諸国首斬り漫遊譚   

安条序那

第1話 その首は斬るためにあり


 かんらん こんろん かんらん こんろん


 青い青い月の下、首斬り屋さんのお通りです。

 一本歯下駄を転がして、その人はいつもやってきます。擦り切れた道着と菅笠と、襤褸めいた袴の裾を引き摺って、大太刀抱えてずるずるずるやってきます。

 大通りなんかいきません。いつも端っこの下駄の外れたあばずれ橋と呼ばれる橋を歩いてきます。それはいつものことなのです。

 首斬り屋さんは、鮮やかです。紺に紅花を捧げたようなその風体に、甘ったるい死臭を纏ってやってきます。

 首斬り屋さんが歩いていると、様々な人が近寄ってきました。

 小さな人や、大きな人、身なり良い人悪い人、干物のような老婆から、まだ熟れていない瑞々しい若駒までも、誰も彼もが彼を見詰めています。けれど首斬り屋さんは、それでも気にせず歩いていきます。上を見ながら、嬰ヘ短調の悲しげな旋律を楽しそうに歌って歩きます。

 ここは黄楊櫛つげぐしの浜、仁寧じんねい浜土はまつちの間にある、かつての刑場跡なのです。未だに浜には骸が転がっています。浜は誰もいない、無縁墓なのです。

 

 かんらん こんろん かんらん こんろん


 首斬り屋さんは昨日、紅色の雨に打たれていました。いくさ場の跡に降る雨は赤いのです。

 えいへい、はい、そう。えいへい、はい、そう。

 口ずさんでいるのは、いつも見送りの唄です。そうです。首斬り屋さんはその為にいるのですから。

 一天地六の賽の目を、いくさ場で転がして生きているのです。お尋ね者の、首斬り屋さんです。

 冷たい視線の中、ある若者が首斬り屋さんの前に転がり出てきました。

 その人は酷く足の力が抜けており、青い顔に月が浮かんでいるようでした。

 どん。

 首斬り屋さんは刀を下ろし、地上の月に向かって話しかけました。砂粒を纏った風が、小さな埃を立てて消えました。


 どとん どとん からころ からころ

 

「お主、何者であろうか。拙者になにか用立てか」

「手前、その方を首斬り屋とお見受けいたします。断りなしにこのような道を塞ぐ狼藉、かたじけない。打ち明けましてあなたにお願いしたいことがございまして来たのです。わたくし上代邸の作男をしておりました、甚兵衛と申します。苗はございません。拾い子です。あなたにしか頼めないことがあるのです」

 うやうやしく首を垂れて、男はうっとりとその菅笠の中身の顔を見た。傷だらけのあばだ面である。人を斬り殺すことを生業とする、獣めいた優しい瞳である。その瞳が万華鏡のように揺れ動いて、甚兵衛はやはり深々と礼を重ねた。すると分厚い唇が動き、首斬り屋は口を開いた。

「久しう。先の戦の折、上代邸には重用され、礼もござる。面を上げておくんなせえ」

 重苦しく固まった時間が解け、大きくため息を吐くように肩を下ろした甚兵衛は、首斬り屋が大太刀の鯉口に指をかける。鋭く冷たい金属音に、観衆みなが息を飲む。その様は形容するなら正しく介錯であり、それ以外にしては重厚すぎる。

「上代の旦那の作男をなさるその方、故あってこちらございましょう。訳を」

 ほう、と冷たい空気に声を吐き出した甚兵衛は、指先をつい、と自ら首元に添えると、どくどくと血潮の流れる血合いを指して、こう言った。

「ああ、ありがたい。ありがたい」

 甚兵衛はその言葉に瞼から空の雫を零しながら、乾ききって切れた唇から、吐き出すように、泣き笑いに引き付けるように語り始めた。

「ここを、斬って頂きたいのでございます。首斬り屋殿。その方、路銀を稼ぐ為志願者の首を斬っていると聞き及びまして参りました。こちらに銭袋ございます。お納めください」

「上代の旦那に恨みでもござるか」

 そう言うと、甚兵衛は首を大きくふりふりと否定し、それどころか慄くように床に頭を擦り付ける。

「まさか、旦那様によくして頂き、なんら不満ございません。良い生活を赦され、恥ずかしながらわたくし手を汚したことすらございません。その身分がございまして、そのようなことを言いますれば罰が下りましてでございます」

「では、なにゆえ」

「わたくしが、首を捧げるべきだからでございまする」

「さうか、さうか」

 どん、と、荷を欄干に捨てて、首斬り屋は刀に手を掛けた。そうして刀を抜いて見せてやると、甚兵衛は肩から力を抜いて目を細めていた。

「語るに、落とせよ」

「はい、首斬り屋殿。文字通り、後生最後に聞いてほしいのでございます。手前、上代の旦那の娘と、恋に落ちましてでございます。当然赦されぬ恋でございます。手前の生まれはこの橋の下でございました。骸の中で骨をしゃぶりながら泣いていたそうでございます。母を知らず、父も知らず、骸を食いて血肉に変えた鬼子でございます。しかし上代の旦那に拾われて、始めて人以外を食いまして、その時に人が食うものでないと知りました。しばらくして、旦那に女を買っていただきました。その時女を知りまして、女がたいそう好きになりました。人によりて聞きますところ、それは母への慕情らしいものでござるが、拙者には知らぬものでございます。拙者に生まれて唯一ありましたのは、木組みと大工一式の才でございましたので、時折女を買ってもらい、拙者は作男として幸せな、三食寝床付きの生活を送っていたのです」

 懐かしいものを語るように、残らぬ墓標を建てながら、甚兵衛は滔々と続ける。

「ある朝、旦那様のお嬢様、縁嬢えにしじょうに会いましてでござる。縁嬢とはほとんど生年変わらず、同じ邸にて育ちました。しかし拙者が女を知るまで、縁嬢とは顔も合わせず、他人でございましたから、その日、寝ぼけ眼の縁嬢が邸の敷居の向こうに来ました時、わたくしは驚いたのです。それは、稲妻だったのです。その嬢は、うつくしゅうございました。これまで買ったいくつもの女より、一等美しく、無垢で、何も知らず水底で眠っていた真珠のように輝いて、目が焼き潰れるかと思ったのです。邸の男が嬢に会うことが禁止されていることは、嬢もご存知でした。嬢様は急いで戻ろうとしたのです。しかし運悪く、奥方が通りました。拙者は誑かしたと勘違いされ、酷く折檻され苛まれ、反省するよう求められましてでござりました。拙者は嬢のせいにするなど考えられず、その責め苦を受けきりました。それは、嬢に一目惚れをしてしまったからなのでございます」

「恋煩いを罪と心得るか、身分違い故に仕方なきこともあるであろう」

「はい、恋はするでしょう。拙者、恥ずかしながら買った嬢みなに恋をしてでございます。けれど、縁様、縁嬢に抱きましたそれは、これまでとは違ったのでございます。わたくし、縁様に母を見ましてで、ござる」

 母、とその言葉に、首斬り屋は首を傾げる。母を知らぬ男の、母。腰に下げた瓢箪がからりと鳴る。

「そちは、母など知らぬと」

「そうで、ござりまする。しかし、見たのです。縁嬢の美しいたまゆらの肌、流れる髪、血潮の色、一つとっても母でございました。それは断じてでござりまする」

「なにゆえ、母と断じる」

「拙者は、のです。血潮を、肌を、髪を、食ったのでござりまする。故に、わかるのです。旦那にはこう言われました。骨をしゃぶっていた赤子、と。いえ、違うのです。拙者は、母の骨だからしゃぶっていたのでございます」

 ははあ、と首斬り屋は頷いた。この男は、恐怖していたのだ。どこまでも続くこれからのことに。赦され得ぬ、二つの誤謬の為に、ここに首を捧げに来たのである。

「そちは、縁嬢なる娘を母の転生と心得たる故、恋煩いをしたる我が身を呪い、実父と崇める邸主への忠誠の為に、首を捧げに来たのか」

 いいえ、と甚兵衛。それも違うというのであれば、何故に首を斬るのか、しかし甚兵衛の罪は、すぐそこに迫っていた。目はくり抜いたように迫り、口蓋からはよだれがべたべたと溢れ出し、逡巡する度に胃の腑が鳴っている。指先は枯れて月夜に荒れ狂う波のように巻いていた。蒸気を纏いながら、甚兵衛の声は掠れて叫ぶ。

「ああ! 違いましてでござりまする。お聞きくだされ首斬り殿! 我は、縁嬢を、食みそうなのでございまする! ああああああああああっ、あの肌を思い出し、瞳を、髪を思い出す度、拙者は、子鬼であった頃を思い出してでござりまする! 逢引したいと願ったことはございまする、し、しかし逢引すれば、拙者、必ずや縁嬢を、殺して食ってしまうのでありまする! それが、恐ろしく、また、艶美で震えるのでありまする……ああ、拙者は鬼で、鬼でござりまする! 早く、早く! 拙者は、母をもう、食いたくないのです! しかし、このままあれば縁嬢を、縁嬢を……! それだけは、それだけは、主様の御恩に報いて出来ませぬ! 首斬り殿、首斬り殿……」

 一つ、大きな月の下、涙のように溢れる月光の雫が、水面に弾けて壊れていく。穏やかだった甚兵衛の顔は、今や死を待つ顔ではなく、誰彼とも構わぬ修羅の人食い鬼となっていた。ただ理性の残滓が心に残っている限り、潮の満干のように甚兵衛の苦しみは続くのである。故に、首斬り屋は白刃の先を月影に突き立てて上段に構えると、燦然と弧を描いた大太刀が罪業を洗うように光を飛沫いた。

「先の戦にて、拙者は上代の旦那に雇われ、下原の衆と殺し合ったでござる。その戦の最後がこちらでござった。上代殿はそこで子を喪のうてござる。子息と娘子両方にござる。代わりに、上代殿はこの河原から、稚児を二人、連れ帰ったと聞き及ぶ」

 鬼の瞳に、一雫の理性が宿る。

「――なんと、では」

「故に、そちが見たとは、であろう」

「そうか――では、これにてお暇。人であれて、良い生であった。ああかたじけない、首斬り殿」

 大太刀が真っ直ぐと首を断ち、噴出した血飛沫が放物線を描く。返しの刃で背を開くと、一刻もなく甚兵衛は絶命した。穏やかな漣のように変わった顔は、首ごと転げて河原に落ちた。

「忠義立て、ご苦労であった。見事なり、甚兵衛殿」


 かんらん こんろん かんらん こんろん


 青い青い月の下、首斬り屋さんのお通りです。綺麗なおべべを着たお姫様が、橋に向かって走っていきます。兄さん、兄さん、と呼んでいます。

 橋の上には、ばったりと倒れた甚兵衛がありました。お姫様は泣きながらそっと甚兵衛の身体をひと齧りしました。鬼の匂いが、強くしました。

 けれどそれっきり、首斬り屋さんは何も知りません。

 諸国漫遊の度は続きます。

 一本歯下駄を転がして、その人はいつもやってきます。擦り切れた道着と菅笠と、襤褸めいた袴の裾を引き摺って、大太刀抱えてずるずるずるやってきます。

 大通りなんかいきません。いつも端っこの下駄の外れたあばずれ橋と呼ばれる橋を歩いてきます。それはいつものことなのです。

 首斬り屋さんは、鮮やかです。紺に紅花を捧げたようなその風体に、甘ったるい死臭を纏ってやってきます。

 首斬り屋さんが歩いていても、今夜はもう誰も寄ってきません。

 えいへい、はい、そう。えいへい、はい、そう。

 口ずさんでいるのは、いつも見送りの唄です。そうです。首斬り屋さんはその為にいるのですから。

 一天地六の賽の目を、いくさ場で転がして生きているのです。お尋ね者の、首斬り屋さんです。

 次は茨垣、死なずの国。

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

諸国首斬り漫遊譚    安条序那 @jonathan_jona

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画