別れ
「私はお菓子の家に住むのが夢なんだ」
そんなことをジムが目をキラキラさせながら言うので、サラーサは思わず笑ってしまった。
「あはは、それなら魔法で出して差し上げましょうか?」
「いや良いよ、簡単に夢が叶ったらつまらないからね。この夢はいずれ自分で叶えたいんだ」
「チェッ、分かりました」
どんな時でも魔法に頼ろうとしないジムにサラーサは人間としての魅力を感じていましたが、時には自分のことを頼ってくれても良いのにと、少しだけ拗ねる時もありました。
春には二人でピクニックに行き、夏には川に泳ぎに行き、秋には紅葉に染まった山を眺め、冬は暖炉の前で二人で並んで座りました。目まぐるしく過ぎて行く時の中でサラーサは確かな幸せを感じていたのです。魔女としてではなく一人の女としての幸せ。それはとても温かで尊いものでした。
しかし、二人が結婚して四年目の冬のこと、ジムが流行り病にかかり寝たきりになってしまいました。体力が無くなりドンドンと痩せ細っていくジム。気付けば、あの恰幅の良い体はガリガリになっていました。
サラーサは毎日魔法薬の研究に勤しみ、何とかジムを助けようとしましたが、どれも上手く行きません。そして最後の時は訪れたのです。
「……サラーサ。私は君と出会えて本当に幸せだった。あまり長く一緒に居られなかったけど、一生かけても手に入れられるか分からない幸せを僕は貰ったよ。本当にありがとう」
「待ってジム……私を置いて行かないで……私を一人にしないで……」
「サラーサごめんね……さようなら」
「……ジム?」
サラーサはこと切れたジムの遺体を見て暫く呆然としていましたが、段々と悲しみが胸の奥から込み上げて来て、気付いた時にはポロポロと大粒の涙が目から零れ落ちてきました。
三日三晩を飲まず食わずで泣き続けたサラーサは、ぐったりと床に座り込んでしまいました。涙は枯れ、喉を傷め、顔には生気が失われました。彼女はジムが死んだことで、体の半分はあの世に持っていかれた気分だったのです。
それから数日後、ジムの遺体を思いでの小屋ごと魔法で燃やしました。焼け野原になった場所を見つめ、サラーサはジムの夢を魔法で叶えることにしました。
そう、お菓子の家を作ろうと考えたのです。
『まるごとパンで出来ていて、屋根はビスケット、窓は砂糖、チョコレートの装飾で飾ろう。あぁ本当に夢の様な家だよ』
生前にジムがそう言っていた通りの材料を魔法で呼び寄せ、それらを浮かせて組み上げていき、あっという間にお菓子の家は出来上がりました。とても甘そうで美味しそうな家。それを見るなりサラーサは笑いながらこう言いました。
「あはは、バッカみたい」
サラーサは甘い物が好きではありません。彼女が好きだったのは甘い物に目が無いジムだったのですから、むしろお菓子の家なんて見ていると段々と腹立たしくなってきました。
「こんなものあったって‼彼が居ないと意味無いじゃない‼私のバカ‼」
自分のしたことのバカらしさに杖を放り投げて叫びます。彼女の怒号で森の小鳥たちが一斉に飛び立ってしまう程でした。
「もうジムは居ない……彼が居ない……誰も私に優しい言葉を掛けてくれない……私の愛したあの人はもう居ない」
ブツブツと呪詛の様に呟くサラーサ。愛する者を失い彼女の心は壊れる寸前でした。
「もう駄目だ……全部忘れよう。でなければ私は生きていけない……生きていたくない」
再び杖を手に取り、人語では無い言葉で呪文を唱え始めるサラーサ。それは禁術である記憶を失う呪文でした。彼女はジムと出会った日からの記憶を全て忘れてしまおうと考えたのでした。そうしないと自分を保っていけないと考えたからです。
しかし、サラーサに一つの誤算があるとすれば、記憶を失う呪文は彼との記憶の他に、彼と出会ったことで自分が得た良心さえも消え去ってしまったことでした。
「うぅ……ここは何処だ?」
森の中に倒れていたサラーサは起き上がると、目の前にあるお菓子の家に驚きました。
「こんな悪趣味なものを誰が作ったんだ?見てるだけで胸やけしてくる」
まさか自分が作ったとはサラーサは夢にも思いません。自分の記憶がすっぽりと抜け落ちていることすら気付かない彼女は、名案を思いつきました。
「このお菓子の家を餌にして、子供を誘い込もう。そうして来た子供を食べてしまうというのはどうだい……こりゃ良いことを思いついたよ」
サラーサはクッククと魔女っぽく笑いました。その時、右目から一筋の涙が流れましたが、彼女は気が付きませんでした。その一筋の涙こそ彼女に残されていた最後の良心だったのです。
それから100年後、迷い子のヘンゼルとグレーテルによって魔女は殺されてしまうのでしたが、彼女の人間として幸せだった時を知るものは誰一人として居ませんでした。
~おしまい~
ヘンゼルとグレーテルZERO タヌキング @kibamusi
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