第16話 ご主人様


「さっさと起きろです、ヘタレ野郎!」

「いでっ!」


 内側からも外側からもズキズキ痛む頭を押さえながら目を覚ます。


「こ、こっち見るなです、変態!」

「ご、ごめん!」


 思わず謝ってしまった。


 だって仕方ないだろう?

 目の前に、胸元を柔道着で隠している夏実ちゃんがいたんだから。


 …………


 いやいやいや。

 ないから。

 ありえないから。


 夏実ちゃんなんて見た目は小学生と変わんないんだよ?


 犯罪だから。

 別にロリは好きじゃないから。

 エロ漫画はフィクションだから。


 俺は必死に自分を言い聞かせる。


 …………


 あっるぇぇえぇ?!


 一体何がどうなってんの?!

 俺、何かやらかしちゃったの?!


「…………」

「…………」


 シュルシュルと夏実ちゃんが着替える衣擦れの音が、2人きりの柔道場に生々しく響く。

 それが余計に俺の罪悪感を掻き立てた。


 とりあえず、俺に出来ることはただ一つ。


 誠意を見せることだけ。


 ――そう、土下座である。


「ご、ごめん、夏実ちゃん!」

「…………」

「俺、何も覚えてなくて、だからそのっ」

「……何について謝ってるんすか?」

「……え?」

「だから、何について謝ってるかって聞いてんですよ!!」

「い゛でっ!!」


 ゲシッと土下座してる後頭部を容赦なく踏み抜かれた。

 あまりの衝撃で目がチカチカする。


「自分にっ! あんなことしてっ! 知らないなんてっ! 一体なにをっ! 謝ってんですかっ!!」

「ごめっ! なつみっ! いだっ! ちゃんっ! ごめっ!」


 何度も何度も執拗に頭を踏まれる。

 いくら特別小柄な夏実ちゃんでも、何度も踏まれるとさすがにかなり痛い。


 傍から見れば、小学生みたいな夏実ちゃんに踏まれる姿なんて、滑稽以外の何者でもないだろう。

 一部の人にはご褒美かもしれないが、生憎と俺にそんな趣味はない。


 それにいつもはあれだけ温厚で人懐っこい夏実ちゃんが、これだけ怒ってるのだ。

 よほどの事を俺はしてしまったんだろう。


 今はただこの痛みを享受するだけ。


 ……だけどさすがにちょっと痛すぎるかな?


「な、夏実ちゃんっ! なんでもするっ! なんでもするから許してっ!」

「何でも?」


 ピタリ、と足蹴が止まった。

 ある程度気が晴れたのか、どうやら話を聞いてくれるみたいだ。


「何でも……と言いましたね、先輩?」


 頭上の気配がガラリと変わる。

 ゾクリ、と首筋の後ろに刃物を押し付けられたと錯覚した。


「夏実ちゃん……?」


 思わず顔をあげ、息を呑む。


 情欲に濡れたかのような瞳が俺を射抜く。

 まるで男を誘うかのように頬を赤く染め上げ、チロリと艶かしい舌を覗かせては唇を舐める。



 ……誰?



 幼い夏実ちゃんの顔立ちと裏腹に、どこまでもを感じさせる表情に戸惑ってしまう。

 羊の皮を被った、なんていうけれど、これはまるで子犬の皮を被った獲物を狙う狼だ。


「ああ、先輩ごめんなさい……自分蹴りすぎちゃいましたよね」

「え? え? ちょっと?」


 先ほどまで足蹴にしていた勢いはどこへやら、俺の後頭部を愛おしそうに引き寄せる。

 この急激な態度の変化についていけない。


「ああ、腫れてしまってます。自分、遠慮なく踏みつけたもんですから……んっ、ぺろっ、ぴちゃっ」

「っうひゃいっ?!」


 そして、いきなり夏実ちゃんにたんこぶを舐められた。

 あまりの予想外な行動に、喉の奥から無理やり変な声を絞り出されてしまう。


「夏実ちゃんっ?!」


 一体どういうことかと、顔を上げる。


「っ?! こっち見やがるな、ですっ!」

「ぶへっ?!」


 そして頬に強烈なビンタを食らった。


 え、えぇぇえぇっ?!


「ああ、また自分が……すいません、こんなに赤くなって……先輩も悪いんですよ? 急に自分の方を向くから……」


 かと思えば、大切なものを丁寧に扱うが如く、俺の頬を優しく撫でる。

 ひんやりと少し冷たい手が、まるで獲物を甚振る爪のようにも感じてしまう。


 もはや俺は、混乱を通り越して恐怖さえ感じていた。


 返して?


 ついさっきまでの、明るくて人懐っこい夏実ちゃんを返して?!


 って、原因はまたもや俺だよどちくしょぅおぉおおぉっ!!


 肉体的にも精神的にも痛い頭を抱え、鎖に繋がれていない猛獣に対する警戒心でもって夏実ちゃんを見て――


「あ、あぁあぁっ」


 ――たら、突然自分の身体を抱きしめて、恍惚とした表情で悶え始めた。


「ど、どうしたの?!」

「先輩のその眼差し、たまんないですっ」

「ま、眼差し?!」


 奇異なものを見るような目の事かな?


「……先輩だけなんですよ」

「な、何が?」

「ちゃんと自分を見てくれるのって」

「そ、そんな事ないと思うぞ」

「そんなことはないですっ!」

「うわっ!」


 息も荒く、頬を上気させた夏実ちゃんに押し倒される。

 四つんばいになって俺を畳の上に縫いつけ見下ろす瞳には、狂気にも似た光を湛えドロリと濁っていた。


 気分は飢えた狼に押し倒され、牙を突き付けられた草食動物である。


「先輩だけが胸を見ない! 先輩だけが自分を女子として見ない! 先輩だけがっ、先輩だけがありのままの自分を見てくれてるんですよ!」

「お、落ち着いて、落ち着こう、夏実ちゃん?」

「落ち着いてますよぉ、せんぱぁい……」


 夏実ちゃんはいっそ情けないまでの声を出し、身体を熱く火照らせながら、鼻を俺の首筋に擦りつけて来る。

 俺はいつ噛み付かれたものかと気が気じゃない。







「だからね、先輩。自分をペットにしてください」


「…………うぇへ?」






 素っ頓狂。

 そんな声が出てしまった。


 夏実ちゃんは普段の人懐っこい笑顔を淫蕩に瞳を濁らせて、そんな事を言ってくる。


「ペットが嫌なら、玩具でもいいですよ?」

「待って、夏実ちゃん!」

「こ、こんな事誰にも言うわけじゃないんですからね?!」

「それはわかってるから!」


 こんなツンデレ嬉しくない。

 そして誰にでも言っていたら大問題である。


「いいですよね? 自分もっと先輩に、女の子として意識されていないだけじゃなく、モノや所有物のように扱われたいです」

「な、何言ってんの?」


 どこか頭を打ったりしてない?


「先輩、何でも言うことを聞くって言いましたよね?」

「じょ、常識的に考えてそんなこと出来るわけ――」

「『やた! 夏実ちゃん最高! 愛してる!』」

「……え?」

「まだありますよ『夏実ちゃん、結婚して!』」


 夏実ちゃんのスマホから俺の声が再生されていた。

 へ、へぇ、俺の声こんな感じなんだぁ?


「ああ、完全に下心がなく女の子扱いしていない、からかい100%のこの台詞、ぞくぞく来ます……ッ!」


 くねくねと身を捩じらせながら言う様は、まるで恋する乙女のよう。

 どちらかと言うと餓狼がご馳走を前にお預けされているほうが正しいかもしれない。


「これ、彼女達に聞かせたらどうなると思いますか?」

「――ッ?!」


 小春や美冬にこの録音を?


 ……


 …………


 ………………………………


 あれ、変な汗が出てきて、恐怖で脳が考えるのを拒否してるぞう?


「あはっ」

「な、夏実ちゃんっ!」

「よろしくお願いしますね、ご主人様♪」

「……………………はい」


 こうして俺は夏実ちゃんのご主人様になってしまった。


 ちゃんと責任持ってお世話できる気がしないけどっ!!

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ある朝、不仲の妹が隣で全裸で寝ていていきなりデレ始めたのだが!? 雲雀湯@てんびんアニメ化企画進行中 @hibariyu

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