不幸な星の下に

 信州塩尻市、昔は中仙道の宿場町として大変に栄えた町だ。

 また、信州ぶどうの産地としても大変に有名で、町の至る所にぶどう畑が連なり、秋の収穫の時期には塩尻葡萄ぶどうの味覚を求めて、あちらこちらから観光客が訪れてくる。

 葡萄の他にも農産物が大変に豊富で、のどかな田園風景が葡萄棚に負けじと続いている。

 北へ十二キロ程離れた所には、松本城で有名な松本市が位置している。西へ向かうと木曽路へと繋がり、岐阜、多治見を抜け、名古屋へと続いている。また、東へ十三キロ程の所には、諏訪湖で有名な諏訪市がある。そこから更に東へ進むと、山梨県の甲府、神奈川県の相模湖を抜け、そして東京へと続いてゆく。

 北の空を望めば、北アルプスの高く厳しくそびえる山々が誇らしげに連なり、南東の空を望むと、南アルプスの雄大な山々が広がっている。


 そんな自然豊かな塩尻の町で、熊井とく子は、父・熊井義和よしかず、母・熊井志げ乃との間に、六人兄弟(男三人、女三人)の三女として生まれた。


 父親の義和は大工職人で、戦後の不景気の煽りもあって、生活は大変に苦しかった。そんなこともあり、両親は夫婦仲が悪く、喧嘩の絶える間が無かった。

 父親は大工職人と言っても幕板大工で収入も少なく、その上、お人好しのため、自分が請け負って働いた分の金も丁度に貰って来られず、母親の志げ乃がしばしば請求に出向いてゆくという有様だった。


『父ちゃん、この前請け負った金、まだ貰ってこないのかい…?』


 志げ乃は、眉をひそめて義和に一喝した。


『もう少し待ってくれって言ってるからしょうがねえじゃねえか!!』


 義和は、志げ乃から目線を逸らし、素っ気なく言った。

 こんな両親のやりとりを毎日のように見ているとく子ら子どもたちは、いつも不安な思いで過ごしていた。酷い時には、子どもたち前で取っ組み合い喧嘩を始めては、仲裁に近所の家まで巻き込む事もしばしばあった。


 幼い頃からとく子は、家の手伝い、弟たちの世話と、学校から帰ると勉強もそこそこに働かされた。小学四年生に成った頃には、朝、晩の飯炊きを志げ乃に命じられる。


「とく子、お前ももう小学四年生になったから、飯炊きくらい出来なきゃ困るだろう。

 明日の朝から飯炊いてみな。」


 とく子は、自分に飯炊きができるのか不安だった。

 薪の焚き方、火加減、炊けるまでの時間、蒸らす時間と、どれを取っても自信が無かった。

 しかし、そんな事は言っていられなかった。やらなくちゃ叱られる。志げ乃はとても厳しく、怖かった。


 長女の由美子は、中学校を出ると近くの町工場へと働きに出ていた。また、次女の和子も今年の春、中学校を卒業すると、集団就職で名古屋市へ働きに出て行った。そこで三女のとく子のところに、その分の仕事が回って来てしまった。


 家は県営住宅で、六畳と四畳半の二部屋に、三畳程の勝手場と、便所の付いた古い一軒長屋だった。水は無く、数軒が共同の井戸水で、家から五十メートルほど離れた所まで、汲みに行って来なければならなかった。


 冬の朝は、寒さのあまりに体の芯まで凍りつく思いだった。

 水を汲んで、戻ってくるとく子の顔は、真っ赤に硬直し、鼻の下は鼻水で凍ばり、手は霜焼けで赤く腫れ上がっていた。おまけに家が貧乏な為、足袋も丁度に買ってもらえず、いつも素足のままで働いていた。


 ――寒いよ、寒いよ、痛いよ…。母ちゃん…。


 とく子は心の中でいつもそう叫んでいた。

 しかし、家の事情を考えれば、我慢するより仕方がなかった。


 とく子は、朝は毎日四時半に起きて、釜を炊き始めた。寝坊でもして、慌てて飯を炊き、焦がしでもしたものなら大変なことだった。


「とく子、ご飯焦がしちゃだめじゃないか!焦がして捨てる米なんかうちには一粒もありやしないんだよ。分かっているのかい。

 焦げた所は、お前が食べな。」


 そう言って志げ乃は目を剥き出しにして、とく子を叱りつけた。


「母ちゃんごめん…。今度から気を付けるから。」


 とく子は、半べそをかいて、志げ乃に謝った。しかし、それでも焦げを作ることはしばしばあった。その都度、釜の底を漁るはめになった。

 とく子は、毎日が辛く苦しかったが、決してへこたれなかった。むしろ、仕事の辛さよりも、両親の喧嘩を見るのが辛く悲しかった。


 ――お願い、喧嘩だけはしないで。父ちゃん、母ちゃん。


 とく子は、いつも心の中でそう叫んでいた。

 しかし、そんな思いとは裏腹に、夫婦仲は悪くなるいっぽうで、夫婦喧嘩もエスカレートしてゆくばかりだった。


「金がなけりゃあ、子どもたちはどうするんだい。明日の米も買えやしないよ。あんた、男だったらどうにかしたら。」


 この言葉が判で押したような志げ乃のお決まりのセリフだった。


「そんな事言ったって、しょうがねえじゃねえか。」


 これも義和のいつもの言い訳だった。


 子供達は食べる物ばかりか、着る物ひとつさえも満足に買い与えてはもらえなかった。

 そんな甲斐性かいしょうのない父親の義和に、愛想を尽かした志げ乃は、とく子が中学一年生の秋も深まってきた頃のある日、家を出て行ってしまった。弟の定明さだあきは小学五年生、赤子の宗一しゅういちはわずか小学一年生だった。


 長女の由美子は、母親の行き先を志げ乃から予め聞いていて、大体の所は分かっていた。長男の実と、とく子も姉の由美子から大体の事情を聞かされていた。次男の定明と末っ子の宗一には詳しく話されず、用事で出かけて行ってしばらくの間は帰ってこないという事になっていた。

 しかし、日頃から夫婦仲の悪い所を見ていたせいもあって、宗一は子ども心にも何かを感じ取っていた。


 学校から帰ってきて母親が居ないことを知った宗一は、とく子が学校から帰ってくるなり、


『とく子姉ちゃん、母ちゃんどこに行ったんだよ。俺、駅に行って母ちゃん探してくる。』


 宗一は、目にいっぱいの涙を溜めて言った。


「宗一、それじゃあ姉ちゃんも一緒に行ってあげる。」


 とく子は、宗一の手を引いて駅へと向かった。

 

 晩秋の信州は、寒さも厳しく、冷たい北風と共に雪が舞い落ちていた。また、木の葉がすっかり落ちてしまった街道の木々が、一層の寒さを感じさせていた。


 ――あぁ、弟が可哀想だ…。気の済むまで付き合ってあげよう。


 とく子は心の中で思った。


「おじさん…うちの母ちゃん知らない…?何処へ行っちゃっただよ、お願いだから一緒に探して…。」


 宗一は、駅員一人一人に、母志げ乃の写真を見せては聞いて歩いた。


 夕暮れの駅は、通勤を行き交う人々で大変に混雑していた。待合室、プラットホーム、どこもかしこも列車を待つ人々でいっぱいだった。


 その一人一人の顔を覗き込むように、宗一は探し回った。

 とく子は、その後をただ黙って着いてゆくしかなかった。

 宗一の顔は、涙と鼻水でくしゃくしゃだった。

 とく子は、その哀れな弟を後ろから見つめながら、


「宗一、もう帰ろうよ…。二、三日すれば、母ちゃんきっと帰って来るから。」


 そう言うと、とく子は宗一の肩へ手を回し、力いっぱい抱きしめた。

 堪えていた涙の雫が、とく子の頬を伝い落ちていった。

 その涙を拭おうともせず、とく子は宗一の手を引いて、暗く寂しい家へと戻って行った。


 母親の居ない日々、涙で明け暮らす毎日が続いた。

 父親の義和は、そんな志げ乃の居ない日々に嫌気が差したのか、何時いつしか家に寄り付かなくなってしまった。


 父親の収入はほとんど当てにできず、子どもたちだけで生活する日々が続いた。幸い、長女の由美子が町工場で働いていたので、そのささやかな収入でなんとか生活を送ることができた。

 長男の実は今年、中学校を卒業すると、近くの瓦工場に職人見習いとして働きに出ていた。しかし、職人を志す道は大変厳しく、見習いと事もあって、給料らしい給料は貰えなかった。


 貧しかった。最低の生活だった。砂糖の入らない芋の煮転がし、ご飯も腹いっぱい食べることは許されなかった。ひとつの卵や、納豆を五人の兄弟でかけ回しあって食べた。


「宗一、食べな。後は全部お前にあげるから。」


 とく子は、卵をかける順番が自分に回ってくると、自分の飯の上には何もかけずに宗一に回した。

 とく子に限らず、他の兄弟たちもまだ年のいかない宗一を庇った。


「もういいよ…。姉ちゃんも兄ちゃんも食べなきゃいけないよ、俺ばっかり食べられないよ…。」


 宗一はそう言うと、とく子の飯の上に無理やり卵をかけ入れた。

 誰ともなくすっかり泣き始めた。


 ――あぁ、何でこんな家に生まれたんだろう…。あぁ、何でこんなに苦労しなければいけないんだろう…。


 とく子は死んでしまいたいと思うほど悲しかった。

 とく子の目からは大粒の涙が溢れ出し、食べかけのご飯茶碗の中へと流れ落ちた。

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2024年12月13日 19:00
2024年12月16日 19:00

ほおずきの唄 金村宗 @kanamurasyuu

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