第2話 島へ行きたい
わたしに読書の習慣があるのは、今年77歳になる母親の影響です。
母親の趣味は読書。本を読むのが好きで、時間があれば読んでいました。いわゆる団塊の世代に属する彼女は、教養主義的な考え方と生き方を実践してきた人で、マイルドに「テレビやマンガは悪。読書は善」という価値観でもって子供たちと接していたように思います。そのため、テレビは1日30分と制限がかけられていたのに、本はいつまで読んでいても叱られませんでした。わたしが本を読むようになったのは、読書が好きだったからではなく、こういう母親に認められ、機嫌よくいて欲しかったからかもしれません。
こんな母親には死ぬまでに行ってみたいところがあるそうで――。
「プリンスエドワード島に行ってみたいねん」
「どこなんそれ?」
「カナダ。『赤毛のアン』の舞台になった島やで」
「ふーん……」
『赤毛のアン』は、カナダの作家、モンゴメリが1908年に発表した小説。日本では児童文学として有名です。わたしと同世代なら、きっと、1979年にいわゆる世界名作劇場枠で放映されたアニメ『赤毛のアン』を思い出すことでしょう。
わたしも『赤毛のアン』はアニメの印象が強く、原作を読んだことはありません。なので、母親が「プリンスエドワード島に行きたい」といったとき、それが何を意味するのか分かりませんでしたし、それが『赤毛のアン』の舞台だと知らされても、上記のような「ふーん……」というリアクションになってしまったのです。
――おかんらしいなあ。
母親は、『赤毛のアン』をはじめ、『トムソーヤーの冒険』や『あしながおじさん』、『若草物語』といった古き良きアメリカ文学(「アン」はカナダですが)と、若者が身につけるべき教養として接し、あこがれを持って読んでいたように感じます。また、昭和30年代から40年代にかけて、日本社会全体に西洋的な教養主義にあこがれる空気があったのだと思います。
☆
仕事帰りに書店で『赤毛のアン論 八つの扉』(松本侑子/文春新書)を見つけたとき、おもしろそうだなと感じると同時に、母親がプリンスエドワード島へ行きたいといっていたことが頭に浮かんできました。母親がそう言っていたことは覚えているものの、わたしは赤毛のアンの物語を知らないし、プリンスエドワード島がどんなところかもまったく知らないのです。
案の定というか、『赤毛のアン論 八つの扉』は、すでにアンの物語を読んだことがある人がより深く物語を理解し、楽しむためのガイドブックのような本でした。アンの物語を書いたモンゴメリやその家族、プリンスエドワード島の歴史、スコットランド系移民の風俗・宗教観、カナダの政治など、物語とは直接関係のないけれど、知っていればより深く物語を楽しめる情報が紹介されています。
逆にカナダの地理や歴史にまったく疎いわたしにとって、非常に興味深い内容でした。知らないことばかり。『赤毛のアン』シリーズって全八巻あるなんて知りませんでしたし……。とてもためになりましたし、もっとアメリカ(南北アメリカ大陸)の歴史を知っておいた方がいいなと感じました。
☆
写真でしか見てませんが、プリンスエドワード島はとても美しい島ですね。母親が行ってみたいというのもうなずけます。もっと元気なうちに連れていってあげられればよかったなあ。
週刊カクヨム滞在記 藤光 @gigan_280614
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