第18話
廃墟化した工場施設は、既にその機能の一才は消失しており、もちろん正門から倉庫エリアに至るまで電気の気配すらなかった。
しかしミコが指定してやってきた第2倉庫には中から微かに明かりの気配がある。
「ここ、電気通ってるのか?」
ミコの隣に立っていた僕は、そこに人がいるという実感から逃げるようにして、おもむろに尋ねた。
「建物もほとんどそのまま残されているような施設だから、ホームレスや不良の溜まり場にでもなっていて、色々持ち込んでいるんだろう。施設の電力が生きているわけじゃないさ」
「まさか今も僕ら以外の無関係な人がいるんじゃ…」
「さぁ? ま、おそらくはいないだろう。この場所は向こうの指定だからな。概ね、ここは相手がよく使う処理場の一つってところだな」
「処理場って…」
ミコの言葉の生々しい響きに、僕はうっと吐き気を催した。
相手のネクロマンサーは、
この不気味な工場施設でどのような実験を行なっていたというのだろうか。想像もしたくない。
「そろそろ行くぞ。相手も来ているようだしな」
「ちょっと待ってよ」
僕はまだ全然心の準備が整っていなかったが、ミコはどうやら待ってはくれないらしい。先に歩き出した彼女の背中を慌てて追いかける。
倉庫の中は開けているイメージをしていたが、思ったよりも物が残っており、スチールラックに積まれたダンボールが壁のようになって視界を塞いでいる。
それでも中央あたりには明かりの気配があった。夏の夜だというのに、周囲の金属の冷たさが空気に染み込んでいるかのようで、鳥肌が立つのを僕は感じた。
その肌寒さからか、それとも緊張からなのかは分からない。そんなこと判断する前に、スチールラックに遮られていた視界が開け、倉庫内の全容が明らかになってしまった。
倉庫の中央には大きな作業台と、その上に散らかった何かの器具類。そしてスタンドライトが2つ。
その向こう側には、黒い服装を身に纏い、顔をその影で隠す人物がいた。
僕は息を呑んで、思わずそこで立ち止まってしまう。膝が震えている気がする。
間違いない。あの時、僕と上沢を襲った、黒い男だ。
「待たせたね」
僕とは反対で、ミコは余裕の笑みさえ浮かべて、作業台の側まで進む。2人の距離は、大きめの作業台分しかない。
ミコの言葉に、しかしかながら黒い男は何も答えない。彼女の話だと、この男こそ桜織高校2年C組の担任である橋本一樹らしいが、とても同じ人とは思えない。
「おいおい、何か言ったらどうなんだ? それとも私の言ったことを無視したということかい? 交渉する上で、まともに話せる者が出てくるのは至極当たり前のことだと思うが」
ミコは目を細めて言った。彼女がどのようにしてこの場を設けたのかは分からないが、黒い男を引き出すことには成功している。それでも相手の正体を確かめようとしているのは、万が一すり替わっていることを警戒してのことだろうか。
「…失礼しました」
ミコの圧迫的な言葉から数秒の間の後、黒い男から緊張感が伴った声が発せられた。工藤や上原とは違う、流暢で意識を持った声だ。
そして口調こそ違うものの、その声には確かに聞き覚えがあった。
「もうそんなフードも意味はないんじゃないか? これから交渉しようというのなら、顔を見せるくらいは礼儀だろう。私たちはこうして姿を見せているのだから」
「…そうですね。かしこまりました」
黒服の男は少しだけ逡巡したように見えたが、ミコの機嫌を損ねる前にフードを取る判断をした。
「橋本、先生…」
思わず僕はそう口にしてしまった。捲ったフードの中には、メンズアイドル顔負けの、若々しく整った顔立ちがあった。
間違いなくその人は僕が知っている、2年C組の担任である橋本一樹だった。
しかしその顔に貼り付けられている表情は、普段見せる先生のそれとは異なる。いや異なるというよりは、全てが削ぎ落とされていると表現した方が近いだろうか。
間違いなく橋本だが、まるで精巧に作られた人形のような表情というにはあまりに無機質なそれ。
「…まさか、式島もこちら側だったとは、ずっと気がつかなかったよ」
橋本が視線だけをミコの隣に立つ僕に向けて、そう口にした。一瞬目の前の橋本は似て非なる誰かなんじゃないかと過っていたが、僕に向けられたその声音は間違いなく本物だと確信できる。
これまで見てきた操り人形と化した屍人ではない。毎日教壇に立っている橋本と同一の人格だ。
僕が分かっていたはずのその事実に固まっていると、ミコが代わりに口を開く。
「それはそうだろう。こいつが屍人になったのはつい最近だからな」
「なるほど、そうでしたか…そういえば遠藤様も夏休み明けのタイミングで転入できるように手続きをしていた。もしかして我々の存在は予め知られていたのでしょうか」
橋本のミコに対する態度はかなり慎重を期しているようだった。しかもまさかの様付け。僕は目を丸くする。
ただ一方で会話の主導権を取ろうとしている風にも思える。下手に出ているようで、決してミコに付け入る隙は与えないような強気な姿勢、といったところだろうか。
「さぁ、どうだろうな。あぁ、あと私のことは下の名前で呼んでくれ。遠藤というのは日本に滞在するための設定だからな」
「左様でございますか。かしこまりました、ミコ様」
ミコの方といえば依然余裕な態度は崩さない。向こうからの回答を受け流しつつ、他愛もない要件をあっさりと呑ませてしまった。
ペースはミコが握っているように思える。こちらに視線や合図らしきものが送られてくることもない。つまり今ここで僕がすべきことは、彼女を邪魔しないように口を噤むことだろう。
彼女がどのような話に持っていくか予め詳細に聞かされているわけではないし、何が向こうの付け入るきっかけになるかわからない僕としては、表情もできるだけ出したくない。
僕は橋本の意識がミコに向いている間に、先ほどの驚きから心を落ち着かせ、息を整える。
「——そんなことより、本題に入ろうじゃないか。私はあまり無駄話は好きじゃない。そちらのご主人様は姿を現さないのかな?」
やや強引、ただし今この場に置いて優位に立っているのはミコだ。彼女の機嫌を損なって、貴重な情報を得られなくなることを絶対に避けなければならない向こうにとって、ここで一旦別の話を、なんてことはできないだろう。
「…こちらには来ておりますが、交渉は私が1人でと任されております。よろしいでしょうか?」
「随分と警戒されているようだな。私たちは理解し合える数少ない同士だと思っていたのだが…まぁ、問題はないよ」
「ありがとうございます」
全くどの口が言うのだろうか。僕はミコに対して出かかった言葉を飲み込む。
あまりに自然体で思ってもいないことを口にするミコに、僕は表情を崩しかけてしまった。
ミコに同族意識なんてあるわけがない。彼女の目的は、自分と同じネクロマンサーを滅ぼすことだ。しかしそんな真相を知っているのは、この場では僕だけだ。
目の前の橋本は、表情には出していないものの、僅かに息を吐き出し、少し安堵しているようだった。
その雰囲気から、先生の言っていることが嘘ではないのだろうと判断はできる。つまり、この場に橋本を従えているネクロマンサーもいるということだ。
僕の脳裏に天城美江の顔が過ぎる。今すぐにでも、周囲を見渡してどこにいるのか確認したい衝動に駆られるが、ミコは全く動じず、周りを気にする様子もない。
あくまで僕はミコとの態度に合わせるよう振る舞うことを意識する。時折チカチカと点滅するスタンドライトに視線を奪われそうになるのを抑えながら、橋本を注視した。
「では、改めてそちらの要求とその理由から訊かせてもらおうか」
ミコは一つ間を置いた後、そう切り出した。
この交渉は初めから破綻する未来しか待ち受けていない。正直僕は今の状況を迎えられた時点で、ミコが交渉などせずに戦端を開くとさえ思っていたくらいだ。
それでもあえて丁寧に認識を合わせるところから始めるのは、まだ相手に対して警戒している部分があるからだろうか。
相手のネクロマンサーが姿を現していないというのも、その理由の一つかもしれない。
「私たちの目的は、不老の法を知ることです。これまで多くの人を屍人に変えたのも、ひとえにそのための実験を行うためでした」
「不老、ねぇ。確かにネクロマンサーにとって時間はどれだけあっても足りないものだが…それだけなら別に不老にこだわる必要もないだろう。何か特別な理由があるのかな?」
「…それは、私たちの愛を永遠にするためでございます」
橋本は何の恥じらいもなく、ただ真摯な視線をこちらに向けて、そう答えた。
「つまりそちらの主は、永劫の時を老いることのない生ける屍であるお前と共に在り続けるたいがために不老を欲しているというわけか」
「左様でございます。ミコ様のように、高明なネクロマンサーの方にとっては、世俗的なのかもしれませんが…」
「いやいやそんなことはないさ。愛する者と共に在りたいという思いは、ネクロマンサーという存在の根底にあるものだからな」
「ご理解いただけて何よりでございます」
2人の会話は続く。その様子に僕は沈黙と無表情を貫こうとしていたのだが、”愛”なんて熱のある言葉を、こうもあっさり発している2人の会話には気味の悪さを感じざるを得ない。
ミコもそうだが、学校での橋本にも、浮いた話などは一切なかった。容姿端麗で男女構わず人気な先生だったが、誰もその線の内側には踏み入れさせない。
記憶を失い、学校での生活はほんの僅かにしか体験していない僕ではあるが、それでも周囲が橋本に対して抱いているその印象については理解できる。
そんな先生が何の抵抗もなく、ミコと僕を線の内側へと引き込んできた。
今、日常から乖離していた橋本一樹の本当の姿が顕になっている。
それは多分、僕の隣に立つミコという少女に出来うる最大限の誠実さを見せるためだろう。その証拠に、橋本は今の所ミコの言葉に全て素直に応じている。僕の印象が正しいものかどうかは分からないが、嘘を言っているようにはとても見えない。
きっと橋本やその裏にいるであろうネクロマンサーにとって、ミコの持っている不老の法というものがよほど重要ということなのだ。
「…しかし随分と短期的に実験とやらを行ったものだ。相当焦っているように見えるな。ネクロマンサーというのが世間的に信じられない存在とはいえ、こうもあからさまでは変に疑われる可能性だってあるだろうに」
ミコはほんの僅かに視線を下げて、自分の思考を口にしつつ、それを橋本へと差し向けた。
もはやこの場はミコが一方的に問いただすものとなっており、それを否とはできない雰囲気になっている。
「…時間が惜しいというのは事実でございます」
「なるほど…そしてその最中、不老を成した私が目の前に現れた。まさに喉から手が出るほど、といった感じかな?」
「はい…私たちの悲願ですので」
橋本が恭しく頭を僅かに下げたところで、ミコは不意に鼻を鳴らして、失笑した。
「私たち、ではないだろう? お前は屍人で寿命や老いとはおよそ無縁なのだから…躍起になっているのは、お前の主だけだ」
それまでミコの言葉には応じていた橋本が、ここで初めて沈黙した。
屍人は朽ちぬ体を持つ——老いもしないというのは初耳ではあったものの、今更驚くようなものでもないし、僕からしてみれば、ミコの発言は至極当然のように思える。
しかし橋本は肯定も否定もしなかった。ずっとミコの言葉には応えていたというのに。
「…まぁ、そろそろ十分か。そちらの考えはよく分かったよ」
「それでは、こちらの要望を叶えていただくには、何を差し出せば良いか、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
ほんの少しだけ、空気が弛緩したかのように思えた。橋本の表情は変わっていない。それでも話が次の段階に移ったことで、安堵と期待をしたのだ。
一方でこの瞬間、僕の胸の内には反対の感情が渦巻いていた。
「同志の切実なる願いのなれば、私も無碍にはできないな。お前たちの方から特別何かを差し出す必要はない。ただ——」
ミコはおもむろに、右手人差し指を黒い装束に身を包んでいた橋本の胸に向けた。
「覚悟を持って、挑み続けてもらう」
そして次の瞬間、橋本の胸に深く突き刺さる形で現れた白銀の刀身と、有刺鉄線のような鋼糸に覆われた柄を持つ妖艶な直剣に僕の目は奪われてしまった。
その刀がどこからどうやって出現したのかはわからない。ミコはただ右手で、今剣が突き刺さっている橋本の胸のその位置を指しただけだ。
たったそれだけで、それ以外の前兆はなかった。ミコが何をしたのか、すぐ隣にいた僕にも、全くわからない。
でもその剣がミコによる、橋本への先制攻撃であることは、彼女の目的を知る僕には確信があった。
それに僕はこの場に来てずっと勘違いをしていた。橋本と相対して、交渉に応じ、今の今まで会話を続けていた理由は、未だこの場に現れていない橋本の背後にいるネクロマンサーに警戒していてのものだと思った。
でも違った。おそらくミコにとって、相手はもうとっくに警戒すべき相手ではなくなっていたのだ。
この場に訪れてから、今までの会話を聞いて、その目的を僕は今になって理解する。
ミコは相手の攻撃を危惧していたのではなく、こちらが攻撃しても相手が逃げ出さないことを確認したかったのだ。
つまり今から始まるのは、一方的な殲滅だ。
Necromancer's Mother Print(ネクロマンサーズ・マザープリント) 日陰 @Hinata-hikage
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。Necromancer's Mother Print(ネクロマンサーズ・マザープリント)の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます