第1話 ヒロイン、話し合われる

結局、紅太は今までの記憶から、なんとか一人で学園までたどり着いた。

藤ハーデンベル学園は白を基調としたヨーロッパ風の建築で、黒い屋根は天に向かって手を伸ばすかのように高い。

予想外の出来事で、紅太は本来より到着時間が遅れていた。

急いで門を通り、写真撮影をしている保護者とその生徒にはを見向きもせず、小走りで学園の方へ向かう。

クラス分けの掲示板も確認せず、そのまま一年一組の教室を目指した。

廊下を早歩きで通る。

しかし、ここは三年生の教室ばかりだった。

三年一組、二組、三組……

違う、違う!

こんなところで自身の方向音痴を恨むことになるとは。

二年生と三年生の頃の記憶が混ざり、一年生の教室がどこか分からなくなってきた。

一年一組の教室は一階だったはず。

紅太は焦りで体中が熱くるのを感じた。

今は暖かい日差しと冷たい風という素晴らしい気候のはずなのに、暑くて仕方ない。

俺が迷えば迷うほど本当のストーリーと噛み合わなくなってしまう。

まだ教室に着けばきっと、取り返せるはずなのに。

紅太は立ち止まり、廊下の窓から外の景色を眺めた。

桜の木はここから見えず、寂しい風景だった。

けれども、下を覗けば花壇に色とりどりの花が咲いているのが見えた。

一年生の時は教室から桜が眺められたはず。

あ、一年生の教室は南館か。

紅太はここで学園の館を間違えていることに気づいた。


教室に入ると、一番後ろの窓際の席で既にヒロインが座っていた。

太陽の光が窓越しに彼女を照らしていた。

彼女は机の上に配布されたプリントを眺めているようだった。

紅太はその隣に座り、鞄を無造作に机の上に置いた。

席についたものの、彼女に何と話しかければいいか分からなかった。

本当なら一緒に教室に着いて、席が隣同士であることに盛り上がるというのに……

「あのさ、さっきはぶつかってごめんな。怪我とか無かった?」

紅太は体をヒロインの方に向けて、話しかけた。

きっとこれは惚れているわけじゃない。

何と返答されるかという不安で胸がドキドキしているのだと自身でも感じていた。

「あ、大丈夫です。」

「なら良かった。」

ヒロインはプリントを両手で束ねたまま、顔だけをこちらに向けた。

敬語なせいかそっけない態度に紅太は感じた。

今まで出会ったヒロインならきっと「大丈夫!」と元気な声で返したり、「そっちは大丈夫?」と心配し返してくれると思う。

いつも元気いっぱいで優しいヒロインと目の前の同級生はかけ離れていた。

紅太は挫けずに彼女に話しかけ続けてみた。

「俺、桐島紅太。一年間よろしくな!」

「は、はい。大河内水蓮おおこうちみれんですよろしくお願いします。」

「これ俺の連絡先ね。」

「え……分かりました。」

ヒロインこと大河内は、紅太の連絡先が書かれた紙を受け取った。

彼女は眉を下げ、口は半開き。

驚きと困惑が混じり合った表情をしていた。

なんで俺こんなに引かれてるの?

連絡先知らないとデートできないじゃん、俺攻略できないじゃん。

俺がおかしいのか?

こんな反応初めてだ。

紅太が攻略対象のはずなのに、こっちが攻略方法を考えないといけない羽目になっている。

どうしたらいいものか……

自己紹介が終わったところで、次は何を話せばいいかのだろうか。

話題が思い浮かばない。

何を言っても引かれる気がする。

そうやって手で頭を抱え悩んでいると、教室から悲鳴が上がった。

叫んだのはクラスの女子たちで、教室に虫が出てきたとき悲鳴ではなく、アイドルが目の前にやって来たような歓喜の声だった。

そしてドアの前には一人の男子生徒。

ついに、来てしまったか。

その男子生徒は黒板に書いてある席順を確認するや否やこっちに一直線に向かってきた。

べに、おはよう。」

「おう、はよう。」

永崎蒼斗えいざいあおと

海をそのまま映したような美し瞳に、クールさを倍増させる切れ目。

小さくて高い鼻にリップを塗っているのかと疑うほどの血色のいい唇。

少しの動きでも崩れてしまうほどのサラサラな髪。

紅太がワックスもつけて整えている一方で、蒼斗は寝癖を直す程度で特に何もしていない。

それでもかっこいいと思われてしまうほどに蒼斗はイケメンだった。

「あの人かっこよ!」

「連絡先聞いちゃう!?」

クラスの女子たちがざわつき始める。

紅太と蒼斗は中学生の頃からの仲だった。

「俺ここだわ。紅と近くでラッキー。」

「俺はアンラッキーだけどな。」

「何かあったのか?」

そう言って、蒼斗はヒロインの前の席に座った。

紅太は顔が引きつりそうになった。

蒼斗とは確かに友達であるが、彼は鈍感な性格だった。

自分に非は無いという前提の思考、それが許されてしまう超絶イケメン。

紅太にとって蒼斗の性格は厄介でしか無かった。

ただでさえ、こいつに順位を抜かされて悔しい思いをしているのに。

「紅、この子と何話してたの?」

紅太はふと、アイディアが浮かんできた。

蒼斗に一泡吹かせたい。

ヒロインについては何も話さず、ストーリー通りに進めてやろう。

本当に蒼斗と驚かせたいという、いたずら心だった。

「自己紹介し合ってただけだよ。」

「ふーん……俺、永崎蒼斗。よろしく。」

「お、大河内水蓮です。よろしくお願いします。」

蒼斗は席に座らず立ったまま、目線だけを大河内に向けた。

彼の表情はいつもと変わらず、無表情のままでさらっとヒロインに連絡先を渡した。

先ほどの自分の行動と比べてしまって、紅太は落ち込みそうになった。

「はい、席ついてー」

担任の教師が教室に入ってきた。

生徒の話し声を突き破るような、はっきりとした声だった。

クラスメイトが席につきはじめ、椅子を引く音がそこら中で聞こえてきた。

蒼斗も前を向き、椅子に座った。

先生の服装は、黒色のスーツに白色のネクタイで、新入生を祝う入学式に相応しかった。

茶髪に黄色の目、大学生にも見えてしまうほどの若々しさ。

センター分けの前髪が清潔感を加速させていた。

そして彼もまた、攻略対象の一人だった。

「すぐ入学式が始まるから、軽く自己紹介だけするな。飯神黄稀いいがみおうきです。教師になって初めて、クラスを受け持つことになった。担当科目は古典。一年間よろしくな。」

飯神先生の自己紹介が終わると、教室中が拍手に包まれた。

「じゃあ、体育館に行くぞ。廊下に並べ」

紅太と蒼斗はヒロインと話す機会はなく、そのまま体育館に向かった。




入学式が終わり、教室に戻ると皆疲れている様子だった。

しかし、今日のイベントはまだまだ終わらない。

「ねえ、名前何ていうの?」

明るい茶色のストレートなミディアムヘアーに丸くて大きな水色の瞳。

口角を上げて、愛嬌いっぱいの笑顔でヒロインに話しかけてきた。

「え、大河内水蓮です。」

大河内は話しかけられた驚きを顔に出したまま、名前を名乗った。

「え〜!名前までも可愛いじゃん!私、西村水葵にしむらみずき。水蓮ちゃん可愛くって、話しかけちゃった!よろしくね。」

「よ、よろしくお願いします。」

「水癸って呼んでね!水蓮ちゃんって呼んでもいい?」

「も、勿論です!」

彼女もまた、このゲームのメインキャラクターだ。

ただ、俺たちのような攻略対象ではなく、好感度や喧嘩の際の仲裁役として登場する、サポートキャラクターだ。

西村は今までと違うヒロインの姿に戸惑ったが、それを表に出さずにいつも通り、彼女と接していた。

「はい、皆お疲れ様。席についてねー。」

一足遅れて教室に入った飯神先生が生徒たちを注意した。

「じゃあ、またね!」

「は、はい!」

西村が笑顔で手を振りながら、自分の席へと戻っていた。

大河内も慌てて手を振り返した。

その表情は口は弧を描き、嬉しそうだった。

そんな彼女を紅太は横目で見る。

クラス全員が席につき、しーんと静かな空間が出来上がっていた。

「早速で悪いんだが、俺が生徒全員を覚えるためにも自己紹介してくれないか?」

飯神先生は教壇の前に立ち、そう言った。

「じゃあ、出席番号一番から。えーっと、秋山からか。」

先生含め、クラス中の視線が秋山に集まる。

秋山はすぐさま席を立った。

若草色の寝癖一つとしてないきっちりした髪型。

黒縁の眼鏡の先には翡翠色の瞳が待ち構えてる。

誠実さが見た目からも感じられる彼も、攻略対象の一人である。

外見の通りに真面目な性格で、入学式では新入生代表として挨拶していた。

秋山緑冴あきやまつかさです。得意科目は数学、生徒会に入ろうと考えています。一年間よろしくお願いします。」

緑冴は礼をしたと同時に、拍手が巻き起こった。

「秋山は真面目だな!ぜひとも生徒会で頑張ってくれ!」

同じクラスといえども、彼はヒロインが生徒会に入る、もしくは勉強のレベルを上げない限り、彼との関わることはできないのだ。



蒼斗の自己紹介も終わり、ついに大河内の番になった。

ここの自己紹介は本来、選択した委員会や部活によって攻略対象への好感度が少し変動する。

「じゃあ次、大河内!」

彼女は静かに席を立った。

紅太は彼女の表情が不安で埋め尽くされ、手も震えていることに気づいた。

「お、大河内水蓮です。得意科目は国語です。一年間よろしくお願いします。」

震えながらも彼女は精一杯、声を張っていた。

拍手されるよりも先に彼女は着席した。

委員会や部活について何一つ話さなかった。

特に無いという選択肢はあるはずだが、こんなこと自己紹介は今まで無かったし、彼女の真意が紅太は分からなくなった。

単に新しいヒロインのキャラとして追加されただけなのだろうか?

こんな前代未聞な行動をとる彼女と結ばれることはできるのだろうか?


クラス全員の自己紹介も終わったところで飯神先生が口を開いた。

「委員会決めは明日行うつもりなんだが、今日の放課後、学級委員会があるんだ。誰かやれるやついないか?」

誰も名乗り出ず、教室はしーんとしていた。

何人かのクラスメイトは気まずそうに視線を下に向けた。

もしここでヒロインが学級委員に立候補すればあるクラスメイトと対立することになる。

しかし、大河内は下を向いたままで先生と目線を合わせようとさえしない。

「はい、飯神先生!私が学級委員やります。」

ある女子生徒が肩から手先までまっすぐと伸ばして挙手した。

低くも滑舌が良く、聞き取りやすい声で名乗り出た。

彼女の名前は八重樫黒奈やえがしくろな

平行に切り揃えられた前髪に黄色のカチューシャ特徴的で、腰までと届いてしまうほどの長髪。

サラサラ艶髪と視線を合わせることを慄いてしまうほど鋭くて、まっすぐな黒い瞳。

彼女もまた、このゲームの登場人物のメインキャラクターであった。

ただ、プライドが高く、物語が進むにつれ色んな人から好かれるヒロインを嫌いになる。

嫌悪感と怒りから巻き起こす行動は、好感度やアタックする攻略対象によってまた違ってくる。

まさに、悪役のポジションだ。

今回の場合、ヒロインが学級委員に立候補しなかったので、特に争いは起きなかったが。

「お、八重樫か。助かるな。じゃあ男子の方は……桐島、お前今目が合ったな。頼んでもいいか?」

紅太は肘をつき、八重樫と飯神先生を交互に眺めていると、先生と目線が合ってしまった。

「え。」

「頼むな。」

「あ、はい。分かりました。」

断れなさそうな圧に紅太は怖気づいてしまった。

今日はバイトがなくて本当にラッキーだったと紅太はホッとした。


お昼の頃に新入生は下校になったが、学園には残ったまま生徒もいた。

紅太たちメインキャラクターたちもまだ、下校せず、空き教室集まっていた。

メンバーは紅太、蒼斗、緑冴、西村に飯神先生だ。

紅太は委員会をサボっていた。

委員会活動よりも、ヒロインのことで意見交換をしたかったのだ。

「どうなってるんだ、これは……」

紅太が机に肘をついて、頭を抱える。

「うーん、新しい要素かな。」

顎に手を当て、目線を上に向けながら西村は言った。

「ヒロインの性格がまるっきり変わるのって需要あるのか?」

紅太は西村の返答に納得いかなかった。

あの性格だと、どう考えても好かれないと感じているからだ。

「俺たちが知らないっていうのもおかしな話だし。……永崎はちゃんとついていけてるか?」

手に膝を置き、まっすぐな姿勢でぼーっとしていた蒼斗に飯神先生は担任の先生らしく、声をかけた。

「何を話し合ってるのかよく分からないっす。」

蒼斗はそれにぎこちない敬語で答えた。

皆、大河内と接触して様々な違和感を抱いたというのに、蒼斗は全く気にしていない様子だった。

「は!?お前今日話してて違和感感じなかったのかよ。」

「何に?」

「ヒロインに!」

「ああ、大河内のことね。そういう仕様かと思って納得してた。」

紅太は蒼斗の返答に、驚きを通り越して呆れた。

同時に、自分はこんなにも焦っているのに、平気な顔でまたヒロインと接しそうな蒼斗が少し、羨ましくなってしまった。

……こういう風に簡単に受け入れられたらそりゃ、モテるだろうな。

「秋山くんはどう思う?」

思い思いに悩んだことで生まれた沈黙を西村が打ち破った。

意見を求めれた秋山は目を大きく開いていたが、目線を右下に向けて必死に考えている様子だった。

「え、うーん。不思議だと思うな。先生が言っているように、僕たちが知らないってことは想定外の出来事だと思う。……例えば、バグとか?」

「バグ?それであんなことになるかよ。」

「僕も分からないよ。」

バグの可能性があるかもしれない。

紅太は分からなくなってきた。

肘をついている机の木目を見ながら、今日の彼女の行動を振り返った。

一方、蒼斗は何か深く考えているようには見えず、ただじっと正面に座っている紅太を見つめていた。

それに気づいた紅太が顔を上げると、蒼斗と目が合う。

「なんだよ、蒼斗。」

「どうせバクなら、紅の増殖バグとかが良かったなあ。」

「ふざけんな。」

紅太は軽く蒼斗にチョップをかました。

バタバタと廊下を走る音がドア越しに聞こえてきた。

音が通り過ぎたと思うと、今度はガラッと大きな音を立てて生徒が入ってきた。

それは、学級委員会に出席した八重樫だった。

紅太を探し回ったのだろう。

ドアを開けたまま突っ立ち、息を大きく吸っては吐いていた。

彼女の自慢の黒いツヤ髪も乱れ、横に大きく広がっていた。

「ちょっと、桐島!なんで委員会来なかったの!?」

八重樫は大きく息を吸ったと思うと、その勢いのまま紅太を叱った。

「あー……忘れてた。」

八重樫と目は合わせず、紅太は答えた。

真面目に反省する気が感じられない紅太に八重樫は眉をつり上げ、彼を睨んだ。

「なんで!勝手にストーリー変えちゃ駄目でしょ!」

「いや、そもそもヒロインがあれな時点でもう本来の話の流れに戻せないでしょ。」

「はぁ!?」

「桐島が悪いな。ところで、八重樫は大河内さんのことどう思う?」

口喧嘩が始まる予感を察知した飯神先生が八重樫に意見を求めることで、口論を止めてみせた。

紅太は自分のことを注意しなかった、飯神先生が言えるセリフではないと思ったが、助け舟を出してくれたので、そのまま黙っていた。

「私?まあ、今みたいな感じで攻略対象と仲良くするつもりがないなら、いじめるつもりは無いかな。」

八重樫は腕を組み、壁にもたれかかった。

「ほんとかよ。」

「ほんとよ。私のいじわるは嫉妬心から来るものだし。」

「あっそう。」

「とりあえず、どうするかな。」

秋山が皆を見つめながら、口を開いた。

「うーん、ヒロインの性格が変わっている以上、ストーリー通りに進めるのは困難だよね。」

水癸は心なしか、楽しそうに見えた。

きっと、新しい性格の友達ができる嬉しさがあるのだろう。

「臨機応変に対応しろってこと?」

「そうだね、永崎!それが一番かな。まあ、無理にアタックしてもよくないだろうし、ほどほどにね。」

水癸はサポートキャラクターらしく、今のところデートもできる紅太と蒼斗を見ながらアドバイスを与えた。

「だってさ、紅。」

「分かったよ。」

紅太はまだ納得できていない様子だったが、解散の雰囲気を察して、返事をした。

「じゃあ、とりあえずはその方針で。」

飯神先生が手を叩いて、今回の会議を締めくくった。

それに秋山は元気な声で返事をする。

紅太はそんな彼のことを元気だなと思いながら、鞄を肩にかけた。

皆席を立ち、椅子のガタガタという音だけが耳を通った。

窓をみると、空が徐々にオレンジ色になっているのが見えた。

沈もうとする太陽の光がこちらに差し込み、眩しさで紅太は思わず目を腕で覆った。

これから、どうすればいいのだろう。

柔軟な対応ができる蒼斗のルートになってしまうかもしれない。

というか、初対面大分最悪だったし、これから巻き返せるのだろうか。

不安になっても仕方ないと思い、頬を両手で叩いで、紅太は自分を鼓舞した。

「そうだ、桐島と永崎。」

西村が帰ろうとした二人に話しかけた。

「ヒロインちゃんの誕生日もうすぐだから。」

「え、は?」

紅太は思わず声が出てしまい、蒼斗の方は目がいつもより大きく開いていた。

「あと何日なの?」

「えーっと十日くらい?」

「まじかよ。」

現在、連絡先を渡してデート可能な俺と蒼斗は彼女に誕生日プレゼントをあげなければならない。

彼女の好きなものなんて、知りもしない。

しかも日も無い。

紅太はヒロインの戸惑った顔を思い浮かべながら下校した。

どうあがいても、彼女が笑顔で誕生日プレゼントを喜ぶ姿が想像できなかった。





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ヒロインバグってる!? @pqppqpq

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