失恋まみれの平凡勇者、転生する

ふうこ

✎..........

 夢を見た。


 初恋の人だった近所のお姉さんが結婚する話を、母から聞かされた夜のことだ。

 布団を被って泣いて、泣きつかれて眠った末に見た夢だった。


 音のない夢だった。ただ感触はいやというほどリアルだった。

 自分の意思で身動きすることはできない夢だった。


 夢の中で、僕は『勇者』だった。


 勇者とは、「救国の勇者伝説」の『主人公』だ。100年ほど前に魔王を倒して国を救い、その後王女と結婚して国を継ぎ現在の繁栄の礎を築いたとされている。

 この国に生まれた子は皆、幼い頃から勇者伝説を寝物語に聞かされて育つ。

 魔王を倒すために各地を旅し、苦しむ人や弱き人を助けて回った。いつだって民衆に寄り添い悪を許さず世を正す正義のスーパーヒーローだ。


 そう認識していたんだけど。


 夢の初め、僕は真っ黒に汚れた身体でとぼとぼと歩いていた。背後には炎に包まれる街があって、振り向く度に遠ざかる炎に、僕がそこから逃げているのだと分かった。たまに顔を擦る手の甲には、雨も降っていないのに水滴が付いていて、自分が泣いていることに気がついた。


 たどり着いた街で、僕は幼い身の上を憐れんでくれたのだろう人の良さそうな家族に小姓として雇われた。連れて行かれたお屋敷は立派で、どうやら貴族家だったらしい。

 屋敷のお嬢さんの身なりを整える仕事の最中、鏡で見た自分の容姿を思い出した。黒髪に紅の瞳はとても珍しい組み合わせで、『勇者の色』だった。


 何年も、僕はそこで小姓としてお嬢さんにお仕えした。視界にはほとんど常に彼女がいた。小姓として身近にお仕えしているのだから当然かもしれないが、それにしたって熱心に僕は彼女を見つめていた。お嬢さんとは言っているが、彼女は僕よりも随分年上の女性だった。

 読み書きや礼儀作法はお嬢さんが学ぶのを間近で見て覚えた。お嬢さんは活発な人で武芸にも通じており、その相手も務めた。初めは打たれるばかりだったのが、それでは面白くないからと彼女と共に剣術を学ぶ機会を得た。

 暇さえあれば熱心に稽古していた。炎に包まれた故郷のことがあったからだろうか。


 成人を迎えた年、街は魔獣の攻撃を受けた。突然の出来事だった。

 狂ったように暴れる魔獣に防壁は敢え無く突破され、街はあっという間に蹂躙された。

 街へ出た帰り道だった僕は、魔物に襲われながらも必死で館に逃げ戻った。そしてお嬢さんを見つけ出して彼女と共に逃げようとし――突然彼女に突き飛ばされた。

 もうもうと立ち上がる砂埃と瓦礫の中を転がって、立ち上がったとき目に映ったのは、胸から下が崩れた瓦礫の下敷きになったお嬢さんだった。慌てて駆け寄り助け出そうとしたけど、お嬢さんの口が何やら動いて、血を吐き、動かなくなった。


 僕は地面にへたり込んだまま、地面を見つめたまま、ぱたぱたと雫がいくつも地面に吸われるのを見ていた。やがて顔を上げ、お嬢さんに頭を下げて、僕はそこから駆け出した。向かった先は金庫で、従者として預かっていた鍵を取り出し手早く金庫の中から金貨や宝石など、金目のものを片っ端から服の中にねじ込みはじめた。

 火事場泥棒かよ……! ふざけんな! と思った。勇者がそんなことするのか!?

 めぼしいものを盗り終えると、僕はそのまま逃げ出した。館を出て、瓦礫の下敷きになったお嬢さんも、魔物に襲われる街も見捨てて、最初の時と同じ様に、たった1人で。

 走って、走って、走り続けて、やがて日が沈みかけた頃、隣の街の外壁らしきものが見えてきた。息も絶え絶えに倒れた僕は、外壁を守る兵士に槍を突きつけられながら、何かを叫んだ。すると兵士は顔色を変え、すぐさま外壁の内へと消え、やがてやってきた兵士に助け起こされて、僕は壁内に運ばれた。


 その後は散々だった。牢にぶち込まれ、服にねじ込んでいた財貨は全て没収された――盗品だからある意味当然だろう。僕は随分抵抗したが、抵抗した分殴られ、痛い思いをしただけだった。……僕は何を訴えていたんだろう。宝を返せか、それとも……ひょっとしたら、街を助けて、……だったのだろうか。

 たっぷり3日は過ぎただろう頃に、僕は独房から引きずり出され、街中へと放り出された。僕を放り出した兵士は嫌な顔で笑いながら、何かを僕に告げた。それが何かは聞こえなかったけれど、きっと碌でもないことだった。


 無一文で見知らぬ街に放り出された僕は何かを探すように街を彷徨い、街外れの鍛冶屋へとたどり着き――そこで意識を失った。

 目覚めたのは、見知らぬ部屋の寝台だった。

 少し経ってから様子を見に来てくれたのは、優しげな雰囲気の女性だった。彼女を前に、僕は腰のベルトを解体し、中に仕込まれていた高額硬貨の白金貨を取り出した。いつの間にそんなところに財貨を隠していたのかと呆れたが、僕はその硬貨を使い、彼女から一振りの剣を買い取った。辿り着いた彼女の家は武器屋で、その父親は腕の良い鍛冶士だったらしい。


 僕が立派な剣を手にしたところで、周囲の空気が一気に変わった。流石に何度か経験したら、分かる。魔物の襲撃だ。今度はこの街が、魔物に襲われるのだ。

 僕は剣を下げたまま、街を走った。また逃げるのかと思った。幸い行く手にはほとんど魔物は現れず、外壁の門まであと少しというところまでやってこれた。そして、そこで強敵と対峙した。

 1人で逃げようとするからそういう目に遭うんだ! と自分に話しかける。返事は勿論返って来ない。剣を構えて魔物と向き合い、僕は魔物を一太刀で切り伏せた。びっくりするほど良く切れる剣だった。何しろ切った本人が誰よりも驚いていた。


 その魔物を倒したことが切っ掛けだったのか。街を襲っていた魔物は統率を失い、乱れ、魔物と相対していた勇敢な人々の手で1体ずつ倒され、追われていった。


 僕はやってきた兵士に再び捕らえられた。拘束こそされなかったし、今度の部屋は豪勢な部屋ではあったが、入口にも見張りの付く厳重さで拘束された。

 立派な服の領主と思しき人と対面もした。礼法に則りつつ、僕は何かを訴えたが、彼は初めは沈痛な顔をし、最後には晴れやかな顔で親しげに僕の肩を叩き――それで終わった。男の前から辞した自分の足取りは重かった。

 翌日、僕は兵士によって馬車へと移され、そのままどこかへ護送された。


 連れて行かれた先は、王都だった。

 兵士から兵士へ、やがて役人だろう立派な服装の人達へと引き継がれていき、最終的には王の御前に引き出された。

 ここで僕は勇者伝説を思い出した。

 そう言えば、勇者は魔物を退治し名を上げた後王都に招かれ、魔王退治を依頼され引き受けるのだと。

 僕はどうやら断ろうとして、けれど同行者として紹介された1人を見て目を奪われた。

 どことなく、お嬢さんの面影を感じさせられるその女性の衣装を見てすぐに気付いた。聖女だ。

 聖女の横には男性の剣士と魔法使いも居たけれど、僕が見ていたのは聖女だけだった。どうやら聖女に恋した僕は、王からの依頼を快諾したようだった。


 旅は困難が多かった。

 一番の問題は勇者たる僕だった。

 立ち寄る街立ち寄る街、そのことごとくで勇者は街娘に恋をした。目が可愛い女性に引き寄せられて、ついでにトラブルも引き寄せた。それを1つずつ解決して、――街を去るときには、女性の横には別の男性の姿があるのが常だった。

 僕はトラブルにはモテるけど女性にはとことんモテなかった。


 仲間達にも散々呆れられ、聖女からの態度はそれなりに冷たかった。唯一魔法使いの少年だけは、何かあるたびに愚痴を聞いてくれていた。非モテの陰キャ同士気が合ったのかも知れない。途中からは街を旅立った直後――つまり、勇者が女性に振られた後の野営の定番になっていた感さえあった。嬉しそうに話を聞く魔法使い君はなかなか性格に難有りだなと思った。そんなに僕がふられたの嬉しいのか? いやまぁ、分かる。仲間が卒業しなかったら安堵するし嬉しいよな、うん。


 最後の最後。魔王と対峙した時には、僕は魔王にも恋をした。魔王は美しい女性だったからまぁ順当だった。

 しかし魔王だったので、当然そのまま戦いになった。戦いは長引き、何日にもわたるものとなった。僕の一途な思いに絆されて、魔王は最後に自分から男に命を差し出した。魔王も長い戦いで疲弊していたのだ。嘘のような本当の話だ。


 魔王――恋した女性を自分の手で殺してしまい意気消沈する僕だったが、魔王を倒した功績は本物だ。王国に4人で凱旋し、それでは改めて旅の最初に惚れた聖女と思いを遂げようと、凱旋パーティで聖女を呼び出したが当然聖女は僕の所業を全部見ている。聖女は僕との話の後笑顔で立ち去り、やがて剣士と結ばれた。共に旅する間に思いを育てていたようだった。つまり僕はここでも振られた。


 勇者として祭り上げられ、人からは賞賛されるけれど、顔が売れすぎて街には行けなくなった。王城で拘束され、一切の自由がなくなった。

 ……それからしばらくして、布令が出された。魔王を下した功績により、勇者を王女の婚約者にする、と。


 王配として必要な最低限の教育が急ピッチで行われることになった。缶詰すぎる缶詰だった。基本的な教育はなされていたがあくまでも従者としての基礎的なものだ。僕は朝から晩まで寝る間も惜しんで礼儀作法をはじめ、国の歴史や周辺諸国との関係から経済まで必要な知識を詰め込まれた。そうして頭がクラクラしている間に婚約式も結婚式も終わっていた。


 王女は美しい人だった。そして、立派な人だった。

 常に凜とした眼差しで未来を見据え、屈することなく、諦めることのない人だった。

 まぶしすぎて、僕は王女から目を逸らした。恋することなど出来なかった。そんな思いを向けられるような相手ではなかった。

 彼女の横で僕は死ぬまで必死で生きた。


 僕は――勇者は、不器用な男だった。平凡で善良な男だった。

 勇者の旅路の功績は仲間と共に成したものだったし、王として成したことは大半が妻の成したことだった。




 見た夢の内容をざっとメモ書き用のノートにまとめてから、僕は溜息をついた。

 一人称視点の記録映画のような夢だった。

 視覚と触覚はあった。嗅覚も味覚も。痛みさえも。けれど聴覚だけが欠け落ちていた。

 前世の記憶だとしたら、随分と欠けた記憶だ。


 切っ掛けはやっぱり、昨日母さんから聞いた話だろう。隣の家のアンナ姉ちゃんの結婚話だ。振られがきっかけだなんて、実に自分勇者らしいじゃないか。


 幼馴染みで3つ年上のアンナ姉ちゃんは、僕の憧れの人で初恋の人だった。小さい頃にプロポーズして、姉ちゃんからは「大人になっても私のことが好きだったら結婚してあげてもいいよ」と返事を貰った。僕が5歳で彼女が8歳のときのことだ。

 以来ずっと、僕は彼女が好きだった。誕生日のプレゼントもかかしたことはなかった。明後日には15歳で成人だ。成人したら大人で、彼女の出した条件を満たせる。そしたら改めてプロポーズだ! ……と思っていた矢先のことだった。

 姉ちゃんの結婚式は僕の成人式の翌日だそうだ。かなり前から結婚を前提としてお付き合いしていたらしい

 そんな人が居たなんて、昨日まで知らなかった。……両親は知っていたらしい。

 知らないのは僕だけだった。


 ペンを仕舞って仕事に戻る。

 僕の家は薬屋だ。家業は小さな頃から手伝ってきた。調薬は10歳から仕込まれて今では一応一人前の仕事が出来る。難しい薬は父さんが、売場の整理や会計は母さんが、比較的難易度の低い薬の量産は僕が、今はそれぞれ担当して店を回していた。

 トントンと薬草を刻んでから、すり鉢に。ごくごく微量の魔力を込めながら丁寧にすりこぎで擦ってペースト状に。熱を入れると飛んでしまう成分もあるから、きちんと消毒した平容器にそのまま詰めて塗り薬の出来上がり。これが当店の売れ筋薬だ。3種の薬草を配合していて、軽度の切り傷に最適の傷薬。簡単な解毒もしてくれるので、傷を洗えないときでも化膿を防いでくれる優れものだ。


 あー、癒やされる。地道な作業、大好きー……。もう何も考えずこうしてずーっと調薬してたーい……。


 僕の前世が勇者とか、なにかの間違いじゃなかろうか。

 平凡を地で行く顔と背丈と体格に、学業も剣術も全部平均値の平凡だぞ。

 ごくごく普通に、恋した人と結ばれて、店を継いで、のんびり生きていく――予定だったのに。


 夢を思い出す。

 たくさんの恋をして、失恋して、それを繰り返して、最後はただ1人恋しなかった人と結ばれた。

 今世がどうなるのかは分からないけれど、思い描いていた未来がもう望めないことだけはわかった。

 人生設計、やり直さなきゃ。




 翌日の成人式は順当に終わった。

 学校卒業後久しぶりで顔を合わせる友人たちとは、まったり今後の予定を話した。僕は話しに加わりつつも、デカい予定変更があったから全体的に言葉は濁して誤魔化すように笑ってた。

 しかも今日家を出る前に母さんから「あんた、その服明日の結婚式でも着るんだから汚すんじゃないわよ」と言われた。僕、この服を着て明日のアンナ姉ちゃんの結婚式にも出るらしいよ。出席すること自体その時初めて知ったんだけどね!


 姉ちゃんの嫁入り先は武器屋だってさ。なんでも、勇者が終生愛用した剣を売った伝説の武器屋だそうだ。その血を継いだ婿さんはすごく優秀な鍛冶士で、王都の鍛冶士の大会の優勝者だそうだ。ようやく情報解禁されたとばかりに、昨夜母さんから聞かされた。

 婿さんは腕前もだけど顔もイケメンで、有名人でモテる人。結婚相手は嫌がらせされる恐れがあったから、ギリギリまで情報を伏せてたらしい。冗談みたいな話だなと思ったけど、母さんが姉ちゃんから借りて来た婿さんの受賞時の雑誌の記事に載っていた写真では、確かにめちゃくちゃイケメンだった。

 武器屋の末裔がこんなイケメンで、勇者の生まれ変わりの僕がこんな平凡……ちょっとだけ理不尽を感じる……。




 アンナ姉ちゃんの結婚式は隣町で行われた。盛大な結婚式だった。姉ちゃんは綺麗なドレスに身を包んで、婿さんは立派な衣装に身を包み、腰にはすごい剣を下げていた。なんでも、素材にもこだわった勇者の剣のレプリカで、彼の家の家宝だそうだ。


 高らかに鳴らされる鐘の音と共に始まった式は、式のクライマックス、誓いの言葉を交わし合う寸前に狂いだした。

 2人の前に1人の女が飛び出したのだ。

 皆死んじゃえと狂ったようにわめきちらした女は、鞄から取りだした角笛を吹いた。

 何の音も鳴らないそれに、周囲の人は笑いながら女を抑え、連行した。女の口が歪に笑っていたのに気がついたのは僕だけだった。その笛の正体を知っていたのも。

 血の気が引いた。全部壊したと思っていたのに残っていたなんて。

 魔笛。魔物を寄せる魔道具だ。

 魔物にだけ聞こえる不快な音で魔物を寄せる。その効果範囲は非常に広い。勇者として旅する最中に何度かその笛の被害にあった街に寄ったり助けたりしたけれど、どの街も悲惨なことになっていた。

 ……――僕の生まれた街も、育った街も、あの笛のせいで滅びた。


「逃げて! みんな! 逃げて! 急いで!!!」


 突然叫びだした僕に、みんなが驚き、それから笑った。アンナ姉ちゃんは僕を見て泣いた。私の結婚式よ、祝ってくれないの? と婿さんの胸に顔を埋めた。婿さんはそんな姉ちゃんを庇うように抱きしめて僕を睨んだ。父さんに羽交い締めにされ母さんには口を塞がれた。


 その直後、遠くから悲鳴が聞こえてきた。あっという間にそれは近づき、会場に魔物が乱入した。


 悲鳴と怒声と血しぶきが交差した。逃げようとする人が出入り口に殺到し、折り重なって倒れていく。子供の泣き声が響く。姉ちゃんと婿さんは2人で揃って腰を抜かして祭壇の前に座り込んでた。その眼前に、魔物が迫った。


 避難させようと僕の体を引きずる両親を振りほどく。2人の元へ駆け寄って、婿さんの腰から剣を奪った。「それは……!」と奪い返そうとする彼を突き放し、アンナ姉ちゃんを庇うように僕は魔物の前に立った。


 足が震える。手も震えている。怖くて怖くてたまらない。

 暴力は嫌いだし、喧嘩だってしたことない。アンナ姉ちゃんに結婚してって言ったのだって、姉ちゃんが僕をいじめっ子から守ってくれた時だった。

 魔物となんて戦ったことはない。剣術も体術も成績は平均よりちょっと低くて、学業の成績でようやく全部の平均がど真ん中なのが僕だ。――今世の、僕だ。


 姉ちゃんは婿さんを抱きしめていた。庇うみたいに。

 婿さんは震えて姉ちゃんにしがみ付いていた。まるで小さい頃の僕みたいに。


 それをちらりと横目で見て、ああ姉ちゃんはやっぱり僕の恋した人だ、と思った。

 たくさんの人の顔が目の前を過った。たくさんの、僕が恋した人の顔だ。どの人もみんな優しくて強かった。そして最後に、姫様の顔が思い浮かんだ。もっとも、姫様なんて言ったら怒られちゃうんだけど。彼女は僕がそう呼ぶことが好きじゃなかった。なんで知ってるかって? 最後の方は、人の声は聞こえないなりに、多少は唇を読んだりできるようになってたんだよ。

 思い浮かんだ彼女の顔はもうしわくちゃのおばあちゃんで、僕が病に倒れた死の間際に、僕の頭をそっと撫でた時の顔だった。


 力を込めて、剣を握った。両手で柄を握りしめて、正眼に構えた。


 僕は勇者の生まれ変わりだ。彼の記憶を継ぐ者だ。だからと言って特別な能力があるわけじゃない。勇者だって、勇者と呼ばれてはいたけれど、特別な力があった人じゃない。大変に不運で幸運な、ただの平凡な男だった。


 それでも。


 牙を剥き襲いかかってきた魔物に剣を振るう。その切っ先が正確に魔物の弱点を抉り斬り裂いた。咆吼が上がり、地響きを立てて地面に落ちた魔物を認め、僕はそのまま走り出した。

 人に襲いかかる魔物達を一匹ずつ丁寧に屠っていく。勇者は平凡だった。共に戦った剣士の様な技は使えないし、聖女の様な癒やしも使えないし、魔法使いの様な強い魔法だってご縁がない。だから、弱点をついて戦った。沢山の魔物と戦い、学び、研究した。

 街の自警団がやって来た頃には、式場に入り込んだ魔物をあらかた屠った後だった。

 着ていた服は返り血で真っ赤に染まり、動きにくい礼服で無理矢理動いたからだろう、あちらこちらが裂けていた。


「っはー……」


 血まみれの服の袖で汗を拭った。全身がべたべたして気持ち悪い。体も、無理して動かしたからギシギシしている。


「お、おま、おまえ……」

「剣、ありがとう。助かった」


 声を掛けてきた婿さんに剣を返した。婿さんもなんだかんだで血まみれだった。

 いやほんと、助かった。記憶の中にある通りの剣だったのが大きかった。流石は伝説の剣のレプリカ。


「だ、だいじょうぶ、なの……?」

「……うん、ちょっと、さすがに、……だめ、かも……」


 アンナ姉ちゃんに声を掛けられて、限界がきた。記憶はあるけど、体は違う。無理矢理イメージ通りに動かして、動かないのも無理矢理どうにかしていたから、体が芯からズタボロだった。

 僕はそのまま倒れて、気を失った。




 倒れた僕は熱を出してそのまま寝込んだ。体中の筋繊維が断裂し、翌日から痛みにのたうち回ることになった。つまるところ、凄まじい筋肉痛だ。寝たきりでトイレにさえも立てなかったからとはいえ、母が大笑いしながら大人用のおむつを引っ張り出してきたときには殺意を覚えた。薬屋って、こういうときに用意が万端過ぎて嫌になるよね! 大人しくされるがままになるしかないくらいには消耗していたので大人しくされるがままになった。

 人生には時に諦めも肝心だ……。軽く死にたくなったけど。


 筋肉痛が完全に癒えるのに、結局、5日ほど時間がかかった。

 その間、家には色んな人が来た。近所の常連さんとか、婿さんちの人とか。

 常連さんはお見舞いで。弱いんだからそういう時はすぐに逃げなきゃ駄目だよって叱られた。

 婿さんちは、婿さんが「魔物を倒したのは自分だ」と言ったから口裏合わせてくれってお願いされた。お菓子や果物と一緒に少なくないお金が差し入れられ、それらは親の懐に消えた。

 魔物の血がついた剣を婿さんに返したあと、婿さんはそれをみんなに見せて自分が倒したって嘘吐いたらしい。会場は魔物でパニックで死傷者も多かったし、婿さんの言葉をそのまま信じた人は多かったそうだ。

 すこしだけ呆れてから、いいですよ、と了解した。

 僕の家はしがない薬屋で、荒事とは無縁だからね。

 両親も「どうせお前、初恋の子に最後に良いとこ見せたくて火事場の馬鹿力でも出たんでしょ」って笑ってたし、もうそういうことにしといた方が、四方八方収まって良いかなって。


 アンナ姉ちゃんは次の日に謝りに来た。でも彼女も本当の事を明らかにしようとは言わなかった。

 「気にしてないよ」と笑って彼女の背中を見送った。




 筋肉痛が治ってから少し経った頃、なぜか僕は、王宮に招待された。

 もちろん親はパニックだ。招待されても礼服がないので断ろうとしたらなんと礼服を差し入れられた。成人式で着たものより遙かに立派な服だった。

 特になにか悪いことをした覚えはないけれど、一体どうしてこうなった?


 連れて行かれた先に居たのは末の王女様だった。確か今年で15歳。

 気さくなお人柄で、国民にも人気がある。美しい亜麻色の髪を簡素に結い上げ、質素なドレスを身にまとっていた。けれど飾り気のないその装いが、よけいに彼女の素の美しさを際立たせていた。


 取りあえず、無礼にならないように礼をした。片膝を立て、もう片方は床に付き、立てた膝に逆手を乗せてもう片方を胸に当て、軽く頭を前傾させる。そうしたら、王女様が笑ったような気配がした。


「お呼びと伺い参上致しました、王女殿下」

「随分と古風な礼法をご存知なのね」


 古風。えっ、古風なのこれ。っていうか礼法に古風とかあるのか? だってこれ、――……夢の中で知ったこと、だ。……そうか、100年前の知識だった。

 どう返答したら良いか迷っていると、なんと王女様が僕の前に跪いた。「顔を上げて下さい」と言われて顔を上げたら、彼女の目と、目があった。


「あの時、助けてくださってありがとうございました」

「……あの時? 助け……?」

「覚えていないの? まぁわたくしも変装していましたけどね」

「……変装?」

「どうしても、勇者の剣が見たくて。わたくし、あの会場に忍び込んでいましたの」


 奇妙な既視感に襲われた。ずっと昔にも、似たようなことがあったような気がした。

 彼女はずっと変装していたのだ。だから僕は、彼女に『恋をしなかった』。


「また、男装してたんですか?」

「また?」


 何かを納得したように、彼女が笑った。ひどく既視感のある表情だった。


「姫様……?」

「その呼び方は止めてと言いました。結局終生、止めてくれませんでしたが」


 懐かしさで吐きそうだ。胃が引き絞られるような錯覚を覚えた。

 ちょっと待って。これは予想していなかった。


 思い描いていた未来はもう望めないとは思っていた。だって、彼女を思い出してしまったから。

 出会いは割と最悪で、僕は彼女の横にいた聖女に恋をした。彼女のことは女性と認識していなかった。だって男装してたんだ。旅の仲間の魔法使いとして!


 人生設計、やり直さないとな――とは思っていたけど、こんな早くに更なるやり直しを求められるなんて!

 僕、これからゆっくり、君の事を探す予定だったんだが!?


 目の前には、嬉しそうに笑う人が居る。姿も顔も違うけれど、こうして見ればやっぱり彼女だ。

 あの旅路でもそうだった。初まりから終わりまで彼女に恋はしなかったけれど、いつだって一番近くに居てくれた。

 出会ってしまえば、もう逃れることなんて出来やしない。


 当たり前のように差し出される手を、複雑な心境で眺める。

 諦めにも似た溜息を一つこぼして、僕は彼女の手を取った。


 顔が笑ってしまってたことには、気がつかないふりをしながら。

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