいるとの人の声により、黒狸を殺めました。私はかつて、黒狸の子が仇討ちに向かったとの声により、放浪の旅に身を投じました。その先々で、人に乞われるままに、悪しき事にも、また良き事にも、加担いたしました。私は確かに、他人の声によって生きております。私には声がなく、他人の声によってしか生きる術を持ちません。そして今、あなた方は私に、声なき声でこの火の中に飛び込めとおっしゃいます。己が身をもって、この旅人に糧を与えよとおっしゃいます。でも、火がとても熱いのです。命を失うのが、とても恐ろしいのです。これだけは、私にはできません。これだけは、私にはできません」
それでも兎に耳をかす者はいない。熊などはふりむきもせず、包丁で鮭をさばきながら旅人と話す声をいっそう大きく張りあげる始末だ。
たぬ吉は怒りに
義だか愛だか知らぬが、いったい何の権利があって他人を情に巻きこむのか。いったい何の権利があって他人を死に向かわしめるのか。
この兎とオレとは、同じである。
他人の声に追い立てられ、オレは意に添わぬ仇討ちの旅に出た。どうにか生き残り、変化の術を身につけたが、それはたまたま運が良かったに過ぎぬ。もし百匹の子狸がオレと同じ旅に出れば、その九十九匹までもが人と獣の餌食になって果てるだろう。
違いがあるとすれば、オレの心根は強く、兎の心根は弱いという一点である。だが、どちらにしても、この狐や熊や旅人のような卑劣さだけは持ち合わせておらぬ。
――兎に罪は無い。
たぬ吉は心に決めた。
――お山の
兎が哀願をつづけ、あげく、泣きながら火の中に飛び込もうとしたその時、たぬ吉はふたたび金竜に変化した。大木を鋼の尾でなぎ倒し、山をも震わす咆哮をあげる。
熊と狐は仰天し、旅人を捨てて逃げ去った。
たぬ吉はひれ伏して命乞いをする旅人を、ぱくりと口にして噛み砕いてしまう。兎が腰を抜かしていたので、変化を解いて狸に戻り、鼻をつきだして意地悪く笑った。
「オレは、先ほどお主が話していた黒狸、その子である。仇討ちだと何だとうるさく言われ、旅に出たが、本心のところ、お主を食い殺す理由が見あたらぬ。だが、こうして仇を捕まえてみると、そのまま逃すのも惜しいと思われる。兎よ、オレに声を聞かせよ。オレは、いったいどうすべきか」
しかし兎は怯えきり、お許しください、お許しください、と頭をさげるばかり。たぬ吉はいらだち、茶釜で地面をガンガン叩きながら叫んだ。
「三度は訊かぬ。最後の機会だ、答えよ! オレは、いったいどうすべきか。ここでお前を食らうべきか、ここでお前を見逃すべきか」
兎はいっそう縮みあがりながらも確かな声で答えた。
「……み、見逃すべきだと存じあげます」
「よし。見逃してやろう」
たぬ吉は兎の答えに満足すると、あぐらをかいて茶釜を置いた。仇の兎に、その中に入るよう命じる。兎はためらっていたが、たぬ吉が「命はとらぬ」と約束すると、怯えながらも縁をまたぎ、茶釜の中にうずくまった。たぬ吉は、宙返りをして金竜に戻った。兎の入った茶釜を掴み、嬉々として故郷のお山へと帰る。
お山の獣たちは、三年の歳月の内にたぬ吉のことなど忘れ去っていた。男たちは狩りに、女たちは子育てにと、脇目も振らずそれぞれの仕事にいそしんでいる。たぬ吉は空に浮かび、唖然としてその朗々とした生活の営みを眺めていたが、気を取り直して吼えて呼び、獣たちを稲荷の社に集めた。憎らしくも懐かしい獣たちの顔を順に見、大きく息を吸って話を切り出す。
「オレは、お主らの同胞、たぬ吉と知りおうた竜神である。その死に際して頼まれ、黒狸の仇を捕まえて参った」
獣たちは一様に首をひねり、茶釜の兎を見てしばらく相談していたが、ようやく思い出したらしい。そのような事もあったよのぉと、しきりに納得して頷き合う。
獣の一匹が殊勝な顔つきで進み出た。
「たぬ吉は亡くなりましたか。志半ばで果てるとは、さぞや無念であったことでしょう。ですが、竜神さまがこうして仇を捕らえてくださった以上は、たぬ吉も草葉の陰から微笑んでいるに違いありません。お山でも名高い、孝行者でありましたから」
「ほう。たぬ吉は孝行者であったと申すか。ならば、オレも仇を捕まえて参った甲斐があるというものよ。それで、この兎はなんとする。オレと共に、功に応じて分け食らうというのはどうじゃ」
「いやいや、兎などという罪深いものは、竜神さまのお口には合わぬものであるからして、形見であるその茶釜で煮殺し、同胞である我らが食します。それがせめてもの、狸の親子への供養でございましょう」
「ほう。兎を食すのを狸の親子への供養と申すか。確かに、知りおうただけの竜神の、食すべきものではないかもしれぬ。だがそうであれば、果たしてお主らの食すべきものであるか。たぬ吉が命を賭して兎を追う間、同胞であるお主らは助勢もせず、のうのうとお山に暮らしておったのであろう」
「助勢とはおかしな事を申されます。そもそもこれは、親を無下に屠られた子の仇討ち。血縁もなき我らが助けたとあれば、たぬ吉の顔が立ちませぬ。失礼ながら、助勢とはむしろ狸としての名誉を損なうものでありましょう」
「ほう。名誉を損なうものであると申すか。確かに、たぬ吉はへそ曲りな性分であった。健在の内に助勢などを申し出れば、屁の一発でも浴びせられたやもしれぬ。だが、たぬ吉をお山から追うたのは、その血縁もなきお主らではなかったか。年端も行かぬ子狸を仇討ちに向かわせたのは、その血縁もなきお主らではなかったか。そこにおいてさえ己らの良心に恥じるところはないのか」
「恥とはまたおかしな事を申されます。黒狸の仇討ちは、信心厚き我らが立てた稲荷大明神さまへの願でございます。たぬ吉は幼いとはいえ、稲荷大明神さまを祀り奉る我らが同胞。些事をもって願を捨てては、稲荷大明神さまへの筋が通りませぬ」
億面もなく並べたてられるデタラメに、たぬ吉はとうとう我慢がならなくなった。
「なにを申すか、獣ども。己らの欲で願をかけ、その荷を他人に課すとは笑止なり。何が、孝行者じゃ。何が、供養じゃ。都合が良ければ同胞といい、都合が悪ければ血縁もなき者という。仇討ちとは、たぬ吉みずからが望んだことであったか。願とは、たぬ吉みずからがかけたものであったか。返答次第では許してやろうかと考えていたが、こうも厚顔ではどうにもならぬ。そもそもオレは竜神である。稲荷への筋が通らぬとて、いったいそれがどうしたと申すのじゃ!」
突然の恫喝に、獣たちはみな驚き、頭を地につけて震えた。気の動転した一匹が、掠らせながらも甲高い声をあげる。
「しかし恐れながら、同胞たる我々が兎を食すのも、稲荷大明神さまに誓った願の内にございます!」
たぬ吉は呆れきって返す言葉もなく、あまりもの腹立たしさと情けなさに涙をこぼしながら、茶釜をのぞきこんで兎に訊いた。
「兎よ。こやつらはあくまでお主を汁にすると申すが、どう思う」
「恐ろしゅうございます」
「恐ろしいか。では、兎よ。お主がオレならいかがする」
「恐ろしいので、滅ぼしてしまいます」
たぬ吉は望みを失って笑った。
「――だ、そうだ。下賎の獣どもよ。滅びるがよい」
たぬ吉はそう言うと、飛びかかり、目の前にならぶ獣たちのすべてを飲みこんでしまった。それでも怒りはおさまらず、ほとんどやけくそになって、稲荷の社はもとより草木の根まで食い尽くしてしまう。かくして、多くの獣たちで賑わっていたお山は生きる者のない禿山と化した。
故郷を己が手で消したたぬ吉は、どこにも落ち着くべき地がないので、兎の言の赴くままに天を駆け、ある時は国に富をもたらし、ある時は国に禍をもたらした。世の人と獣からは
了
続カチカチ山 稲羽清六 @inaba2024
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