きゃっちみーいふゆーきゃん

鳥尾巻

ましょーのおんな、にげる

 「君がいないと生きていけない」と泣いた男は、数日後にあっさり他の女に乗り換えた。今回もまたダメだったかと吐息一つで脳内から削除する。

 私自身に瑕疵がある訳ではないと知っている。いや、人並みに欠点はあるけれど、そこそこモテると自負はしている。

 メリハリのある身体に透き通るような白い肌、絹糸のような艶のある黒髪、光を通さない貴石のような黒い瞳は濡れて潤み、ふっくらした小さな唇は常に誰かを誘うように艶めいている。たいていの男性が胸に描く「運命ファムファタル」の要素の集合体、それが私、土屋つちや 小雪こゆき25歳だ。

 当然、同性には嫌われる。普通に接しただけなのに「色目を使った」とか「男に媚びてる」と子供の頃から数々の嫌がらせを受けたものだ。だからと言って卑屈になったり、わざと目立たないように生きるなんて癪に障るから、いつだって反撃の構えは出来ている。

 とはいえ、私だって恋人が欲しい。告白だけは星の数ほど、受け入れても長続きした試しはないから、そうなるともう数を撃つしかない。マチアプに登録しても手応えは十分なのになぜか成果に繋がらない。いや、なぜなのかは分かっている。

 明日は会社の先輩に無理矢理頼み込んで合コンに参加させてもらうことになっている。初めての合コンだから気合を入れなくては。

「明日何着て行こっかな」

 独り言を呟きながらうきうきとクローゼットを開き、あれこれ悩んでいるとメッセージアプリが軽やかな通知音を奏でる。誰が送ってきたかは分かっている。タイミングのいいことだ、とメッセージの文字を横目に眺めた。

『小雪ちゃんはブルべ冬だからビビットな色合いがいいと思うよ。スカートはダメだからね。モノトーン中心でパンツスタイルがいいと思う』

「はいはい」

 投げ遣りな私の声に答えるように次々とメッセージが送られてくる。

『あまり露出が多いものもダメだよ。何時に終わるの? 迎えに行くからね』

「合コンの意味なくない?」

『そもそも僕がいるのになんで他の男と付き合ったり合コン行ったりするの?』

「うるさ」

 同じマンションの隣に住んでいるこの男、中納なかうち つかさはまるで口やかましい母親のように服装や生活態度に口を出してくる。子供の頃からそうだ。祖父同士が親友だったので、冗談で「許嫁にするか」と、五歳の時に初顔合わせさせられた日からずっと。

 二つ年上の彼は綺麗な少年だった。見た目だけは綺麗、と言った方がいいかもしれない。私も最初は王子様のような幹に見惚れたものだ。

 祖母が外国人だからなのかミルク色の肌をして、色素が薄い茶色のふわふわの髪と榛色の美しい瞳を持っていた。二人で並ぶと一枚の絵のようだと呑気な祖父たちは喜んでいたが、幹は瞳孔が開ききったガンギマリの目で私を見つめて「絶対小雪ちゃんと結婚する。結婚してくれるよね?」と迫ってきたのだ。その時勢いに押されて頷いてしまったのが運の尽き。

 幼い私は怯えた。思えば同性からの嫌がらせの半分以上は幹のせいだ。彼は見た目だけはいいのだ。ムカつくので幹を慕う女子から攻撃されたと言うと、何をしたのかは分からないが数日後には問題が解決して、いつしか私は孤立していた。

 なんとか幹を遠ざけようと無理難題を吹っかけても、彼は易々とクリアして、難関大学を首席で卒業し大手企業で着々と出世街道を歩み家事万能になり今ではハイスペックなストーカーになりつつある。やめろと言っているのにいつの間にか合鍵を作って私の家のハウスキーピングまでしている。出世頭のくせに暇なのか。かなり気持ち悪い。何もかも先回りして邪魔をして、これが私がすぐ振られる原因だと思うとムカつくを通り越して殺意すら感じる。

 私はクローゼットからビビットカラーの青いブラウスを取り出して姿見の前に立った。

「あのさ、前から言ってるけど盗聴するのやめてくれない? 犯罪だからね?」

『ねえ、小雪ちゃん、その服、胸が開きすぎてない?』

「カメラもやめろって言ったよね? 通報するよ」

『ごめんなさい。明日外しておきます。だから合コン行かないで』

「住居侵入もやめて。もう口きいてあげないから」

 冷たく言うと、泣いている犬のスタンプが送られてきた。どうせ反省なんてしていない。腹が立つので隣に面した壁を思い切り蹴っておく。

 幹は見た目だけは完璧な男なのだ。たとえ中身が盗撮盗聴趣味の私限定の変態でも。最初は驚き怯え泣き喚いた私も最近ではすっかり慣れてしまった気がする。周りに訴えても「許嫁なんだから」で流されてしまった。なんなら私がフラフラしてるのが悪いみたいな扱いだ。

 幹はどんなに冷たくしても、私と結婚することを譲らない。拭いても拭いてもガラスの容器にこびりつく汚れのように、纏わりついて離れない。何から何まで見られている生活はまさに透明のうつわに閉じ込められているようだ。

 最近は開き直ってデートのコーディネートなんかも聞いている。周りに言われるがままに結婚なんてしたくないし、恋だってしてみたい。そうして私は今日も悪あがきをしながらなんとか逃れる方法を探している。


 

 素肌を滑るシーツの感触に意識が微睡から浮かび上がる。昨日飲み過ぎたのか頭はガンガン痛むし、記憶も朧げだ。体の半分と首の下がやけに温かいのが不思議で、ぼんやりと目を開ける。

「おはよう、小雪ちゃん」

 機嫌の良さそうな声に一気に意識が覚醒した。目の前にはミルク色の肌の壁、見目麗しい王子様のような男が甘い笑みを浮かべて隣に横たわっていた。

「ひっ」

 思わず上げた声が掠れていたのは恐怖だけではない。慌ててシーツの中を覗けば、体中にあり得ないくらいの数の赤が散っていて、歯型さえついていた。何があったのかは明白だ。またやられた。

 昨日の合コンにどうやって潜り込んだのか、男性陣の席に幹が座っていたのだ。大手企業の名刺をばら撒いて「小雪の婚約者です」と名乗り、周りをけん制しまくった挙句、自棄になって飲んでいた私は女性陣の射殺しそうな視線を浴びながらそのままお持ち帰りされた。

「喉が枯れてるね。可哀そうに。お水持って来てあげる」

 枯れる原因になった男は全裸のままスタスタと冷蔵庫まで歩いて行く。この隙に逃げられないかと起き上がろうとしたけれど、腰がガクガク震えて座ることもままならない。最後の方記憶ないけど夜が明けかけていたのを薄っすら思い出した。

「はい、お水。飲める? 飲ませてあげようか?」

 ニコニコと機嫌の良い幹を睨みつけて、蓋を緩めた水のペットボトルを奪うようにして飲んだ。思ったより喉が渇いていたらしく、冷たい水が全身に行きわたる気がする。

 幹は飲み終えた私から水の容器を受け取ると、サイドテーブルの上に置いてベッドの上に座った。ぐったりしている私の髪に手を伸ばそうとするのを辛うじて叩き落とす。

「しね」

「なんてこと言うの。昨日はあんなに可愛かったのに」

「うるさい! 毎回毎回邪魔するのやめてって言ったでしょ!?」

「小雪ちゃんこそ、毎回毎回凝りもせず男漁りするのやめなよ。僕より小雪ちゃんのこと愛してる男なんている訳ないんだから」

「きもっきもっきもっ!」

「そのきもい男にあんあん言わされてたくせに」

 声が掠れるのも構わず大声を出すと、幹の雰囲気がすっと変わる。浮かべた笑みはそのままに、最初に出会った時のように榛色の美しい瞳は瞳孔が開ききって、私を見下ろしている。

 これを見るのは何度目だろう。中学生の時私と仲の良かった男友達に告白された時、高校生になって初めて彼氏らしきものが出来た時、時には怒り時には「どうして僕じゃないの」と泣いて縋り、大学生の時とうとう開き直ることに決めた幹に襲われた。

 なんでもできるハイスぺストーカーは確かに性技もすごかった。すごかったけれどもだからなんだと言うのだ。一度や二度(どころではないが)貫通したからと言って、自称彼氏の自称婚約者の自称恋人に束縛されてはたまらない。こっちにだって選ぶ権利はある。

「同意のない性交渉は犯罪です」

「同意はあったでしょ。結婚してくれるって言ったもん。録画したから見る?」

 言ってることは犯罪なのに、滑らかな頬を傾けて瞳を輝かせる男の顔にはまったく罪悪感というものが見当たらない。かわい子ぶって「もん」とか言うな。やけに似合うのがまたムカつく。

「どうせ言わせたんでしょ。ベッドの上での約束は無効です」

「指輪も受け取ってくれたよね」

 言われて自分の手を見れば、左手の薬指に大粒のダイヤの指輪が嵌っていた。私はそれを乱暴に掴んで引き抜くと、ベッドの上に放り投げた。どうせこれもGPSとか埋め込まれているに違いない。私の行く先々に現れて邪魔ばかりするんだから。昔は誕生日や行事の折にプレゼントを貰っていたけど、それに気づいてからは受け取るのを拒否している。拒否しているのになぜか先回りされる。

 私の反応に慣れ切った幹は、さしてショックを受けたふうでもなく指輪を拾い、サイドテーブルに置いた。そして私の手を取り指先で薬指を撫でる。

「わがままだなあ。気に入らないなら別のにしようか。今度一緒に買いに行こ?」

 いやだ、と言いかけて、私は口を噤んだ。ここで逆らってもまた言いくるめられてしまうだろう。私は俯いてしばし考え込むふりをしてから、精一杯幹の好きな笑顔を作って顔に張り付けた。

「分かった。好きなの買っていいんでしょ? GPSはつけないでね?」

「……うん」

「今の間はなに? つけないでね? いくら幼馴染でも警察に駆け込みますからね」

「はい」

 神妙に頷いた幹に内心ほくそ笑む。こっちだって色々やられっぱなしではないの。そう。私は今日も悪あがきをしながらなんとか幹から逃れる方法を探している。



 青い海を臨みながら白い砂浜を裸足で歩く。上り始めた朝陽に照らされた砂はさらさらと足裏を飲み込み、点々と柔らかな窪みを残していく。

 地球を半周してまた戻って赤道から少し外れた名前も知らぬ美しい南の島に辿り着いたのは三年前。気のいい土産物屋の店主に雇われて、時折訪れる観光客相手に細々と商売をしている。美しいと言われた肌は海風に慣れて、ほんの少し小麦色に近づいている。

 しがらみを捨てたいからと言って、慌ててスーツケースに荷物を詰め込んで出て行くのは悪手である。淡々と日々を過ごしながら、社会人になった忙しさと結婚準備を理由にSNSから遠ざかり、社会から少しずつ自分の存在を消していった。

 クレジットカードから辿られても困るので、日本から脱出するのに使ったのは現金のみ。今まで幹に贈られたものはすべて換金し、今まで貯めたお金やそれらを元手に資産を増やして小さな管理会社を秘密裏に設立した。私自身とのつながりを曖昧にした会社から請求書の処理をさせる。失踪したからと言って家族との繋がりを断ちたくはないので、使い捨てのEメールやプリペイド電話を利用した。どこにいるかは絶対に言わないけれど。

「ママ! きれいな貝みちゅけた」

 波打ち際で遊ばせていた二歳半になる息子のせつが元気に振り向いて、麦わら帽子の陰から愛らしい笑みを向けてくる。生まれた時はミルク色だった肌はこんがり焼けて、元気な小麦色だ。父親似の榛色の瞳がキラキラと輝いて、将来が楽しみな美少年に育ちつつある。

「ほんとにきれいね。ママにくれるの?」

「うん」

「ありがとう」

 私は砂浜に膝をつき、息子の汗ばんだ髪を撫でて帽子を直してあげた。穏やかな日々だ。世界との繋がりは少し薄れたけれど、この子がいるだけで人生が豊かに過ぎていく気がする。妊娠が判った時はかなり動揺したけど、この島の優しい人達に助けられてなんとか生きてこられた。

「コニチハ、コユキ、配達頼める?」

「ウドゥさん、こんにちは。いいですよ。いつものところですね」

 お世話になっている店の主のウドゥさんが白い歯を見せて近づいてきた。観光客も多く旧日本軍が駐留していたこともあるこの島周辺では、日本語が喋れる人も多い。

 ウドゥさんは島に来る観光客が泊まっているコテージに日用品を届ける仕事もしている。この辺りのコテージは値段も手ごろだし、ホテルよりも気軽に利用できることもあってバックパッカーにも人気だ。

 数日前からコテージに滞在しているらしいその日本人観光客は、たびたびウドゥさんのお店のサービスを利用しているので、私も何度か足を運んでいるが姿を見たことはない。

「そう。こんなとこまで来て泳ぎにも行かないなんて変わってる。日本じゃヒキコモリって言うんだろ?」

「仕事で来ているのではないかしら」

「ここで仕事? ワーカホリックにもほどがあるよ」

 ウドゥさんは日焼けした顔をくしゃくしゃにして笑いながら息子を抱き上げた。私が仕事をしている間に預かってくれる彼の奥さんが孫のように可愛がってくれるので、節も彼らによく懐いていた。


「こんにちは。荷物のお届けにあがりました」

 正面のポーチから声を掛けても中からは物音一つしない。まだ午前中だから寝ているのかもしれない。私は日用品の入った篭をドアの前に置き、足音を立てないように退散しようとした。

 すると、室内で何かが動く気配がして、続いて重いものがドサリと床に落ちる音、人の呻き声のようなものが聞こえてきた。もしかしたら重病で動けないのかもしれない。私は慌ててドアを叩いた。

「大丈夫ですか!?」

 返答はなかったが、ドアノブを回すと鍵が掛かっていなかったのでそのまま室内に足を踏み入れた。勘違いで怒られたらそれでも構わない。倒れている可能性があるなら助けが必要だ。

 午前中の日差しが差し込む室内は雑然としていて、テーブルの上にはパソコンや書類が散乱している。開け放たれた奥の寝室のベッドに寝乱れたシーツが見える。私は声を掛けながら障害物を避けて進んだ。

「あの、大丈夫……?」

 床に誰かが転がっている。寝惚けて落ちただけかもしれないし、具合が悪いのかもしれない。恐る恐る近づくと、薄茶の髪に盛大な寝癖をつけた人物がのっそりと起き上がった。その顔を見て息を呑む。

「……つかさくん」

「……」

 きまり悪そうに目を逸らした彼は、多少日に焼けて無精ひげを生やしているが、確かにあの中納幹だった。王子様然とした姿は鳴りを潜め、大人の色気を感じさせる男性が長い脚を持て余すように床に座っている。

「えへへ。バレちゃった」

「……何してるの」

 まさかこんなところまで追いかけてきた? あんなに周到に準備して逃げたのに。思わず後退ると私の怯えを感じ取ったのか、幹は慌てて両手を胸の前で振った。

「つ、連れ戻しに来たんじゃないんだ。そりゃずっと探してたけど。SNSで偶然映ってる小雪ちゃんを見つけて、ただちょっと様子が見たかったというか君と同じ場所の空気が吸えたらいいなというか、少しでも近くにいたかったというか、こっそり普段の生活が見られたらいいなとか、あわよくば赦してくれないかな、とか」

 相変わらずの変態ストーカーっぷりだが、ひとまず私をどうこうしようとする気はないようだ。私は自分が半眼になっているのを自覚しながら幹を見下ろした。ウドゥさんが言っていたことも気になる。

「仕事で来たの?」

「会社を興したんだ。ネット環境さえあればどこでも仕事できる。しばらくここに住もうかなあって……」

「馬鹿なの?」

「ごめんなさい」

 幹は項垂れて大きな体を縮こまらせる。懲りない人だ。いい加減諦めて他の人と幸せになればいいのに。私は呆れながら、彼の傍にしゃがみ込み、その綺麗な顔を覗き込んだ。

「あのね。幹くんが嫌いな訳ではないの。でもあなたの執着がどれほど私を追い込んだか分かる?」

「反省しています」

「あなたは一方的に愛情を押し付けるだけで私の意見を尊重しなかったでしょ。私にも意志があるということを分かってほしかった。言われるがままに流されて生きたくなかったの。あなただって子供の頃の刷り込みで私に執着してただけかもしれないでしょ?」

「そんなことない! 僕は小雪ちゃんがいないと生きていけない!」

「立派に生きてるじゃないの」

 今まで数々の男性に言われた言葉だが、そんなものは信用できない。私は膝の埃を払って立ち上がった。

「でもあの子のことは……」

「あの子はみんなに愛されて幸せに生きてる」

 親権がどうの認知がどうの、父親がいないのは可哀相だとか言ったら殴ってやるつもりで睨んだが、幹はそれ以上何も言わなかった。縋るような眼差しを振り切って外に出ると、高くなった陽光が降り注いで眩しくて目を細めた。

 振り返ると無駄にスペックの高そうな男がよれよれのTシャツとハーフパンツ姿で戸口に立っているのが見えて笑ってしまう。

「まずはこの島で楽しんだら。別に出て行けとか言わないから」

「……うん。ありがとう」

「ふふ、なんでお礼なの」

「僕を生かしてくれてありがとう。ついでに赦してくれると嬉しい」

 下手に出ているようでいて、根本的に図々しいのよねぇ。じゃなきゃこんなところまで追いかけてこないか。幹がまた同じことを繰り返すとは思わないが、ほだされるにはまだ何かが足りない気がする。めんどくさくなったらまた逃げればいいかと頭の中で算段する。

 親子二人の生活はそれなりに苦労もあったし、故郷から遠く離れた場所で暮らすのは辛いこともあった。でもあの透明なうつわに閉じ込められることと自由でいることは比較にもならない。

 私は答えず白い砂の上を歩き出した。海風が優しく頬を撫で、伸びた髪が朝の光の中で揺れた。


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