一刀斎 独り旅語り 第二話
彼奴は少々ものたりなんだのう。
まあ儂が先に抜いたのじゃが、彼奴は剣を抜く間もなかったのじゃからのう。
余りにも弱すぎて話にもならんわい。
儂はまた江戸に戻って来た。
江戸はやっぱり良いのう、賑やかじゃ。
儂は変態じゃが陰気ではないからの、どちらかといえば陽気なほうじゃから賑やかは好きじゃのう。
先程から腹が減っておるのでめしでも食うか、ほれ丁度そこに店があるではないか。
なかなか賑わっておる、旨い証拠じゃな。
ん、武蔵? 隣の席からそのように聞こえたが。
儂は素知らぬ顔で聞き耳を立てて聞いておったのだが、やっぱり宮本武蔵の話をしておるようじゃの。
そしてその宮本武蔵は今江戸に居るそうな、儂は武蔵が今どこに宿泊しておるかも聞いた。
ほう、案外近くにおるではないか。
二刀の剣を同時に使うなど、儂が極めた剣の結論から言うとあり得んことじゃからのう。
武蔵が本物かどうか、儂が是非見極めてみたい。
早速儂は翌日に武蔵がいると言う、旗本の屋敷を訪ねたら早朝に北陸方面へ旅立ったというではないか。
儂は北陸方面へと武蔵を追いかけることにした。
儂とどっちが強いか確かめてみたいのじゃ。
久し振りに血が騒ぐような思いを覚えた、もし儂が武蔵を仕留めることが出来たなら、儂の中で何かが変わるような気がしたのじゃ。
武蔵の身体的特徴を考えれば、見間違えるはずはない、奴は目立つからの。
しばらく走ったかのう、こんなに走ったのは何十年振りじゃろうか。
朝から走り、もう夕刻が来ようとしている頃じゃった、少し先に身体が大きな黒尽くめの男が歩いてる。
やっと追いついたようじゃ、年寄りに散々走らせおって、しんどかったではないか。
儂が声をかけると武蔵はキョトンとしておったよ、まあ当たり前のことよ、儂と武蔵は初対面なんじゃからのう。
武蔵は苛立っておるようじゃが、そう焦るではない、日暮れまではまだ時間がある、ちと儂と遊んでいかんか。
用がないなら行くと言う武蔵に、用ならある儂はお前を斬りに来たと言ってやった。
武蔵の表情が変わった、おうおう良い面構えじゃ。
儂は武蔵に先に抜くように急かせた、二刀を使うところを観てみたいからの。
儂はいつでも抜けるように鍔の辺りに軽く手を置いた、抜き打ちの体制じゃな。
武蔵は二本の刀を胸の前で十字にかまえておる。
ほう本当に二刀を使うのじゃのう、儂は嬉しくなって来た。
儂は少しずつ間合いを詰めて行き、一気に飛び込んで奴の首を斬ったと思ったが、奴は首の皮一枚斬らせただけじゃった。
儂の渾身の一撃をかわすとは流石じゃのう。
もう一撃と思うたが、奴の気迫がそれを押してきた、ほう面白い儂の抜き打ちを封じおったわ。
次の瞬間今度は武蔵が飛び込んで来たが、儂はそれをかわし奴の胴を抜いてやったが浅かったようじゃ。
武蔵は身体を捻り、斬撃を飛ばして儂の着物を斬りやがった。
なかなかやるではないか、それではほれ、これはどうじゃ。
一撃目はかわされたが、返す刀で奴の右脇腹の辺りに刃を当ててやったが、これまた致命傷ではない。
儂の斬撃を受け太刀でかわすとは、流石じゃ。
ん、なんじゃ、また変幻自在にかまえを変えおったわ、器用な奴だのう。
儂はもう一度飛び込んでやった。
下から上へ斬り上げると、武蔵は身体を反らせてやり過ごし、上段から斬り下ろしてきた。
儂はそれを返す太刀で薙ぎ払うと飛び下がった。
一刀流は返す刀も攻撃なのでそれが出来るのじゃ。
武蔵は今の太刀捌きを見て、儂が伊藤一刀斎じゃと気が付いたようじゃ。
どうした武蔵よ、次行くぞ、ほれ。
次は奴の肩を斬ってやったが、これも浅かった。
武蔵の顔が恐怖に染まっていくのが分かった、そうじゃ、儂はこれをみたかったのじゃ。
次はどこをいってやろうかと目星を付けていると、武蔵がいきなり雄叫びをあげた。
なんじゃ、どうしたんじゃ? と儂が驚いている刹那、奴はきびすを返して走り逃げおった。
儂は余りのことに、一瞬何が起こったか分からなかったのじゃが、武蔵の後ろ姿が小さくなっていた。
儂は武蔵を追いかけた、待たんか。
しかし儂と武蔵の差はどんどん開いて行って、最後は武蔵の後ろ姿も見えなくなった。
やられた、これは儂がいつも弟子たちに教えておった見切りじゃ。
武蔵はまんまと儂を見切りおった。
武蔵め……
しかし奴は本物じゃ、奴の二刀も本物じゃった。
あの時儂も受け太刀をせなんだらきっと斬られておったじゃろう。
儂をヒヤリとさせるとは、そんな奴は久しく居らなんだが、大したものじゃ。
あげくに儂を見切りおったわ。
宮本武蔵、奴は本物じゃ、天下無双じゃ。
久し振りに本物の剣を振るう漢に逢うた。
儂は久し振りに子供の頃に帰ったように楽しかったのじゃ。
もっと遊びたかったのう、もうちくと楽しみたかったのう、残念じゃ。
逃した魚は大きいと言うが、まさにそのような心境になっておる。
どこかで人を斬らんと落ち着かんわい。
獲物を探しに江戸へ戻るとしよう、江戸へ戻れば兵法者が沢山おるからな。
誰かを斬ってゆるりとしたいのう。
儂はやっぱり変態じゃ……
しかし居りそうもない漢が居るものじゃのう。
世の中広いのう。
どうやったら二本の刀を変幻自在に操れるのじゃ、儂には到底出来そうにない。
奴は天才なのじゃな、無類の天才よ。
斬りたかったのう、あの漢だけは斬っておかねばならなんだ。
奴の剣は汚れておる、儂の剣が汚れておるのでよく分かるのじゃ。
このままにして居れば、儂の最高傑作である次郎右衛門に触ることになるじゃろう。
武蔵は必ず次郎右衛門の所へ行くに違いない。
儂にはよう分かる、奴が江戸におった理由はきっとそれじゃ。
じゃが今はまだ敵わないとみて、触らずにおいたのじゃ、儂には分かる。
それをさせん為にも儂は彼奴を仕留めておくべきじゃったのじゃ。
儂は仕損じてしもうた、もう彼奴に逢うことはないじゃろうて、おまけに彼奴はもう儂の顔を知っておるからのう。
もうあのような戦い方はできんじゃろうのう。
彼奴は一刀流を研究してくるじゃろうしの。
不意を付けたから儂はあれだけ戦えたのじゃ。
もし次があるならいったいどのようになるのか、儂は想像も出来ぬよ。
それにしても天下無双は逃げ足が早かったのう。
二天一流、これは宮本武蔵が立てた流派である。 熊本地方には未だ実在する。 それは宮本武蔵が晩年を過ごした地であり、そこで亡くなっている。 二天一流にはついぞ名人が出なかたったたといわれる。 この剣術は天才の武蔵だけが使えた剣術だったのだ。
一刀斎 独り旅語り ちゃんマー @udon490yen
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