第1章2「目覚めると11年後!?」
昨日までのユージン相手なら子どもの戯言だと笑い飛ばして、「もう、大人をからかってはいけませんよ」と肩を叩いてなかったことにできただろう。
だが、決して逸らされない剣の刃にも似たシルバーグレーの眼差しが、大人になろうとしている少年のまっすぐな心がそれを許してくれない。
「もちろん今すぐにだなんて言わない。……俺はまだ子どもだから。でも、来年から町の商会で奉公させてもらうことになったんだ」
なんとユージンは昨年から密かに就職活動をしていたのだという。エウフェミアから手ずから読み書き算術だけではなく、弁証学や幾何学、天文学を学んでいたことが役に立ったと。
「算術ができる奉公人は貴重だって喜んでもらえた」
この国の結婚可能年齢である十六歳までには、家庭を持てるだけの賃金を得られるようになりたい――ユージンは意気込んでそう語った。
「俺、ルーリーと一緒になれるなら頑張れると思うんだ。……好きだから」
まだあどけなさを残した頬がほのかに染まる。
「だからルーリー、俺が十六になるまで待っていてほしい。今は年下で頼りないかもしれないけど、必ず頼れるような大人になるから」
「な……にを言って……」
呆然としていたルーリーはようやく声を絞り出した。プロポーズへの返答ではなかった。
「そんな、ユージン様が奉公だなんて!」
――違う。そうじゃない。
強烈な違和感を覚える。
いくら母親が元皇族とはいえ、ユージンは父親が誰ともわからず、祖父の皇帝にも認められていない。なんの後ろ盾もない身の上だ。立場は平民と変わらず生きていくためには働かねばならない。
ルーリーもそのことはよくわかっていたはずだった。
なのに、そんなはずはないと心のなかで繰り返してしまう。同時にこめかみ付近が突然ずきりとした。
「痛っ……」
激痛に耐え切れずにしゃがみ込む。グラグラと世界が揺れ、更に吐き気まで覚えて口を押さえた。
ユージンが慌てて駆け寄ってくる。
「どうしたんだ!?」
「ち、がう……」
違う、違う、違う。
――ユージン様が、ユージンが、主人公が奉公人になる展開なんて聞いたこともない。だって彼はこのアスラン帝国の皇帝になる運命なのに。
また頭に鋭い痛みが走る。同時に脳裏に膨大な情報が怒涛となって渦巻いた。
ユージン、エウフェミア、アスラン帝国、レイラス――レイラスの末裔。
「やっ……!」
思わず頭を抱える。
「ルーリー!」
それからどれだけの時が過ぎたのだろうか。すべてのキーワードが一筋の流れとなってようやくまとまり、答えを示した瞬間、ルーリーは間近にあるシルバーグレーの瞳を、目を見開いて凝視した。
ユージンがほっとしたのかルーリーの肩に手を掛ける。
「収まった? とにかく城に帰ろう。病気かもしれないから医者を呼んで――」
だが、ユージンの声はルーリーの耳に入らなかった。
――まさかユージン様は「レイラスの末裔」のユージン!?
『レイラスの末裔』は某出版社からオンラインで連載されていた正統派ヒロイック・ファンタジー漫画だ。
そして、ユージンはこの『レイラスの末裔』の主人公。ユージンは世話係の侍女と辺境でひっそり暮らしていた。
ユージンは父親が誰とも知れぬ私生児ゆえに、皇位継承権どころか亡祖父の前皇帝に孫だとも皇族だとも認知されていない。だから、そのまま静かに生きて歴史に名も残さずに死ぬはずだった。
ところが、ある日伯父の現皇帝ドルスが鷹狩りをしていた際、襤褸を身に纏った流浪の予言者がどこからか現れこう告げたのだ。
『皇帝よ、汝はレイラスの末裔に滅ぼされるであろう』
レイラスとはこの世界の聖典の神話に登場する魔王だ。人々を惑わし、貶め、堕落させたがゆえに勇者、聖女たちによって討ち滅ぼされたとされている。
そして、魔王の特徴は銀の瞳を持つことだとも書かれていた。
皇帝はおのれの地位を奪われたくはなかった。どのような不安要素の存在も許さなかった。
そのためだけに帝国内にいる銀色に近い色を持つ目の抹殺を命じたのだ。
『銀の目の者も銀に近い目の者もすべて殺せ!』
灰色の瞳、ブルーグレーの瞳、わずかに灰色がかっただけの色味の者にも容赦なかった。老若男女を問わず生まれたばかりの赤子も殺された。
気が付くとユージンは最後の一人になっていた。
侍女とともになんとか国境近くまで逃げ、隣国に亡命しようとしたのだが、追手に追い付かれ斬り殺されそうになる。
あのシーンは強烈だった。
コマ一杯に大量の鮮血が飛び散り、続いて目を見開くユージンのクローズアップ。ページが変わって力なく崩れ落ちる侍女。
『ユージン様……よかった……』
彼女はユージンを庇って胸をざっくりと切り裂かれ、一目で助かるまいとわかるほどの重体だった。幼い頃から彼女に世話されてきた思い出が、走馬灯のようにユージンの脳裏を駆け巡った。
『……‼』
ユージンは侍女の血に塗れながら声にならない声で吠えた。それはすでに悲鳴でも慟哭でもなく咆哮だった。直後にユージンは体の、いいや魂の奥底から、マグマに似た熱が込み上げてくるのを感じた。何かが自分の中で弾け飛んだ。
それが古代から現代になるまでに人間から失われ、伝説となった魔力なのだと気付いた時には、ユージンは全身から無数の炎の矢を放っていた。怒りと同じだけの灼熱で暗殺者を瞬く間に焼き尽くした。
こうして覚醒したユージンは、その後暴君と化したドルスを倒すべく、皇帝に反感を持つ仲間を集めていくことになる。
当初オンラインで連載されていたこの漫画は、昨今珍しい直球の王道展開が受け、書籍化され版を重ねた。
なお、ルーリーの前世である女子大生がこの漫画を知ったのは、年の離れた弟が熱心なファンだったからだった。
『この漫画面白いんだ。ユージンもいい奴だけど、途中で知り合う聖騎士のマキシムがカッコよくて。でも、次の巻で終わるんだよな。ずっと続いてほしいよ』
その頃にはすでに『レイラスの末裔』は三十九巻まで出ていて、ユージンはドルスを打ち倒し、国民の圧倒的な支持の元に皇帝に即位していた。最終巻は後日譚がメインになるとのことだった。
弟が食事の席でも夢中で語り続けるので、そんなに面白いのならと興味を持って読み始め、見事姉弟揃ってハマってしまったのだ。
真っ直ぐで正義感に溢れ信念を持って戦い続けるユージンは、その頃将来の進路に悩んでいた女子大生から見ても眩しかった。
『私はやっぱりユージンが好きだな。特に顔が。好み!』
『姉ちゃん、将来顔だけの男に騙されそう』
『もう、あんた生意気になったね』
なお、前世ではその弟を庇って死んでいる。
近所の書店で『レイラスの末裔』最終刊を購入した弟が、横断歩道の向こう側に姉を見つけて喜んで駆け寄ろうとして、信号無視の車にはねられそうになったのを庇ったからだ。
『勇太、危ないっ』
『姉ちゃんっ……‼』
最期に聞いた声は弟の泣きそうな声。考えたことは「最終刊、読みたかったな……」だった。
――ああ、そうだったのかとルーリーは溜め息を吐いた。
ユージンを弟のように可愛いと感じていたのは、無意識のうちに前世の弟を重ねて見ていたのだろう。名前もどこか似ていたから。
それにしてもと一巻でだけ登場した、ユージンを幼い頃から世話していた侍女――つまり自分を思い出す。
――漫画では二十代半ばって感じじゃなかった?
大人の綺麗なお姉さんといった風に描かれていて、チビで地味顔の自分とは似ても似つかない。
「……」
ユージンをまじまじと見つめる。
「ルーリー?」
つまりそういうことなのだろうと納得する。
――ユージン様視点だと私ってあんなに大人っぽくて、あんなに美人なんだ……。
女が他にいない環境だったばかりに、まさか初恋相手が自分になってしまうとはと、ユージンが可哀想になる。
いいや、今はそれどころではなかった。
ルーリーはフラフラと立ち上がった。
「ルーリー、肩を貸すよ。ほら、捕まって」
「ありがとう、ございます……」
ぎこちなく礼を述べながらぶるりと震える。
確かユージンが暗殺されそうになるのは十二歳だったはず。つまり、今年だ。自分が身代わりになって死んでしまうのもだ。
――私、もうすぐ死んじゃうの……?
転生先はヒーローを庇って死ぬ……はずだった地味モブ侍女でした。 東 万里央 @azumario
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