消えたチョーク
教師という仕事は得てして退屈だが、時折、予期せぬ“事件”が起こる。
私は今年から2年C組の担任になったが、彼らの中でも柏木瑛人という生徒は異彩を放っている。目立たないが、彼の周囲には独特の空気が漂っている。冷めた目つきと、どこか全てを見透かすような口調――一見、ただの無愛想な高校生に見えるが、彼が巻き込まれる事件とその観察眼には目を見張るものがある。
事件が起きたのは、月曜の昼休み後だ。3年C組の教室に向かうと、生徒たちが騒然としていた。
「先生、黒板のチョークが全部なくなってるんです!」
黒板の縁を見て、私も唖然とした。授業前に準備されているはずのチョークが一本残らず消えている。まるで誰かが意図的に持ち去ったかのようだ。
「誰だ、こんなくだらないイタズラをしたのは!」
私の声にクラス全体が静まった。だが、すぐに誰かが呟いた。
「――窓際の柏木、なんか知ってるんじゃね?」
柏木瑛人。彼は相変わらず窓際で頬杖をつき、無表情のまま外を眺めていた。
「柏木、どうなんだ?」
彼はゆっくりと私を見つめ返すと、淡々と呟いた。
「先生、そんなに焦らなくてもいいんじゃないですか? ちゃんと目の前に答えはありますよ」
「目の前……?」
柏木の言葉に導かれるように、私は黒板の周辺を注意深く見回した。そして、ふと気づいた――黒板の端、縁の部分に【白い粉が細かく散らばっている】ことに。
「……これは、チョークの粉?」
さらに黒板の下をよく見ると、足元にはくしゃくしゃに丸められた小さな紙屑が落ちていた。それを拾い上げ、広げてみると、何かのメモの切れ端だ。
「……“後で返す”?」
そこにはそう走り書きされていた。悪戯としては稚拙すぎる。
「先生」
再び柏木が口を開いた。彼はいつの間にか立ち上がり、黒板をじっと見つめていた。
「黒板の掃除、最近誰が担当してましたっけ?」
「ああ……そういえば、先週から黒板係は……山崎だな」
私は生徒名簿を見ながら呟いた。すると山崎が顔を真っ赤にし、立ち上がった。
「ち、違うんです! オレはただ……」
「山崎、落ち着いて言え」
「オレ、ノートが汚れて、黒板の端にチョークがいっぱい残ってたから……それ、全部紙に包んで、捨てようと……」
「つまり――チョークは、掃除のついでに誤って処分された、と?」
柏木は、ふっと小さく笑った。
「ほら、答えはちゃんと“目の前”にあったでしょう」
結局、事件は「黒板掃除の不手際」ということで片付いた。山崎は責任を感じてしょげていたが、他の生徒たちは安心したように笑い、日常に戻っていった。
ただ、私は柏木瑛人が“紙屑”と“粉”にすぐ気づいたことが引っかかっていた。授業の終わりに彼に尋ねると、彼は素っ気なく答えた。
「先生、僕はただ、見えているものをそのまま見ただけです」
「……お前は本当に不思議なやつだな」
柏木は窓際の席へ戻り、再び外を眺め始めた。
彼の目には、私たち教師や生徒が見落とすものが、まるで“透けて見えているかのようだ”――そんなことを思いながら、私は静かな教室を後にした。
次の更新予定
2024年12月12日 16:00
青春下暗し 小林一咲 @kobayashiisak1
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