「ねえ、ノエルくん。私とゲーム前にした話って覚えてるかな?」

「……ゲーム前に、ですか?」

「ノエルくんをお家に迎えに行って、ゲーム会場に向かう車の中でした話だよ」

「えっと……、ああ、セックス――、の話ですか……?」

 あやふやな記憶の糸を手繰り寄せ、辛うじて指先に触れた話題はそれしかなかった。正解を待つ回答者のようにそろそろと視線を向けると、


「うん、そう。セックス」

 ライラさんは満足そうに微笑みながら頷いてくれた。


 デスクに頬杖をついて俺を見つめながらライラさんがセックスと口にした唇が、ネオンの光を反射して艶めかしく輝いて見えた。


 口紅なのだろうがライラさんの唇には色が付いているようには見えなかった。それでも光を反射して『セックス』と単語を紡ぐその動きを目で追うだけで、胸の奥から熱が湧き上がってきて落ち着かなくなった。


「ノエルくんは、セックスがしたいんだよね?」

「え、っと、……まあ、一応」

 自宅から連れ出されてワゴン車の中でライラさんと交わした会話を思い出し、問い質されるせいで何度もセックスと連呼されて決まりが悪くなってしまう。


 復唱されることで自分がどれだけ馬鹿なことを口にしたのか指摘されているみたいで、いまさら無駄とは知りつつも煮え切らない返答で誤魔化すしかなかった。


「じゃあ、私がさせてあげるよ。セックス」

 デスクに肘をついた頬杖の姿勢のままライラさんは抑揚なく言い切った。


 聞き間違いかと思ったが、上目遣いで「どう?」と問いかけるみたいに首を傾げてみせられ、何と返答するのが正解なのか計りかねてしまう。


「……冗談、ですよね?」

「どうして? 私は本気だよ?」

 尻込みもせず即答してくるが、あまりに躊躇いがなさ過ぎて逆に真実味が感じられない。


 しかし、あいかわらず口調は淡々としているものの、ライラさんの眼差しには嘘や冗談を言っている雰囲気は感じなかった。


「……ほ、本当の、本気ですか?」

「うん。もちろん」

「……ライラさんが、……セックス、させてくれる?」

「そうだよ」

「……え、……ええ、……女神ですか?」

「ふふふっ」

 堪えきれずに吹き出したライラさんの笑みは、ここに至るまでに見た中でも特にあどけなく年端の行かない少女みたいに見えた。同時に、これ以上しつこく疑って女神の微笑みを絶やしてはいけない気がした。


「ノエルくんが今後もゲームを続けて優勝することが出来たら、私とセックスしたいって、そう願えばいいよ」

「願う?」

「うん。今夜行われたゲームはトーナメント戦になってるんだよ。勝利チーム同士が戦い抜いて優勝チームを決めるんだけど、最終的に優勝したチームメンバーにはどんな願いでも叶えられる権利が与えられるんだよ」

「どんな、願いでも……?」

 馬鹿みたいにおうむ返しで繰り返す俺にきっちり頷いて見せてから、ライラさんはデスクの引き出しから一枚の紙を取り出す。


「さっきも言ったけど、ノエルくんを担保にしてお母さんはお金を借りたんだよ。つまりお母さんがサインしたこの用紙に記載された債権者はノエルくんを好きに扱うことが出来る。そこでノエルくんには残っている借金を肩代わりさせることになったんだよ」

 業務的とも思える淡々とした口調で引き出しから取り出した紙を俺に見えるように広げてくれる。どうやら借用書と書かれていることだけは見てすぐわかったが、その後に続いている甲だの乙だのと書かれた細かい文字の確認なんてする気にもならなかった。


 あのギャンブル狂いのアル中が俺を担保に金を借りた。それだけだ。やりそうだとしか思わなかったから疑うだけ時間の無駄だと呆れるだけだった。


 それにしても、首を吊って自死を選んでなお俺に迷惑をかけてくることにだけは新鮮な驚きを覚えた。あのクソ母親と俺とどっちが先に死ぬかの我慢比べくらいのつもりで引き籠もっていたのに、籠城を決め込んでいた間に俺の身柄は売り飛ばされていたのだ。つくづくあの母親は人としてもクソでしかないと思った。


 俺を担保にどれだけの額を借りたのかは知らないし知りたくもなかった。

 おそらくびっくりするような安値で売り払われただろう俺に、どうやら一発逆転のチャンスが舞い込んできたらしい。


「どんな願いでも叶えられるってことは、つまり……」

「うん、ノエルくんが思っているとおりだよ。このゲームに参加してる人たちはみんな、残っている借金残高を帳消しにしてもらうことを願うためにゲームを続けるんだよ。ファイトマネーだけで完済出来るならそれが一番なんだけれど、借金の額は多かったり少なかったり人それぞれだからね」

「じゃあ俺の場合は……」

「ノエルくんはゲームを頑張ってファイトマネーやボーナスで借金を完済したうえで優勝を目指す。そうすれば借金を無しにする必要はなくなるから、どんな願いでも叶えられる権利で私とセックスしたいって願えばいいんだよ」

 いまいち理解に時間のかかる俺を急かすでもなく丁寧に、どうすれば自分とセックスできるかを説明してくれる。


 そんなライラさんの態度はすごく親身に相談に乗ってくれる小学校の先生みたいだった。絵に描いたような無償の愛を注いでくれる小学校の先生なんて存在しなかったから想像の域を出ることはないのだが。


 とにかく、ライラさんは懇切丁寧に自分とセックスに至る手段を教えてくれているのだ。自室に引き籠もってゲームをしていたのがほんの数時間前だなんてとても信じられなかった。何の刺激もなく代わり映えなんてするはずのない毎日を無駄に消費し続けていた俺には、立て続けに流れ込んでくる情報量の多さに目が眩みそうだった。


「そ、そんなお願いして、本当にしてくれるんですか……?」

「するよ。それがルールだし、優勝チームメンバーに与えられる権利だもの。約束するから私を信じてね。どう? それなら頑張れそうかな?」

 冗談や軽口で適当なことを言っている風ではなかった。けれどどこまで本気で言っているのかも判断がつかない、口の端をほんのわずかに緩ませただけの見逃してしまいそうな微笑みを浮かべていた。


「あ、……もしかして私が相手じゃ不満かな? もっと若い子の方がいい? ごめんね、だったら誰か――」

「いいっ、いやいやいやっ、そ、そそ、そんなことは、ないですっ!」

 暗い室内でも濡れたように輝きを放つ漆黒の瞳を大きく見開いて、冗談めかすでもなくそんなことを言ってくるライラさんを遮って、俺はたじろぎつつも両手を振って否定してみせる。


 年の頃までははっきりとはわからないし訊ねることなんて出来るわけもないが、ライラさんは少なくとも俺よりは年上に見える。それでも二十歳そこそこであろうライラさんは充分すぎるくらい若いし、そのうえなにしろ美人だった。あどけなさが残る顔立ちではあったが落ち着いた口調や仕草はやけに大人っぽく、女性とまともに接した経験のない俺からすればモデルや芸能人と言われたら素直に信じてしまうくらいの麗しさだった。


「そっか、良かった。それじゃあ決まりだね」

「あ、あのっ」

「うん? なにかな?」

「ライラさんは、そんな無理やりな願いで俺とセックスするのって……、嫌だったりしないんですか……?」

「もしかして、誰にでもこんなこと言ってるって思ったかな?」

「そ、そんなことは……、いや、はい。ちょっとだけ……」

「ふふっ、ノエルくんは素直だね。私は、私のために頑張ってくれる人のことが好きなんだ。たくさん頑張ってくれる人のことをどんどん好きになっちゃう。だからノエルくんが頑張ってくれたら、私もノエルくんのことを好きになる。そうなれば、私たちは好き同士になるってことだよね。好き同士がセックスするのは普通のことだよ」

 小さな子供を優しく諭すような口調と眼差しに、俺はあまりにも簡単に射竦められた。


「好き同士……、俺とライラさんが……」

 声に出して反芻することでやっと言葉の意味を飲み下せた。


 俺が頑張れば、ライラさんは俺のことを好きになってくれる。


 あまりに人から好かれた記憶がなさ過ぎて、俺なんかのことを好きになってくれる人がこの世に存在していることが信じられなかった。

 それでも胸の内側でいきなり暴れ始めたみたいに高鳴る心臓は、期待を隠しきれずなにかの弾みで爆発してしまわないか心配になるほどだった。

 そして同時に、自分の意思とは無関係に胸を高鳴らせていることを、ライラさんに悟られるのがたまらなく恥ずかしいと感じた。奥歯を噛みしめて必死で平静を装いながら何食わぬ顔で頷いてみせるのがやっとだった。


「うん、頑張って好き同士になろうね。それじゃあ部屋に案内するね」

 不自然に違いなかった俺の態度を気に留めることもなく、ライラさんはちらりと手首の腕時計に視線を落としてから立ち上がった。



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2024年12月12日 20:00
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Pretender Show 亜麻音アキ @aki_amane

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