相合傘
香久山 ゆみ
相合傘
「ひっ」
教室に入る前から異様な雰囲気を感じていた。向けられる視線、ひそひそ囁く声。気付かないふりをして廊下を遣り過ごし、教室へ入ると、黒板にでかでかと書かれた相合傘が目に入り、思わず声が出た。けれど、ぐっと息を呑んで黙って黒板消しで名前を消す。
振り返って教室中を睨みつける。誰が一体私の名前を。名乗り出るものはいない。それどころか、皆の視線が一心に私に向けられる。まるで責めるように。
そうだ、これを始めたのは私自身なのだ。
黒板を見上げる。なるべく見ないようにして消したけれど、背の届かなかった上の方には、消し残った「あの名前」が薄ら見える。
田舎の祖母の具合が悪いということで、母とともにこのド田舎まで越してきた。山と畑と田んぼ以外何もない場所だ。車で祖母宅へ向かう道中、林の中に忘れられたような神社があり、その割に妙に手入れされているのが異質で、「何あの神社、変な名前」と指差すと、「お前はあそこに近付くんやないよ」と祖母に睨まれた。運転中の母とバックミラー越しに視線が合ったが、何も聞こえなかったとでもいうようにふいと視線を逸らされた。
転校初日に学校へ行くと、タイムスリップでもしたような気になった。もう中学生だというのに、誰一人スマホはおろか携帯電話さえ持っていないという。
「な。都会やとどんなことが流行ってんの?」
早速クラスメイト達に囲まれたけれど、馴れ合うつもりはない。祖母が落ち着けばじき私は街へ帰るのだ。かといって、彼らに舐められるのも癪だ。
私は黒板に大きく相合傘を書いた。
それで担任の女教師の名前と、その隣にあの変な神社の名前を書いた。
「SNSで流行ってる都市伝説でね。こうやって神様と相合傘を書くと、その人は連れて行かれちゃうの」
そう言い終えぬうちに、皆目配せをしてそわそわ居心地悪そうにしている。田舎は迷信深いのだろう。私は教師だって恐れないのだ。まあ、この土地で知っている名前がその二つだけだったってこともあるけれど。満足してチョークを置いた。
当然そんな都市伝説など実在せず、その場合わせで適当に作ったものだった。
けれど、翌日から女教師は学校に来なくなった。なぜ? 祖母があの神社には関わるなと目を吊り上げたことが今更ながら恐ろしく思い出される。
ツギハオマエノバンダ――。
訳の分からぬ土着の神になど連れ去られてなるものか。私は部屋に引き籠もり、扉も窓も全部締め切って布団に包まり、誰が呼んだって街に帰るまでここから出ない。
*
「おい、転校生来んようになったやない」
「ありゃー、サプライズやりすぎたんかな?」
「都会の子は純粋やから」
転校生が不在の教室でクラスメイト達が話している。
「あの子、何も知らんとあの相合傘書いたんかな」
「知ってたら、引っくり返りよるぞ。純粋やから。くっく」
「地元の子供はあの神社には近付くな言われてるものな。大人がラブホ代わりに使いよるから」
「その分、子宝の御利益はすごいもんやけど」
「あ。美里先生、つわり落ち着いたし明日から出てくるって。チャットきてたわ」
アカウント名をビジネスネームやなくて本名にしてはるから、見落としてた。女子生徒がスマホ画面を向ける。
「おーい、見つけたぞ」
教室の隅で男子生徒が声を上げる。すぐに、クラスメイトのスマホにURLが転送される。転校生のSNSアカウントだ。
「都会の子は承認欲求強いんかね。無防備に写真載せて、個人情報も結構書いてるなあ」
「そしたら、あたし今日あの子の家行ってくるわ。ミコやから安心せえ言うて。お父さんの赴任先とか、飼ってるハムスターの名前とか当てたら信じるやろ」
「お前、巫女やないやろ」
「マミコ、やから嘘とちゃいますぅ」
素直に冗談だったと言ってやればよいものを、親切なのか何なのか。
「あの子、すごう悪口書いとるよ。田舎には何もないって。そんなら、もうちょっと田舎者の退屈しのぎに付き合うてもらおかな」
*
そうして、驚かされたのはクラスメイト達の方だった。
放課後、数人で連れ立って転校生の家を訪ねたが、おばあさんが一人で暮らすだけだった。腰は悪くしたが、街から家族など来ていないし、孫娘などおらぬという。学校に確認しても転校生なぞ知らぬと言われた。確かに皆で確認したはずのURLも、もうどこにも繋がらなかった。
教室に戻ったクラスメイト達は呆然と立ち尽くす。そうして誰となく、黒板の端に消し残っていた名前を完全に消した。もう転校生の名前を口にするものは誰もいなかった。
相合傘 香久山 ゆみ @kaguyamayumi
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