転生先はヒーローを庇って死ぬ……はずだった地味モブ侍女でした。

東 万里央

第1章1「目覚めると11年後!?」

 ――ルーリーの一日は侍女として仕える皇族の少年、ユージンを叩き起こすところから始まっていた。


「ユージン様、もう七時ですよ! 早く起きてください!」


 いつものように大きく声をかけながら寝室の扉を開ける。


 その日までユージンは起床時間になってもなかなか目を覚まさない子どもだった。「ううん……もう少し……」と唸ったきり、見事な深紅の赤毛と綺麗な顔を布団で隠してしまったものだ。


 ユージンが朝に弱いとは知っていたし、寝る子は育つとも言うが、亡きユージンの母エウフェミアに「あの子をよろしくね」と頼まれたのだ。だらしない生活を許すわけにはいかない――ルーリーはそうした責任感から毎朝ユージンを叩き起こしていた。


「ユージン様、今日は十二歳のお誕生日でしょう。エウフェミア様の、お母様の墓前にご報告に行かなければ――」


 ルーリーは寝室に足を踏み入れ、意外な光景に瑠璃色の双眸を瞬かせた。


 ユージンがもう起きていただけではなく、寝間着から着替えていたからだ。今ちょうど最後に上着を羽織ろうとしているところだった。


「まあユージン様、一人で起きられるようになったんですね。しかも着替えまで」


 感動して目を輝かせるとユージンは少々むっとしたように見えた。


「ルーリー、僕は……いいや、俺はもう十二だよ。それくらいできる」


 そう、ユージンももう十二歳なのだ。


 ルーリーはうんうんと頷きつつ祝いの言葉を述べた。


「そうそう、お誕生日おめでとうございます! 今夜はケーキとローストチキンを焼きますから楽しみにしていてくださいね。お好きでしょう?」


 なぜかユージンはまた機嫌を損ねたように見えた。


「……ルーリーは俺を食べ物に釣られる子どもだと思っていない?」


 ルーリーは何を言っているのだと目をパチクリとさせた。


 確かに今日ユージンは十二歳になったが、十七歳のルーリーからすればまだ成長期の真っ盛り。つまり子どもだ。


「もしかしてケーキとローストチキンに飽きましたか? でしたら違うものを作りますが」


 ユージンは「そうじゃないんだ」と気まずそうに言葉を探した。


 さらさらの深紅の前髪がシルバーグレーの双眸に濃い影を落とす。まだあどけなさの残る整った顔が少々大人びたものになった。


「ケーキもローストチキンも好きだよ。……ルーリーが作るものならなんでも。ただ、もう子ども扱いはやめてほしい」


 ルーリーはまじまじとユージンを見つめた。


 出会ったばかりのユージンはまだ六歳で、一人ではルーリーに世話をされるがままだった。


 ところがこの二、三年でぐんと背が伸び少年らしくなってきただけではない。今日のように自分でできることは自分でやりたいと、ルーリーの申し出を断ることが増えている。


 そうか。自立心が芽生える年頃になったのかとルーリーは実感した。あの小さかった子どもがと感動する。


 なら、その意思を尊重せねばならない。


「わかりました。子ども扱いはやめ……あっ」


 ユージンの目の前に立ち喉元に手を伸ばす。


「る、ルーリー?」


「シャツの第二ボタンが開いてますよ。飛ばしてしまったんでしょうね」


「ちょっ……」


 ルーリーはボタンを直しながらあることに気付いた。間近にあるユージンの濃い睫毛に縁取られたシルバーグレーの双眸を凝視する。


 視線がいつの間にかほぼ同じ位置――というよりはユージンの方が少々高い。自分の身長は一五〇センチなので追い越されたということか。


 昔のユージンは子どもの中でもとりわけ小柄で、胸にすっぽり収まるほど小さかったのにと感動してしまう。また、毎日見ているのですっかり慣れていたが、幼少時は少女のように可愛かった顔が美形に変化し、更に凛々しさが増して少年らしくなっていた。


 成長したのだなと改めてしみじみし、改めてシルバーグレーの瞳を見つめる。するとユージンがなぜか息を呑んだ。


「……っ」


「どうなさいました? あら、顔が赤いですよ。大変、熱かしら」


 昔のように額に手を当てて熱を測ろうとしたのだが、ユージンが不意に身を引いたのでそれは叶わなかった。


「ユージン様?」


 なぜ自分を避けようとしたのかと首を傾げる。


「ルーリー……」


 ユージンは困ったように溜め息を吐いた。それまでのユージンにはなかった恥ずかしそうな表情にルーリーは驚く。


「子ども扱いはやめてほしいって言っただろう」


 どうも反応がおかしい。ボタンをつけてやるくらいのことは相手が大人でも不思議ではないのに。


 ルーリーが戸惑っているのに気付いたのか、ユージンは苛立たしげに深紅の前髪を掻き上げた。


「ああ、違う。ルーリーを困らせたいわけじゃないんだ。そうじゃなくて……」


 とにかくと気まずそうに話を切り上げる。


「とにかく母上の墓参りだ。一緒に来てくれるだろう?」


「は、はい。それはもちろんです」


 そのつもりでルーリーも毎年そうしているように外出用のドレスに着替えてきたのだ。


「行こう」





 ユージンに促され数百年前に建てられた古城を出る。


 二人を見送る使用人は他には誰もいなかった。皇族は数多くの騎士に護衛され、召使いに傅かれるのが当然なのに。


 ルーリーとユージンは落ち葉が散る森の中を歩いていく。その先には付近の寒村に暮らすの村人が利用する小さな教会があった。


 ルーリーたちの暮らす古城と同じく忘れ去られたように閑散としている。数年前までは敬虔な老神父がいたのだが、亡くなってからなかなか新しい聖職者が派遣されない。誰もこんな寂しい土地に来たくはないのだろう。


「それにしたってあんまりですよね……」


 ルーリーとユージンは裏手の墓地に回り込むと、その片隅にある墓石の前で立ち止まった。エウフェミアの名前と生没年以外は何も書かれていない簡素なものだ。白バラの花束を供えて祈りを捧げる。


 ルーリーはエウフェミアが高貴な身分であることを知っていた。本来こんな寂しいところで孤独な眠りにつくはずではなかったのにと悲しくなる。皇族の先祖代々の墓所、あるいは壮麗な貴族の霊廟に埋葬されるはずだった。


 ユージンの母エウフェミアは実は前皇帝の皇女だ。なのに、こんな辺境の地に追いやられたのは、すでに有力貴族の婚約者がいたのに裏切り、父親が誰とも知れぬ子を孕んだからだった。


 一体誰の子なのかと問い詰められても、相手の男は秘密の恋人でもう死んだとしか言わない。その後月満ちて生まれたのがユージンだった。


 皇族は金髪碧眼が多いのにユージンは紅毛銀目。正体不明の父親の血を色濃く受け継いでしまっていた。


 娘にも自分にも似なかったユージンを前皇帝は孫だと認めなかった。朕には初めから皇女などいなかったのだと、エウフェミアの皇族籍を抹消し、辺境の廃墟となりかけた離宮に追放。


 その後母子は前皇帝の最後の慈悲だった、死なない程度の仕送りでなんとか暮らしていた。


 そして、ルーリーがそんな見捨てられた母子と出会い、侍女として仕えることになったのはまったくの偶然からだった。


 ユージンによるとルーリーは今から六年前の冬の日、森で倒れて雪に埋もれていたのだという。くすんだ麦わら色の長い髪が解けて散らばり、粗末な服を身に纏ったその冷たい体は、痩せ細って今にも死にそうだったと。


『母上、お願い! この女の人を助けてあげて!』

 

 エウフェミアはユージンにそう懇願されたのもあって、ルーリーを古城に連れて戻り、意識が戻るまで看病を続けた。


 ルーリーが目覚めたのは拾われてから三日後。幸い後遺症はなかったものの、自分の名前以外の記憶を失っていた。


『私……誰なの? どうしてこんなところにいるの?』


 年の頃は十一、二歳頃だろうと思われたが、身元を証明するものは何も持っていない。


 エウフェミアはルーリーを捨て子ではないかと考えた。この辺りの村では口減らしの習慣があり、子ども、特に女児を森に捨てることがあると聞いていたからだ。


 ならば帰る家もあるまいと、エウフェミアはルーリーを城に置いてやることにした。ルーリーが負い目を感じないよう、自分たちの事情も打ち明け、捨てられた者同士助け合って生きていこうと。


『ルーリー、遠慮しないでね。これから私たちは一緒に暮らしていくんだから』


 ルーリーもそんなエウフェミアに恩を感じ、料理、洗濯、掃除、裁縫から庭仕事までなんでもこなした。もちろんユージンの子守りもだ。毎日のように遊び相手になってやった。


 記憶を失う前は家をよく手伝っていたのか、要領よくなんでもできるので、エウフェミアは「ルーリーは優秀な侍女ね」と喜んでくれた。


 それから数年も経つと、三人は皇族と召使いというよりは、家族のような感覚になっていた。ルーリーは身分違いだとは理解しながらもエウフェミアを母、ユージンを弟さながらに大切に思っていた。ユージンもそう感じてくれていると嬉しいとも。


 そんな温かい関係を築けていたので、三年前エウフェミアが病に倒れ、あっという間に弱って死んでしまった時には、実の母を亡くしたように悲しかった。


 エウフェミアは今際の際にルーリーの手を取りこう遺言した。


『ルーリー、ユージンをよろしくね。あの子にとってあなたはたった一人の家族だから……』


 ルーリーはエウフェミアのためにもユージンが望む限りはそばにいるつもりだった。恋愛だの結婚だのの自身の幸福などよりも、エウフェミアの忘れ形見のユージンの方ずっとが大切だったのだ。




 ユージンとルーリーは墓参りを終えると、再び元来た森の中の道を戻っていった。足元の落ち葉がサクサクと音を立てる。


 不意にユージンが立ち止まる。背後に控えていたルーリーもそれに合わせた。


「ユージン様、どうしました?」


「六年前俺がルーリーを見つけたのはこの辺りだったんだ」


 足元に細めた目を落とす。


「まあ、そうだったんですか。ありがとうございます。ユージン様がいなければ死んでいました」


 結局今でもルーリーの身元はわかっていない。誕生日はユージンに発見された日に、年齢は当時十一歳だったということにしてある。


「……」


 ユージンがそれきり黙り込んでしまったので、ルーリーは一体どうしたのだと首を傾げた。


 やはり朝から様子がおかしい。


 何があったのかと聞こうとしたところで、ユージンがいきなり振り返ったので目を瞬かせる。シルバーグレーの瞳に瞬く強い意志の光は、ルーリーがドキリとするほど真摯だった。


 更に続けて言われたセリフに度肝を抜かれる。


「十二歳になったら言おうと決めていた。俺と結婚してほしいんだ」


「……今なんて?」


 青天の霹靂どころではなかった。

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