消えた万能薬
三分堂 旅人(さんぶんどう たびと)
消えた万能薬
ある日、国際医療会議で一つの薬が発表された。病気の根本原因に働きかけ、あらゆるガンや感染症に効果があるという、まさに夢のような万能薬だった。各国の医師たちは歓喜し、この薬によって医療の未来が一変すると確信した。
しかし、ほどなくしてその薬は世間から姿を消した。新聞もテレビも、その存在について一切触れなくなったのだ。あるジャーナリストが調べると、製薬会社の圧力が原因だという噂が浮上した。高額な薬や治療法を売り続けたい企業たちにとって、この安価な薬の普及は都合が悪かったのだ。
その後、記者は製薬会社の関係者に接触した。「この薬が広まれば、多くの人の命が救われるはずです。なぜ隠しているのですか?」
関係者は笑みを浮かべて言った。「薬で人を救うのもビジネス。私たちは患者を治すことよりも、長く薬を飲み続けてもらう方が利益になるのです。」
記者はその言葉に激怒したが、どこにもこの話を掲載できなかった。すべてのメディアは、広告収入を失うことを恐れて口をつぐんでいたのだ。
数年後、その記者は静かに引退し、地方の小さな町で暮らしていた。ある日、老人の姿をした謎の男が彼の家を訪ねてきた。
「君にだけはこれを渡しておこう」と言い、男は一錠の薬を差し出した。それは、かつて消えた万能薬だった。男は言った。
「この薬が世に出たら、病院も製薬会社も困るだろう。だが、私たちは君のような人が再び現れることを信じている。」
男が去った後、記者は薬を手に取り、どうすべきか考えた。再び声を上げるか、それとも静かに消えるか――。
彼が決断を下す前の晩、何か不穏な気配が彼の家を包んでいた。外では風がざわめき、窓の隙間から冷たい空気が忍び込んでくる。眠れぬ夜を過ごした記者は、手元の錠剤を握りしめながら、かつての仲間や取材先で得た数々の情報を思い返していた。
「これを公表すれば、確かに多くの命が救われる。だが、その代償として私は――」
彼は目を閉じ、決断の一瞬を引き延ばしていた。その時、外で微かな金属音が響いた。記者は一瞬身を固めたが、すぐに疲れからか意識を手放し、深い眠りに落ちてしまった。
そして――。
翌朝、目を覚ました近隣住民は驚愕した。そこにあったはずの家が、まるで**幻だったかのように消えていた**のだ。昨晩まで明かりが灯っていたはずの家は、跡形もなく消え去り、あたかも何事もなかったかのように更地になっていた。地面には一片の瓦礫も、足跡すら残っていない。
さらに奇妙なことに、その家に住んでいたはずの記者の**存在そのものを誰も覚えていなかった**。彼と長年付き合いのあった友人たちも、「そんな人物は知らない」と言い、勤務先の新聞社のデータベースからも彼の記事や名前が全て抹消されていた。まるで記者はこの世に存在したことがなかったかのように――。
それから数年が過ぎ、かつて記者が追っていた万能薬の話も、人々の記憶から完全に消え去った。医療業界は再び通常通りに戻り、高額な治療薬が市場を支配し続けていた。
だが、かつてその薬の存在を知る者が、ふと不思議な感覚に襲われることがあった。「何か大事なことを忘れている気がする...」。しかし、その記憶をたぐり寄せようとすると、まるで霧のように掴めず、やがて消えていった。
結局、記者が消えた理由も、万能薬が封印された理由も、誰にもわからぬまま時は流れた。そして、人々がその事実に気づいたときにはもう遅かったのだ。
「万能薬が再び世に出る日は、永遠に訪れない」――そう、誰もが知らないうちに、真実は深い闇に葬られていたのだから。
消えた万能薬 三分堂 旅人(さんぶんどう たびと) @Sanbundou
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