第5話

 ルカインが意識を失って僅かな間、横たわる身体の上に突如として小指の爪程度の球体が現れた。矮小わいしょうながらもその存在感は異質であり、黒洞洞こくとうとうとした外観がなおさらこの世のものとは思えない。

 恐れとおそれが混一した存在でもあり、不思議と心を魅了させる。

 やがて球体は全方位へと広がりを見せ始めた。

 部屋全体を包むとまではいかぬものの、ルカインの右ひざを飲み込みそこで肥大化をやめる。

 雷のような閃光が起こり、球体は姿を楕円形だえんけいへと変貌させ始める。

 単一の線で描かれたものの中に別の線が形成され、外径と内径が誕生した。

 そうして楕円は円環えんかんへと変わり、新たな姿になると再び巨大化が始まりだした。

 その大きさは高さ2メートル、幅1メートルの巨大な壁鏡かべかがみ彷彿ほうふつとさせるものになり、ようやくそこで膨張は止まった。


 膨らみの終わりは次なる変化をもたらす。

 外径部に謎の文字列が順次浮かびあがり、それは時計回りに回転しながら、あやしく光る。

 回転速度は徐々に速度をあげていき、目視で追うことができない。

 黒洞洞こくとうとうとした内部にもひずみが生じ始めた。

 そして、いびつとした空間より脚が一本、姿を見せた。

 地面の感触を探しながら空を何度も踏み、ようやく納得のいく場所を見つけた様子でルカインの肩を踏みしめた。安心したのか、さらにもう一本の脚を今度は手の甲を踏みしめた。

 脚の次は黒鼻を覗かせた後、一瞬ためらいを見せながらも意を決して床へと全身を飛び込ませた。

 灰色と黒を混ぜた体毛に鋭い犬歯、耳は頂点を持ち引張りあげたようにしてできた三角のものが2つ。

 この世界ではありふれた存在――灰色狼であった。

 1匹がこの場所が安全だと知ると、続けて2匹目が現れた。

 続々と出現を続け、自然と群れが形作られた。

 ついには足の踏み場が無くなり始めると最初に飛び出した1匹がルカインの傍に寄り添う。そうして短く小さい鳴き声をあげると、他のものたちは勢い良く倉庫を出ていった。


 外では依然として拮抗きっこう状態が続いていた。

 冒険者も健闘はしているものの何分、盗賊の数が多い故にたおしてもキリが無い。武器の摩耗と体力の消耗が重なり、歯を食いしばりながら戦う姿は痛ましい。

 一向に戻らぬルカインを気にかけていたギルド前のマドラたちは、いつ盗賊が襲いかかるか警戒の最中にあった。

 短剣2本をいつでも繰り出せる様、弓使いの握りしめる手には汗が浮いている。

 緊迫条項に若いギルド職員は敬虔けいけんな信者の真似事で手を組み、うろ覚えの祈りを夜空ヘ捧げる。

 その姿にマドラは喝をいれた。


「こんな時に祈ってどうするんだい!殺しの間にいるってのに神様は都合よく聞き入れてくれないよ。その手を祈るためじゃなくて、武器を持つために使いな。あたしだって石ぐらいもってやるさ」


 マドラは手のひらに収まる程よい大きさのものを掴むと、動かせる範囲で上半身をひねり、投げ腕を後方へと引く動きをした。

 最寄りで交わる敵味方に投げてやろうとした時、後ろのギルドのドアが蹴破られた。

 妨害物に身を寄せる全員が背後からの襲撃かと振り向くと、中から現れたのは灰色狼の群れであった。

 思わずマドラが腰を抜けそうになり、弓使いが支える。

 

「お、おおかみじゃないか。中にいたのは盗賊だったはずだよ」


 マドラの驚嘆した声をかき消されるように次々と扉から絶えず現れる狼達。

 戦場をかき乱すように群れは縦横無尽に走り始める。


「な、なんだ狼がいるぞ」


「狼だと!こんな時にモンスターたちの襲撃か」


 至る所で声が上がる中、うち一頭が赤バンダナの盗賊めがけて飛びかかった。

 鋭い犬歯を腕や太ももに立て、強靭な顎で食いちぎろうと首を素早く振る。

 他の盗賊たちもどこかしらかを噛みつかれ、悲鳴をあげはじめた。

 不思議な事にギルド職員や冒険者たちを襲うものは一頭もいない。


「くそが!狼使いがいたなんて聞いてないぞ!」


「いてぇよ!離せバカこの、この!」


 盗賊たちも抵抗を始め、狼側にも損害が出始める。

 犬特有の極短い悲鳴をあげると、その場で力尽きて倒れる。

 あちこちで事切れる悲鳴が起こり、気づけば地面に数頭が横たわっていた。

 盗賊側も被害の多さに旗色が悪くなりはじめた。


「このままだと不利になっちまう。埒があかねぇ!退け、退け!」


 盗賊の頭らしき人物が骨製の笛でけたたましい音を響かせると、逃げ惑い始めた。  

 勝機とみた弓使いが瓦礫の上にたち、声を張り上げる。


「逃げろ!森の方へ逃げろ!そこに逃げれば援軍が待っているぞ!」


 危機に瀕した盗賊たちの耳には、弓使いの真しなやかな嘘も真実に変換される。

 咄嗟の機転が功を奏したようで、盗賊たちは武器や防具を投げ捨てながら森の方へと向かって全速力で逃げていった。全員を見届けた後、今度は獲物を失い徘徊する

灰色狼を凝視した。


「さて……」


 弓使いが息を凝らし、短剣を慎重に抜いた。

 気の抜けていた者たちも次なる敵に備え、荒い息を沈めながら臨戦態勢をとる。


「人間よりかは幾分、やりやすい」


 どちらが先に動くのか、弓使いは間合いを掴もうとにじり寄るも、灰色狼の方は敵意を見せる気など毛頭ないようで、間の抜けたあくびをした後、野犬のように後ろ脚で顔を掻いた。

 各々、自由で楽な体勢をとったかと思えば足元より体色が薄まり始めた。

 次第に色が消え、半透明化していく。


「どうなってるの……消え始めた」


 場にいる全員が呆然と立ち尽くし、徐々に姿を消していく灰色狼たちを見守る。

 最後には全頭がまるで最初からそこに存在などしていなかったかのように跡形もなく消えてしまった。

 暫く放心状態であったが、弓使いが我にかえる。


「か、勝ったの……?」


 思わずでた言葉が他の者を呼び起こし、勝利の確信が広がりはじめる。

 勝どきもあがりはじめ、声は村中に届く程に大きくなる。

 消火活動に従事していた青果の女主人たちも誘われるようにギルド前へとやってくる。共に勝利を味わいながら、マドラはふと行方不明のルカインを思い出し、慌ててそれを伝えると弓使いと複数のギルド職員がギルドの倉庫を目指して駆け込んだ。

 ルカインは倉庫で倒れていた。

 室内は荒らされた形跡はほとんどなく、特にこれといった異常は見当たらない。

 随伴していた若いギルド職員がルカインを背負い、受付カウンターがある一階まで運び、適当にテーブル等を退かして余地をつくった。

 そこに優しく寝かせ、ルカインの鼻元に耳を寄せた。

 静かな鼻息が聞こえ、しっかりと呼吸していることが確認できた。

 どこか異常はないかと手で身体を隈なく触り、頭部に腫れを見つけた。


「大丈夫、死んではない。ただ、頭を殴られたみたいだ。ほら」


 後頭部の打撲を他の者達にも確認させる。

 念の為に流血の有無も調べるが認められず、一先ずの安心を得ることができた。

 

「ここに置いておくわけにもいかないから、宿場の方で休ませた方がいいわ」


 弓使いの提案は採用された。

 ギルドの外へと運びだすと、心配していた女主人が駆け寄った。

 不安そうな表情でルカインの額を優しく撫でてやり、他の者達も運ばれるルカインを見守る。

 やがて宿場にある一つの宿にルカインは運ばれた。

 

「空いた部屋はある?」


「あ、ああ。あるが、見た所しんでるんじゃないか?」


「死んでないわ。気を失っているだけ。休む所を探してるの、一晩でいいから貸してちょうだい」


「面倒にはならないだろうな」


「金ならギルドが払う。文句ないだろ」


 若いギルド職員が急かすように言い放った。

 気圧された様子で店主は曖昧に頷くと、襲撃前に逃げた冒険者が借りていた部屋を案内した。1階隅の部屋で安宿らしく簡素な内装ではあるものの、ルカインが身を寄せる場所よりかは随分とマシであった。

 藁の上に清潔な布を敷いたベッドにルカインを安置させ、静かに退室していった。

 

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2024年12月12日 12:00

ステラゲート~誰も知らない召喚門~ にゃしん @nyashin

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