失恋まみれの平凡勇者、転生する
ふうこ
✎..........
夢を見た。
初恋の人だった近所のお姉さんが結婚する話を、母から聞かされた夜のことだ。
布団を被って泣いて、泣きつかれていつの間にか眠った末に見た夢だった。
夢の中で、僕は『勇者』だった。
勇者とは、『救国の勇者伝説』の『主人公』だ。100年ほど前に魔王を倒して国を救い、その後王女と結婚して国を継ぎ現在の繁栄の礎を築いたとされている。現在にも続く立憲君主制の基礎を作ったことでも知られていて、学校でも必ず彼の業績の数々を習うし、この国に生まれた子はだれだって小さい頃から勇者伝説を寝物語に聞かされて育つ。
魔王を倒すまでも各地を旅し、苦しむ人や弱き人を助けて回った。いつだって民衆に寄り添い悪を許さず世を正す正義のスーパーヒーローだ。
そう認識していたんだけど。
夢の初め、僕は泥だらけで地面を這いつくばっていた。振り向けばそこには炎に包まれる生まれ街があって、振り向きつつ遠ざかる炎に、僕はそこから逃げてきたのだということが分かった。小さな手足を必死で動かした。たまに顔を擦る手のひらには雨も降っていないのに水滴が付いていて、自分が泣いていることに気がついた。
音のない夢だった。ただ感触はいやというほどリアルだった。そして自分の意思で身動きすることはできなかった。
たどり着いた街で、僕は同じ様に逃げて来たらしき人達に混ざって仕事を探した。
幸い、幼い身の上を憐れんでくれたのだろう人の良さそうな家族に引き取られ、小姓として働けることになった。連れて行かれたお屋敷は立派で、どうやら貴族家だったらしい。お嬢さんの世話係として身の回りのお世話や勉強のお手伝いをするようになった。
それから間もなく、偶然、地図を見る機会に恵まれた。それによれば、街の名前は勇者の故郷とされる今は滅びた街だった。
お嬢さんのお世話の最中、鏡で見た自分の容姿を思い出した。黒髪に紅の瞳はとても珍しい組み合わせで、『勇者の色』だった。『ああ、僕は勇者だ』とその時分かった。
何年も、僕はそこで小姓としてお嬢さんにお仕えして過ごした。視界にはほとんど常にと言って良いほど彼女がいた。小姓として身近にお仕えしているのだから当然かもしれないが、それにしたって熱心に僕は彼女を見つめていた。お嬢さんとは言っているが、彼女は僕よりも随分年上の女性で、10以上は離れていただろう。
文字の読み書きも礼儀作法もお嬢さんから教わった。どうやら覚えは悪くなかったようで、度々頭を撫でられ褒められた。お嬢さんは活発なお人で武芸にも通じており、その相手も務めさせられた。初めは禄に戦えなかったが、お嬢さんの手ほどきで剣術を覚え、やがて館では一番の腕になった。暇さえあれば熱心に稽古していたのは、炎に包まれた故郷のことがあったからだろうか。
成人を迎えた年、熱心な働きが認められ、金庫の鍵の場所を教えて貰えるまでになった。旦那様から肩をつかまれ、真剣な眼差しで何かを語り掛けられた。内容は分からなかったけれど最後に頭を下げていたから、何かを頼まれたのかもしれない。
それから間もなくして、街は魔獣の攻撃を受けた。狂ったように駆ける魔獣に街の防壁が突破され、運悪く昼の迫る食事時で各家が火を使っていたことも災いし、方々から火の手が上がった。
僕は街へお使いに出ていた帰り道だった。魔物に襲われたが必死で館に逃げ戻り、恐らくはお嬢さんか武器を探して館の中を歩き回り――突然横から突き飛ばされた。
もうもうと立ち上がる砂埃と瓦礫の中を転がって、立ち上がったとき目の前にいたのは、胸から下が崩れた瓦礫の下敷きになったお嬢さんだった。慌てて駆け寄ろうとしたけど、お嬢さんの口が何やら動いて、血を吐いた。
僕は地面にへたり込んだまま、地面を見つめたまま、ぱたぱたと雫がいくつも地面に吸われるのを見ていた。やがて顔を上げ、力なく微笑むお嬢さんに頭を下げて、僕はそこから駆け出した。向かった先は金庫で、鍵を取り出し手早く金庫の中から金貨や宝石など、金目のものを片っ端から服の中にねじ込みはじめた。
火事場泥棒かよ……! ふざけんな! と思った。勇者がそんなことするのか!?
めぼしいものを盗り終えると、僕はそのまま逃げ出した。館を出て、瓦礫の下敷きになったお嬢さんも、魔物に襲われる街も見捨てて、最初の時と同じ様に、たった1人で。
走って、走って、肺が悲鳴を上げても、ひたすらに走り続けた。やがて日が沈みかけた頃、隣の町の城壁らしきものが見えてきた。息も絶え絶えに倒れた僕は、城壁を守る兵士に槍を突きつけられながら、何かを叫んだ。すると兵士は顔色を変え、すぐさま城壁の内へと消え、やがてやってきた兵士に助け起こされて、僕は城壁内に運ばれた。その後すぐに、跳ね橋が上げられた。
その後は散々だった。服にねじ込んでいた財貨は全て没収された――盗品だからある意味当然だろう。僕は随分抵抗したが、抵抗した分殴られ、痛い思いをしただけだった。
一通り尋問され、最後は兵舎のような場所に連れて行かれ、独房に入れられた。
格子にしがみ付いて叫ぶ僕は、度々兵士に折檻された。何を訴えてるんだろうなぁ、宝を返せか、それとも……ひょっとしたら、街を助けて、……だったのだろうか。
たっぷり3日は過ぎただろう頃に、僕は独房から引きずり出され、街中へと放り出された。僕を放り出した兵士は嫌な顔で笑いながら、何かを僕に告げた。それが何かは聞こえなかったけれど、きっと碌でもないことだった。
無一文で見知らぬ街に放り出され何かを探しながら歩いてた僕は、やがて街外れへとたどり着いた。そこにあった立派な建屋に足を踏み入れれば、びっくりするほどの熱気に襲われた。鍛冶屋だ、と気付いた時、僕は背後を振り向いた。そこには、どこか懐かしい気配のする女性が1人。どうやらこの鍛冶屋で顧客との交渉を担当しているらしい。
明るい表情の女性だった。
僕はその女性に縋った。縋りながら、倒れて、意識を失った。
目覚めたのは、見知らぬ部屋の寝台だった。
少し経ってから様子を見に来てくれた女性を前に、僕は腰のベルトを解体し、中に仕込まれていた高額硬貨の白金貨を取り出した。いつの間にそんなところに財貨を隠していたのかと呆れたが、僕はその硬貨を使い、彼女から一振りの剣を買い取った。彼女の父親に土下座までして。
……女性の興味でも引きたかったのだろうか。不釣り合いなほど立派な剣を腰に下げた僕を、僕は白けた気持ちで見ていた。
僕は気がついていなかったけれど、目の端に引っかかった光景で、女性は男と会っていた。どう見ても逢瀬だった。つまり恋人がいる。
瓦礫の下敷きになった恋する人を見捨てて逃げ出して、その先でも恋をして、それも破れるのか。なんだかな、ざまぁみろ、……なんだろうか。
僕が立派な剣を手にしたところで、今度はその街が魔物に襲われた。周囲の空気が一気に変わった。流石に何度か経験したら、分かる。魔物の襲撃だ。
僕は剣を下げたまま、街を走った。また逃げるのかと思った。幸い行く手にはほとんど魔物は現れず、城壁の門まであと少しというところまでやってこれた。そして、そこで強敵と対峙した。
1人で逃げようとするからそういう目に遭うんだ! と自分に話しかける。返事は勿論返って来ない。剣を構えて魔物と向き合い、僕は魔物を一太刀で切り伏せた。びっくりするほど良く切れる剣だった。何しろ切った本人が誰よりも驚いていた。
その魔物を倒したことが切っ掛けだったのか。街を襲っていた魔物は統率を失い、乱れ、魔物と相対していた勇敢な人々の手で1体ずつ倒されたり、追われたりしていった。
僕はやってきた兵士に再び捕らえられた。拘束こそされなかったし、今度の部屋は豪勢な部屋ではあったが、入口にも見張りの付く厳重さで拘束された。
立派な服の恐らくは領主と思しき人と対面もさせられた。礼法に則り礼をしつつ、僕は何かを訴えたが、彼は初めは沈痛な顔をし、最後には晴れやかな顔で親しげに僕の肩を叩き――それで終わった。男の前から辞した自分の足取りは重かった。
翌日、僕は兵士によって馬車へと移され、そのままどこかへ護送された。
連れて行かれた先は、王都だった。
兵士から兵士へと引き継がれ、兵士からは役人だろうか立派な服装の人達へと次から次へと渡されていき、最終的には王の御前に引き出された。
ここで僕は勇者伝説を思い出した。
そう言えば、勇者は魔物を退治し名を上げた後王都に招かれ、魔王退治を依頼され引き受けるのだと。
僕はどうやら断ろうとして、けれど同行者として紹介された1人を見て目を奪われた。
どことなく、お嬢さんの面影を感じさせられるその女性の衣装を見てすぐに気付いた。聖女だ。
聖女の横には男性の剣士と魔法使いも居たけれど、僕が見ていたのは聖女だけだった。どうやら聖女に恋した僕は、王からの依頼を快諾したようだった。
旅は困難が多かった。
一番の問題は勇者たる僕だった。
立ち寄る街立ち寄る街、そのことごとくで勇者は街娘に恋をした。目が可愛い女性に引き寄せられて、ついでにトラブルも引き寄せた。それを1つずつ解決して、――街を去るときには、女性の横には別の男性の姿があるのが常だった。
え? なんで? そこは勇者に惚れるとこじゃないの?
僕はトラブルにはモテるけど女性にはとことんモテなかった。
仲間達にも散々呆れられ、聖女からの態度はそれなりに冷たかった。唯一魔法使いの少年だけは多少の共感があるらしく、何かあるたびに愚痴を聞いてくれていた。非モテの陰キャ同士気が合ったのかも知れない。途中からは勇者が女性に振られた後の野営の定番になっていた感さえあった。嬉しそうに話を聞く魔法使い君はなかなか性格に難有りだなと思った。そんなに僕がふられたの嬉しいのか? いやまぁ、分かる。仲間が卒業しなかったら安堵するし嬉しいよな、うん。
最後の最後、魔王と対峙した時には、止めとばかりに、僕は魔王にも恋をした。魔王は美しい女性だったからまぁ順当だった。
しかし魔王だったので、当然そのまま戦いになった。戦いは長引き、何日にもわたるものとなった。僕の一途な思いに絆されて、魔王は最後に自分から男に命を差し出した。魔王も長い戦いで疲弊していたのだ。嘘のような本当の話だ。
魔王――恋した女性を自分の手で殺してしまい意気消沈する僕だったが、魔王を倒した功績は本物だ。王国に4人で凱旋し、それでは改めて旅の最初に惚れた聖女と思いを遂げようと、凱旋パーティで聖女を呼び出したが当然聖女は僕の所業を全部見ている。なびくわけがない。聖女は僕との話の後笑顔で別れ、そのまま剣士と結ばれた。共に旅する間に思いを育てていたようだった。つまり僕はここでも振られた。
勇者として祭り上げられ、人からは賞賛されるけれど、顔が売れすぎて街には行けなくなった。王城で拘束され、一切の自由がなくなった。……それからしばらくして、なにやら布令が出された。勇者が魔王を下した功績で王女の婚約者になった、と。
流石の僕もどういうことかと部屋付の人に食ってかかっていた。だって完全に事後承諾だ。公布された内容で初めて知ったんだけど! 当事者なのに! ひょっとしたら口頭で言われていたかも知れないが!
当然、王配として必要な最低限の教育が急ピッチで行われることになった。缶詰すぎる缶詰だった。そりゃもう詰めに詰められた。勉強なんて禄にしたことがなかった僕は朝から晩まで寝る間も惜しんで礼儀作法をはじめ、国の歴史や周辺諸国との関係から経済まで必要な知識を詰め込まれた。そうして頭がクラクラしている間に婚約式も結婚式も行われた。
王女は美しい人だった。そして、立派な人だった。
常に凜とした眼差しで未来を見据え、屈することなく、諦めることのない人だった。
まぶしすぎて、僕は王女から目を逸らした。恋することなど出来なかった。そんな思いを向けられるような相手ではなかった。
彼女の横で僕は死ぬまで必死で生きた。誰からも侮蔑の眼差しを向けられないように、彼女の足かせとならないように、彼女がただ、彼女らしく笑える世界を作れるように。
僕は――勇者は、不器用な男だった。
別段優れたところもなかった。
勇者としての旅路の討伐の功績は殆どが仲間によるものだったし、王となってから成したことも殆どが妻の成したことだった。
一人称視点の記録映画のような夢だ。起こった出来事を淡々と見せられていったが、彼の感情は最後まで何も分からなかった。
何しろ最初から最後まで無音だったのだ。僕は、勇者の声を、最初から最後まで結局聞く事はできなかった。
視覚と触覚はあった。嗅覚も味覚も。けれど聴覚だけが欠け落ちていた。
けれど、あれは過去に実際にあったことだ。記憶だ。そういう確かな実感があった。夢の中で学んだこと得たことはしっかり頭に馴染んでいた。
誰にも言えない。
見た夢の内容をざっとメモ書き用のノートにまとめてから、僕は溜息をつきながら顔を上げた。
相手の女の数、両手両足の指じゃ足りないぞ。こんなのただの惚れっぽいアホじゃないか。
そしてこの男がまさか自分の前世だなんて。
目覚めた時は大変だった。顔が涙と鼻水でボロボロで、気付かずそんな顔のまま現れた息子に母は「げっ」と呻いて手元にあったタオルを投げつけてきたくらいだ。さっさと顔を洗っといでと怒鳴られた。
切っ掛けはなんだろうなぁ、とペンを指先でくるくる回した。
やっぱり昨日母さんから聞いた話がそうだろうか。隣の家のアンナ姉ちゃんの結婚話だ。
幼馴染みで3つ年上のアンナ姉ちゃんは、僕の憧れの人で初恋の人だ。小さい頃にプロポーズぶちかまして、姉ちゃんからは「大人になっても私のことが好きだったら結婚してあげてもいいよ」と返事を貰った。僕が5歳で彼女が8歳のときのことだ。
以来ずっと、僕は彼女が好きだった。誕生日のプレゼントもかかしたことはなかった。明日には15歳で成人だ。成人したら大人で、彼女の出した条件を満たせる。そしたら改めてプロポーズだ! ……と思っていた矢先のことだったのだ。結婚式は成人式の翌日だってさ。お相手は隣町の商家で、姉ちゃん的には玉の輿らしい。姉ちゃんは美人だし気立ても良いから順当だ。
でも、そんな人が居たなんて、昨日まで知らなかった。
ペンを仕舞って仕事に戻る。学校は1週間程前に卒業した。
僕の家は薬屋で、家業は小さな頃から手伝ってきた。調薬は10歳から仕込まれて今では一応一人前の仕事が出来る。難しい薬は父さんが、売場の整理や運営は母さんが、比較的難易度の低い薬の量産は僕が、今はそれぞれ担当して店を回していた。
トントンと薬草を刻んで刻んでペースト状に。熱を入れると飛んでしまう成分もあるから、きちんと消毒した平容器にそのまま詰めて塗り薬の出来上がり。これが当店の売れ筋薬だ。3種の薬草を配合していて、軽度の切り傷に最適の傷薬。簡単な解毒もしてくれるので、傷を洗えないときでも化膿を防いでくれる優れものだ。
あー、癒やされる。地道な作業、大好きー……。もう何も考えずこうしてずーっと調薬してたーい……。
僕の前世が勇者とか、なにかの間違いじゃなかろうか。
平凡を地で行く顔と背丈と体格に、学業も剣術も体術も全部平均を絶妙に下回ったり上回ったりする平凡だ。今年の卒業生は全部で100人ちょうどだったけど、僕の順位は50位だった。
色々思い描いていたバラ色の未来は本当に僕が勝手に思い描いていただけの未来だ。
恋した人と結婚して、店を継いで、のんびり生きていく――予定だった。
夢の内容を思い出す。夢だったけど全部実体験さながらだった。
たくさんの恋をして、失恋して、それを繰り返して、最後はただ1人恋しなかった人と結ばれた。
今世がどうなるのかは分からないけれど、思い描いていた未来はもう望めないことだけはわかっていた。
人生設計、やり直さないと。
成人式は順当に終わった。
家業を継がない人でまだ就職先が決まっていない人は集まって慰め合ったり相談したりしていたし、決まっている人はそれはそれで集まってまったり今後の予定なんかを話していた。僕はそちらに加わりながら、デカい予定変更があったから全体的に言葉は濁して誤魔化すように笑ってた。初恋の人にプロポーズする予定だったのにその人は明日別の人と結婚でーす、なんて笑い話にもならないよ。
しかも今日出発する前に母さんから「あ、その服明日の結婚式でも着るんだから汚すんじゃないわよ」と言われた。僕、この服を着て明日のアンナ姉ちゃんの結婚式にも出るらしいよ。出席すること自体その時初めて知ったんだけどね!
姉ちゃんの嫁入り先は武器屋なんだってさ。なんでも、勇者が終生愛用した剣を売った伝説の武器屋で、それを打ったのもその武器屋の主人だったんだそうだ。その血を継いだ姉ちゃんの婿さんも、すごい優秀な鍛冶師で、王都の鍛冶師の大会で優勝したこともある人なんだって。ようやく情報解禁されたとばかりに、昨夜母さんから聞かされた情報だ。相手の人は腕前もだけど顔もイケメンであまりにもモテて大変だから、結婚する相手がバレると嫌がらせされたりとかして大変だから、ギリギリまで情報伏せてたらしい。冗談みたいな話だなと思ったけど、姉ちゃんから借りたんだと見せられた受賞時の雑誌の記事に載った写真は確かにめちゃくちゃイケメンだった。
武器屋の末裔がこんなイケメンで、勇者の生まれ変わりの僕がこんな平凡……ちょっとだけ理不尽を感じる……。まぁ血筋とかそんなんも関係なく、ただの生まれ変わりだからなぁ。こんなもんかな。最初の方の勇者は大分情けなかったし、……旅の途中の勇者も結構情けなかったし、旅が終わった後の勇者も割と情けないままだったけど……あれ? つまり勇者は情けない男だった? そんな馬鹿な?
アンナ姉ちゃんの結婚式は隣町で行われた。盛大な結婚式で、姉ちゃんは綺麗なドレスに身を包んで、婿さんは立派な衣装に身を包み、腰にはすごい剣を下げていた。なんでも、素材さえもこだわり抜いた勇者の剣のレプリカで、実際に勇者の剣を打った伝説の鍛冶師が打った彼の家の家宝だそうだ。滅多なことでは外に出すこともないものだそうだ。
高らかに鳴らされる鐘の音と共に始まった式は、式のクライマックス、誓いの言葉を交わし合う2人の前に1人の女が乱入したところから歪んだ方へと動き出した。
皆死んじゃえと狂ったようにわめきちらす1人の女が、角笛を吹いたのだ。
何の音も鳴らないそれに、周囲の人は笑いながら女を抑え、連行した。女の口が歪に笑っていたのに、気がついたのは僕だけだった。その笛の正体を知っていたのも僕だけだった。血の気が引いた。全部壊したと思っていたのに残っていたなんて。
それは魔物を寄せる、魔笛という名の魔道具だった。魔物にだけ聞こえる不快な音で魔物を寄せる。その範囲は非常に広い。勇者として旅する最中に何度かその笛の被害にあった街に寄ったり助けたりしたけれど、どの件でも悲惨なことになっていた。
……――僕の生まれた街も、育った街も、あの笛のせいで、滅びたんだ。
「逃げて! みんな! 逃げて!!! 急いで!!!!!」
突然叫びだした僕を、みんなが吃驚して、それから笑った。アンナ姉ちゃんは狂ったように叫びだした僕を見て泣いた。私の結婚式よ、祝ってくれないの? と婿さんの胸に顔を埋めた。婿さんはそんな姉ちゃんを庇うように抱きしめて僕を睨んだ。父さんに羽交い締めにされ母さんには口を塞がれた。
その直後、遠くから悲鳴が聞こえてきた。あっという間にそれは近づき、会場に魔物が乱入した。
悲鳴と怒声と血しぶきが交差した。逃げようとする人が出入り口に殺到し、折り重なって倒れていく。子供の泣き声が響く。姉ちゃんと婿さんは2人で揃って腰を抜かして祭壇の前に座り込んでた。その眼前に、巨大な魔物が迫った。
避難させようと僕の体を引きずる両親を振りほどく。2人の元へ駆け寄って、婿さんの腰から剣を奪った。「それは……!」と奪い返そうとする彼を突き放し、アンナ姉ちゃんを庇うように僕は魔物の前に立った。
足が震える。手も震えている。怖くて怖くてたまらない。
魔物となんて戦ったことはない。剣術も体術も成績は平均よりはちょっと低くて、学業の成績でようやく全部の平均がど真ん中なのが僕だ。暴力は嫌いだし、喧嘩だってしたことない。アンナ姉ちゃんに結婚してって言ったのだって、姉ちゃんが僕をいじめっ子から守ってくれた時だった。
姉ちゃんは婿さんを抱きしめていた。庇うみたいに。婿さんは震えて姉ちゃんにしがみ付いていた。まるで小さい頃の僕みたいに。
それをちらりと横目で見て、ああ姉ちゃんはやっぱり僕の恋した人だ、と思った。
たくさんの人の顔が目の前を過った。たくさんの、僕が恋した人の顔だ。どの人もみんな優しくて強かった。そして最後に、姫様の顔が思い浮かんだ。もっとも、姫様なんて言ったら怒られちゃうんだけど。彼女は僕がそう呼ぶことが好きじゃなかった。なんで知ってるかって? 最後の方は、人の声は聞こえないなりに、多少は唇を読んだりできるようになってたんだよ。
思い浮かんだ彼女の顔はもうしわくちゃのおばあちゃんで、僕が病に倒れた末の死の間際、僕の頭をそっと撫でた時の顔だった。
力を込めて、剣を握った。両手で柄を握りしめて、正眼に構えた。
僕は勇者の生まれ変わりだ。彼の記憶を継ぐ者だ。だからと言って特別な能力があるわけじゃない。勇者だって、勇者と呼ばれてはいたけれど、特別な力があった人じゃない。大変に不運で幸運な、ただの平凡な男だった。
それでも。
牙を剥き襲いかかってきた魔物に剣を振るう。その切っ先が正確に魔物の弱点を抉り斬り裂いた。咆吼が上がり、地響きを立てて地面に落ちた魔物を認め、僕はそのまま走り出した。
人に襲いかかる魔物達を一匹ずつ丁寧に屠っていく。僕は平凡だ。あの時共に戦った剣士の様に強くはないし、聖女の様な癒やしの技も使えないし、魔法使いの様な強い魔法だってご縁がない。だから、弱点をつく。奢らず油断せず、一匹ずつ各個撃破で倒していく。人が傷つかないように、傷つく前に、魔物を屠る。懐かしいあの日々、旅の中でしていたように。
会場の外は、街の自警団がやって来て片を付けてくれていた。結局僕が倒したのは会場で暴れた4、5匹程度だ。それでも返り血で来ていた服は真っ赤に染まり、動きにくい礼服で無理矢理動いたからだろう、あちらこちらが裂けていた。
「っはー……」
血まみれの服の袖で汗を拭った。全身がべたべたして気持ち悪い。体も、無理して動かしたからギシギシしている。
「お、おま、おまえ……」
「剣、ありがとう。助かった」
声を掛けてきた婿さんに剣を返した。いやほんと、助かった。記憶の中にある通りの剣だったのが大きかった。実に振りやすかったし使いやすかった。体が違うのを補って余りあるって感じだった。流石は伝説の剣のレプリカ。
「だ、だいじょうぶ、なの……?」
「……うん、ちょっと、さすがに、……だめ、かも……」
アンナ姉ちゃんに声を掛けられて、限界がきた。記憶はあるけど、体は違う。無理矢理イメージ通りに動かして、動かないのも無理矢理どうにかしていたから、体が芯からズタボロだった。
僕はそのまま倒れて、気を失った。
倒れた僕は熱を出してそのまま寝込んだ。体中の筋繊維が断裂し、翌日から痛みにのたうち回ることになった。つまるところ、凄まじい筋肉痛だった。寝たきりでトイレにさえも立てなかったからとはいえ、母が大笑いしながら大人用のおむつを引っ張り出してきたときには殺意を覚えた。薬屋って、こういうときに用意が万端過ぎて嫌になるよね! 大人しくされるがままになるしかないくらいには消耗していたので大人しくされるがままになった。人生には時に諦めも肝心だ……。軽く死にたくなったけど。
最初の2日は高熱でうなされた。筋肉痛が完全に癒えるのに、結局、5日ほど時間がかかった。
その間、家に色んな人が来た。近所の人とか、婿さんちの人とか。
近所の人はお見舞いで、災難だったねぇって。弱いんだからそういう時はすぐに逃げなきゃ駄目だよって怒られたりした。
婿さんちは、婿さんが「魔物を倒したのは自分だ」と吹聴したのを謝ると同時に口裏合わせてくれってお願いされ、少なくないお金と一緒にお菓子や果物を差し入れられた。婿さんちは有名な武器屋だから、本人が魔物に腰抜かしてた上、成人したばっかりの子に庇われたっていうのは外聞が悪いんだってさ。魔物の血がついた剣は婿さんにそのまま返したから、婿さんはそれをみんなに見せて自分が倒したって嘘吐いたんだって。会場は魔物でパニックで僕らのほうを見ている人は少なかったし、本当の事に気付いたのなんて僕ら家族と当事者の2人くらいだった。会場から逃げ遅れて僕が助けたのも、主には婿さんちの人だった。
すこしだけ呆れてしまったけど、いいですよ、と了解した。
僕の家はしがない薬屋で、荒事とは無縁だからね。
両親も「どうせお前、初恋の子に最後に良いとこ見せたくて火事場の馬鹿力でも出たんでしょ」って笑ってたし、もうそういうことにしといた方が、四方八方収まって良いかなって思った。
アンナ姉ちゃんはそれから少ししてから謝りに来た。ごめんなさいって。でも姉ちゃんも本当の事を明らかにしようみたいなことは言わなかったから、そういうことなんだろうなって思った。「気にしてないよ」と笑って彼女の背中を見送った。
ようやく筋肉痛が治った頃、なぜか僕は、王宮に招待された。
もちろん親はパニックだ。招待されても礼服がないので断ろうとしたらなんと礼服を差し入れられた。成人式で着たものより遙かに立派な服だった。
くれぐれも無礼のないようにと言い含められ、僕はガクガクに震えながら差し入れられた礼服を身につけて迎えの馬車に身を委ねた。気分はすっかりドナドナだ。特になにか悪いことをした覚えはないけれど、一体どうしてこうなった?
連れて行かれた先に居たのは末の王女様だった。確か今年で15歳。僕と同じ年に成人の方だ。気さくで朗らかなお人柄で、国民にも人気がある。美しい亜麻色の髪を簡素に結い上げ、質素なドレスを身にまとっている。けれどそれがよけいに彼女の素の美しさを際立たせていた。
……確か、王女ではあるけれど、現王の弟殿下の忘れ形見なんだよな。王弟殿下は勇者伝説の研究者で、足跡を辿る旅の最中に事故に遭い落命されたと新聞で読んだ。それもあって彼女は王に養女として引き取られ、王女となった――はずだ。
で、その王女様がどんなご用命なんだろうか。ものすっごいガン見されてるんだけど。
取りあえず、無礼にならないように礼をした。片膝を立て、もう片方を付き、立てた膝に片手を乗せてもう片方を胸に当て、軽く頭を前傾させる。そうしたら、王女様が笑ったような気配がした。
「随分と古風な礼法をご存知なのね」
古風。えっ、古風なのこれ。っていうか礼法に古風とかあるのか知らんよ。だってこれ、――夢の中で知ったこと、だし。……そうか、100年前の知識だった。
返答して良いのかどうか迷っていると、なんと王女様が僕の前に跪いた。「顔を上げて下さい」と言われてようやく顔を上げて、彼女の目と目があった。
「あの時、助けてくださってありがとうございました」
「……あの時? 助け……?」
「覚えていないの? まぁわたくしも変装していましたけどね」
「……変装?」
「どうしても、勇者の剣が見たくて。わたくし、あの会場に忍び込んでいましたの」
奇妙な既視感に襲われた。ずっと昔にも、似たようなことがあったような気がした。
彼女はずっと変装していたのだ。だから僕は、彼女に『恋をしなかった』。
「――……趣味の悪い姫様だ。魔法使いのまねごとなんて」
「女の尻ばかり追いかけている勇者には言われたくないわ」
恐る恐る告げた言葉に間髪入れずに返しがあった。
姫としての彼女との最初の会話だった。懐かしさで吐きそうだ。胃が引き絞られるような錯覚を覚えた。
ちょっと待って。これは予想していなかった。
「ひ、姫様……?」
「その呼び方は止めてと言いました。結局終生、止めてくれませんでしたが」
勇者は恋多き平凡な男だった。
旅の終わりは、生涯で唯一恋しなかった女性と結ばれた。勇者は平凡だったけれど、その人の横に在るために、その人に相応しくなるために、生涯を通して己を鍛え続けた人だった。
なにものも諦めず突き進むその人の為の剣として盾として寄り添い続けた。自身の全てを、生涯を捧げた。
こみ上げてくる何かを飲み込んだ。
思い描いていた未来はもう望めないだろうなとは思った。だって、彼女を思い出してしまったから。たくさんの恋の果てに結ばれた、ただ1人恋心を抱くことの出来なかった人。
出会いは割と最悪で、僕は彼女の横にいた聖女に恋をした。彼女のことは女性とさえ認識していなかった。だって男装してたんだもの。旅の仲間の魔法使いとして!
人生設計、やり直さないとなとは思っていた。思っていたけど、こんなに早くに更なるやり直しを求められるなんて思わなかった。
これからゆっくり、君の事を探す予定だったんだが!?
目の前には、嬉しそうに笑う人が居る。姿も顔も違うけれど、こうして見ればやっぱり彼女だ。
あの旅路でもそうだった。初まりから終わりまで彼女に恋はしなかったけれど、誰かに恋して振られる度に、一番近くに居てくれた。
出会ってしまえばもう逃れることなんて出来やしない。
当たり前のように差し出される手を、複雑な心地で眺める。
諦めにも似た溜息を一つこぼして、僕は彼女の手を取った。
顔が笑ってしまっていたことには気がつかないふりをしながら。
失恋まみれの平凡勇者、転生する ふうこ @yukata0011
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