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「……働く?」

「はい! わたし料理も洗濯も掃除も得意です。きっと役に立つと思います! ガノングルフ辺境伯がお戻りになるまで、わたしががんばって屋敷をピカピカにしますからっ」


 マグリットは勢いよくイザックの両手を摑んでから彼を見上げた。

 イザックは大きくかたを揺らしたあとあと退ずさりをしていく。

 そうして彼の背は壁に押し付けられるようにドンと、音を立てた。

 しかしマグリットは興奮しており手を握ったまま、さらに体を寄せる。

 せっかくネファーシャル子爵家から解放されてここまで来ることができたのだ。

 頭の中では、どんなレシピがいいのか生で食べられる魚はあるのか……そればかりが思い浮かぶ。


「今すぐに手を離してくれ……!」

「どうでしょうか?使用人として雇ってください。なんでもやりますっ!」

「わ、わかった! わかったから手を離してくれ」

「やった……! うれ しいです。ありがとうございます、イザックさん」


 イザックは自分の手のひらを見つめながら固まっているように見える。


 その理由もわからずにマグリットは喜んでいたが、許可はイザックではなくガノングルフ辺境伯に取らなければならないと冷静になった頭で気がついた。


「ガノングルフ辺境伯にどうやって許可を取ればいいでしょうか?」

「…………。俺がいいと言えば大丈夫だ」

「イザックさんはしんらいされているのですね。では今日から住み込みで働かせていただきます! よろしくお願いします」


 マグリットは満面のみを浮かべてから再びイザックの手を摑んでブンブンと振った。

 今後の生活がかかっているので、えんりょなどしていられない。


 イザックは相変わらず困ったように顔を伏せて人差し指で頰をかいている。

 そんな彼をよそにマグリットは新しい生活にワクワクと胸を高鳴らせていた。

 開いた窓からは眩しいくらいの太陽の光と波の音が耳に届く。

 早速さっそくではあるが、イザックに屋敷の中を案内してもらった。


「……狭いがこの部屋を使ってくれ」


 イザックにそう言われてマグリットは目を丸くする。

 ネファーシャル子爵家であたえられた部屋よりも何倍も広い部屋だったのだ。


(こんな広くて素敵な部屋、わたしが使ってもいいのかしら……!)


 カーテンは閉め切られており真っ暗だ。窓を開いて空気のえを行った。

 手早くとんをまとめて、天日干しする前にこのきゅうくつなドレスを|替《が)えたいと言ってイザックに部屋から出て行ってもらう。

 マグリットは持ってきていた動きやすいワンピースに|袖《そでを通す。

 エプロンをつけてから、洗濯のためにシーツを持って外に出る。


「イザックさんの部屋のシーツやまった洗濯物があれば持ってきてください! こんなにいい天気なんですから。今日は洗濯日和びよりですよ」


 頷いたイザックはマグリットが隠れてしまうほどの洗濯物を持ってきた。やはり洗濯や料理はまったくできていないようだ。

 マグリットは井戸から水をんできて、せっけんと洗濯板で洗濯物を一つ一つ手洗いしていく。イザックには水を運ぶのを手伝ってもらった。彼は初めはまどっていたものの、もくもくと井戸とマグリットがいる場所を往復する。

 そうして錆びた物干し竿ざおを綺麗にしてからシーツを干していく。

 マグリットは大量の洗濯物と闘って、いいあせをかいたと額をぬぐう。

 水分補給をしてから、昼食を作ろうかとイザックに厨房への案内をたのむが、何故か浮かない表情で視線を逸らしてしまう。


「イザックさん、どうしたのですか? キッチンに案内をお願いします」

「…………わかった」


 マグリットの圧にくっしたのか、しぶしぶキッチンへと案内してくれる。 するとプーンと嫌な音と生ゴミの臭いが届く。キッチンには積み上がった汚れた皿があり、ゴミも仕分けされておらず、小さな虫がたくさん飛んでいた。


「こ、これは……!」

「……すまない」


 あまりのさんじょうにマグリットは驚いてしまう。

 イザックの申し訳なさそうな声を聞きながら、気持ちを切り替える。


(このままでは、昼食は作れないわね……)


 マグリットはすぐに腕まくりをしてイザックの方を見る。


「大丈夫ですよ! 汚れたら綺麗にすればいいんですから。また手伝ってくれますか?」

「ああ……」


 まずはイザックと共にゴミを仕分けしてふくろめる。

 次に井戸から水を運んで、カップや皿を洗っていく。

 料理したけいせきはほとんどなく、野菜の皮やかろうじて何かを焼いたであろうげたフライパンが転がっていた。


(本当に料理人や侍女はいないのね……)


 マグリットは一通りキッチンを綺麗にした後に、しょくりょうのぞくが空っぽで何一つ入っていなかった。


「イザックさん、買い物に行きたいのですが街まで案内していただけますか? まだ道もわからなくて……それにお腹が空きましたよね?」

「…………まぁ」


 イザックの歯切れの悪い返事を聞きながらも、そばにあったこげちゃ色のカゴを摑む。だが買い物をするにはお金が必要だ。まるでイザックにさいそくしているように思われたかもしれないとハッとする。


(も、もしかしてずうずうしいと思われたかもしれないわ。ズカズカと屋敷に入り込んですわって、お腹が空いたからって買い物に行こうだなんて……)


 改めて自分の行動を思い返してみると、非常識だったのではないだろうか。

 マグリットが反省して、イザックになんて謝ろうかと考えていた時だった。 イザックが背を向けてどこかに行ってしまう。 折角、働き口が見つかったのにクビになってしまうかもしれない。 諦めたくないマグリットがいい言い訳がないか考えをめぐらせていると……。


「お金ならあるが、買い物にはどのくらい持っていけばいい?」


 イザックが持ってきたのはあさぶくろに入っているお金だった。それも四袋も持っている。イザックはそれをマグリットの両手のひらに一袋、乗せた。だが、あまりの重さに手のひらがガクンと下がる。

 まさかと思いイザックから受け取った麻袋をテーブルに置いてかくにんしてみると、中にぎっしりと詰まっていたのは金貨だった。

 ネファーシャル子爵家に住んでいた時だって、触れたことはないし、こんな量の金貨も見たことがない。


「あ、あの……これ」


 マグリットは麻袋を指でさしながら問いかける。まともに働いて得る賃金の量をえている。

 というよりは、この金貨の量は異常ではないだろうか。

 怯えた表情を見てイザックは首を傾げていたが、マグリットが何を言いたいのかがわかったのか説明するために口を開いた。


「いくらでも使っていい」


 イザックの言葉にそういうことではないと首を横に振る。


「この家のことは、すべて俺が決めている。だから大丈夫だ」


 その言葉を聞いて、麻袋に入っていた大型の銀貨を一枚手に取りイザックに見せる。


「でしたら大型銀貨を一枚、持っていきましょう!」

「一枚だけか?」

「はい、買い物にはこれで十分ですから」


 むしろこれ以上持っていったら、とうぞくねらわれるかひとさらいにあいそうである。

 何故か不満そうに麻袋を見つめるイザックに背を向けて、マグリットは出かける準備をした。

 なんだかよくわからない状況が続いているが、マグリットはポジティブだった。


(屋敷を管理しているイザックさんが言うならいいか!)


 市場に行って買い物をするのに興奮していた。

 食材を入れるためのカゴを持ちながらイザックの手を握り外へと向かう。


「そうと決まれば、早く行きましょう!」

「……っ」

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