役割からの逃避

役割を離れることの快楽


旅。都会暮らし。一人暮らし。Twitter。隠遁生活。睡眠。自殺。


いずれも逃避的なものだ。これらに共通するものは「役割を離れること」である。


大抵の人は何らかの地位につき、役割を担っている。家族、職場、友達、人と人が互いの名前を認識して付き合うとき、そこには必ず役割が発生する。そこから外れた振る舞いをすることは、役割に対する不適格さの表明であり、したがって地位の剥奪を意味する。職場で横領した職員がクビになるのは、あるいは不倫した男女が離婚されるのは、もはや当該人物がその役割を果たせないというのが明らかになったからだ。


役割を果たす。果たし続ける。果たせなかった場合、あなたをどうするかは、もはやあなたが決めることではない。上司なり配偶者なりが決めるのだ。人はみなこの緊張感の中で暮らしている。


これは端的に言ってストレスだ。それ故に、人はみな役割から解放される瞬間を求める。


例えば一人旅の宿で、あなたはもはやあなたではない。社員でも、誰かの親友でも、子でも親でもない。あなたは客①だ。役割と言えば割り当てられた部屋からはみ出さず収まっておくくらいのもので、中で何をしようが誰もが気にしない。


例えばTwitterで、いきなりチンポと叫ぶ。あなたは何も失わない。あなたは匿名のアカウントの一つだからだ。botの誤作動と大して変わらない。


例えば眠りの中で、あなたは何の責任もない。寝ている人間というのは実際イソギンチャクみたいなもので、確かに生きてはいるが、覚醒時の人間とは全く違う存在の仕方をしている。寝ている最中の人間に仕事をまかせる人間などいない。仕事を言い渡すのは大抵の場合、叩き起こしてからだ。


役割から開放される瞬間は必要不可欠だ。もし休息の瞬間が無ければ、それこそ役割を十全に果たし続けることなどできない。


役割の中身はどうでも良い。役割を果たすこと、役割を任されること、それそのものがプレッシャーだ。中身の軽重を問わず、ただ役割があることそのものの苦しみがある。


それを忘れる瞬間は、絶対に必要だ。

一瞬だけ役割を降りることを、引け目に思う必要はない。休むのは怠惰だからではない。皆そうなる。なんとなれば、最後には誰でも、全ての役割を降りた気楽な灰になるのだから。

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日記 いとうはるか @TKTKMTMT

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