竜を見た

雲条翔

竜を見た


 竜を見た。


 東京のビル街、見上げた曇り空に、飛んでいた。


 ドラゴンといえばドラゴンなのだが、ヘビの頭にツノとヒゲを生やして、短い手足がちょろちょろとついているような「東洋の龍」ではなく、恐竜のティラノサウルスにツノと翼が生えたような「西洋の竜」のフォルム。


 なんとなく「龍」ではなく「竜」という気がした。


 「東洋の龍」が空を飛ぶ時は、ヘビが水面を泳いで進むように、空に浮いてスイスイと移動するような気がするが、僕が目にしているそれは、コウモリの羽根を大きくしたようなのが背中に生えていて、バッサバッサと羽ばたいて、空を「飛んで」いたのだ。


 遠くて距離感がよく掴めないけれど、頭から尻尾まで、大型トラックくらいの体長はあるんじゃないだろうか。

 



 僕はその時、塾の帰り道だった。


 高校受験を控えた僕は、教育熱心かつ心配性な親に「みんな行ってるんでしょ? そこで差をつけられちゃうんだから。あんたも行っとかないと」と有名な進学塾に無理矢理行かされていた。


 町の街灯や、各家庭の窓の照明がチカチカと灯り始める、周囲の薄暗さを認識させられる時刻。


 小雨が降っていたので、持ってきた透明なビニール傘を差して、学習塾から出た僕は、まだこの雨は続くのかな、ユウウツだな、と空を見上げた。

 そこで、透明なビニール傘を通して、ビルの屋上の看板の向こうに、「竜」を見たというわけだ。


 映画の撮影か何かだろうか? 

 ドローンで空中に立体映像を映し出しているとか?

 それとも、遠隔操作できるアドバルーン?


 立ち止まって、竜を見上げていると、後ろから来た友人が僕の背中にぶつかってきた。


「なに止まってんの。ジャマなんだけど」

「ほら、あれ」

「……は?」


 友人が、僕の目線の先を追って、一緒に首を上に向けたが、「あれってなんだよ」と不満そうに言っただけだった。


「竜が飛んで……なんでもない」


 友人が「ヘンなものを見る視線」で僕の顔を眺めてきたので、途中で言葉を止めてしまった。


 友人は「じゃ、また明日な」と、通り過ぎて、傘を差して行ってしまった。


 塾の建物から出てきた、周りの仲間を見ても、空を飛ぶ竜に気づいている人は、僕以外に誰もいない。


 まさか、あの竜は……僕以外の人間に、見えていないのか?


 飛んでいる竜は、ほぼシルエットだ。


 僕の目に「竜っぽい姿」として見えているだけだ。


 やっぱり、見間違いなのだろうか。


 と、思ったその時、竜はビルの屋上の消費者金融のネオン看板に着地した。


 そして、口を大きく開けて、吼えた。


 怪獣映画で聞き慣れたようなその奇声は、地上にいる僕が耳を塞ぎたくなるくらいの轟音だった。

 びりびりと空気に振動が伝わり、ビルを震わせ、窓ガラスも割れ……てない?


 あれほどの大音量だったのに、誰も、見向きもしていなかった。

 その場にいた群衆が、一斉に音源であるビル屋上の竜を見つめても、いいはずなのに。

 町を歩く人、塾から出てくる仲間たち、誰もリアクションしていない。

 鳴き声が誰にも聞こえていないようだ。


 間違いない。

 やっぱり、あの竜は、僕にしか認識できていないのだ!


「うわ……なに、なんの音!? 今の!」


 背後から驚く女の子の声が聞こえ、振り向くと、耳を押さえている顔見知りの子がいた。


 中学校は別なので、名前は知らないが、塾の同じ教室で授業を受けているセーラー服の女子。

 塾で実施された抜き打ちテストで、僕が二位だった時、彼女は一位だったので、心の中でひそかに「イチイさん」と呼んでいた。


 イチイさんは、僕と目が合うと、すぐに空に目を向けた。

 視界に入った「ビルの屋上にいる、異形のなにか」に気づいたようだ。

 僕は、イチイさんの顔を見つめる。


「キミにも、見えてるの?」

「あ、うん……見えてる、けど? あれってドラゴン? よくできてるけど、あれだけうるさいのに、他の人がノーリアクションなの、どうして?」


 やっと「自分と同じものを認識できる人」に会えて、嬉しかったけど、だからといって竜の謎が解けるわけじゃない。


「さあね……。僕たち以外に、あの竜が認識できない、のかも」

「だから、あの鳴き声も周りの人には聞こえていないってこと? なんで?」

「僕に聞かれても知らないよ……。それに、たぶん、あれ、本物じゃないかな……さっき、空飛んでたし」

「うっそ」

「ちょっと……行ってみない? あのビルまで」

「うーん、ちょっと好奇心はあるけど……わたし、傘持ってきてないんだ、今日」


 僕は少し考えてから、傘を傾けた。


「一緒に……入る?」

「相合傘、ってこと?」

「うん……まあ、そうだね」


 僕が黙って、困った時間をもてあましていると、イチイさんは少し顔を赤らめて、僕の隣に並んだ。


 そして、相合傘でビルに辿り着いた僕とイチイさんで、ドラゴンとバトルを繰り広げる冒険劇が!という展開にはならず、僕たちがビルの屋上に到着した時には、なぜか竜は消えていた。


 目撃情報などはニュースになっておらず、噂レベルでも耳に入ってこない。

 僕たち以外に、竜に気づいた人はいないようだ。


 結局、あの竜はなんだったのか……。



 ■ ■ ■



 十年の月日が流れた。


 僕と彼女は同じアパートで暮らし、彼女の左手の薬指には、指輪が光っている。

 彼女の名字も「イチイさん」ではなく、今では僕と同じ名字だ。


 マタニティドレス姿の彼女は、大きくなったお腹に手を当てながら、ソファでくつろぎ、微笑みながら育児雑誌を眺めている。


 キッチンで料理を作っていた僕に、彼女が話しかけてきた。


「あなたにひとつ、隠していたことがあるの」

「えっ……なに? 怖いな」

「わたしね、中学の頃、同じ塾に通っていた時から、あなたのこと、好きだったの。その頃は、名前もまだ知らなかったけど。横顔が素敵だった。初恋ってやつね」


 はにかみながら、彼女は言った。


「キミの初恋相手だなんて、光栄だなあ。それが、隠し事?」

「ううん。その頃に、十代の女の子向け雑誌に載っていた、好きな人と両想いになれるおまじない、ってのを試したのよ」

「おまじない?」

「わたしは今でも信じてるの。きっと、あの竜は、そのおまじないが呼び出した、わたしとあなたにしか感じられない共通体験。それで、仲良くなったんだもの」


 僕は「おもしろいね、その話」と笑って、料理に戻った。


 確かに、中学時代に塾から見上げた「竜」の正体は今でも分からないままだし、目撃したのはあの一回きりだ。


 彼女は、育児雑誌を閉じて脇に置くと、自分のお腹を撫でた。


「この子の名前、ずっと前から決めてたの。私とあなたが、仲良くなったキッカケ……ふふっ。“リュウ”って名前をつけようと思うの。どう?」


「偶然だね。僕も同じこと考えてた」


「ホント? 嬉しい」


 僕の奥さんは、とびっきり幸せそうに呟いた。


「……おまじない、ずーっと効いてるんだね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

竜を見た 雲条翔 @Unjosyow

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ