「こんな……、殺し合いをやらされるなんて、聞いてないんですけど……」


 これだ。これがいま一番知りたい、確認を取りたいことだった。


 俺がわけもわからないままプレイさせられたものがいわゆるデスゲームだなんて、まったく知らされていなかったのだから。


「うん。言ってないからね。だってただのゲームだし」

「ただのゲームって……、でも、俺が、撃って、――殺したんですよね?」

「そうだよ。ゲーム内で敵キャラをキルしたんだよ」

 ライラさんの言葉は間違ってはいないのだが、どこまでも軽かった。


 あえて軽率な態度を見せて俺のことを試しているわけではなく、心の底から純粋に言葉のままの意味として、ただのゲームとしか思っていないようにしか見えなかった。そもそもライラさんが俺のことなんかを試す必要がないのだ。


 キルと連動して頭を撃ち抜かれ、その映像を楽しく観戦している奴らがいるのだ。

 俺は今日、たまたま死ななかっただけだ。


 ゲームの勝敗は賭けの対象として盛り上がるのはもちろんだが、最悪キルされて死んだら死んだでその生々しい映像でも盛り上がっているのだ。

 俺の母親が人生を棒に振ってまでイチかバチかの大勝負に挑んでいたギャンブルとはきっと根本的に違うのだろう。

 ここで趣味の悪い賭けに興じるような連中は金に困ってなんていない。最底辺の人種に殺し合いをさせるのは、大昔から脈々と続けられてきた上流階級たちの最高の娯楽なのだ。


 だからライラさんにとっては今この場で会話をしている相手が俺であろうと、額に穴を開けていたおじさんであろうとどちらでも大差ないことなのだろう。


 その証拠に余計なことを口走り始めた俺の気を紛らわせるつもりなのか、

「今日のノエルくんのファイトマネーの内訳は、まずゲーム参加で50万。チェアに座っただけで50万だよ、嬉しいね」

 高らかに歌うような口調で、俺が摘まんでいる封筒を指差し聞いてもいない明細書の内訳を説明してきた。


「50万……、円、ですか?」

「もちろんだよ。さらにキルボーナスが加わるからまだあるよ。対戦相手を一人キルするごとに10万プラス。しかも今夜のノエルくんにはオールキルボーナスでさらに50万プラス。そして勝利チームボーナスでさらに50万プラス。これで総額200万になったよ、すごいね」

「でもこれ、紙切れしか入ってないですけど……?」

 摘まんだままの封筒をほんの少しだけ掲げて示す。ぺらぺらの封筒の軽さのせいで大きすぎる金額を耳にしてもまったく実感は伴わない。


「うん。今夜のノエルくんのファイトマネーである200万は、全てお母さんの借金と利子の返済に回ったからね。その明細書に記載されてる額は差引残高だよ」

「……つまり、俺は何一つ知らされることのないまま、……人を殺して200万を手に入れたってことですよね?」

「違うよ。200万貰えるゲームをプレイした代わりに、顔も名前も知らないどこかの誰かがたまたま死んじゃった。ただそれだけだよ」

 言い淀むこともなく、正面からまっすぐに見つめてくるライラさんの眼差しはとても無垢に見えた。その場しのぎの嘘でも体の良い建前でもなく、本当に心の底から言葉のままの意味で言い切っていた。


 その、まるで濁りを感じさせない眼差しを見つめ返していると、自分の中で引っかかっている何かがものすごく取るに足らないことのように思えて焦ってしまう。


「いや、でも、そんなの――」

「常に危険と隣り合わせのお仕事だと思えば割り切れるかな?」

 どうしても納得しきれず、かといって着地点さえ見失ってぐずつく俺を遮ってライラさんが続ける。


「たとえば高所作業員の人たちのことを想像してみて? ほんのちょっぴり足を滑らせただけで真っ逆さまだよね。でもそれって、自分で足を滑らせようと隣の作業員の腕がほんのちょっとぶつかったせいだったとしても、落っこちて死んじゃう結果はどっちだろうと別に変わらないでしょう?」

「それは……、そう、ですけど……」


 ライラさんの喩えは正直よくわからなかった。


 本当にそうなのだろうか。なにか根本的に間違っている気もするが、やはり気持ちに余裕がないせいで頭を回転させるのが億劫だった。


「ノエルくんは一歩間違えれば命を落としちゃう危険なお仕事をこなしたんだよ。同じお仕事をしていた別の誰かは運悪く死んじゃったんだよ。それだけのことだよ。ノエルくんが気にすることじゃないんだよ」

 デスクに肘をつき、細い顎を頬杖で支えて上目遣いを寄越すライラさんはやけに幼く見えた。どうしてそんなに小難しく考えて悩んでいるのかちっとも理解できないと、その表情だけで伝えているみたいだった。


 危険な仕事か。いまいちパッと思い付かないが、確かに常に危険と隣り合わせの仕事は世の中にいくらでもあるだろう。それはわかる。しかし、それならそれで負けると死んでしまうゲームをプレイして200万という金額がはたして高いのか安いのか、割の良い仕事だったと受け止めて良いのかわからなかった。


「もう一度ちゃんと明細書を確認してくれるかな? その一番下に記載されてる差引残高が、これからノエルくんが返済するべき金額だよ。簡単に言えば残りの借金だね。この先ゲームが進むごとに純粋なファイトマネーはもちろん、各種ボーナスもどんどん額が増えていくから今夜みたいに大活躍を続ければわりと早く完済できると思うよ」


 言われるがまま改めて封筒から紙切れを引っ張り出し、細かい文字の並んだ一番下に記載されていた金額は、一、十、百、千……、たぶん2000万だった。

 実際はそんなキリの良い数字ではなかったが、とにかく端数を気にしても意味がない桁数だった。


 借金の残高として、それが途方もない額なのかどうかいまいちピンと来なかった。

 俺が唯一経験した土木工事のバイト一ヶ月分の給料と比べればもちろん桁違いの額だったが、先ほど数分間プレイしたゲームで200万というのであれば、まるでたいしたことのない額とも思えた。


 いずれにしろ、そんな借金を苦に俺の母親は首を吊ったのか。ろくでもないうえに馬鹿なやつだと思った。そもそも子供の金にまで手を付けて借金を膨らませている時点で疑いようもなく大馬鹿には違いないのだが。


「……いやでも、俺、出来ないです」

「どうして?」

「だって、顔も名前も知らなくても、対戦相手のプレイヤーが本当に死ぬだなんて知らなかったから、撃っただけで……。俺は、そんなつもりだったわけじゃ……」


 殺すつもりで撃ったわけじゃない。そう言いかけて思わず言い淀んでしまった。


 そんなつもりと濁しておけば、あのモニターに映し出された凄惨な光景を受け止めずにいられるような気がした。


 仕事の報酬として200万貰えようと、返すべき借金が2000万あると詰め寄られようと、電卓で数字を叩いて引き算するみたいにはとてもじゃないが飲み下せなかった。


 どんな理屈をねじ曲げて並べ立てられようと、人が死んでいるのだ。俺が殺したのだ。


 ライラさんはこの先ゲームが進むごとと言った。つまり今夜みたいなゲームがまだ続くのだ。ということは、この先も人が死に続ける。――俺が殺し続けるということだ。


「でもね、かわいそうだけどノエルくんには拒否する権利はないんだよ」

「あの母親が残した借金があるから、ですよね?」

「もちろんそれもあるんだけど、それだけだったら別にノエルくん一人が返済する必要ってないんだよ。ノエルくんの遠縁の親族とか、辿っていこうと思えば返済を迫る先ってわりとあるからね」

「え、だったら――」

「ノエルくんのお母さんは、最後の借用書でノエルくん自身を担保にお金を借りちゃったんだよ。かわいそうにね」

 淡々と落ち着いて喋るライラさんの口調は、声はかわいいのにどこまでも無機質な感じがした。

 衝撃を受けるはずの事実を聞かされたはずなのに、電話の合成音声と会話しているみたいな気分になっていちいち言葉に詰まってしまう。


「俺を、担保に、ですか……」

 ライラさんの口調のせいにするまでもなく、どんなに衝撃の事実だったところで俺はもう驚かなかった。


 母親が残した借金を返済するために連れて来られたのだと思ってはいたが、俺自身が借金のカタだったのか。驚かないどころか少し笑ってしまいそうな自分がいることに気が付いて、ぐずぐずとライラさんに駄々をこねていたことが急に恥ずかしく思えてきた。


 ゲームの結果として人が死ぬとか、俺が殺し続けるとか、そんな俺にとってだけの正当な理屈なんて初めから通らないのだ。そういう場所に俺は売り飛ばされたのだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る