1-6


 マグリットとつないだ手をイザックが驚きながら見つめているとも知らずに、勢いよく扉から外に出る。

 蔦が絡んで傷んでいる屋敷が気になるところだが、今は市場を見ることが最優先だ。

 イザックに案内してもらわなければ道がわからない。


「イザックさん、街はどちらの道から行けますか?」

「……手を」

「あっ、申し訳ありません。つい興奮してしまって……!」


 握っていた手を離すとイザックは視線を逸らしてしまう。

 食材のことになると周りが見えなくなるのは昔からだ。反省しつつも、カゴを持ち直す。

 イザックは背を丸めながらマグリットの前を歩いていく。


(……なんだか不思議な人)

 イザックについて歩いていくが、何故か左右に首を振りながら辺りを見回している。

 馬車で通った時は街までそんなに遠くなかったはずだ。それに先ほどから同じような場所をウロウロしている。


(もしかして、イザックさんは街に行ったことがない? ……そんなわけないわよね)


 ぽそりと「確かこっちだったような」と声が聞こえたような気がした。

 ねたマグリットが声を掛ける。


「あの……イザックさん、あっちの方に行ってみませんか?」


 マグリットがそう言って馬車から見た景色をたよりに歩いていくといい匂いが鼻をかすめる。


「いい匂いがする」

「そうですね! きっと街も近いですよ」


 匂いを頼りに歩いていくと街並みが見えてくる。

 建物が道に沿って並んでいてネファーシャル子爵領の街よりもずっと栄えているように見えた。人が多く活気があふれているようだ。


「……すごい!」


 マグリットがそう言うと隣にいるイザックも、目を輝かせているではないか。

 不思議そうに彼を見ているとイザックは咳払いしつつ、視線を逸らしてしまった。

 気まずい空気をかき消すようにマグリットは歩き出す。


「イザックさんもあまり街には来ないのですか?」「ああ、まぁ……あまり」

「そうだったんですね」


 歯切れの悪い返事を聞いてこれ以上、何も言えなくなってしまう。

 今日、イザックと会ったばかりだからかうまく会話が続かない。 それにマグリットが質問ばかりしていては、イザックも大変だろうと思い口をつぐむ。


(一人でどうやって食材を仕入れていたのかしら?)


 イザックのまとう不思議なふんと、つじつまの合わない言葉と行動にほんろうされっぱなしである。

 気を取り直して買い物を続けていくが、イザックは興味深そうに辺りを見回していて何も知らないように見えた。

 マグリットは店の人たちと会話しながら、食材をそろえていく。たくさん動いたせいか、お腹がグルグルと周りに聞こえるほどに鳴る。それはイザックも同じようだ。

 先ほどから美味しそうな匂いが色々なてんからただよっていた。

 少し図々しいかとも思ったがマグリットはある提案をする。


「イザックさん、たくさん動いてお腹もペコペコですし露店で食べ物を買ってみませんか?」

「……露店で?」

「はい! イザックさんが許可してくれるなら……ですけど」


 マグリットが期待をめた目でイザックを見ると、彼は困ったように視線を泳がせながらも頷いてくれた。


「お金は足りるのか? 大型銀貨を一枚しか持っていなかっただろう?」


 マグリットは驚きつつもイザックを見たが、じょうだんを言っている様子もなく、むしろ本当に心配しているようだった。

 この国のお金は金貨、銀貨、銅貨とわかれているが、大小と大きさに違いがある。

 日本円にすると大型金貨は約十万円で小型金貨は三万円ほどの価値があり、大型銀貨は一万円ほどで小型銀貨は約三千円。大型銅貨は約千円で小型銅貨は約三百円。その下は安価な銅貨で赤、黄色、茶色の色分けが行われている。

 そう考えるとあの麻袋いっぱいの大型の金貨たちはいくら分あったのだろうか。

 露店の魚や肉のくしき、ソーセージを挟んだパンは、小型銅貨でおりが来る。

 大型銀貨が一枚あれば露店で食べ物や食材を買ったとしてもあまるくらいだ。

 マグリットは慣れた様子で露店の店主と会話して、魚の串焼きを二本買った。その他にもソーセージにトマトソースがかかっているホットドッグを二個こうにゅうしてから買った軽食を食べられそうな場所を見つけてイザックを呼ぶ。

 二人で空いたベンチに並んでこしけてからイザックに魚の串焼きを渡す。

 マグリットは魚の串焼きを空にかかげて感激していた。

 焼かれている魚と皮についた塩がキラキラと輝いて見える。

 十六年間、待ち望んだ味に口内ではえきが溢れ出ていた。


「いただきます……!」


 焼き魚のいい香りを久しぶりに感じた。マグリットは魚の背の部分にかぶりつく。少し焦げている皮に歯が当たるパリッとした音が聞こえた。やわらかいホロホロとした白い身が口の中でとろけていく。味はたんぱくではあるがあぶらも乗っている。

 ほんのりと感じる塩味に思わず「ん~!」とうなってしまった。

 片手で頰を押さえながら、焼き魚をたんのうしていた。

 すると横から感じる視線。イザックは手元にある焼き魚とマグリットの口元をぎょうしている。

 何故イザックが魚を食べないのだろうと疑問に思い問いかける。


「もしかしてイザックさんは魚がきらいですか?」

「いや……どう食べたらいいかわからない」


 マグリットはあまり街に来たことがないイザックのことだから、露店でも買い物をしたことがないのだろうと思った。自分が手に持っている焼き魚を指さしながら説明していく。


「骨がありますから気をつけて食べてくださいね」

「ああ、わかった」


 イザックはゴクリとのどを鳴らした後に焼き魚を口にする。

 そんな姿も何故かマグリットよりもずっと上品に見えるのが不思議だった。

 しゃくしているのか唇が動いている。


「どうですか?」

「…………うまい」

「え……?」


 小さく何かをつぶやいたイザックの声が聞こえずにマグリットは問いかける。イザックから

返ってきたのは信じられない言葉だった。


「こんなに美味しいものが、ガノングルフ辺境伯領にあったなんて信じられない」

「……?」


 マグリットはイザックの言葉の意味を考えながら、再び焼き魚を口に運ぶ。


(露店で食べたことがない、という意味よね? イザックさんはわたしより年上のようだけど知らないことが多いみたいね……)



 活気ある街を見ながら焼き魚を食べていると、カサカサと紙のれる音がする。

 視線を送ればイザックは綺麗に焼き魚を食べきり、ベンチに置いてあったホットドッグを手に持って、マグリットに期待のこもった視線を向けているではないか。


「マグリット、このパンはどうやって食べればいい? フォークとナイフはあるのだろうか?」


 マグリットと名前も呼ばれたことにもびっくりしたが、ホットドッグを食器を使って食べようとしているイザックに、二重の意味で驚きを隠せない。

 イザックは興奮しているのか、わずかに頰が赤らんでいた。


「このパンはフォークやナイフを使わずに食べられるようになっていますので、そのまま食べて大丈夫ですよ」

「皿もないとなると……まさかこのまま先ほどの魚のように食べるのか?」

「はい、その通りです」


 マグリットの言葉を確認したイザックは恐る恐るホットドッグを口に運ぶ。

 パリッとソーセージがはじけるいい音が聞こえた。

 エメラルドグリーンの瞳を大きく見開いたイザックの手は、かすかにふるえているように見える。

 次々に口に吸い込まれていくホットドッグに呆然としていると、あっという間になくなってしまった。

 イザックの口の周りには、ソースがベッタリとついている。

 放心状態で「うまい……」と言いながら感動しているイザックの子どものような姿を見てマグリットは思わず笑みを浮かべた。

 ポケットからハンカチを取り出して、イザックの口の周りを拭う。


「……っ」

「ふふっ、口の周りにソースがたくさんついていますよ?」

「すまない……」


 するとイザックの顔が拭ったソースのように真っ赤になっていく。それを見て、マグリットは手を引くタイミングを失ってしまう。二人で見つめ合ったまま暫く経ち、マグリットはハッとしたように視線を逸らす。そしてホットドッグを手に取り、ゆっくりと口に運んだ。

 マグリットが食べ終わるまで、イザックは嬉しそうに街の様子を黙って見ていた。イザックと目が合うと彼は「皆、幸せそうだ」と言った。マグリットにも皆が幸せそうに見えた。食べ終わってゴミを片付けたマグリットは、イザックを連れて食材を買って回るために立ち上がる。気になった店を回り、見たことのない食材を見つけては調理法を聞いた。

 いつの間にかカゴは食材で溢れ返っている。重たくなったカゴを見て買いすぎてしまったかもしれないと、反省していた。

 するとイザックは「俺がカゴを持つ」と声を掛けてくれたので、素直に甘えることにした。そのままどのくらいの時間が経ったのだろうか。

 イザックは何を言うでもなく、マグリットの後ろをついてきてくれた。

 しかしかなりの時が経っていることに気づいてハッとする。


「大変……洗濯物を取り込まないと! これとこれを二つずつください」

「おもしろい嬢ちゃんだな。まいど!」

「また来ます。早く行きましょう」

「ああ」


 マグリットはイザックを連れて早足で屋敷へと戻る。


「すいません、ついつい長居してしまいました」

「いや、構わない。勉強になった」

「勉強……?」


 マグリットはイザックの言葉に首を傾げた。彼の視線はカゴいっぱいの食材へ。


「それよりもこんなに買ってどうするのだ?」

「もちろん今日から数日分の食事を作るために使います」

「君はなんでもできるんだな」

「はい! 掃除、洗濯、料理となんでも任せてください!」


 毎日、ネファーシャル子爵家で朝から晩まで働いていたのだ。イザックの食の好みを聞きながら、屋敷へと到着する。

 波の音がザーザーと耳に届き、いつの間にか太陽がオレンジ色に染まっていた。

 マグリットはキッチンに食材を置いて、すぐに洗濯物を取り込む。イザックが手伝ってくれたおかげであっという間に終わりそうだ。


「太陽の匂いがしますね!」

「……いい匂いだな。マグリットと同じ匂いがする」

「ふふっ、ずっと外にいたからかもしれませんね!」


 イザックと共にシーツを運んで、手早く自室のベッドメイクをしていく。彼は「何かすることはあるか?」とマグリットに問いかける。マグリットはイザックの部屋に案内してほしいと頼んだ。

 広い屋敷の中には、人の気配はなく静まり返っている。イザックの部屋はベッドとテーブルと椅子があるだけで他に何もない。ここに洗濯物が山のように積み上がっていたと思うと驚きだ。

 シーツをわると、イザックは真っ白なシーツに触れてから、その場所を見つめている。


 わずかに口角が上がっているのを見ると、喜んでくれているのではないかと思った。

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2025年1月10日 12:00
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姉の身代わりで嫁いだ残りカス令嬢ですが、幸せすぎる腐敗生活を送ります やきいもほくほく/ビーズログ文庫 @bslog

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