第5話

「う…ん、えっ」


 アニエスははっと目を覚まし、身動ぎしようとして、手足を縛られていることに気づいた。


「え、ちょっ、な、何これ」


 見慣れない部屋で寝台に寝かされ、少し手足に痺れもある。


「い、一体…」


 何が起こったのかと記憶を思い起こす。


「確か…家でお茶を飲んでいて…」


 寝る前のいつもの薬草茶を口にして、眠りについたところまでは覚えている。

 しかし、ここは自分の部屋ではない。蝋燭が灯された部屋は窓に鉄格子が嵌められ、鎧戸が下ろされている。


「な…ど、どうして…」


 寝ている間に、賊が押し寄せ拉致でもされたのか。

 

「まさか。家人に手引きした者がいる? ラファエル…皆はどうなったのかしら」


 同じ邸にいたラファエルや使用人たちの安否が気になるが、この状態では確かめようもない。


 ガチャ


 必死で状況について考えていると、扉の鍵が外される音がした。


「え、ラ、ラファエル?」


 部屋に入ってきたのはラファエルだった。


「ああ、気がついたのですね」

「ラファエル、あなたが…あなたがこんなことを? どうして?」


 それは彼女をこんな目に合わせたのが、彼自身だからに違いないと、確信する。


「どうして? あなたが悪いのですよ」


 笑顔から一転、彼は眼光鋭く睨みつけてきた。


「僕を捨てようとしたではないですか」

「あなたを…捨てる? そんなこと」


 言いかけて彼女ははっとした。


「そうです。三日前、あなたは僕に離婚を切り出した。新しい法律が施行され、もう夫婦でいる必要はないからと言って」


 女性が爵位を継ぐための条件。 

 他に直系の男兄弟がいないこと。

 健康であること。

 社会的地位のある仕事に就いていること。または就く予定があること。

 領地を運営できるだけの資質をもっていること。

 アニエスは一人っ子。健康で、騎士団では一個小隊を統率し、領地も恙無く経営できている。

 条件は十分だった。


「財産については、共同名義からいくらか僕の希望するものを僕名義にする。お金も必要な額を用立てる。あなたは自由だ。そうあなたは言った」


 アニエスは確かに彼にそう告げた。

 本当は、彼と離縁したくはなかった。彼との生活は気に入っていたし、彼が夫であることに何ら不満もない。それどころか、このままずっと続けたいと思っていた。

 しかし、彼はアニエスをあくまで「妻」という役割において見ているだけで、そこに一個人としての好感は持っていても、愛する「女性ひと」とは見ていない。

 それが彼女には耐えられなくなっていた。

 ラファエルは、過去多くの女性(時には男性も)たちからの性的な意味での好意を押し付けられていた。アニエスと結婚したのは、彼女が彼に対してそういう目で見なかったからだ。

 なのに、その自分が彼に対して他の女性たちと同じような目で彼を見ていると知ったら、彼女との婚姻関係など、到底続けられないと思うだろう。 

 蔑みの目で言われ、二度と口も効いてもらえなくなったら、きっと立ち直ることなど出来ない。


「あなたを孕ませることの出来ない、種無しの僕はもう用がないと」

「そ、そんなこと思っていないわ。ラファエルだって義務感で妻を抱き続けるのは苦痛ではないの?」

「義務感?」 

「そうよ。週一回。それすらも私の仕事の都合でお預けになる時もあって、そんなまるで日課のように夜の生活を続けて、何の意味があるというの? 少なくとも、私は…」

「それで、僕と離縁して誰か別の男と再婚するのですか?」

「え?」


 ギリギリと歯ぎしりしながら、彼は絞り出すように言う。


「これまで嫌われないように、怖がらせないようにと我慢してきたのに。どうせ嫌われて捨てられるなら、これまで我慢してきたことすべてをやらせてもらいます。『薔薇の痕』とは、意味をわかって言っていますか?」


 そう尋ねられ、顔を動かすことも出来ないので、瞼をパチパチさせて答えた。


「あなたの体にそれがないのは、僕が痕跡を残したくないからだと、そう思っていると?」


 そう問いかけられ、アニエスは薔薇の痕をラファエルが付けないことに、傷ついていたことを自覚した。


「どうなんですか?」

「……っ」


 アニエスは、自分の口を塞ぐラファエルの手の下で唇を動かした。

 それに気づいて、彼が手を離した。


「私は…妻としてあなたの求める基準に達していない。女として魅力がないのはわかって」

「誰がそんなことを言いましたか」


 はらりと落ちた前髪をかき上げ、鬱陶しそうにラファエルが呟いた。


「たとえ伯爵家の財産すべてをもらったとしても、離婚だけは嫌です」


 ラファエルは、どうしても離婚に応じようとしない。


「どうして」

「ああ、もう。そんなの、あなたが好きだからに決まっています」


 キレ気味にラファエルが叫ぶ。


「……え?」


 その言葉に、彼女は目を大きく見開いた。


「あなたが僕のことを年下のお飾り夫だとしか思っていなくても、僕はあなたでなければ嫌です」

「ラファエル…今、なんて…あなた、私のこと」

「好きです。僕か痛めつけられていたのを助けてくれた時から、あなたのことを意識していました。一目惚れです。格好良くて、誰よりも努力家でおまけにかわいい」

「か、かわいい…それはちょっと…」

「かわいいです。僕が初めての相手で嬉しかった。イク時の顔も、いつもキリリとしているのに、愛らしくて」

「ラファエル…好きって…その」

「あなたは子作りを義務だと思っているから、『薔薇の痕』を付けるのは、申し訳ないと思っていました。でも、あなたが望むなら、いくらでも付けてあげますよ」


 そう言って胸元に顔を埋める。チリリとした痛みが走る。それは一度だけでなく、何度も何度も続いた。

 胸からお腹、そして太ももの内側まで、痕を付けていくラファエルの頭の動きをぼーっと眺めながら、彼が言った「好き」という言葉を信じられない気持ちで思い返していた。


「アニエス!」

  

 ようやく彼が頭を上げた時、アニエスはボロボロと涙を流していた。それを見てラファエルは驚く。


「ごめ…ごめんなさい。私は…なんて愚かだったのか…」


 ボロボロと大粒の涙を流しながら、アニエスは何度も謝った。


「私も…あなたのことを…いつの間にか…ううん。あなたとの結婚を決めた時から、きっとあなたのことが…好きだ」


 好きでなければ、体を許したりしない。


「アニエス…ああ、アニエス」


 ラファエルは切なげに彼女の名を呟き、そして手足を拘束していた紐を解いた。


「酷いことをしてすみません。あなたに捨てられるかと思ったら…僕のこと、嫌いになりましたか?」

 

 肌に付いた擦れた痕に口づけながら、ラファエルが尋ねる。

 アニエスは唇を震わせながら首を振り、自由になった腕を伸ばして彼を抱き寄せた。


「こんなことで嫌いになんかならない。私の方こそバカで我儘で、愛想を尽かされても文句は言えない」

「そんなことありません」


 ラファエルも抱き締め返し、自然と唇を重ね合わせた。


「もう離婚のことは、忘れていいですよね」


 熱い口づけの後でラファエルが尋ね、アニエスは「ええ」と頷いた。


「本当はひと晩中、あなたを抱き潰したかった。でも、がっつくと嫌がられると思って、いつも部屋に戻ってあなたを思いながら自分で処理していたんです」


 意外な告白にアニエスは目を丸くした。


「でも、お許しが出たなら、これからは気が済むまでやれますね」

「え…」

「拘束も解いたことですし、もっと色々な体位でグズグズになるまで抱いて差し上げますよ」

「え、え、あの、ちょ、ラファエル?」


 晴れ晴れとした表情でラファエルはそう言った。


 その十ヶ月後、アニエスは元気な男の双子を出産した。

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