現代ファンタジーは怖いので島に篭ろうと思います。

ジフィ

第1話

「一天四 カイ」は駄目なサラリーマン、所謂駄目リーマンである。


 学生時代はそれなりに勉学にも励みそれなりの大学経済学部を出て、そして大手ではないけれど証券会社に勤めることもできた。

 だが彼が毎日頭をおかしくしながら数字と睨めっこをしている間にも同級生は結婚をして続々と子供を授かりつつある。30歳とはつまりそういう年齢、結婚をして田舎へ引っ込みスローライフをしたいと考えることが如実に増えた事はカイ自身が誰よりも分かっていた。


 幸にも金ならある。

 老人から詐欺同然で巻き上げた金を転がして得た内、数%の利益ではあるけれど、それでも独り身の男が軽い贅沢をしながら満足に生きていけるだけの金が。


 しかし現実はどうだ。会社の制度を利用して私物化したフルオプションの社用車ではカップラーメンを食い、今日も明日もあくせく金を回収する。目の前には大金があるのに、自分に回ってくるのはこの中で一体諭吉何枚か。

 そんな事を考えては鬱になりトラッシュケースを持ち逃げしようと目論んだ回数は両手の指では数えきれない。


 贅沢な悩みだと笑うが良い。だが実際問題木端の証券会社に金を預けようなんてする連中なんて凡そがお遊び気分の金持ち老人か、一発逆転に賭けた耄碌老人くらいのもの。どちらにせよまともな感性を持った人間なら大手にその金を回すだろう。あまり長く続けられる仕事とは言えなかった。


 知人家族からは金を溶かしたらどうするのだと、緊張やプレッシャーは無いのかと聞かれるけれど、何かが欠けていなければ、或いは意図して欠かさなければ証券マンなんていう仕事は続けることが出来ないのだ。

 だから彼はいつもそれらの質問に対して「合わない人は初日で逃げ出しますよ」と、決まって優しく答えるのだ。


 勤めてきた年月こそが信頼と実績の証。株に感情は無用、恐怖心は不要と言われるがその反面感情の薄い人間は証券会社に向いているということになる。


 ……だが敢えて再度言おう。彼は所謂駄目リーマンである。


 三度言おう。カイは、駄目な奴である。


 証券会社において駄目な人間とは恐怖に潰される奴、利益を出せない奴、そして、顧客を勝ち取れない奴。つまり常に決まった客が居らず営業を掛け続けなければやっていけない彼の様な人間のこと。

 その要因は多岐にわたるが、主に本番の弱さたるや他に類を見ないレベルだとは明記しておく。


 どれだけ平時で成果を積み上げても、そのせいで舞い込んできたチャンスは悉く棒に振って来た。

 駄目な奴、本番に弱い奴という評価は彼の顧客を掻い摘み新人に与えるという不当な結果にも繋がっている。


 黒縁メガネに細身のスーツ、清潔感のある容姿とは裏腹に皆から対する彼の総評はいつまでも振るわない。当然、雑魚老人のタンス預金を引き出す小銭稼ぎにおいてはこれまた類を見ない程の実力者であるとも、社内にはあまり知られていなかった。


「次のリストはどこかしら?」


 ふと後部座席から冷たい女の声が聞こえた。バックミラー越しに見える姿は凛とした一弁の椿を思わせる。烏の濡れ羽色をしたロングの髪、新雪の如き肌に仄かにさした淡い紅。線は細いが弱々しくはなく、大きくも鋭い瞳が気高さと共に近寄り難さをも内包している。


 端的に美しいと言っても良いのだけれど、不自然なほどの美しさが逆に彼女の背景にムカデの如し毒虫を想起させるとカイは考える。


「助手席に置いてありますよ」


 たかがアルバイトが出す威圧とは一線を画すそれを前に彼は内心でたじろぎながらも努めて平静を装いながら答えた。

 ……そう、彼女は単なる新入社員。十年来の正社員を顎で使うその光景には確かに先輩風が吹いていたけれども、実情は仕事も出来ず業務も覚えず客にも無愛想、淡泊なコミュニケーションしか取れない現状では穀潰しの、単なる新入社員である。


「届かないわ、取って頂戴」


 一通りの新人研修を終えて男の業務補助として車に乗り込んできたのが一週間前、それから営業を掛けに巡ったのが丁度100件で、金を引き出したのが15件、そして彼女の成果と言えるようなものはその内の1件。

 金持ちの慈悲か同情で金を恵んで貰った形となるので実質的には0とも言える。


 カイが詐欺師だとすれば彼女の手腕は物乞いに近い。帰りに皆が普段カイを見送る時のような怪訝な顔をしていれば憤るだけで済んだかもしれないけれど、彼女「慇懃不 レイ」の場合は本当に笑顔で見送られるものだから始末が悪かった。


 仕事も出来ない癖に敬語ですら話さないレイに内心で引っかかっていたカイも、いつしか彼女の卓越した無能ぶりは自分の教え方の悪さが原因なのではないかと思い始めていた。


 本日何度目かになる彼女の指図にも、運転を置いて資料を差し出す光景は赤子の世話さながらである。


「脇見運転ね」

「へへっその通りでやんす」


 少し卑屈になりすぎたかもしれない。カイが自分の行動を顧みて運転に集中しよと雑念を払った途端、レイが車を止めろと声を上げた。


 田舎に片足を突っ込んだ山裾のトンネルを抜けた時の事である。


 直後、彼らの乗っていた車。時速80キロ以上でかっ飛ばしていたシリウスは、唐突に脇から飛び出した一人の人間を景気良く轢き倒した。


 声にならない声と共にカイがブレーキを踏むも時既に遅く、力なく脱力した肉体がバンパーに乗り上がり慣性のまま後ろへと流れていく。


 心臓は高いところから落としたかのように弾み収縮を繰り返しながら、カイの呼吸を荒くする。

 止まった車を脇に寄せる事もせずにべもなく飛び出すと、レイの静止を振り切ってぐったりとうつ伏せに倒れる体へと駆け寄った。


 しかし最初は遠目に見えていた人物に近づくにつれ、身体の形が人間のソレでは無いことに気付く。


「囲まれているわね」


 後ろでレイが声を上げている。

 振り返る最中、山側に人の形をした集団が立っている光景が目に入った。


 生気の無い土気色の肌、全身の骨が浮き出るほど痩せ細っており、顔付きは醜悪で見開いた瞳孔も横に長い。猫背で腰が曲がり、唯一身につけた腰蓑の上には対照的にでっぷりと膨らんだ腹が乗っていた。

 その姿は社会の教科書で見た餓鬼さながらの様相。


 立ち呆ける彼等の前に敷かれた道路の薄い白線だけが此方側と其方側を隔てている様な気さえする。


 しかし襲ってくる気配は一向に見られなかった。

 一匹とは言え彼等の仲間を瞬殺してしまったのだから警戒しているのかもしれない。真っ白になったカイの脳裏に浮かんだ予想が正しかったかはさておき、両者が固まったまましばらくの間にらみ合っているうち、やがて餓鬼共は前を向いたままゆっくりと踵を返してしまった。


 その途端、足下が揺れて二人は地面に尻をつく。


「っ痛……地震ですね。かなり強い」


 レイはやはり素っ気ない返事を返し、へたり込んだまま頭を押さえる。


「コレ、ちょっとやばくないですか!?」


 数秒おきに訪れる一段強い揺れが二人を地に転がした。


「いざとなれば地面にキスでもしなさい」

「収まるんですか!?」

「アナタが王子様なら、或いは」


 ならば地震は収まらないだろう。

 危機的状況に陥り地面を転がりながらも軽口を叩く女には心底呆れながらも、カイは今までに体験したことの無い程の揺れに内心で涙を流していた。


「あぁっ収まって来まし……」


 未だ揺れは続くも立てられない程では無い。土砂崩れなんかを警戒してその場を離れようとするカイは、目を点にして虚空を眺めるレイに釣られて視線を麓へと動かす。


 その場に固唾を飲み込む音がゴキュリと、やけに生々しく響いた。


 視線の先、斜め下に見える街を挟んだ水平線の彼方に。

 象の様な足を持つ巨木が見えた。上部からは高く伸びる触手を幾つも生やし、ゆらゆらと動かしている。

 その大きさは平行に位置するガントリークレーンの約4倍、160メートルは優に超す。そんな生物が二匹も鎮座していたのだ。


 否、座しているという言葉には語弊があった。

 なにせその巨木は分厚い足を器用にゆっくりと動かし、しかし断じて遅くは無い速度で歩みを進めているのだから。


 唇が乾き、全身の血管が収縮する。視界がぼやけて体に力が入らなくなる。ままならない思考を何とかつなぎ止めながら呼吸を繰り返していると徐々に地震が弱く収まってきた。


「逃げますよ!!」


 上擦った声が聞こえてカイの意識を現実に引き戻した。それが自分の声だったと気が付いたとき、車に戻ったカイは山の際へと幅寄せをして窓から顔を出していた。


 しかしレイはスマートフォンとの睨めっこ続けたまま悠然と立ち上がり、


「どこへ逃げるつもりなのかしら?」


 カイに質問を投げかける彼女の目に揶揄いや戸惑いはなかった。なんのことはない、レイは考えなしに動き始めたカイとは違って現状を冷静に分析していたのだ。

 だから彼女は己の疑問を理解してもらおうと、今まで巡回していたSNSの画面を男に押し付ける。


「これは……」


 そこには空から振ってくる無数の巨大な赤子。毛の無い巨大な鶏、黒い蝶、粘液を飛ばす蠅。

 それらの写真が県名や悲壮の声と共に一斉に流れている。時折流れる文面から海外も同様の事態に陥っていること分かった。


「もしかして、既に逃げ場なんてどこにも……」


 そのことを裏付けるように、フェイク画像を疑う声が全くと言って良いほど無いのだ。カイは自分ならネットのイベントとかと思ってしまいそうだがと思っていたけれど、目の前の光景を見てしまっては呑気な事を宣う暇もなく信じるほかに無かった。

 悲観的になるのも仕方がないというもの。現に陸地の山場にも餓鬼が迫って来ているのだから、それら生命体の進行は幾分か前に始まっていたのだ。


「東京、大阪、名古屋、京都」


 凄まじい速度でスクロールされる画面を見ながらレイが呟いた。


「なんですか、こんな時に」

「写真が投稿されていない場所よ」


 しかしそれだけを言われてもカイには理解ができなかった。だからどうしたと聞き返すのが関の山である。


「不自然でしょう? 日本でも特に人間の多い場所よ。そんな場所に限って情報が無いの」

「くそっ、分かるように言って下さい!!」

「恐らく都市部は壊滅ね。良くて全面電波ジャックといったところかしら」


 突然の事態に混乱を極めていた義久の脳みそで彼女の淡白な言葉を全て理解できたかと聞かれればどうしようもなく頭を横に振らざるを得ない。


「……そんなことがあり得るんですか?」

「原子爆弾が落とされた時も広島にいた軍の通信が一斉に途絶えたらしいもの」


 相手が国ならば日本が降伏すれば終わり。しかし相手が何者かも目的も分からぬならば手がかりは無いも同然。それに、東京の国会からも人が消えたなら自衛隊が動けるのかも分からない。


「じゃ、じゃあどこへ逃げたら」

「人の居ない田舎ね。今なら山間部への逃走一番乗りだわ」


 都市部に攻撃が集中しているという事からも考えて対象の目的が人間であるという話には筋が通っている。


「分かりました。では食糧を買い込んで……」

「そんな暇無いわよ」


 言いながらも彼女は餓鬼を引きずりカイの社用車へと引き摺っていき、血まみれの体を持ち上げる。

 その動作には備蓄を買う暇も無いのに死体処理の時間はあるのかという疑問を挟む余地もない。


「馬鹿が食糧に食らいついている隙に私達はとんずらをこくの」


 一回りも年下の小娘に馬鹿と言われても訂正の一つ思いつかない。だからカイは全てを諦めて大人しく頷いた。


「問題はどこへ逃げるかね」


 尚も動機の止まない胸を服の上から握りカイは口を開く。


「ここからなら桜島とかですか?」

「あの巨大生物を相手に島へ籠もってどうするのよ、踏み荒らされてお終いだわ。一先ずはこのまま北上して霧島国立公園に身を隠すとしましょう」


 そう言い残してレイは血に濡れたスーツの上着もそのままに、自らも車へと乗り込んだ。

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