【番外編】 『愛を込めたその名を、大袈裟だけど受け取って』

「ふぅ……、魔王補佐もなかなか、骨が折れますね」


 クチナシは空になった酒瓶を眺め、日頃のストレスをため息とともに吐き出す。


 窓の外には、かつての荒廃した魔界とは比べ物にならないほど、緑豊かな大地が広がっていた。

 

 その中心にそびえ立つ魔王城も、魔物たちの活気に満ち溢れている。


「魔界に平和が訪れたというのに。まさか、あのエルギアさまが、こうも勇者にご執心とは」


 そう呟くと、再びため息をついた。


 クチナシは遠い目をして、昔のことを思い出す。


――各々が領土を主張し、魔物同士の喰い合いが日常茶飯事だった時代。

 

 血の穢れが蔓延し、汚染された空気はやがて、魔界そのものを蝕んでいった。


 魔王城が建てられるよりもずっと前、そこにはクチナシのナワバリがあった。


「おい、そこのオマエ。どうせ死ぬなら、よそで死ね。肉塊ごときがワタシのナワバリをけがすな」

 

「…………」

 

「耳が腐っているのか。この死に損ないめ」

 

「………………」


 裸に剥かれた状態の小さな魔物が、地べたに這いつくばっている。

 頭髪はボサボサで、顔には大きな痣や切り傷。

 ツノと思しきものは、遊び半分で何者かに折られたようだ。


 その姿をみたクチナシは、つい昔の自分と重ねる。


 普段なら、そこらの虫でも見るような目で、一瞥して通り過ぎていただろう。

 

 しかし、あまりにもその死に損ないが弱々しかったためか、思わず声をかけてしまった。

 

 普段なら、ありえないことである。

 なんの意味もない。

 ただ、なんとなく。

 

……そう、なんとなくだが……そのときの気まぐれに


 まだ、かろうじて生きている。


「なぜ、生きようとあがく? オマエにとって、生なんぞなんの得にもなるまい」

 

「……………………」

 

 瀕死の魔物は、クチナシの声に応えることなく、ゆっくりと瞼を閉じた。


「……フン」


 その場を後にしようと踵を返す。


「あ……り、がとう」

 

「…………!」

 

 か細い声が、クチナシの鼓膜を震わせた。


「…………………………」


 その魔物はそれ以上何も言うことなく、再び意識を失う。


――なぜ?


――なぜワタシはいま、あの魔物に礼を言われた?


「おい」


「……」

 

「おいっ!」


「………………」


「起きろ……このワタシがわざわざオマエのために時間を割いてやっているというのに」


 クチナシは、再び魔物に声をかける。

 今度は、先ほどよりも強く。

 だが……返事はない。


……どうでもよかったはず。


 コイツが何者だろうと、コイツが何を言おうと、コイツがどう死のうと。

 興味を持つことは、この魔界で何の意味も持たないのだから。


……だが。


 もう手遅れだった。この魔物のことを知りたくなってしまった。


……これは、ただの気まぐれのだ。飽きたら捨てればいい。

ただ……何となく……その答えを知りたくなっただけだ。


 クチナシは魔物の手を強く握りしめ、なけなしの魔力を注ぎ込む。


 目元がピクリと動いた気がした。


 それをみて、クチナシはすこしだけ安心する。

 

……よかった。どうやら間に合ったようだ。


「…………よかった?」


 唖然とする。


「……………ハァ、今日のワタシはどうかしている」


――クチナシは、その魔物を雑に抱きあげた。


結局、コイツは……ワタシに何を伝えたかったのだ?

なぜ……ワタシは、こんなにもコイツのことを気にかけているのだ?


 その答えを、知ることはできなかったが。

 心は、少しだけ軽くなった気がした。


 数日後、小さな魔物は、無事に命を繫いだ。


 それからというもの、その魔物はクチナシと行動を共にするようになった。


 クチナシも今のままでは生き残れまいと、退屈しのぎに文字を教え、魔法を教え、生きる術を教えた。

 魔物は、賢く。努力家だった。


――あのときの言葉の意味は、まだ分からない。


 教養を学ばせるには、まず己が教養を身につけなければならない。

 クチナシはこっそり人里に降りては、そこでの文化、価値観、営みを肌で感じ取り、その全てを魔物に教えた。


――あのときの言葉の意味を、まだ聞けない。


 感情の表し方を、この魔物は理解していないようだった。

 クチナシは、笑顔の作り方を教えた。


「ク、クフフ、クフフフフフフ」

 

 耳まで裂かれた口がよほど怖かったのか、めちゃくちゃ泣かれた。

 かなりヘコんだ。

 それ以降、口元を布で覆い隠すようになった。


 それから数か月、魔物の無表情だった顔がだんだんと柔らかくなっていく。

 控えめな笑みが生まれるようになったとき、クチナシはたまらずその魔物を抱き締めていた。


――あのときの言葉の意味を、まだ聞きたくない。


 聞いてしまったら、今度はワタシが手放せなくなる……そんな気がしていた。


――この感情がなんなのか、まだ気付きたくない。


 魔物には才があった。

 カリスマ……というべきか。

 魔界に生きる魔物達が、こぞってその魔物の元に集まり始めた。

 クチナシは、それを誇らしく感じた。


 魔物は大きくなり、クチナシに名前を授けて欲しいと願った。

 

……名前というのは、特別なものだ。

 

『お前のソレは裂けすぎて、もはや口ではない。ああ、なんておぞましい』

 

 クチナシという名は、自分を産み落とした者に気味悪がられ、押し付けられた名である。

 

 何度も捨てようとしたが、結局捨てられなかった。

 果たして名を好まないワタシが、名を授けてよいものなのか。


……名が、己を縛り付けてしまうのではないか。

 

 そんな不安がつのる。

 

 だが、それは杞憂だったようだ。

 名を授かったその魔物は、東の魔王となり、その名を轟かせる。


「我は、エルギア!民のため、我に名を授けし者のため、この名を……この名を誇りとし……平和と繁栄の礎になることを!ここに誓おう!」

 

 魔王城の玉座で、エルギアは高らかに宣言した。


『うぉぉおおおおおおおお!!』


 いたるところから歓声があがる。


――『不安だから補佐役でそばにいてくれぇッ!』と、泣いてすがりついてきた魔王はどこのどいつだったか。


 クチナシはその隣で、あのときの顔を思い出して笑いをこらえる。


「なぁ。なぁってば、クチナシ」

 

 ボソッとエルギアはクチナシにつぶやく。

 その姿はクチナシから見たら、まだまだ子どものようだった。

 

 片膝をついて、続く言葉を待つ。


「我に名を授けたこと、後悔してないか?」

 

「……もちろん、後悔などしておりません」

 

 エルギアはその答えに満足したように笑った。


 そして、クチナシの耳元で囁く。

 

「ならば……この魔王の名のもとに、こっそりと誓おう」


「?」


「我が生涯を賭けて、必ずアナタに恩を返す。と」


「……………」

 

「クチナシ。我を見つけてくれて、ホントに


「!」


――『あ……り、がとう』


 ふと、あの情景が脳裏をよぎった。


「……まったく……アナタって人は……」


――あのときの言葉の意味を、ワタシは知ってしまった。


 瞼が熱くなっていくのを感じる。

 クチナシは、静かに……頷いた。


◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎

 

「あーあ。あのときのエルギアさまは、ホントに無邪気で。可愛かったのですがねぇ」


 クチナシは自室に飾っている一輪の花を眺めながら、感慨にひたる。


『エルギア』――――。

 

 今でこそ、魔界の至るところで咲いている紅い花の名だが、当時はこの大地にしか咲かない、唯一の花だった。

 

 その花言葉は、『あなたの前に幸福は訪れる』


 だから、その名を

 

――かつてアナタに救われたワタシの幸福が、アナタにも訪れますように。

 

 その花言葉を、まだエルギアには教えていない。


「いつか、アナタがその意味を知ったとき。どんな顔をするのでしょうか?……クフフフ……それはとてもとても……楽しみですね」

 

 クチナシは空になった酒瓶をそっと撫でると、気持ちよさそうな顔でそのまま眠りについたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

わが勇者をバカにするな。 赤帯 @akaobi_555

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画