神様、死の先がありますように
縁代まと
神様、死の先がありますように
神様、死の先がありますように。
心の中でそう祈りながら、俺はありったけの声を張り上げる。
「この世に不思議なことがあるなら、出てきてくれよ!」
ひとりだけでもいいんだ!
そう叫んでみたが、声はラクガキだらけの廃墟に反響しただけで返事はなかった。
シンとした静かな空間はここもハズレだという証明のようで、項垂れながら廃墟から出る。俺の心とは反対に外の空気は澄んでいた。
「今日はあと二ヵ所回ろう……」
時間的にまだ探せる。
最後に一度だけ廃墟を振り返ったが、まことしやかに囁かれる三階の窓際に現れる人影や屋上の生首、瞬きする壁のラクガキは一切見当たらなかった。
***
俺は心霊スポット巡りをするのが日課だ。
日課というのは喩えではなく本当で、一年間バイトで金を貯めては一年間毎日巡るということを繰り返している。
今日は最近ネットで有名になった廃墟に二時間かけて向かい、その後も老女が飛び降り続ける橋と呼ばれて振り返ると誰もいない歩道橋に行った。
……結局、心霊体験らしきものは何ひとつ起こらなかったが。
そんな時、帰る途中でふらりと立ち寄った居酒屋で隣になったおじさんが色々と訊ねてくるので、この話をして会話を切ろうと考えた。
異様なことをしている自覚はあるんだ。
しかしおじさんは面白そうに「なんでそんなことしてんの~」と絡んでくる。
思ったよりも飲んでるらしい。
「……死んで無になるのが怖いからですよ」
「おん?」
「そして孤独になるのが怖いから。死の先もあると知りたいんです」
幽霊がこの世にいるとしたら、肉体を失ってもこの世界に留まり続けられるってことだ。つまり死の先にもまだ道は続いている。
もしかしたら死んだ先には色々な人の幽霊がいて、その中には知った顔もあるかもしれない。
生者と簡単には接触できなくなるかもしれないが、みんなと離れずに済むとわかったなら俺はきっと心が救われた気分になるだろう。
死を恐れ始めたのは小学生の頃、叔父に死んだら何も残らないんだぞと脅されてからだった。たしか貯金していることが自慢で、すぐに使っちゃう人はアホだと極端なことを言い放った時だったと思う。
この極端さは叔父もなかなかのものだ。
それ以来、どうして死ぬの、どうすれば死なないでいられるの、死ぬとどうなるの、という問いが頭の中をぐるぐる回って離れなくなった。
この世界から離れたくない。
見えなくてもいいから、生きてるみんなに寄り添っていたい。
そして、死んだ人たちと幽霊同士仲良くしたい。孤独になりたくない。
その想いは叔父や母、飼っていたペットが死んでから更に強まり、幼馴染が事故死したのが決定打になった。
だから俺は心霊スポットを巡って、人間の幽霊を見たいんだ。
「――生前の念がこびりついたものに遭遇したことはあります。けどそれじゃだめだ。あと呪いも見たことがある。ただ、あれは生きた人間がいてこそのものなので」
幽霊がいることの証明にはならない。
死の先があることの証明にはならない。
要するに生前の念も呪いもハズレだ。でもこの世には不思議なことがあるという説得力の欠片ではあるので、蔑ろにはしていない。
こういうものがあるなら幽霊もいるかも、と思えるからだ。
「ああ、幽霊かと思ったら人間だったパターンもありましたよ。あれが真なるハズレですね。しかも普通に危ないから大ハズレだ」
ヤンキーや浮浪者はまだマシだが、強面の男たちが無言で何かを運んできた時は肝が冷えた。
死の先があると知る前に死ぬのは困る。
さあ、こんな話をすればおじさんも黙るかな。
そう思っていたが、おじさんは「その生前の念やら呪いやらが本当は幽霊の仕業だったってことはねーのか?」と興味津々だった。
「俺は目がいいので。……そういう変なものは見分けがつくんですよ」
幽霊はさっぱりなのに。
そう付け加えるとおじさんは「おにーちゃん、くじ運悪いねぇ!」と大笑いした。
第六感的なものは子供の頃から冴えている。それでも人間の幽霊を見た経験がないから、叔父の言葉の信憑性が増して余計に怖かったのかもしれない。
おじさんが熱燗をちびちびと飲みながら言う。
「俺も若い頃はオカルトにハマってたなぁ。あれだ、おにーちゃん、見える見えないにも相性っちゅーもんがあるんじゃないか?」
「かもしれませんね」
「なら今後も心スポ巡りを続けてりゃ、いつかは会えるかもな。――そういや」
そう言ったおじさんは何かを思い出そうと唸り、そのための燃料だと言わんばかりの勢いで熱燗を飲み干した。
「ここの近くに神社があるだろ、そこの古井戸近くにオバケが出るって聞いたことあるぞ」
「初耳です。本当ですか?」
「二ヵ月前にそこで心筋梗塞やらかして死んだ奴がいるんだと」
その人が化けて出るらしい。
俺がこの後に行ってみると言うと、おじさんは焼き鳥を追加で注文しながら快活に笑った。賑やかな人だ。
「この流れさー、じつはそこで死んだのが俺で、顔見たら居酒屋のおっちゃんだ~! ってビビって逃げるやつだよな! 気が合ったから見えたんだなぁ、っつーやつ!」
「ははは、あなたは生きた人間ですよ」
「おにーちゃん、それ『まじれす』ってやつか。少しくらい怖がれよぉ」
さすがに生者とそうでないものの見分けはつく。目がいいからな。
おじさんはつまらなさそうにしていたが、俺は早速会計を済ませると話に聞いた神社の古井戸へと向かった。
***
門が閉まっていたらどうしようかと思ったが、小さな神社だからかいつでも通り抜けられるようになっていた。
敷地内に植えられた大きな木がザワザワと木の葉を鳴らしている。
時刻は深夜一時。
とりあえず丑三つ時まで待ってみよう、と敷地内にあるベンチに腰掛ける。
件の古井戸は真正面にあった。きちんと蓋がされており、その前を石畳が横切っている。その先にお手洗いがあるので、心筋梗塞で亡くなった人もそこを目指すか戻ってきたタイミングで倒れたのかもしれない。
念のためその事件がニュースに載っていないか探してみたが、全国の死人が必ずニュースになるわけではない。めぼしい情報はなかった。
「本当にあのおじさんが化けて出たらいいのになぁ……」
絶対に喜んで迎えるのに。
まあ、もし担がれたんだとしても俺の話を受け入れてくれたのは嬉しかったからいいかなと思う。
引かれるために話したが、今まで真面目に聞いてくれる人はいなかったから、俺の考えを受け入れられたら受け入れられたで嬉しい。
そうして時間を潰し、少しウトウトした時だった。
いつの間にか、古井戸の前に人がいた。
思わず立ち上がってしまったが、待て。ここはいつでも入れる場所だ。俺がそうしたように、噂を聞きつけて肝試しにきた人かもしれない。
心を鎮めながらゆっくりと歩み寄る。
男性みたいだ。くたびれた背広が紺色をしていることがわかる。シャツは胸元だけしわしわになっていた。――街灯なんてないのに、それがよくわかる。
「……!」
この人は生きてない。
絶対にそうだ。
やっと、やっと会えた!
無理だとわかっていてもハグしたくなる。
俺は逸る気持ちを抑えて男性に話しかけた。
「すみません、ちょっとお話できますか!?」
「……」
「その、不躾で申し訳ないんですが、あなたはここで亡くなったという方でしょうか? 死因は心筋梗塞だと聞いたんですが」
「……」
男性は無言だった。
そろりと顔を覗き込むと、青い顔をして口の周りには泡が付着しているのが見える。目は虚ろで焦点が定まっていない。
やっぱり居酒屋で会ったおじさんではなかったなぁ、と。
そう考えながら返事を待っていると、突然男性の視線がこちらを向いて目が合った。
「なにか、ご用ですか」
「! はい、ええと、なにから訊こうかな――」
会話が成り立つことに興奮しながら用意していた質問を頭の中から引っ張り出す。
何度も何度もリハーサルしてきたのに、いざその時になるとこんなにもモタモタしてしまうんだなと驚いた。
でも本物の幽霊に出会えた嬉しさのおかげかイラつかず、それどころか笑みまで浮かんでしまう。
そして俺は一番訊ねたいことを口にした。
「ほ、他の幽霊はどこにいますか!? 俺、あなたとは波長が合うのか見えましたけど、色んな心霊スポットに行っても全然見つからなくて……! でも幽霊同士ならわかりますよね!?」
興奮から少し早口になってしまった。恥ずかしい。
そう羞恥心を感じていると、男性は緩慢な動きで顔を上げた。
こちらに向けられた目は相変わらず真っ黒で、本当に俺の姿が映っているのか疑問に思うほどだ。
「会ったことはない、です」
「え……」
「話しかけてきたのもあなただけです、あなただけ。ずっとずっと、私は」
孤独でした。
そう言った瞬間、男性は青白い煙のように立ち消えてしまった。
気づけば風が吹いている。そんな風で消えてしまうほど不安定な存在――いや、俺に見えなくなってしまうほど不安定な繋がりだったんだ。
冷や汗がドッと湧き出る。
「こ、孤独」
死んだ後も幽霊として残る。
しかし幽霊は幽霊を必ず知覚できるわけじゃない。
波長が合わないと生者から見えないように、幽霊と幽霊にも同じようなことが起こるんだろうか。そんなの信じたくなかった。
そう、仮説だから信じなくてもいいんだ。
なのに、男性が消えた場所を凝視していると本当なんじゃないかという気持ちが湧き上がってくる。
「そんなの……生きている間より孤独じゃないか」
死の先もあるが、そこは今よりも孤独な世界だという証左を得てしまった。
やはり生者のほうがよっぽど強く、よっぽど賑やかだ。
***
俺は心霊スポット巡りをやめた。
あそこにも沢山の幽霊がひしめきあっているかもしれないのに、全員が全員を見ることが叶わない孤独の中で存在していると思うと怖くて仕方がなかった。
あの後、数ヵ月経ってからあの居酒屋の前を通ると、あの日のおじさんが青い顔をして立っていた。
声をかけたらそのまま消えてしまいそうで話しかけてはいない。
……おじさんとも波長が合って、幽霊として見ることができたなら、数ヵ月前の俺なら喜んだだろう。
しかし今はそんなことで喜べない。
あの男性だけが特別だった、と思うことで俺はなんとか心を保っていた。
縋るところはそれしかない。
他の人は安らかに消え去っている。この世に残っていない。孤独に蝕まれてなんかいないはずだ。あの人だけがたまたま『そういう形』になっただけだ。
俺自身の孤独も怖いが、これまで見送ることになったみんながそんな世界で存在し続けているなんて思いたくない。
頼むから、もう二度と話せなくてもいいから、安らかでいてほしい。
俺は、かつては自分のために死の先があることを祈っていた。
しかし今は死んでしまった色んな人のために祈る。
――神様、死の先がありませんように、と。
神様、死の先がありますように 縁代まと @enishiromato
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