クラミとエーミール

朝尾羯羊

Ⅰ 大フィッツランドの歴史において

 石造りの講堂には、王国の主な産業である木材加工のいろはがふんだんにあしらわれていたから、人間の手の触れるところ、座るところ、またその上で作業するところには、暖かなチークやカバノキの木目が顔を出し、いかにも、高原にある小王国の、光とのたわむれを何よりのたのしみとする、明るく軽い空間をつくり出していた。日の光りはたっとばれ、王国の歴史画を彩るモチーフとして、幾度となく象徴化され、物神化されてきた。まさに、逆光をうけ、ひだまりのなかにわずかに浮かび上がるフレスコ画たちは、青銅いろを基調としたあわい彩色ながら、扇形の講堂を華やがせていた。南向きのオリエル窓は快く日ざしを迎え入れ、矩形にしぼられた光の白い帯のなかに、昼間なのに、星屑を降らせている。光の束の一房ひとふさは、エーミールのかけている机の角にも落ちていた。それが、しっぽのように彼の頬を撫ぜ、彼はひどいねむけに襲われた。

 朱・金いろでもってえがかれる荘重な大陸の光とはことなり、王国の画家たちは、石灰とアズライトのみを用いて、降り注ぐ光のやわらかな神聖性を描くことにかけては、大陸にもひけをとらなかったが、低地諸州が王国からの独立をはかってからというもの、何かと顔料が手に入りにくいこともあずかっていた。

 天井画は、見上げるばかり、頭上に牛の目のようにあいたオルクスをめがけて、瑰麗な雲が、すぼまったようにたちあがり、それらの雲の上方にことに眩しい光があつまり、白銀のたがを、空にはめこんだように見えた。光の遍満する高空たかぞらを、十三の天使がたわむれている。頭は鳥で、手足がなく、ハチドリのような菱形をしていた。フレスコ画にはたくさんの奇妙な生き物たちが描き込まれていて、貴族の子らはみんな気味悪がっていた。雲のなかを、蛇がうねうねと泳いでいたりした。

 神話をうごめくものたちは、今やいささか単純な線と、九品くほんの色を身にまとい、紋章鑑のなかにふたたび見出された。思えば、本来なじみ深いはずのそれらの、細密画のごときディティールは、現存する生き物のどれとも似ておらず、おぞましさは、紋章のそれに倍した。

 紋章官補はしばらく口をつぐみ、画家がこのごろつかうという舶来のチョークが禿びてしまうまで、何度も何度も修正をかけては、イーゼルにもたせた石盤をたたく、こつこつという響きが、講堂にこだまする音の全てになった。彼が、いくつかの具象図形チャージをえがき出すことは、愛するものへの慇懃を示すがごとく、ことさらび、さしがねとコンパスを用い、つい手で線をぬぐってしまうので、彼のタバードの右の袖口は白亜の粉にまみれていた。

 上級紋章官臨席の上である。遠眼からでもそれと知らるる、色あざやかなベルベットのタバードは、純血統十三家ユングリンガルすべての紋章をいちどにぬいとり、それらはみごろの前後ろ、左右の筒袖と、あわせて四度くりかえされ、その栄耀えようはあたりをはらうばかりだった。彼は壇の後方にひかえていたが、りっぱな来賓用のいすの肘掛からは、ふねにうかべた葩のなだれおちるにまかせたように、模様があふれ出ていた。

 官補は、これが等級をあらわす、みごろよりも長いダマスク織のシルクの袖をひるがえして、聴衆に向きなおり、えがき了えたばかりの図形について解説を加えはじめた。

「ごらんのとおり、これらはみな、フェンニルのヂスプレイドをえがいたもの、またえがいたのではないかと思われる、違反紋章に属するたぐいを、簡単にではありますが、スケッチしました。さて、みなさんこれらのうち、どれがほんとうの正統なチャージで、どれがにせもののチャージであるか、見わけがつきますでしょうか」

 九つのヂスプレイドはえがきなれたものと見え、よくその特徴をつかまえていた。みずからの翼をマントのようにΨ字形にかかげ、そこからさらに羽根の軸が、きれこみのある、つややかな弁をつれて伸び、放射状の線形は、ソテツの葉を思わせた。くちばしをえがく観点からか、アフロンテはなく、ふりたてられた頭は、デキスターを、あるいはシニスターを向いていた。趾からするどい爪にかけてなにかをつかんでいるものもあれば、単にベースに長い尾羽を垂れているだけ、というのもある。

 ところで、翼をのすをならべるにして、人を、奇異の感にうたれさせずにはおかないのは、三つのフュージルをとうについだキマイラのような幾何図形であり、ふり仰げば、あなたふとの天使をそのままであった。首から上はやはり鳥であろうか、牙をむき、舌をはき、胸から腹にかけては、むくげがもり上がったなかにあいまいに埋もれ、そこから突然、陶器のようにすべすべした下肢がはじまっている。

 ところが、官補はいちばん左はじにえがかれたこれ以外の八つの図形の右肩にペケをうち、堂下の人たちを騒然とさせた。

「驚いてはなりません。よいですかみなさん、私たちはたしかにフェンニルのすえであるところから、飛禽族フェンニーなどとあだなされておりますけれども、だからといってフェンニルが鳥だということにはなりませんのでね。それですと、順序が逆になってしまう。飛禽族と呼びなされているから、フェンニルが鳥になるのではなくて、フェンニルが鳥だと見なされたから、飛禽族というあだながついたのです。そもそも、よいですかな、『大陸の空をかけらふに、フェンニルはいっさいはばたかず、滑翔のみをこととせり」と言われているくらいです。いっぱいに翼をのしたときの大きさは十六キュビトにもおよぶと言われ、背黒にして腹白、ですから、常に緑のエスカッシャンのうえにえがかれるフェンニルは銀いろであり、デキスターを向き、これをえあるオール・ジェメルがかざっているわけでありますが、シニスターベースのみが熱に浮かされたように波形にゆらいで、レイヨンを負うている、というのが紋章の正統性なのです。この、シニスターベースのみというのが単にハッチングとのかね合いなのか、あるいはそれ以上か、紋章院でも定説をえておりませんけれど…」

 という言葉も訖らぬに、フェンニルをめぐっては、白線で二重の堀がうがたれ、可惜や、白亜はこなごなと、スレートの斜面をころがり落ちてゆく。のみならず、堀は、デキスターチーフが内側にむかってまどかにくぼんでいることについて、説明が俟たれた。

 官補に言わせれば、フェンニルは怪鳥よりもコウモリによって譬類されるのだそうだ。その翼には、細長くのびた指の叉のあいだに膜をはる、コウモリの翼手に似た筋が浮き出、角ぐんだ耳はコウモリのそれのようにそむき合っている。なるほど、胸のむくげはつきて竜骨があるとおぼしきに、さらにひとまわり小さい紡錘形の器官が透けて見え、そこをかなめにして、蛇のようにのたうつ筋が――血統ちすぢを示すものとも――見える。乳にはぐくまれながら飛翔能力をもつという、特異な地位といい、なにもかもが、コウモリの特異性に似ている。

 とは言え、そのあまりに先史的で抽象的な体のつくりは、出自に対するほまれを発揚しづらかったし、純血をあらわすチャージであるのに、なぜこうも混血キマイラを彷彿とさせるのであるか、ふしぎでならない。エーミールはちょっと皮肉っぽく考えた。

「ではいったい、フェンニルはいつから鳥のようなものと目されるにいたったのでしょうか。わかりますかな。それは、……ああ、それというのも、カールレスーリの時代に、やむを得ないとは言え、異教の神となれ合いはじめたときからですな。帝座に返咲くさいの持参金として、私たちの先祖は、営々とたがやすことなき空の鳥に身をやつし、あまつさえ、『三日目の復活』を象徴するところの、フェニキスと同一視されてしまいました。そのしのびやつすや、東方は聖地をはるにこえてセリカまでを旅したという、ジョヴァンニの証言によったものでして、もちろん、サル・カエサリスが紋章にしている双頭の鷲もさることながら、今のようななさけないしもべの姿に折衷されたのです。彼の証言は、いまさらここにくりかえすまでもありませんが、死期が近づいたのをさとると、フェニキスは杜松の枝をくわえ、身をもえさかる不尽つきざる柴の火の祭壇になげうちます。あおるようにはばたくので、火はいきおい猛に、ついに余燼ものこらぬのです。灰からはやがて虫けらが生じて、三日目にして、これがみごとなまでに生えそろった羽易はがいのすがたで、天高くかけりあがる、とあります。また、黒檀いろの翼を、日にかざすや、玉虫のように七色の光沢を帯び、頭には赤いりっぱな鶏冠をいただく、とあることをのぞけば、あのヌミディア人の黒い肌を反映したように、てのひらを返せば白いように、微妙に符号こそしておりますが……」

 息をもつがせぬ縁起絵巻をひとくさりそらんじ果せたれば、朗々たるものこそあれ、官補は陶酔からおどろいたように目をみはり、

「おほん。……ええ、どういたしまして。しつこいようですが、私たちの先祖は、みずからそのように身をやつしているだけであって、まかり間違っても、そのようなものになったわけではありませんので。よろしいですかな。フェンニルを模したチャージの濫造はそれからあとを絶ちませず、紋章調査はこの一五八年のあいだにかれこれ一四〇回おこなってまいりましたけれど、その数なんと六千の大台にのぼったほどです。なかんずくフェンニルの偽造は、厳罰に処せられますから、それこそ東奔西走のありさまで、紋章がしるされた家財はなんであろうと焼討ちにあいます。まことに身売りによるわざわいの根はたちがたく、国外にまで及んだ、この負の遺産にかんしてはいまさら回収もままなりません」

 官補はあえて言及をさけたように、エーミールは思った。紋章院設立のきっかけは、典型的にノルディッシュな偶像としてフェンニルがあおがれるのを、直系がうれいたからではなく、たりない封土にかえて形なきものをあたえるべく、ひいては加増を、排他的にたいへんなほまれとするねらいからだったようだ。

「ユングリング朝では、たとい養子をむかえて王に立てたときさえ、決してフェンニルのチャージは継承させませんでした。それほどにフェンニルのチャージはもとは神聖な印璽いんじであったのです。と言うのも、つとにクロマニッヒの書の中に、フェンニルをかたどったあらゆるものの扱いについて、書かれてあるのをご存じですかな。これを紋章学体系へとおとしこむと、親から子へとフェンニルを伝えるさいに問われるのは、このかみであるか、また母が相続人であるか否かではなく、ひとえに血の純粋さだということですね。微禄されないチャージをうけつぐために、父母ともにこれまでただの一代として異邦人を先祖にもたないことが何より先立たねばならず、いやしくも、異邦人とのあいの子は、フェンニルに鉄兜を冠せることで、純粋でないことの証しを立てねばなりません。『…太祖みおやの血は、のぼりての世より末にひろがるかたにのみ、汝の妻と分かたずば、上なき罪に、予はおもほし掟て給へば、かならず、汝の曾孫までに血をたやしてん。おとめらは、かつは心して、父の血族よりほかにとつぎて、いかで単衣ひとへを頒たばやと予のふくみおき給ひし、嗣業の土地をなほざりにすることなかれ。すべて預言者の血はうるはしからざるべからざればなり。』と、あるとおりに、フェンニルの継承は血の継承であり、とりもなおさずクラフトを継承することにもなってまいります。それゆえ、母方にだけフェンニルのチャージがあるときは、たとえ相続人でなくても、インエスカッシャンによって子に相続されなくてはなりません。従来とはまるでことなる手続きですね」

 みずから黥面いれずみをほどこすまでに、かさねすぎた装飾性とて、逸楽に疲れはてたようなよそおいのもとに、狂熱の古めかしさはかくしきれまい。しかしエーミールこそこの古色蒼然たる伝統の護り手であった。彼がはげしいねむけに襲われたのも、ことわりである。護り手が急遽入れかわったかのごとき感があったからだ。官補の目にあるかがやきは史学者のそれだったが、エーミールの目にあるのは古文書そのものの沈鬱な光りだった。史学者が古文書そのものに教えるところが何かあろうか。官補がなんども注意をうながさねばならぬとおり、教えは、日常からすでに遠かったのだ。

 みんなのうたた寝をおびやかすような調子が、官補にはあったけれど、エーミールのそれは、不貞寝ふてねでなくもなかった。官補が一瞥をエーミールにくれてそのねむりをおどろかしたのは、こんにちまでに、多くが断絶して、ユングリンガルの直系はいまや三家のみだということを、絮説しているときであった。

 カールレはフランク語風の洗礼名でよばれるのを好み、シャルル=ルイ・ド・カルスクロンを名のったから、この嫡流による治世はカルルスクローネ朝と呼ばれる。カルルスクローネは、低地にあった一領邦の名である。ユングリンガルの血を引くはじめてのフランクの王となり、のこっていた十三家の末流をあわせて北の辺境にすまわせ、この胸壁ひめがきのように東西にせまくめぐらされた境を、北へのそなえと、永世中立という名目で、独立させた功績ははかりしれない。これが今のノルド・フランクである。

 しかし、通婚の禁をおかすことで、時のフランク王室の式微しきびにつけこんだこんなカルルスクローネ家のやり方をはじめ、これにならう諸侯らの間をつたわる、棄教の波は、それはそれはとめどもなかったそうだ。神政的なレンノスタ法を行なうことは、因習を墨守することにひとしく、さげすまれ、カソリックへのたくさんの改宗者たちがきびすを相ついだ。クロマニッヒのいくつかの書のごときは、いまや旧約聖書の外典偽典にまで位置づけられてしまっている。

「せんだって出されたお布れから、殿下のお考えをおもんみますに、私たちはますます自分たちの血に忠義立てをせねばならぬ時代に帰ってゆくのでありますが、そういったなかでも、私たちの忠義を、私たちのなかから、一身に担う者があらわれねばならぬということを、みなさんに知っておいていただきたいのです…」

 一瞥はれっきとした視線となり、エーミールへとまっすぐにそそがれている。彼はしゃんと姿勢を正したのに、官補は注視するのをやめなかった。うたた寝を見とがめられたのではないのかしらと彼は思った。

 官補がそれにつかれている、言おうようない狂熱は、彼の舌を詩人のように滑らかにしていたが、血の熱に発しているのではあるまいと思われた。彼自身はひじょうに量感のある黒髪をこまやかにうねらせ、講義がはねたとき近くで見ると、灰緑色の瞳をしていた。フェンニーの血は毎時いつも金いろの髪と、白きにすぎてうたたあるはだ、碧い瞳のいろをみちびくものだ。

 一人ひとりが長官の手の甲にじかに額をててから退出まかりでねばならぬところ、略式の礼がとられた。みんな起立し、長官が口づけた右手をさし出したのにならい、一同に右手を前につきだした。ややあって、聴講生らはつきだした右手を、長官の手のつもりで左手でとり、それを自分の額にじんわり抵てた。行為の善根や、心の持ちよう、感謝と祈りを信徒たちから要求しなかったかわりに、レンノスタ法は多くの儀礼によって日常を動かしがたくしていた。信徒のあいだに否やはなかった。


 目を飽かに、長大なるわたどののながめはつきせねば、こちらにむかって歩いてくる者と、いつすれちがうことができるのか、わかりかねる距離感だった。思いのほかにそびやかなヴォールトは、荷台にはられたほろのごとき一定のリズムをもって、天井を刻み、刻まれるごとにくりかえされる例の神話の顛末が、まず距離感を狂わせていた。絵を執拗に縁どっては、それらを支える円柱コラムから壁へとつたって生えひろごる葡萄ようのアラベスクには、ゴシックスタイルへの拒絶の意志と、数的諧和によって基礎づけられた、大フィッツランド様式への固執が浮彫にされていた。またしてもあのミッドガルド蛇のレリーフが天井と壁のさかい目のあたりをうろついている。左手にふれる壁は厚い。窓をうがつごとに龕のごとき奥行きが生まれていた。そこには蜘蛛の囲がかかり、虫も死んでいる。エーミールは歩きながら、翳ってはまた視界を明るませる、断続する窓外のけしきにのぞんだ。

 かたむきかけた日の光りが、宮廷と棟続きの、今いるこの建物じたいが落としている火耕かこうのような黒に接して、曲輪くるわと、そのあいだに休符のようにいくたてとなくはさまる塔と、そこにいたるまでの数限りない石畳のおもてとを、うつくしい夕焼けのいろに染め上げていた。曲輪にかかる組積造メイソンリーは、今だけは、かの聖地に産するという、メレケにかよい、太陽の光りをひさしく収穫とりいれたあとのように、ぽかぽかとあたたかい蜂蜜いろを呈している。それは、荒野の尽頭はずれに築かれたあの蟻垤ありづかのような穴だらけの岩群の連想へと人をこのんで誘うのだった。

 胸壁の狭間さまは、ひんがしの瑠璃いろに暮れた空を、のこぎりのようにわたっている。そのそらざまの歯なみがいかにいかめしかろうと、さかのぼればフランク時代に活躍した砦の遺構であるから、古い基礎には草がむしている。これが堅牢一方の城のいかめしさを少なからず救っていた。幾代にもわたってつぎ足されてきた石の積みかたの一つひとつが、考古学的関心をよびさますにはじゅうぶんである。

 廊をいくどか折れたあとだった。同胞がうしろからやってきて、エーミールの肩に手を架した。ところが、折あしく人がとおりかかったので、二人はしばらく口を箝しなければいけなかった。苟も宮中である。石の床に音を立てまいと、かかとが高く、装蹄された馬のように裏打ちがされてある靴を、ぬきさしするならいだが、あいてが神殿付き祭司とあっては、秘書とその供廻りをつれてとおりすぎてしまうまではすれちがわないで、駝鳥の羽飾りのあるつば広帽子を胸のところにかかえて、待った。

 いちめんの石灰華の壁には、あの幾何級数的なめまいのようなもののあとはかなく、ちいさな虫を宿しているかのように、無数の穴があいている。見るものはおぞけをふるった。宮廷作法は繁縟であり、彼らは講義のたびに綺羅をかざった。しかるに、たどるたどると室内装飾がことそがれていくにつれ、相対的にそのよそおいの華美がきわだってくるのは、騎士課程のだれもがとおる道である。

「あの人はいったい、どういう人なんだい?」

 とエーミールから口を切った。講堂を出しなに、あの木の枠にはまった大きな石盤をもつのを手伝いましょうかと、ハラルドが申し出ているのを見ていたから、おおかた、見知り越しだろうとの見当をつけていた。

「あの人っていうのは、どの人のことかな?」

 こうハラルドは応じたが、その問いを予期していただろうことはようすでわかった。彼は彼なりに運動をはじめているふうだった。

「きまってる。あの黒髪の紋章官のことさ。耳のわきはきれいに剃っているけれど、どう見ても彼は、同胞っていうかんじじゃない」

「ご名答。あの人はたしかにジューダス系だってじぶんで言ってたよ」

「それにまだ若いのに、たいした弁士じゃないか」

「あれくらいでないと、軍使はとうていつとまらないだろうからね。もとはグリーンベリル隊の旗持をつとめていたらしいけど、あのよくとおる声のおかげで、出世が早まったんだと」

「いや。そういうことを言ってるんじゃないんだ」

 エーミールはことさらとがった言葉を同胞の前ではつかってみせたが、抑揚はへんにおさえられており、まるで、さざなみが立つくらいの関心しか、もっていないようにも聞きなせるのであった。

 おそらくそこで支えたらしい、ハラルドの襦袢ジポンの衽のところに、軽薄な粉が飛んでいるのをみつけて、乱暴にちょっとはらってやってから、

「ぼくが言いたいのはさ。ちょっとも血を分けてない民族の昔のことなんかを、あんなにわが事のように語れるものかと思うと、ふしぎだってこと」

 と言った。

「まあまあ…」

「それも、ぼくたちみたいなのを前にして、だぜ」

「それどころか、彼はじぶん自身をもふくめて、私たちって言ってるくらいだし…」

「そうだった、そうだった。……それがなんだか引っかかってたんだ。大胆すぎやしないかって」

「われわれを奮起させようとの考えからでは?」

「いや。それだと好意的にとりすぎてる」

「要職の、高等法院やなんかで、ジューダスの人が緋いろのシャウベを着ているのはいまさら見慣れたものだし、昔っから、彼らからいくたの文化人が輩出してるじゃない」

「やれやれ…また君のひいきかね。そんなんだから、いつだったかの大国も急速に衰えたんだろうに」

 そこに疑問をもたないことが、いかにもわれわれらしいところだとエーミールは思っている。ジューダスもそのかみは、しばしば外国から指導者をえらんだことがあったらしいが、それに似た、きみょうな性癖がフェンニーにもあった。自分たちのことについて少しあなたまかせなところがありすぎた。

 いっぽうハラルドは、自分がジューダスの人々に親しみをいだくことの争いがたさを、この友人にはわかってもらいたいと日ごろから思ってもいた。

 ジューダスによって、フェンニルが、預言者の跡にしたがうものとされたのに徴すれば、フェンニーは他の教典の中におのれのすがたを見つけることができ、かくして彼にあるやすらぎが与えられた。のみか、民族全体の上を手をひろげたようにおおっている、予と名を告らす主の不在感への、やすらぎでもあった。クロマニッヒの主は、フェンニルを使者として送り出しているからこそ、そこには主がなぜそうせよと命じるのかという説明がない。預言のえも言われぬ法悦のあとに、子孫に言葉がなんらのぞまないよるべなさは、ともづなを解かれた舟のごとく、見はなされたもののくるしみを、ジューダスの釈義につながることで、いやされるように思われるのだった。

 大陸統一は第二神殿時代である。習合はそれだけ、カールレ以前から、神学上の懸案でながらくありつづけたが、付会によるほかはなかった。先に起こったことの原因を、あとの出来事のなかにもとめるにひとしかったからだ。いっぽう、フェンニーがすみやかに聖公同教会を受容したことで福音はあまねく伝わることとなり、洗礼者ヨハネの伝で、道をまっすぐにととのえたわざはあらそわれない。教典の外においてカソリックとかたくむすびついたのだが、肝腎の付会のほうは、むしろジューダス教がフェンニルを併呑するための便宜をはかったようなものだった。

「はやい話が、一方的な習合主義シンクレティズムというやつか…」

 とエーミールが言うと、ハラルドの眉は、おもいなしか、櫂のように手前に引き寄せられた。


 天蓋はようやく二人の上からとりさられて、見上げた空に、はやくも星がさんざめいている。盾壁じゅんへきのはずれから、はね橋にかかるあいだにも、視線はおよいで、いまの今まで地平だったもののほんとうの高さを思い知らされる、城下の町にのぞんだ。砦のかげはそこにくっきりと落ちて、ふもとの方からぽつぽつとひともしてくる順番さえ、手にとるようである。せまい露地を、ワイン樽を積んだ馬車どうしが、目にもとまらぬはやさですれちがった。宮殿からのほどこしにあずかろうと、粗布をまとってふもとにつめかける乞食どものおぼろげさが、これにあえて逆らっている。それでも、修道院のひときわ高いクーポラだけは闇黒の底から頭をもたげて、さらでも、あたれば煉瓦のように映えた。おちていた視線はハヤブサのごとく、舞い上がり、一転、足を空である。

 十里のあなたを遠しとせざる、万弩とじりり、ちょうと引かれ、市壁の外、野はまだいちめんのくれないである。フェンニーの目はその射程にまさるものがある。牧場の丘のむこう側に影がうずくまった。しかし野らでは、まだまだ多くの人たちが立ち働いている。ぜつ打つからに、うちらにわなき立たりしもころ、二三にさんしょかねて早みせむに、晩鐘にうちまじるからざおの音は、槌かときかれる。小麦の刈りばかを、馬がひく、子どもを二人ずつのせた橇にひかせている。徴税人とその供だけが手をこまねいているのをのぞけば、家族総出の活況は、いままさに、収穫祭のとりつきであると思われた。

 斜路をへて、ここから下ベイリーまで馬が駆けそうにきつい勾配をくだらなくてはならないところで、

「さっきの話だけど……」

 とハラルドがめずらしく話をむし返した。

「じつはもう、そんなくくり方では追っつかないくらいに、事態は進行してるんだ」

「そんなってのは、何のこと?」

「シンクレティズムだよ」

「ふむ……いや、僕が理解してるところでは、だよ。なんでも、フェンニルの活動期は、預言者が絶えたのと、ヨシュアがあらわれた時期のちょうどさかいだったから、そこに預言のつづきを見て、クロマニッヒの終末観を容れることで、すでに来てしまったメシアをうまくかわす、というか、あたかも成就したあとの預言書の、もぬけた殻みたいな、さく然としたかんじをぬぐうために考え出された、まあ、修正案みたいなつもりで、言ったんだが」

 ハラルドとしては、一方的という点に異を唱えたかった。すなわち習合は、カソリックへのそれよりも、一部フェンニーののぞむところであった。ところが、エーミールが習合主義それじたいをただし、そこで話は思わぬかたへ逸れたみたいだ。

「まちがってはないよ。未達の預言部分をもつことは喫緊事だし、それが聖典を聖典たらしめてるわけだからね。なまじ、福音に相続されるよりは、こっちからクロマニッヒに相続されにいくことの方が、預言のみずみずしさを保存する上で、利益は大きいよ。でも、ヒスパニアの大迫害からこっち、される側にとどまらないことが多いんだ」

「はあ……というと?」

「きいたことないかな? 補完説プロステシーっていうんだけど」

「さあ」

「その補完説派プロステシストの人たちにとって、フェンニルとはたんなる預言の代理人とかじゃなくなるんだ」

 根拠はあげたらきりがなかった。そのなかの一つ、ゼカリヤ書第八のまぼろしによれば、北の国にむかって出て行った黒馬がひきいる戦車が、その地に主の霊をとどまらせた、とある。主の霊とは、異邦人がけっしてもち合わせることがないという、人間にゐながらにして存する神の相、人間のなかの神の部分であり、人が死ねば、ひととせかけて、神のみもとへとかえってゆく。これをネシャーマーという。異邦人にこれを賦与するためには、エデンの園における義人ツァディークたちのみとあたはしがかかせない。されば、かの十三の天使はツァディーク――ホセアよりはじめたてまつる十三の預言者たちの転生ギルグールしたすがたにほかならなかった。

 エーミールはすこしうろたえた。

「いや…しかし待てよ。フェンニーとジューダス。僕とあの紋章官。みためからしてまるでちがうじゃないか。さすがに、それはどうかと思うんだが」

「もちろん、それはそうなんだけど……ジューダスはもとより地縁的なもので、血縁にかかわる区別じゃないからね。ネシャーマーが宿っているか否かが、彼らが自他をわけるときのかなめなんだよ」

「だから髪いろ、目のいろ、肌のいろなどは関係ないと…」

 エーミールの口をしばらくきけなくするには、これでじゅうぶんであった。霊がからだのちがいをのりこえようとするのは、一見、平和そうな考え方に思えなくもない。されど、後覚の徒のあとに先達がつづくということは、いくら兄弟どうしでもできにくい。当然、後覚の徒は先達にその根源的なものをゆずらざるをえない。フェンニーはジューダスのかたわれなのである。それにしろ、十三の天使を、かつて召し上げられた預言者の転生したすがただとするのは、いかにもジューダスらしいやり方だと彼は思った。彼らのセフィロートの体系をとりかこむ堆又堆は、けっきょくのところ、横断的象徴による世界観以上のものではない、とエーミールはきめつけていたからだ。

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