もし明日死ぬなら悪魔と契約してでも今死ぬ

八゜幡寺

第1話

 最近、夜になると、ベッドの中でよく考える。

 もし明日、トラックにでも轢かれて、死んでしまうのなら。

 僕は後悔するだろう。

 死の苦痛よりも、死ぬまで行動を起こせなかった自分を悔い続けるだろう。


 ……かといって、じゃあ僕は何をすればよかったのだろうか。

 死ぬまでに何かを成したい。

 その他大勢なんかじゃなく、世間に認められるような何者かに成りたい。


 だから、明日死ぬなら、僕は今日中に何ができるか。

 毎日そこまで考えて……やっぱり、今日も同じ答えにたどり着く。


 ──人を殺そう。

 大勢を殺すことはできない。

 だから一人か二人を、あり得ないくらい惨殺するんだ。


 人を殺す妄想は、明日死ぬ妄想よりも前にいっぱいしてきた。

 最終的に、ナイフなんかの小さな刃物でチマチマ刺しすよりも、斧やピッケルといった重量のある凶器を、脳天めがけて振り下ろす。これが相手に一番恐怖を与えられて、かつ、死体は残忍な結果となる。


 頭骨が潰れて、ひしゃげた頭からおびただしいまでの血しぶきが舞う。脳髄もどろりと溢れてこぼれ落ちるだろう。

 飛び出した目玉を踏みつぶして、僕は再度、相手にそれを振り下ろすのだ。


 ぞくぞくと背筋に悪寒が走る頃、妄想を終わらせて、現実の僕のまともな思考に戻っていく。

 やっぱりダメだ。人を殺すなんて……。


 念の為、既に斧は買ってある。

 ベッドの下に隠してある。

 だけどこれを使ってはいけない。戒めのために、あえて手元に置いてあるだけだ。


 明日死ぬことが分かったとして、狂って人を殺すなら、そうなる前に、自ら命を絶ってやる。

 明日死ぬなら、今日死んでやる。


 死ぬこと自体は怖くない。

 承認欲求に駆られて人を殺すなんてまっぴらだ。

 だから今日死ぬ。死んでやる。


 ベッドから這い出て、その下にある斧を引きずり出す。

 冷たい木の柄は、両手で持たなきゃまともに振れないだろう重量。半月型の刃は、窓から差し込む月の光でいびつにギラついていた。


 もし殺すなら、やっぱり家族がいいだろうか。

 それとも、見ず知らずの赤の他人の方が、その狂気が伝わりやすいだろうか。


 いいや今は殺す妄想じゃない。これで、どうやって自殺できるか試すんだ。

 両手で持たなきゃ振れない斧を、自分に向けて振り下ろすのは至極困難だ。出来たとしても、威力がなくて、ただ痛い思いをするだけだろう。


 せっかく手にした僕だけの武器。

 これ以外を使って人を殺すことも、自分を殺すことも、考えつかなかった。


「誠司。まだ起きてるの?」


 自室のドアをガチャリと開けて、お母さんが唐突に現れた。

 いつもなら「ノックぐらいしろよババア!」なんて吠えるのたが、今日はどうも、いやに落ち着いて話せた。


 そうだ。お母さんに頼もう。

 お母さんに殺してもらうのがいい。ひ弱な母親だけど、持ち上げることが出来たなら、あとは斧の自重に任せて振り下ろせば、僕は頭蓋が陥没して、めでたく死ねるではないか。

 まあ、きちんと振り下ろせるように、何回か練習してもらいたいところだけど……。


「丁度いいや。お母さん、この斧で僕の頭を──」


 話し始めた僕は、しかし、お母さんのシルエットが少しいびつなことに、今更気づいた。

 廊下から差し込む照明に照らされて、黒い影姿の母さんは、何かを腕に抱えていたようだった。


 そしてお母さんは、抱えた何かの、紐を引っ張る。

 ドゥルルン。エンジンが唸った。間髪入れず、自動で巻き取られた紐を再び引くお母さん。それを数度、繰り返す。


 ドゥルルン。ドゥルルン。ドゥルルン。

 ドゥルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルヴィイイイイイイイイイイイアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア。


 エンジンがかかるとそれは金切り声をけたたましく鳴り響かせた。僕は何か言ったけど、エンジン音にかき消されて、自分でも聞き取れなかった。

 お母さんが近付いてくる。

 お母さんが近付いてくる。

 僕は後ずさった。喉が痛い。視界がぼやけるので、すぐに袖でぬぐった。喉が痛い。お母さんが近付いてくる。


 ああ、お母さんもそうだったんだ。明日死ぬかもしれない不安を抱えていたんだ。それが今日、とうとう決行に移してしてしまったんだ。


「たひゅけて」


 斧を投げ捨て、かすれる声で窓を開けた。

 真夜中の街はまるで、昼間のように明るかった。


 街は火の海に包まれていた。

 黒い煙がいたるところから立ち昇り、それ以上の熱と炎が煌々と一面を焦がしたいた。


 空すら、見たことない飛行機が何機も編成されて駆け巡っていて、ミサイルを飛ばし合っている。焼夷弾を落としてさらに街に火をくべる。


「あはっあはっあはっなんだみんな同じだったんだ」


 みんなみんな、明日死ぬかもしれない恐怖を抱えて生きていたんだ。

 そして世界に爪痕を残すにはどうするべきかを考えた結果、人を殺すことが一番手っ取り早いことに気がついてしまったんだ。


 総理も大統領も法王も独裁者もテロリストもなにもかも!

 あああああ! くそ!

 僕だけが出遅れた! 僕が一番最初に考えたのに! 本当は僕が一番目立つはずだったのに!


 僕も早く殺しとけばよかっでゃでゃでゃでゃでゃでゃでゃっ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

もし明日死ぬなら悪魔と契約してでも今死ぬ 八゜幡寺 @pachimanzi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

参加中のコンテスト・自主企画