伊東一刀斎 独り旅語り

道筋 茨

伊東一刀斎 見参

 わし異常いじょうじゃった。


 物心ものごころがついたころから人の死と言うものに、たまらなく興味きょうみしめしてったのじゃ。


 毎日々まいにちまいにち人を殺したいとかんがえてった。


 そう、わし変態へんたいなのじゃよ。


 幼い頃のわしはよく近所きんじょの犬や畜生ちくしようつかまえては殺してったのう。


 それが異常いじょう興奮コーフンすることに気付いたのじゃ。


 そして剣術けんじゅつ修行しゅぎょうをするようになったわしは、その想いが一層強いっそうつようなった。


 人をり殺したいと考え、修行に明け暮れて悶々もんもんとしてったのじゃ。


 それはそうじゃろう、剣の修行とはとどのつまり、いかに上手うまく、いかにはやく人を殺すことが出来るかの修行じゃろう。


 人をらずして、成長せいちょうなどあるものかよ。


 思春期ししゅんきに入ると、その想いはもう止められなんだ。


 わしが十四歳の頃に七人のぞくしいって来てのう、わしはそのぞく皆殺みなころしにしてやった。


 その時 わしは初めて射精しゃせいをした。


 人をあやめたのは初めてじゃったから興奮コーフンしてのう、気がついたらせい勝手かってに出てった。


 その七人のうち一人が大きなかめかくって、かめごと斬り殺してやった時の刀が、この愛刀 瓶割刀かめわりとうじゃよ。


 あの人を斬った時の快感かいかんは何物にも変えられん、わしは思うたよ、これはみつきになるとな。


 それからと言うもの、わしは人を斬る前にはいつも勃起ボッキしてるのよ。


 剣術が上達じょうたつするには、剣術けんじゅつを好きでなければ上達じょうたつせぬでのう。


 剣術けんじゅつとは人殺しの為にあるものゆえ、人殺しが大好きなわしが強うなるのは道理どうりじゃよ。


 わしはどんどん強うなって行った。


 今ではおのれが目指してった高峰たかみ辿たどり着いたと思うてる。


 この高峰に辿り着くまでに、いくつのたましいを天に飛ばしたか覚えてらぬが、まあ数え切れぬほどよ。


 今流行はやっておる宮本武蔵みやもとむさしが何人 っておるのか解らぬが、まあわしの斬った数に比ぶれば足元あしもとにもおよぶまいよ。


 彼奴あやつ二刀流にとうりゅう使つかうらしいが、そんなこと出来るはずがないとわしうたごうてる。


 右利きで育った人間にはまず無理じゃ。


 彼奴あやつが本当に二刀流を使うとしたならば、間違いなく左利きに違いない。


 まあ、わしから言わせてもらえば、そこが彼奴あやつ弱点じゃくてんとなろう。


 わしは若い頃から剣一筋けんひとすじに生きて来た、まあ剣とは言うてもわし場合ばあいは人殺しのことじゃがのう。


 ここでいくつか教えておこう。


 剣で何より大切たいせつなのは、まず先手必勝せんてひっしょうであること。


 先にいた方が有利ゆうりになる、先に斬り付けた方が有利になる、これは当たり前じゃな。


 じゃからわしは立ち合いのさいには、いつも先手必勝を心掛けておる、弟子でし達にもそう教えてるよ。


 次に大事なのは手かずじゃ。


 相手より一太刀ひとたちでもおおやいばを当てることじゃ。


 これも至極当然しごくとうぜんで当たり前じゃな、数が多い方がつよいに決まってろう。


 そして最後に必要なのは、見切みきりじゃよ。


 いやいや、そうむずかしくかんがえるでない。


 ようするに、いかに逃げ足が速いかと言うことじゃ。


 てぬと思うたらげるにしたことがない。


 逃げたさいに追い付かれては意味いみがないからの、常日頃つねひごろから足腰あしこしきたえて置かんといかんのう。


 この三つを心掛こころがけておれば、中の上くらいには誰でも成れよう。


 わしは特にこの三点を弟子たちに教えてる。


 誰でもあつかえる剣術けんじゅつとしてわしの教える剣は後世こうせいまでのこるじゃろう。


 しかし、その三点よりも大切たいせつなことがあってのう。


 それはその人の持って生まれたもので、人はそれを天稟てんびんと言う。


 この天稟てんびんがなければ、さっき教えた三点を修行したところで二流にりゅうえることはない。


 わしのこの性癖せいへきもある意味いみ 天稟てんびんなのかもれぬのう。


 それこれかんがえよるとまた人をりたくなってきた。


 しばらく人を斬っておらぬからのう、わし変態へんたいじゃからしばらく人を斬らねば悶々もんもんとした気持ちになるのじゃ、困ったへきよのう。


 いっそ辻斬つじぎりでもいたそうか。


 いや、ここは江戸から近すぎるで次郎右衛門じろうえもんに知れてしまうわ。


 やつはおそらくわし性癖せいへきには気付いておるじゃろのう。


 辻斬つじぎりが起これば、ぐにわしうたごうてくるじゃろう。


 小野次郎右衛門忠明おのじろうえもんただあきやつわし最高傑作さいこうけっさくじゃ。


 わしの弟子の中でも特にひいでてった。


 小野派一刀流おのはいっとうりゅうなるものを立ち上げて、今では柳生新陰流やぎゅうしんかげりゅうと肩を並べて徳川将軍家とくがわしょうぐんけ剣術指南役けんじゅつしなんやくをしてる。


 やつの剣はわしの汚れた剣と違うて真っ直ぐじゃ。


 わしの剣から良い部分だけを吸収きゅうしゅうしてるからの。


 わし辻斬つじぎりなどしようものならやつは悲しむことじゃろう。


 剣に真っ直ぐなやつのことじゃから、きっとおのれの剣も汚れて居ると思うに違いない。


 汚したくないのう、やつの剣だけは……


 今 わしは、旅をしてるのよ。


 日の本全国を渡り歩く武者修行むしゃしゅぎょうの旅じゃ。


 武者修行と言うても、わしの剣はもう己が思う高峰たかみ辿たどいてるからのう。


 本当は必要ないのじゃ。


 しかしわしは一つの地にこしすえるタチではないので、こうして放浪ほうろうしてるのよ。


 わしみたいな性癖せいへきの持ち主がひと所に居っては、ろくなことがないからのう。


 なにしろわし変態へんたいじゃからな。


 こうして旅をしながら人をって行く、そう言うさだめにあるのじゃとわしは思う。


 おっ、ちょうど向こうから兵法者ひょうほうものがこちらにやって来るではないか。


 丁度良ちょうどよいわ。


 わしはなるべく目を合わさないように、かかわり合いになりたくないよう振舞ふるまった。


 これはいつもわしのする演出えんしゅつじゃ、出来るだけ弱々しくえんじるのじゃ。


 思うた通りじゃ、その兵法者ひょうほうものわしからんで来おったわ。


 わしが弱いと思うたのであろうよ。


 わしは関わり合いになりたくないふうよそおって、私をどうするのですかと弱々しく言ってやった。


 その兵法者は立ち合いをしようと申し入れてきた。


 そして、じじいと言ってわしを笑うた。


 わしは仕方ない風を装って旅荷たびにいて、立ち合いの申し出を受けてやった。


 その時はすでに勃起ボッキしてったよ。


 おこったのかじじいと言って、今度はもっと大きな声でわしを笑うた。


 もういいじゃろう、その兵法者はすでにわし間合まあいに入ってる。


 ずいぶんとわしを笑い物にしてくれたようじゃから、最後にその兵法者に教えてやることにした。


 わしは強いからのう……




 一刀流の流祖、伊東一刀斎は生涯に一度も一刀流は名乗って居ないとされている。しかしその系統流派は今現在でも残っている。現在も警視庁の武道専科生たちが学ぶ剣道の流派は小野派一刀流である。

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