1-4



「……余計なことを」

 目元を覆うオリーブベージュの髪と口元にはしょうひげ

 チラリと見えたエメラルドグリーンの瞳からは敵意を感じる。

 どうやらまったくかんげいされていないようだ。

 ただならぬ圧力を感じていたが挨拶は大切だと思い、マグリットは男性に軽く頭を下げて口を開く。


「はじめまして、マグリットと申します」

「…………マグリット?」

「はい。マグリットです」


 マグリットは早々に自分の名前を明かす。


「ここに嫁いでくるのはアデル・ネファーシャルだと聞いていたが……」

「はい。一週間ほど前に姉のアデルは……とある事情で嫁げなくなりましたので、その代わりに妹のわたしが参りました」

「…………」


 マグリットはひるんでいる場合ではないと、男性の目があるであろう場所をじっと見ながら答えた。

 ここでどんな反応を返されるのか気になるところだ。

 マグリットがゴクリと唾を飲み込むと、男性はスッと視線をらした。

 しばらく無言の状態が続いたが男性から屋敷の中に入るようにうながされて足を進めた。


(怖そうだけど、いい人なのかしら?)


 シンプルなテーブルとがあるダイニングに通されて、マグリットは椅子に座る。

 広々としているが貴族の屋敷にはとても思えない。

 男性は「待っていてくれ」と言い、どこかに行ってしまう。

 窓は草に覆われていて、外は晴れ渡っているのに中はうすぐらくて不気味に感じた。

 外の景色をながめていると、コトリという音が聞こえてテーブルに視線を戻す。目の前にはカップが置かれている。どうやら珈琲コーヒーれてきてくれたようだ。


「いただきます」


 マグリットはそう言ってからカップに口をつけた。

 口に広がる複雑で深みがありじゅうこうな苦味と鼻を抜けるスモーキーな香り。

 こだわりを感じさせるのは気のせいだろうか。

 男性は自分の分も用意して、マグリットのななめ前の離れた場所にこしける。

 マグリットはまだ目の前の男性の名前すら知らない。 ちんもくの中、このままだと何も解決しないとマグリットは口を開く。


「あの、お名前は?」

「…………イザックだ」


 イザックは表情を変えないままそう言った。低い声はあつ感がある。

 真っ白なシャツにダークブラウンのパンツ、ボサボサのオリーブベージュの髪は身なりからして使用人だろうか。

 マグリットは辺りをぐるりと見回してから、もう一つ気になっていたことを再び問いかける。


「イザックさん、ガノングルフ辺境伯はどこにいるのでしょうか」

「…………!」

「挨拶だけでもと思ったのですが……」



 イザックのまえがみ隙間すきまから見えた宝石のようなエメラルドグリーンの瞳が大きく見開かれている。

 イザックの反応を見てマグリットの頭にあることがよぎる。


(もしかして触れてはいけない話題だったのかしら……ガノングルフ辺境伯は屋敷で働く人たちからも恐れられているとか?)


 するとイザックは人差し指でほおをかいて、気まずそうにした。


「それは……その」

「イザックさん、言えないのならだいじょうです。気にしないでください!」

「え……?」


 無理をさせてガノングルフ辺境伯のことを聞き出してはいけないと思い、マグリットはニコリと笑う。 イザックはガノングルフ辺境伯のことを悪く言いたくないのだろうと勝手にかいしゃくしたため「大丈夫ですから」ともう一度言ってから力強く頷いた。

 するとイザックのこわっていた表情が少しだけやわらいだような気がした。


(やっぱりガノングルフ辺境伯の話をしたくなかったのね)


「珈琲のおかわりは?」とイザックに問われたマグリットはなおに頷いた。


 部屋に立ち込めるいい香り、コポコポとお湯がく音がここまで届く。

 イザックがテーブルに再びカップを置いた。マグリットがお礼を言うと上から声が掛かる。


「…………怖くないのか?」

「怖いって、何がですか?」

「ガノングルフ辺境伯は腐敗魔法を使うと聞いてここに来たのだろう? それなのに平然としているように見えるが」


 イザックはマグリットが怯(おび) えていないことを不思議に思っているようだ。

 しかし王弟であるガノングルフ辺境伯が、いきなり魔法を使ってマグリットを腐敗させるとは思っていない。

 噂と自分で見るのとでは全然違うことを定食屋を営んでいる時に知った。見た目や噂だけで判断するのは早計である。


「確かにここに来る前に噂は聞きました。ですがわたしはガノングルフ辺境伯にどうしてもお会いしてみたいんです」

「…………何故?」

、ガノングルフ辺境伯に聞いてみたいことがあるんです!」


 マグリットはキラキラと目をかがやかせて両手で頰を押さえた。よだれが垂れないようにするためだ。

 マグリットは馬車の中で腐敗魔法について深く考えていた。

 腐敗魔法が使えるということは念願だった〝アレ〞ができるのではないか。


「腐敗魔法についてか? 興味があると言うやつもいるが……皆が魔法の力に恐怖して離れていく」


 そう言ったイザックは悲しげにまぶたせてしまう。 


「そんなことありません! それにガノングルフ辺境伯に気に入られるためにわたしはここに来たのですから」

「変な奴だな……」


 口角を上げて笑ったイザックは、マグリットの視線を感じるとせきばらいをしてしてしまう。


「ガノングルフ辺境伯はそんなに恐ろしい人なのですか? わたしは今まで社交界に出たことがないのでくわしく知らなくて」

「……なに? 社交界に出たことがないだと? ネファーシャル子爵家の令嬢ではないのか」

「確かに子爵家の令嬢ですが、わたしは魔法が使えないのでずっと使用人として働いてきました」

「魔法が使えない? それは本当か……?」


 イザックはまゆひそめてあごに手を当てながら首を傾げた。

 そのまま彼の顔がマグリットの間近までせまる。


「いや……この不思議な感じは間違いないはずだ」


 イザックにまじまじと見られて、マグリットは慌ててカップを置いて体を引いた。


「あ、あの……イザックさん、顔が近いような」

「……っ、すまない」


 イザックは勢いよくマグリットからきょを取った。

 なんだかあまり人と関わることに慣れてなさそうだと思いつつも、気まずさから珈琲を口に含みながらイザックにさびれた屋敷の理由について聞いてみた。

 この屋敷にはガノングルフ辺境伯を恐れているからか、使用人はいないらしい。

 侍女やしつこうれいのため引退してもらい、アデルが嫁いでくるということで新たに派遣された侍女やじゅうもいたのだが皆、やはりガノングルフ辺境伯への恐怖からか帰ってしまったようだ。

 それからはイザック一人で色々としているそうで、屋敷の手入れが行き届いていない理由もわかった。


(つまり今はイザックさんだけで屋敷を管理しているのね。食事はどうしているのかしら?)


 マグリットが何を食べているか問いかけるとイザックは「適当に……」と視線を逸らしながら答えた。

 歯切れの悪い返事を聞いて、あまり料理はしていないのだとさとる。

 そしてガノングルフ辺境伯は今は出かけていて、いつ帰ってくるかわからないとイザックは言った。


(イザックさん、何か隠しているような……)


 まだここに来たばかりのため、わからないことだらけだ。話題を変えるように今度はこの土地の名産などは何かとイザックに聞いてみた。

 イザックは不思議そうにしながらも立ち上がると窓を開けた。

 潮風と海の匂い、生温かい風がマグリットの頰をでる。

 ガノングルフ辺境伯領はマグリットの思った通り、うみさちが豊かな土地で市場では新鮮な魚が毎朝、並ぶそうだ。

 野菜や穀物も王都では見かけない食材がたくさんあると聞きマグリットは胸をおどらせる。


「早くここから出て行った方がいい。もし行く場所がないというのなら働き口を紹介しょうかいしよう」

「え……?」

「今まで肩身かたみせまい思いをしてきたのだろう? 復讐ふくしゅうは諦めて別の場所で新しい人生を歩んだらどうだ?」


 マグリットは言葉を返そうと口を開くが途中とちゅうさえぎられてしまう。


「それに結婚など無理だ。このまま一人でいい……と、彼は言っていた」


 イザックの言葉を聞いているとガノングルフ辺境伯はアデルとの結婚を望んでおらず、このまま自分一人で辺境伯の世話をすると言いたいのだとわかる。

 だが、マグリットはガノングルフ辺境伯に嫁ぐというよりは、働きに来たという認識にんしきの方が強い。


(なら、たがいにちょうどいいんじゃないかしら。ガノングルフ辺境伯には使用人として雇ってもらえばいいのよ!)


 イザックは一人でいいと言っているが、この状況を見て満足のいく生活を送れているとは思えない。

 ここに少しでも長く留まって、本懐ほんかいげるためにやることはただ一つである。


「イザックさん、わたしをここで働かせてくださいませんか」

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