嫌われ者な雷が好き

SEN

本編

 カミナリ女。


 幼い頃、大人しくて何も言い返せない女の子をいじめていたアイツらに何度も怒鳴りつけていたら、いつの間にかバカな男子にそんなあだ名をつけられていた。私は当たり前のことをしているだけなのに、アイツらには奇妙に見えたようだ。ああいうバカにはいくら疎まれようと構わない。私は自分が正しいと思ったことをするだけだ。


 でも、成長するにつれて周囲に違和感を覚えるようになった。何度も注意をしている不良だけじゃなく、ほとんど会話もしたことがないような普通の子にも避けられているような気がした。そして、その予感は受け入れられない現実として目の前に現れた。


「カミナリ女まじでウザいんだけど」

「だよねー。細かいとこまでいちいち注意して来てさ。昔からあんななの?」

「そーそー。正義のヒーロー気取りでまじキモイ。みんな鬱陶しいって思ってるの分かんないのかな」


 放課後の教室で女子グループがそんな話をしているのが聞こえてきた。私はあの子たちと普通に友達でいるつもりだったのに、裏では嫌な奴だと思われていた。廊下は走らない、宿題はちゃんとやる、遅刻なんてもっての外。そんな当たり前のことしか彼女たちには言ったことがないのに、私にあだ名をつけたバカな男子と同じくらい私を嫌っていた。


 とても納得できることではなかった。私は正しいことをしているだけなのに、間違ってる人間よりも皆に嫌われる。カミナリ女と呼ばれて疎まれる。理不尽な現実を初めて認識したのが、そんな小学5年生の秋だった。


 あんなことがあっても私は自分の生き方を変えられなかった。他人に合わせて自分を変えられるほど、器用な人間じゃないから。分かっていたことだけど、私はみんなから嫌われた。中学生くらいの子たちには、私みたいなルールで雁字搦めにしてくる人間が一番嫌いな人種なのだろう。面と向かって悪口を言われることはないけど、距離を取られていることは嫌でも分かった。そのころ、私に友達と言えるような人間は居なかった。


 生き方は変えられない。でも、孤独を耐えられる強さも持っていない。だから、不真面目な人間が少ないであろう名門高校に入学した。それに、地元からも離れられる。カミナリ女の悪評が届かないこの場所で、私は一から再スタートした。


 私立篠原坂高校。成績優秀な若者が集まるこの場所は、地元よりも幾分か息がしやすかった。でも、他のみんなよりも潔癖すぎることには変わりない。だから、その潔癖が許される人間になることにした。


「こら! 何してるんですかあなた達!」

「げ、副会長」

「こんなもの持ってきて……不要物は没収です!」

「そんな!」


 教室でマンガ雑誌を読んでいた男子の集団を怒鳴りつける。月曜日はこの雑誌の発売日らしく、この手の不要物を持ってくる生徒が後を絶たない。昼休みだけでもう五冊目。カバンに入った没収品が重すぎて倒れてしまいそうだ。


「生徒指導の橋岡先生に預けておくので、帰るときに受け取りに行くように」

「はーい……」

「反省してる?」

「してます。めっちゃしてます」


 一斉に頭を下げる男子生徒一同だが、このグループはほぼ毎週同じことを繰り返している。多分反省していないけれど、この集団に時間を割く余裕はない。重いカバンを抱えて、没収品を橋岡先生に渡しに職員室に向かった。


「相変わらず恐ろしいな。鬼の副会長」

「昼休みも見回りって、ご苦労なこったなぁ」


 教室を出ていく時、そんなことをぼやく声が聞こえてきた。そう、私はこの高校の副生徒会長をやっている。私が真面目に考えた演説をしたら、自然と真面目な人と選挙に当選する人が誰でもいい人の票が集まって副生徒会長になれた。生徒会長はどうせ校内の人気者がなるので、副会長の方に立候補したのだ。


「橋岡先生。どうぞ」

「おぉ、なぎさくん。今日もお疲れさん」


 職員室で弁当を食べていた橋岡先生に没収品を手渡す。男子生徒が読んでいた五冊のマンガ雑誌に、女子生徒が持ってきていたメイク用品の諸々。私が何度見回りしてもこの校則違反がなくなることはない。


「何度注意しても反省しませんね」

「没収されてもすぐ返してもらえるから、ルールを破るデメリットが少ないと思ってるんだろう。最近は教師の肩身が狭いからねぇ。これ以上罰を厳しくしたら親や世間がうるさいのさ」

「そうですか」


 生徒指導の先生といえば竹刀を持って校門前で怒鳴り散らすおじさんというイメージだが、今は令和の世。そんな先生は教育委員会が許さないだろう。橋岡先生は校則に厳しい方の先生だが、指導には暴力ではなく言葉で諭す人だ。


「それでは失礼します」

「おう。渚くんもたまには肩の力を抜いたほうがいいぞ」

「結構です。私はこれが普通なので」


 私からすれば周囲が緩すぎる。重いマンガを運んで凝った肩をほぐしながら、職員室を後にした。


 時間は進み放課後。私はいつものように生徒会室に向かった。生憎の大雨で運動部は練習がなくなり、喜ぶ者と肩を落とす者に分かれていた。部活は所属していない私には何も関係ない話だが。ああいうコミュニティは体育会系の厳しさかお遊び感覚の緩さのどちらかだから、私には致命的に合わない。部活に入っていない私の放課後はもっぱら生徒会室での仕事だ。


「失礼します」

「いらっしゃい、ヒカリ」

「会長、もう来てたんですか」


 私を出迎えたのは生徒会長の園崎そのざき桃花ももか。周囲に花が咲きそうな柔らかな雰囲気と、花が咲くような優しい笑顔が人気の学園のアイドルというやつだ。性格も本当に見た目通り。厳しすぎる鬼の副会長の私と対比して、慈愛の女神と呼ばれている。


「もう、桃花って呼んでって言ってるでしょ」

「嫌です。他のみんなは会長って呼んでるじゃないですか」


 会長はやたらと私にだけ名前呼びを要求してくる。どういうわけか知らないけど、このキラキラ生徒会長は私をお気に召しているようだ。誰かに好かれるという経験が乏しい私は、この生徒会長の態度に対して嬉しさよりも戸惑いの方が勝る。この冷静なままでぐいぐいとくる彼女の振る舞いは正直苦手だ。


「だからこそよ。みんなが会長って呼んでる中でヒカリだけが名前で呼んでくれたら、特別な関係って感じがするじゃない」

「生徒会長と副会長。私たちはそれ以上でもそれ以下でもないです」

「もう、いけずー」


 ただ、生徒会長の押せ押せな態度に対処して2か月目。彼女の言葉を受け流すのにもいい加減に慣れた。生徒会室に来た私を出迎えてから周りでウロチョロする会長を無視して、いつも座っている席に着いた。


 会社の社長が座るようなやたらと仰々しい生徒会長の席に垂直になるように長机が設置され、部屋の両端に資料がまとめられた棚とコーヒーや紅茶を淹れるための給湯ポットやこまごまとした菓子類が乗っているテーブルが置かれている。綺麗に掃除も行き届いていて、この会長が鬱陶しい以外は過ごしやすい部屋だ。


 出来れば会長から離れて座りたいのだが、そうするとうるさいので会長の席に一番近いところが私の定位置になっている。


「今日はこの資料にハンコを押すのが仕事よ」

「部活の備品の請求ですか」

「うん。顧問が事前に目を通してるから、私たちがチェックするのは資料の記入に抜けがないかってことだけよ」

「わかりました」


 生徒の自主性を重んじるという校風なため、自然と生徒会の責任と権限は大きくなる。仕事が多いことは部活もやっておらず、特に趣味もない私にとってはいい退屈しのぎになるが、練習で忙しい運動部には負担が大きいため、生徒会に所属するのは私のような暇人か文化系の部活に所属する子がほとんどだ。


「ねぇ、ヒカリ」


 雨音をBGMに資料をチェックしてハンコを押していたら、会長が話しかけてきた。まだ仕事中なのにと顔を上げると、会長が担当していた分の資料は全部終わっていた。私と同じ量の仕事なはずなのに、私の倍以上の効率で終わらせたようだ。このスペックの高さがまさにキラキラ生徒会長という感じだ。みんなが信頼するのもわかる。


「私って可愛い?」

「はい?」


 ムカつくほどにぽやっとした表情で脈絡のない問いかけをしてきた。仕事中に話しかけるなとか、終わったんなら雑談じゃなくて手伝いをしてほしいとか、そんな冷静な返事をしたかったが、彼女を理解できなかった脳はエラーを吐いた。


「だーかーらー、私は可愛いかって聞いてるの」

「可愛い……まぁ、世間一般的に会長の容姿は優れていると思いますよ」

「そういうことじゃないの」


 私の当たり障りのない回答は会長のお気に召さなかったようだ。小さくため息をついた会長は席を立って、私の席の後ろに回り込む。背中がぞわぞわとするような、不快ではないが違和感はあるオーラが背後から伝わってきた。


「ヒカリ個人が私をどう思うのかって聞いてるの」

「私が……そんなこと聞いて何になるんですか?」

「いいから教えて」


 彼女の意図は相変わらず分からない。ただ、ちゃんと答えないと面倒なことになるのは分かる。ちゃんとした答えを出すために、私の背後に立っている彼女をよく観察してみることにした。


 地毛であるらしい明るい茶髪は丁寧に手入れされていて、生徒会室の照明の光を反射して照り輝いている。真っ直ぐと伸びたロングヘアは自分への自信の表れなような気がする。メイクが禁止だから今の彼女はすっぴんのはずなのだが、きめ細かい肌とはっきりとした目元、うるおいで満ちて輝く唇からはとてもそうとは思えない。天然美人というのは凡人が苦労して手に入れるものが標準装備なようだ。そして真っすぐ私を見つめる瞳は宝石のように美しい。


 標準的な私の体格と比較すると、私より一回り高い身長は女子としてのかわいらしさを残しつつ、キラキラした彼女に似合うほどの背の高さを確保している。身体のメリハリもはっきりとしていて、モデル業もやっていけそうだ。


 観察すればするほど彼女は美女だという客観的事実が浮かび上がってくる。ただ、彼女が望んでいるのは私個人の見解だ。この世には胸が小さい方がいいか大きい方がいいかという正反対の主張がせめぎあっているらしいし、私のそういった好みを主軸にして自分を評価しろということだ。


 これは難しい。私は見た目よりも中身を重視している。というより、見た目がいいとか悪いとかで他人を評価していない。クラスで誰が可愛いとかかっこいいとか、そんな会話はくだらないと思ってる。


 いや待てよ。会長が聞いているのは「自分を可愛いと思うか」だ。容姿がどうとかは聞いていない。彼女の中身で評価を下してもいいのではないか。そうなると、鬱陶しいとは感じるが、私に好意を向けてくれている彼女を悪くは思っていない。思えば、私の真面目過ぎる態度を彼女は一度も否定しなかった。


 彼女の前でだけ、何の苦しみもなくありのままの私でいられた。カミナリ女と嫌われていた私のままでいさせてくれた。その気付きが私の中の会長の評価を決めた。


「いい人だとは思ってますよ」

「……ふーん」


 可愛いかどうかは分からない。私からすれば見た目はみんな「普通」で、それ以上でもそれ以外でもない。もちろん私も含めて。でも、彼女の隣は息がしやすいのなら、彼女は少なくともいい人なのだろう。しかし、そんな答えに彼女は少し不満そうだ。頬を膨らませた彼女は私の両頬に手を当ててぐりぐりと回し始めた。


「んな、ぬあにをひてるんへふか」

「頭でっかち。にぶちん。唐変木」

「ほ、ほうひうほほでふか」


 意図は分からないが、ご機嫌斜めな会長が私をなじっている。頬を抑える手をどけて話し合おうと彼女の手に触れた時だった。ぴしゃり。眩い光と轟音を伴って雷が落ちた。知らぬ間に大雨は雷雨へと成長していたのだ。


「きゃっ」


 悲鳴が漏れる。そう、私から。


 雷が怖いなんて、カミナリ女が聞いて呆れる。鬼の副会長なんて通り名も取り下げられるだろう。まぁそれは別にいいのだけど、高校生にもなって雷が怖いなんてかっこわるい。


「ヒカリって、雷怖いんだ」


 反射的に体を縮こまらせた私がさっきの悲鳴を弁明するために顔を上げると、会長が慈愛の笑みを私に向けていた。バカにするような意思はそこにはない。ただ単純に雷を怖がる私を可愛らしいと思っているだけだ。それでも私は恥ずかしくてさっきの悲鳴について言い訳を始めた。


「か、雷が好きなモノ好きなんていないですよ」

「そう? 私は好きだよ」

「え……あんなのうるさいだけじゃないですか」

「そうやって嫌う人も多いでしょうね。でも、嫌われ者の雷が昔の私を守ってくれたから」


 嫌われ者の雷。そのワードはとても他人事だとは思えなかった。そして、妙にノスタルジーな雰囲気で話す会長が私の心を揺らす。理由の分からない彼女の好意と、さっきの彼女の言葉。点と点が線でつながりそうな瞬間だった。


「ね、カミナリ女」


 答え合わせはすぐに済んだ。変わらず私に慈愛の笑みを向け続ける彼女は、昔の私を知っている人物だった。でも、彼女が誰だか分からない。昔の嫌な記憶はほとんど頭の隅に追いやってしまったから。


「……ごめんなさい。あなたが誰なのか分からないです」

「それも仕方ないわ。私も自分が昔とは別人みたいに変わったって思ってるもの。でも、できればヒカリから思い出してほしい。だから、私の昔話を聞いてくれる?」

「えぇ、わかりました」


 会長は私の隣に座り、真っすぐ私と向き合った。外の雨はより一層激しくなる。


「私はこの髪色が原因でいじめられてたの。他のみんなと違うから気持ち悪いって」


 明るい茶髪を指で撫でながら彼女は過去を語り始める。確かに彼女の髪色は日本人のそれとは違っている。ほんの少し茶色がかかっている人はいるけど、ここまで明るくて外国人みたいな髪色の人はなかなかいないだろう。


「そんなある日、意地の悪い子が私の髪を切ろうとしたの。いじめられる原因だったけど、この髪はお母さんから貰ったもので大切なものだから失いたくなかった。泣いて嫌がる私を助けてくれたのがヒカリなんだよ」


 彼女の話を聞いて、ほんの少し記憶がよみがえる。幼稚園の頃に出会った綺麗な髪の女の子。一年も経たずに引っ越してしまった、純粋な笑顔が可愛い子。でも、大人しくて、自信がなさそうに俯きがちだったあの子と、自分に自信をもってキラキラと輝く会長は重ならない。


「家族以外で私の髪を綺麗って言ってくれたのは、ヒカリが初めてだった。ヒカリが私を認めてくれたおかげで、私は自信が持てるようになったの。あの時はすぐにお別れで言えなかったけど、ヒカリには本当に感謝してるんだよ」


 昔の私はみんなに疎まれていた。そんな嫌な記憶も気持ちも忘れようとしていた。でも、あの時の私の言葉を胸に生きている人もいるんだ。私の正しさは報われている。目の前の彼女がそれを証明してくれていた。


「ありがとう」


 どこまでも澄んだ感謝の気持ち。その瞬間、十年以上の時を経た彼女と、不器用に、だけど可愛らしいあの子の笑顔が重なった。


「かわいい……」


 つい口から漏れたその言葉。反射的に口を手で抑えたけど、可愛いあの子の耳にはしっかり届いていた。


「ヒカリ!」


 飼い主が帰ってきた大型犬のように彼女は私の胸に飛び込んできた。椅子がぐらりと揺れて、弾みをつけて一緒に床に倒れる。どうにも人に好かれることに慣れていない私は抱擁に不慣れで受け止めることができなかった。


 身体は痛い。でも、彼女の腕の中で体温が伝わってくる。顔を見合わせると、またへにゃりと昔のあの子と同じような笑顔を見せてくれた。


「もう、桃花ってば」


 この子の笑顔を守れるなら、カミナリ女も悪くない。

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