第25話
何だかやけに肥えている。
とても身体が重たそうだ。
おデブだ。
鼠はエスティラの身体を上って肩に上がり、頭の後ろに回り込んで口を塞いでいた布の結び目を齧る。
緩んだ布がスカーフのように首にずり落ちた。
「ありがとう! ごめんなさい、気付かなくって」
これで会話ができる。
エスティラは口を自由にしてくれたことに感謝する。
『いや、良いんだ。人間の視界にすぐ入るようでは困るからね』
確かに、こんな肥えた鼠を使用人が見たらすぐに捕えようとするだろう。
何食べてこんなに肥えているのか。
『手首が痛そうだね、お嬢さん。協力しよう』
「良いの⁉」
『勿論さ』
エスティラは希望を見出す。
このおデブ鼠、むき出しにした前歯がかなり立派だ。
上手くすれば縄を解けるかもしれない。
『その代わり』
喜ぶのはまだ早い、とでも言いたげにデブ鼠は言う。
「取引ね」
『分かっているじゃないか』
エスティラは動物と意思疎通を図ることができるが、必ずしも仲良くなれるわけではないし、一方的な頼みを聞いてくれるわけではない。
エスティラに近寄ってくる動物や聖獣は一部は友好的だが大多数は自分の欲望を訴え、その他は珍獣見物だ。
何せ、エスティラのように動物と意思疎通ができる人間は貴重らしい。
「良いわ。私に出来ることなら誠心誠意、その望みに応えましょう」
人間と同じく、取引をして信用を得ることだってあるし、取引が必要な時もある。
今がその必要な時だ。
『母屋の厨房の外に面した壁に穴を開けてくれ』
その目的は外見からも察することが出来た。
「分かったわ。目立たない所に大き目サイズで開けるわね」
『いや、小さい方が良い。大きいとすぐ見つかるだろう?』
「でも、小さいとあなた通れないわよ」
『俺用じゃない。俺はこう見えても動きは素早いし、足には自信がある。穴は子供達のための非常口だ』
あいつらはまだ俺ほど場数を踏んでねぇからな、と格好良いことを言う。
おデブとか言ってごめん。肥えてるとか言ってごめん。
「分かったわ。約束する」
『交渉成立だ。お嬢さん、後ろを向きな』
すぐさま後ろを向くとカリカリカリカリカリカリ、縄を齧る音が聞こえる。
ふっと手首が軽くなり、ぱさっと音を立てて縄が床に落ちた。
「取れた!」
拘束から解放され、凝り固まった手や腕を解しながら辺りを見渡す。
「ありがとう! この恩は必ず返すわ!」
エスティラは膝を着き、床に顔が付く寸前ぐらいまで目線を下げてお礼を言う。
『良いってことよ。ギブアンドテイクだ』
何で鼠がそんな言葉知ってるのよ、という疑問は口に出さず、素直に感謝だけしておく。
『お嬢さん、あんたこれからどうするんだ?』
「とりあえず、ここから出ないといけないんだけど……」
ふと、壁際の隅に目がいく。
真新しい黒い布が被さった何かがあった。
何かしら?
エスティラは興味本位で布を取り払うと黒いケースが顔を出す。
開けてみるとそこに収まっていたのは白い粒が連なった首飾り、耳飾り、それからカフスボタン、ネクタイピンだ。
「綺麗だわ。真珠……ではないわね……」
大きさは違えど、素材はどれも同じだ。
白くて艶があり、美しい。
真珠と似ているが、真珠はもっと滑らかでここまで重くない。
『こいつは手を出さねぇ方が良いぜ』
「どういうこと?」
鼠にエスティラは聞き返した。
『こいつは普通の石じゃない。こんなもんを持っていたら殺されちまうぜ』
誰に? どうして?
まさか、呪いとか怨念が宿ってるとか……?
余計気になる。怖いけど。
『人間の手には余る代物だ。お嬢さんは手を出さない方が良い』
しまっときな、と忠告されてエスティラは大人しくケースを閉じ、元あったよう
に布を被せた。
『じゃあな、お嬢さん。ここでお別れだ』
「ありがとう! 約束は必ず守るわ」
そう言うとおデブな鼠は瞬く間に姿を消した。
あまりの素早さにエスティラは唖然とする。
確かにあれだけ素早ければ人間に掴まる心配はなさそうだ。
エスティラは鼠の忠告によって仕舞ったケースの方に視線を向ける。
一体、何なのかしら?
あの石が何なのか気になるが今はそんなことを考えている場合ではないのだ。
「とにかく、どうにかしてここから出ないと」
何とか重たい窓を開けると、新鮮な空気が吹き込み、髪の毛を攫う。
大声を出した所でこの邸にエスティラの味方になる人間はいない。
となると木に足でもかけてどこかの小説や絵本のように降りるしか……。
しかし所詮は物語の中。
そんなに上手くいくはずない。
見下ろせばそこは地面ではなく石畳だし、一番近い木でも二メートルは離れているし、枝ぶりが心許ない。
日当たりが悪くて生育が悪いのだ。窓から飛び降り、二メートル以上離れた木に届いたとしても掴んだ枝が折れて落下する未来が鮮明に見える。
あまりにも無謀だ。却下だ。
辺りを見渡すと離れた所に馬車が見えた。
うちの馬車じゃないわね。
黒塗りで金の装飾が離れているエスティラにも見える。
豪華で煌びやかな馬車は間違いなく、公爵家のものだろう。
そして馬車の側に人影が見える。
護衛の騎士かしら?
流石、公爵家。護衛の騎士も身なりが良い。
あの人なら気付いてくれるかも。
「すみませーん! こっち気付いてー!」
エスティラは声を出して大きく手を振るがこちらに気付く気配はない。
どうしたものかと腕を組んで思考する。
ふと目の前の鎧の兵士と目が合った。
「あんたも気の毒ね。あんな男に捕まるなんて」
エスティラは硬質な身体の兵士に触れる。
そしてピンと閃いたのだった。
魔女と呼ばれた子爵令嬢ですが、実は魔女ではなく聖女でした⁉ 千賀春里 @zuki1030
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