第二夜 Holy Night
12月25日。
僕には決まって訪れる場所がある。
真っ赤なポインセチアの花束を持って歩くには、少々場違いな所かもしれないが、僕はいつものようにそこへ行くと、黙ってじっと目の前の墓石を見つめた。
あの日から――
僕の時間は止まってしまった。
――5年前のあの日。
僕はある決心をしていた。
仕事帰りに彼女と待ち合わせをしていた。
あの交差点のある通りで。
彼女は仕事で待ち合わせの時間に遅れていた。
きっと急いでいたのだろう。
それでも、青信号の横断歩道を渡っていた。
信号を無視したのは車の方だった。
歩行者3人をはね、2人は軽傷。1人は重体。
彼女は病院へ運ばれたが、到着後すぐに息を引き取った。
目立った外傷はなかった。
たまたま打ち所が悪かっただけ。
まるで眠るように死んだ彼女は、声を掛けたら起き出しそうな程、キレイな顔をしていた。
死んだという実感がなかった。
もし、あの時。
彼女が急いでいなければ。
歩いて向かっていれば。
あの日、あの時、あのタイミングで。
交差点を渡ることはなかったはず――
あの通りで待っていれば……
もしかしたら彼女が来るかもしれない。
何度も同じ瞬間を繰り返しては、もう二度と戻ることのない人を、僕は待ちわびているのだ———―
「メリークリスマス」
僕はそう言って、彼女の前に花束を置いた。
目線を合わせて、じっと見つめる。
今年も奇跡は起きなかった……
そんなこと当たり前だけど、毎年幼稚な期待を胸に、あの場所に立っている自分が心底情けなくなる。
「ごめんね。君にあげるはずだった指輪……なくしちゃったよ」
そう言って自嘲気味に笑い、僕はため息をついた。
そして、彼女の周りに落ちている枯葉や雑草を軽く取り払って、立ち上がろうとした、その時――視界の隅に、何かがキラッと光るのが見えた。
「?」
僕は身をかがめてそれに手を伸ばした。
(まさか……)
ドキッと心臓が飛び跳ねた。
手にしたのは、あの少女にあげた指輪だった。
――なぜ、これがここに?
そう思っていると、ふいに「慎一君?」と名を呼ばれて、僕は振り向いた。
彼女の両親が、娘に会いに来たのだ。
「いつもありがとう」
父親がそう言って頭を下げた。
母親も寂しそうに笑いながら頭を下げた。
毎年クリスマスに彼らに会うのも、もう何度目だろう。
僕は軽く挨拶を済ませてその場を立ち去ろうとすると、いつもなら何も言わない彼女の母親が、スーッと追いかけて来て、僕に話しかけてきた。
「慎一さん。もういいのよ」
「え?」
母親の言葉に、僕は首を傾げた。
「娘の事を思ってくれる気持ちは嬉しいの。でもね。あなたはもう、自分の人生を生きてください」
咄嗟に理解できず、僕がキョトンとしていると、母親は寂しそうに俯いて背後を振り返った。
墓の前では、父親がしゃがんで何かを語りかけるように呟いている。
その様子を見つめたまま、母親はこんな話をし始めた。
「夕べね。久しぶりにあの子の夢を見たの。それがおかしいのよ。子供の姿をしているの」
母親はそう言ってクスッと笑うと、幼い頃の娘を思い出すように言った。
「あの子がお気に入りだったコートを着ていたわ。サンタクロースみたいな真っ赤なコートよ。それで嬉しそうに言うの。『ママ、見て!プロポーズしてもらった』って」
僕は思わずギョッとした。
「小さい頃、映画の中で女の人が男の人にプロポーズされるシーンを見て、あの子ずっと憧れてたの。ビーズで作った指輪で、お父さん相手にプロポーズごっこをして――よく遊んでたわ」
ポケットの中で、僕は指輪を握りしめた。
「夢の中で、あの子は本当に指輪をしていたの。あの日、あなたからプロポーズされるとは思ってなかったでしょうけど……でも夢にまで見たプロポーズを、きっと叶えたのね。だからあんなに嬉しそうに笑っていたんだわ」
母親はそう言って、僕の目をじっと見つめた。
「娘はきっと、慎一さんには幸せになってもらいたいと願っているはず。だからもう、あなたはあなたの人生を生きてください」
「お母さん……」
「あの子の為にも」
前に進んで———―
そう背中を押された様な気がした。
『もう泣いちゃダメよ』
そう言って、自分を抱きしめ、『じゃあね』と手を振り去ってく。
赤いコートの少女が、ゆっくりと彼女の影と重なり、消えていく。
雑踏の中へ。
あの日の僕の、記憶の中へ――
僕は、ポケットから指輪を取り出すと、それを母親の前に差し出して、言った。
「これを、彼女の仏壇に供えてあげてください」
「え?」
驚く母親が何かを言おうとするのを遮って、僕は言った。
「いいんです。僕が彼女にあげたんです。夢の中で――」
「――」
自分が夢の中で見た指輪と同じものだと悟った母親は、それ以上もう何も言わなかった。
大切に胸の前で握りしめると、涙を浮かべて頭を下げた。
僕も頭を下げると、墓の前にいる父親の方へ目を向け――最後に深く一礼した。
* * * * * * *
今年もまた、この日がやって来た。
――クリスマスは嫌いだ。
それは今も変わらない。
けど、僕はあの日、サンタクロースから最高のプレゼントを貰ったのだ。
小さな箱に収まったビーズの指輪を見るたびに、僕は思い出すだろう。
辛い記憶を塗り替えるように現れた1人の天使を。
【聖なる夜には奇跡が起こる】
そう信じる者には必ず、贈り物が用意されているのだという事を。
君の為に、僕は幸せになるよ……
その為に、僕は前に進む。
君は許してくれるかな?
今宵。
全ての人に愛をこめて――MerryChristmas.
……END
イメージテーマ曲『白い恋人達』
song.by 桑田佳祐
きよし、この夜。 sorarion914 @hi-rose
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