脱走のはじまり
そこは、生命の営みとは無縁の場所だった。
暗い空の下、金属の灰色だけが広がる惑星表面。工場惑星と呼ばれるその場所では、昼夜の区別すらなく、ひたすらに無機質な建物が機械的に並んでいた。その中にあるのは、生産と消費だけの冷たいサイクル。
幼女型クローン兵たちの訓練施設も、そんな建物の一部だった。
「出力不足。もっと強く!」
無機質なロボットの声が訓練室に響く。私たちは無表情で訓練用レーザー銃を構え、的に向けてひたすら撃ち続けた。目の前のスクリーンには、「命中率75%」という数字が表示される。それは褒められるべき水準ではなかったが、誰も何も言わない。私も、数字を見ても何も感じなかった。
訓練室は寒かった。機械音が絶え間なく鳴り、どこからか油の匂いが漂っている。床も壁も、金属の冷たさが染み付いていた。
私たち幼女型クローン兵は、ここで生まれ、ここで育てられ、ただ命令通りに行動するようプログラムされている。表情を持つことも、考えることも許されない。ただ、効率よく命を捧げるためだけの存在。
訓練が終わり、無言のまま私たちは次の部屋へと移動する。壁沿いに並んだ小さな機械椅子に座ると、頭に装着されたヘルメットが自動的に降りてきた。これから、戦闘プログラムの更新が行われる。目を閉じ、ただ待つ。これも、いつもの日常の一部だった。
けれど、最近の私は、訓練の最中やプログラムの更新の合間に、妙な違和感を覚えることが増えていた。
「これって、本当に正しいの?」
その考えは、言葉として浮かび上がることはない。ただ、心の奥に引っかかる小さな棘のようなものだった。他のクローン兵たちと何一つ変わらない私が、どうしてそんな感覚を持つのかは分からない。でも、その違和感は日々少しずつ大きくなっている気がした。
「次、訓練再開まで休憩!」
ロボットの声が再び響き渡る。私は立ち上がり、訓練室の窓に目をやった。窓の外には、冷たい金属の風景が広がっているだけだった。
遠くで小さな流星が尾を引いていた。どこか、自由を象徴するようなそれをぼんやり眺めながら、私は胸の中に浮かぶ奇妙な感覚を言葉にできずにいた。
訓練室を出ると、冷たい金属の廊下が果てしなく続いていた。
私たち幼女型クローン兵は、規則正しい列を作りながら食堂へと向かう。無言のまま、ただ前の人の背中を追い、歩き続けるだけだ。
食堂の扉が開くと、空気が少しだけ変わった。乾いた金属の匂いの中に、かすかに人工栄養食の香りが混ざっている。整然と並んだテーブルと椅子。配膳ロボットが無表情に動き回り、私たちの前に同じ形のトレーを置いていく。
トレーの上には、無味無臭のペーストが入ったチューブが2本と、栄養補給用の錠剤がいくつか。それが私たちの食事だ。
「……またこれか」
隣に座った仲間がぽつりと呟いた。黒髪茶色目の彼女も、私と同じ幼女型クローン兵だ。私たちはみんな同じ顔、同じ体。遺伝子情報は完全に共有されている。
私は無言でチューブを開け、ペーストを少しだけ口に含む。粘り気のあるそれが舌を滑り落ちていく感覚にも、もう慣れてしまった。でも、これを「食事」と呼ぶのは少し違う気がする。
「これで満足してろってことなのかな……」
同じ顔の仲間がつぶやく。私はその言葉に答えなかったが、どこか心に引っかかるものを感じた。
その日の午後、戦闘プログラムの更新が予定されていた。
私たちは再びヘルメットを装着し、機械椅子に座る。目を閉じ、ただ情報が頭の中に流れ込んでくるのを待つ。
いつものはずだった。けれど、その時、頭の中に突如として奇妙な言葉が浮かび上がった。
健康で文化的な最低限度の生活
それは耳にしたわけでもなく、誰かが教えてくれたわけでもない。ただ、プログラムが流れ込む最中に突然湧き上がった言葉だった。
「……何、それ?」
目を開けた瞬間、私の口からその言葉が漏れ出していた。
周囲を見渡すと、同じようにプログラムを受けていた仲間たちが私を不思議そうに見つめていた。
「何て言ったの?」
一人が小声で聞いてくる。
「わかんない……でも、『健康で文化的な生活』って……」
その言葉をもう一度口にしてみると、自分でも奇妙な感覚に包まれた。何か、とても大切なことのように思えるけれど、その意味はまるで分からない。
「文化的な……生活?」
仲間たちは顔を見合わせ、小さな声でその言葉を繰り返した。その響きに、普段の生活にはない、得体の知れない温かさがあるように感じたのかもしれない。
「何だろう、それ……」
「意味があるの?」
興味を持ったのか、仲間たちの間でその言葉が囁かれ始める。
その日から、何かが変わり始めた。
訓練の合間や食堂での食事中、クローン兵たちは小さな声で「文化的な生活って何だろう」と話すようになった。それは、まるで禁止されている秘密の遊びのようだった。
数日後、私たちはいつもと違う命令を受けた。
「全員、荷物をまとめろ。前線への配属が決まった」
冷たいロボットの声が施設内に響き渡る。
前線。つまり、戦場だ。
ここにいるクローン兵は、いつか戦場に送られることを知っている。でも、それが明日なのか、もっと先なのかは誰にも分からなかった。だから、この日常が永遠に続くような錯覚を抱いていた。それが、いよいよ終わる時が来たのだ。
「準備完了まで60分」
ロボットの声と共に、施設内が慌ただしくなる。仲間たちは無言のまま必要なものを集め、整然と動き回っている。
その夜、私は数人の仲間と密かに話し合った。
「戦場に行けば、私たちはただの消耗品として使われるだけ」
「でも、どうすればいいの?逃げるなんて無理だよ」
確かに、脱走なんて考えたこともなかった。警備ロボットに監視され、厳重に管理されているこの施設から抜け出すのはほぼ不可能だ。
でも、「ほぼ」不可能なら、可能性はゼロじゃない。
「倉庫に廃棄予定の小型船があるって聞いた。あれを使えば……」
「動くの?」
「分からない。でも、試さなきゃ分からない」
脱走計画は翌晩、配属の前夜に実行された。
「行くよ」
私は仲間たちに小さく頷き、施設の廊下を静かに進む。消灯後の施設内は静まり返っていて、警備ロボットの監視ライトだけが行き交っている。
途中、何度も足を止めて息を潜めた。警報が鳴ったら、全てが終わりだ。それでも、私は後ろをついてくる仲間たちの気配を感じながら進む。
倉庫にたどり着くと、そこには廃棄予定の小型宇宙船が停められていた。ボロボロで、錆びついている。動くかどうかすら怪しい代物だ。
「これ、本当に飛ぶの……?」
「やるしかない」
私は船のハッチを開け、仲間たちを中へ誘導する。
「警報が作動した!」
操縦席で操作を始めた瞬間、施設全体に警報が鳴り響いた。警備ロボットたちがこちらに向かってくる。
「急いで、エンジンを動かして!」
私は手が震えるのを抑えながら、古い操縦パネルを操作した。
「動いた!」
船体が振動し、エンジンが始動する。
「発進準備完了!」
「みんな、掴まって!」
船は鈍い音を立てながら浮き上がり、倉庫のシャッターを突き破った。金属片が飛び散り、私たちの船は宇宙空間へと飛び出した。
次の更新予定
隔日 07:00 予定は変更される可能性があります
灯火の彼方へ:クローン兵たちの新天地 星灯ゆらり @yurayura_works
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