第15話 狼藉
あれから数日、
「…………お、おにぃ、その、テレビ」
「ん、ああ、すまん。部屋戻るわ」
「あっ…………」
例えばリビングで遭遇した時。
今までなら舌打ちと共に『くさいからどいて』『キモいし邪魔』とか言われて部屋を辞しただろう。
先日までなら『お兄ちゃんっ』なんて甘えた声を出して、俺の膝の上に座ってきたかもしれない。
決して、今みたいにどこかしおらしい態度で、普通の会話というのは成り立たなかったはずだ。
呼び方も『おにぃ』に変わってるし。
他にもある。
朝起きて、隣に小春が居ないのだ。
起こしに来ることも無ければ、ベッドの中に潜り込まれて
何を言っているかよく分からないだろう?
うん、俺もよくわからん。
年頃の兄妹が同衾しているという状況が異常だっただけだ。
更には無理やり一緒に登校しようとしなかったり、校内で見かけても特に何も無い。
たまにこちらをチラチラみたり、何か言いたそうな表情をしているのは気付いている。
そこはちょっと気になるのだが……
あれ、でもこれって概ね普通の兄妹の関係なんじゃないか?
俺が望んでいたような関係なんじゃないか?
どうしてだろう? 静か過ぎて不安が煽られるのは……
様子がおかしいのは
「お、おはよぅ、あきくん」
「お、おぅ」
まず、登校時に遭遇しても俺の腕を捕獲しないようになった。
うん、捕獲。あれは捕獲だった。
毎回捕まらないようにしていたのに、何故か捕獲されてしまっていた。
見た目もコンタクトから眼鏡に戻っていた。
髪の色はそのままだけれど、以前のように三つ編みおさげに戻している。
ちょこっとだけ地味っぽい。
あと、俺の顔を見ると真っ赤になるようになった。
「顔に何かついてるか?」
「えっとね、えっとね、違うの……」
語尾の声は小さくなって聞き取れない。
なんていうか、俺を少し避けるようになった。
かといって完全に避けているわけでなく――
「美冬?」
「…………」
ちょこんと俺の制服の裾を掴み、名前を呼んだら顔を横にふるふると振る。
その可愛らしい仕草に、熊な時とは違った意味でドキドキする。
「あきくん」
「何だ?」
「あ、あたし、あんなふしだらな女の子じゃないから……」
と、キャラチェンしていた時の事を言い訳してきた。
どうやらあのときの事を思い出しては恥じているようだ。
うんうん、こういう健気な美冬は大好物だぞー。
だからね、その、気にしつつもあからさまに距離を置かないでくれるかなー?
おとーさん地味にショックだからなー?
そして、2人の様子が変わっても変わらないものもある。
「おい、大橋の奴何したんだよ……押隈さん怯えてるんじゃ」
「みふゆっち、髪型と眼鏡どうしたんだろう?」
「1年の例の子も、なんかチラチラ見るだけになったよな」
「2人とも可哀想……大橋のやつちゃんと謝れよな」
そう、俺に対する世間様の目である。
どうやら俺は小春と美冬に対して調子こいて狼藉を働いた結果、2人共怯えて俺を遠巻きに見ているらしい。
狼藉ってなんだろうね? 虎藉や熊藉を働かれた記憶ならあるんだけどね?
ともかく俺の評判は地に墜ちた。
先日2人にベタベタされている時に落ち切ったと思ったが、まだ底があったらしい。
ほら、周囲の目がその時より冷たいもの!
かつての友人達に話しかけようにも『この外道!』『女の敵!』『おっぱい魔人!』と罵られるだけ。
お昼が便所飯にならずに済んでいることだけが幸いか。
いや、むしろ冷たい視線が突き刺さる分便所飯よりきついかも……
あれ? もしかして俺の青春詰んだ?
その結論に至り目頭が熱くなったので、天を仰いだ。
――ぼやけた太陽が眩しかった。
◇ ◇ ◇ ◇
「大橋は外道!」
「大橋は受け身禁止!」
「大橋の痛みは彼女たちの痛み!」
「オラ―、大橋限定乱取り稽古もっかいいくぞーっ!」
「「「うーっす!!!」」」
「ひ、ひぃぃいいいぃいっ!」
部活での扱いも変わらなかった。
むしろ、その激しさは増している。
「おまえら、投げるのはいいけど、その、ほどほどにな?」
「「「「うぃーーーーっすっ!!!!」」」」
「わ、わかってる?」
あまりの苛烈さに、さすがの獅子先輩も顔を引き攣らせながら嗜める程だ。
止めるならちゃんと止めて欲しいかなー、なんて。
こうしてまるでサンドバックの様に投げられ放題の後、ボロ雑巾の様に道場に捨て置かれ、部員たちは帰っていった。
泣いてもいいよね、くすん。
畳が慰めるかのように俺の涙を吸い取っていく。
ふふ、お前はいい奴だよ。俺を責めないし。
そもそも畳は喋らないんだけどね!
そ、そんなところが好き……なーんて! きゃっ!
「はぁ、何を畳といちゃついてんすか、先輩」
「べ、別にいちゃついてないもん!」
「ないもん、って」
そう言って苦笑しながら俺にハンドタオルを渡してくれるのは夏実ちゃん。
……おお、この状況で俺に普通に接してくれるなんて天使じゃない?
「夏実ちゃん、結婚して!」
「……本気で言ってるなら考えますけどぉ」
「そっかー、無理か-」
「はいはい、相変わらず自分なんて眼中にないっていうか……それにしても随分と投げられてたっすねー」
「ホントもう遠慮が無いっていうかさ、俺は何もしてないのに」
「んくっ、自分の言った通り元に戻ってったっしょ?」
「そうそう、それ。夏実ちゃんなんで分かったの……ていうか何飲んでるの?」
俺の傍に座り込んだ夏実ちゃんが、こくこくと喉を鳴らしながら何か美味しそうなものを飲んでいる。
何かのペットボトルのラベルを剥がした容れ物だ。自家製のなにかだろうか?
先輩後輩分け隔てなく可愛がられた俺は潤いを求めていた。
物理的にも精神的にも。
思わずゴクリと喉が鳴る。
「水分補給用に作ってきたやつですよ。先輩も飲みます?」
「え、いいの?!」
「そんなもの欲しそうな顔してたら、あげなきゃ祟られそうっすよ」
と苦笑しながら、飲み差しのペットボトルを差し出してくれる。
え? なに? 夏美ちゃん天使なの? わんこじゃなくて天使なの?
感激しながらペットボトルを取ろうとしたら、手が宙を舞った。
あっるぇ?
「あの、先輩。これじゃ間接キスになってしまうんでちょっと待ってください」
「あ、ああ、うん」
夏実ちゃんが恥ずかしそうに手を引っ込めていた。
そうだよね、子供っぽいとはいえ夏実ちゃんも中学生。
そういうの気にしちゃうよね。
これはデリカシーの無い俺が悪い。心の中で謝っておこう。
「はい、これ。全部飲み切れないし、全部飲んでいいですよ」
「え、ホント?!」
部室のクーラーボックスに入れられていたペットボトルを渡してくれる。
ペットボトルには直接『乾夏実』と所有権を主張すべく、名前が書かれていた。
天使かな? 感激のあまり夏実ちゃん特製ドリンクを拝んでしまう。
「何やってんすか」
「や、その、あはは」
「飲むのはいいですけど、持ち帰りとか考えたら全部飲んで欲しいですね」
「飲む飲む」
受け取ったペットボトルのキャップを開けた。
プシュッ、と炭酸飲料特有の音が鳴る。
汗をかき、火照った身体に炭酸はありがたい。
乾いた身体を潤す為、一気にペットボトルを呷る。
舌と喉を炭酸が刺激し、シトラスとレモンの酸っぱい味が身体に染み渡る。そして大人が好む福……いやちょっとまて! これって明らかに――
「飲む福祉、シトラスレモンの文学的な味はどうですか、先輩?」
「夏実ちゃん……?」
それは獲物を見つけた狼に似た、獰猛な笑みだった。
そんな夏実ちゃんの笑顔を最後に、俺の意識は暗転した。
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