聖菜と首飾り
「……きっも」
多分聖菜は化獣が何か分かっていない。それでも言葉の節々から同意なく消費させられることは理解したのだろう。
「嫌悪感示しとる場合ちゃうで。君たまたま運が良かっただけやから。明日は我が身、なんも役立たないと分かったら面倒を見る必要はなくなる」
あえて直接的に表現せずに自分がどうなるのか想像させる。脅しでよく使う手だ。
「ほな」
ぱんっ!と甜が手の平を合わせる音で聖菜ははっとした。
「俺用事あるからあとは宜しく。莉里、聖菜の服新調したって。生活に必要なものもね。用意できたら柳に引き継いでくれる?」
「承知いたしました」
部屋の外から莉里と呼ばれた娼婦が軽く頭を下げて返事をする。
聖菜は落ち着かないようで、目線を泳がせ莉里の方をぱっと振り向いたり顔を正面に戻し地面に視線を落としたりと忙しい。
甜はそんな様子を気にも止めずさっさと娼館を後にした。
***
甜が去った後の娼館内、聖菜と莉里の間に少しの沈黙が流れた。
「では聖菜さん、あちらの部屋でまずは着替えましょう」
莉里は聖菜に軽く微笑みながら言う。透けるような透明感のある白い肌にうっすら赤みを帯びた唇。少し切れ長の瞳は同性として思わず見ほれるほどだ。
「あっはい……よろしくお願いします……」
お辞儀をしながら目線だけ莉里に移した。
まつ毛めっちゃ長い。なんか目きらきらしてる。髪つやつやだし。私と全然違う……。
「でも聖菜さんに出会ったのが甜様で幸運でしたね」
館内を移動しながら莉里は落ち着いた声で言った。
「そうですか?なんか最後脅されたしあんまりいい印象じゃないんですけど……」
「まだこちらに来て間もないですもの。そう思うのも仕方のないことです」
確かに、地元とは明らかに建物や雰囲気が違うこの場にはほんの少し前に来たばかり、だと思う。思うっていうのは、朝家を出て出かけようと歩いていたらすでにここにいたからだ。いつも通りスマホいじっていただけなのに、ごくごく自然にここに来てしまった。言葉は通じるし日本っぽいけど、なんか異質な感じもする。
「あの……私自分の家に帰りたいんです。さっき甜さんに聞いたら帰れないって言われちゃって……。お洋服用意してくださるのは嬉しいんですけど、ここらでお暇しようかなーーと……」
莉里は何も言わず衣裳部屋の隣の部屋を開けて中に進む。そして衣類棚の中から落ち着いた色味の召し物をいくつか手に取った。
「帰ることよりもここでどう生きていくかを考えた方がいいでしょう。甜様は役立つものにはお優しいですが、無償の愛を振る舞う方ではございません。貴方に価値が無いと判断されれば平気で捨ておくお方です」
……やっぱりいい印象じゃなかったのは正解じゃん。
「ここに繁殖場はいくつかありますが、その内の1つは甜様が管理しています。そこに堕とされたくなければ求められることは必ずこなさなければ」
柔らかく静かに言うが言っている内容は恐ろしい。
「異邦人の方を無償で優しく受け入れて下さる方はここにはおりません。ですから甜様に役立つと思われた時点で聖菜さんはとても……とても幸運なのです」
言葉に少しだけ緊張を感じた。莉里さんも甜さんに役立つ何かを持っているのだろうか。
ふと、莉里の年齢が気になった。とても若くも見えるが、落ち着いた話し方が年上にも感じる。
何をしたらこんなに落ち着きのある女性でいられるのだろう。
「今のお召し物は目立つのでこちらに着替えましょう」
莉里は手慣れた手つきで聖菜の服を変えていく。
「動きやすい平服ですから……そんなに変わりはないかと」
あっという間に着替え終わった。白布地で作られた衣服は触り心地の良く、もともと着ていたスカートやぴったりとしたシャツよりも上等なものなことが分かる。
「あとはこちらも着用してください」
莉里は最後に細い金細工に紅い石が施された首飾りを両手でそっと渡してきた。聖菜は首飾りを手に取り首を傾げる。
「すごく綺麗ですけど……これは?」
「甜様からお渡しせよと頂きました。聖菜さんの御身をお守りする大切なものです」
「御身を守る……」
難しい言葉が多く聖菜の頭はいっぱいいっぱいだったが、お守りのようなものだろうと解釈する。預かった首飾りは細かな装飾が光が当たるたびに煌めき上品に見えそうだ。
「ありがとうございますっ」
聖菜は自分の細首に首飾りの留め具を回して装着する。
分からないことだらけでわけが分からないけど。悩んでても仕方ないし。とりあえず言葉は通じる。殴られたり殺されたりする感じもなさそう……。今は『運が良い』という自分の状況を信じて、やれることをやるしかない。……まだ泣かない。
そう思い頬を両手で挟むように軽く叩き気合を入れた。
「では移動しましょうか。市場までお連れ致します。それ以上は共に行けませんが市場付近に柳という若者がおりますので後のことは彼にお聞きください」
***
御身をお守りする。その言葉を実感するのに時間はかからなかった。
時は遡ることわずか5分前。莉里に連れられた聖菜は人々の活気に驚いていた。
娼館へ向かう道を抜けてほどなく歩いていると、急に道が開けて屋台のような店が並ぶ通りに出たのだ。食事に必要な野菜や干した肉、果物などが並んでいる。食べ物だけでなく煌びやかな装飾が施された衣類や宝石なんかも売っているようだ。主要となる通りから逸れた脇道にも店が並んでおり、そっちは小瓶に入った血液のような赤い液体や動物そのままの死骸――上から吊るされてぴくりとも動かないから多分死んでいる――など、聖菜とは関わりのなさそうなものが多くあるようだ。
軽く覗き込んで怪しい気配を察した聖菜はすぐに大通りに目線を戻す。
「四十国の第壱通りです。今日は休息日ですから賑わいがありますね」
「結構人が住んでるんだ……ここにいる人ってみんな甜さんみたいな見た目かと思ったけど、意外に普通なんですね」
道行く人はほとんど麻で綿でできた簡素な服を着ており、頭髪も黒や茶がほとんどだ。
甜さんみたいに目立つような人はいない。身長や見た目も日本とほとんど変わらないような気がする。
「普通がどの方を指しているのかは分かりかねますが、皆ここに住まう方達ですよ」
これが異世界転生とか異世界転移ものならファンタジー要素で獣人がいるとか、外国人だらけとか魔法を売ってるとかあるかと思ったけどそんなこともないみたい。ものすごく昔の日本だったらこんな感じだったのかも……?
大通りの先はどうやら十字路となり更に先にも店が続いているらしい。物珍しそうに周りを見回しながら先に進んでいく聖菜は、通りの人々の表情が徐々に強張り多くの人に伝染し、みんな端に捌けているのに気が付かなかった。
「莉里さーーん、ちょっとこっち見ててもいいですかーー…あっ」
聖菜は十字路付近で莉里の方に振り向き声をかける。莉里の驚いた顔とどんっと何かにぶつかり声が出たのは同時だった。
「いった……すみません、よそ見してま……し……た……」
聖菜は背中を摩りながら当たった人物に謝ろうと振り返り、息を飲む。
こちらを見下ろす高い影。その表情は酷く冷めた目以外見えない――ガスマスクで隠れているからだ。
普通じゃない。全然普通じゃない。異質なものが入りこんでいる。
そんな感覚を覚える。しかもガスマスクを付けた人物は1人ではなかった。後ろに十数名が列をなしている。全員真っ黒な服に身を包んでいるからなおさら異質な存在に思えた。
「貴様、我らの道を阻むとは死にたいようだな」
ガスマスクを付けた背丈のある人物がくぐもった声を発する。
最期の英雄と至高の悪人 倭華わっか @wakawakka
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