【百合短編小説】永遠の庭で刻む恋 ~時を彫る少女たち~(約6,700字)

藍埜佑(あいのたすく)

【百合短編小説】永遠の庭で刻む恋 ~時を彫る少女たち~(約6,700字)

●第1章:永遠の管理人


 時は流れず、季節は巡らない。世界の果てに佇む「永遠の庭」で、エルミアは今日も静かに歩を進めていた。


 銀色の長い髪が朝靄の中でぼんやりと輝き、深緑のドレスの裾が露に濡れた草を優しく撫でていく。彼女の翠色の瞳には、永遠という重みが宿っていた。


 この庭には、時の概念が存在しない。花は永遠に同じ姿で咲き続け、木々は決して大きくならず、葉を落とすことすらない。それは美しくも、どこか寂しい景色だった。


「おはよう、白薔薇さん」


 エルミアは、いつものように庭の主役である純白の薔薇に語りかける。その花びらは、何年経っても、いや、何世紀経っても朝露に濡れたままの輝きを放っていた。


 エルミアの記憶の中で、自分がこの庭の管理人になってからどれだけの時が過ぎたのかは定かではない。ただ、彼女の外見は変わらず、永遠に十七歳の姿のままだった。


 庭の手入れは、儀式のように毎日繰り返される。エルミアは銀色の小さな剪定鋏を取り出し、決して伸びることのない枝を形式的に整えていく。それは無意味な行為かもしれないが、彼女にとっては大切な日課だった。


 庭園は広大で、様々な花々が完璧な配置で植えられている。赤や青、黄色やピンク、そして純白の花々が、まるで画家が丹念に描いた一枚の絵のように美しく配置されていた。


「この庭は、完璧でなければならないの」


 エルミアは独り言のように呟く。それは彼女に課せられた使命であり、誇りでもあった。


 庭の中央には、透明な水をたたえた泉がある。その水面には空が映り、いつも同じ雲の形が浮かんでいた。エルミアは泉に映る自分の姿を見つめる。銀色の長い髪、深緑のドレス、そして翠色の瞳。すべてが、最初にこの庭に来た時と寸分違わない。


 しかし時折、彼女の心の奥底で、かすかな疑問が揺らめくことがあった。


「本当にこれでいいの?」


 その問いは、いつも心の中で消えていった。なぜなら、それを考えることは、永遠という秩序を乱すことになるかもしれないから。


 エルミアは静かに目を閉じ、庭園の香りを深く吸い込む。薔薇の甘い香り、ラベンダーの清々しい香り、ジャスミンの官能的な香り。すべての香りが永遠の時の中で凍り付いているかのようだった。


 しかし、この日は違った。


 朝霧の向こうから、かすかに異なる風が吹いてきた。それはエルミアが知らない、新しい何かを運んでくる風だった。


 まるで、永遠の時の中に、小さな波紋が広がるように。


●第2章:霧の中の出会い


 その朝は、いつもより濃い霧に包まれていた。


 エルミアは日課の庭園巡回を始めようとしていた時、不思議な気配を感じた。永遠に変わることのないはずの庭に、見知らぬ存在が紛れ込んでいる。


 霧の中から、シルエットが浮かび上がってきた。


 銀色の肌を持つ少女が、まるで霧から生まれたかのように静かに歩いていた。彼女の姿は非現実的で、この永遠の庭にも似つかわしくないほど幻想的だった。


「誰……?」


 エルミアの声に、少女は振り向いた。


 その瞬間、エルミアは息を呑んだ。少女の瞳は、月明かりに照らされた水晶のように透明で美しかった。星屑を散りばめたような銀色の肌は、朝霧の中で優しく光を放っている。


「私の名前は、カリアーナ」


 少女の声は、清らかな泉のせせらぎのように心地よく響いた。


「私は、彫刻家よ」


 カリアーナは背負っていた道具袋を軽く揺らし、微笑んだ。その笑顔には、不思議な魅力があった。


「この庭に入ってはいけないはず」


 エルミアは警戒心を隠さずに言った。しかし、その声には普段の厳しさが欠けていた。


「ごめんなさい。でも、この庭に惹かれてしまって……」


 カリアーナは周囲を見回しながら、感嘆の声を漏らす。


「まるで時の外にあるようね。こんな不思議な場所、初めて見たわ」


 その言葉に、エルミアは少し驚いた。カリアーナは、この庭の本質を一目で見抜いたのだ。


「あなたは……この庭の管理人なの?」


 カリアーナの問いかけに、エルミアはゆっくりと頷いた。


「私の名前は、エルミア。この永遠の庭の管理を任されているの」


「永遠の庭……素敵な名前ね」


 カリアーナは近づいてきて、エルミアの隣に並んだ。その仕草には、どこか自然な親しみが感じられた。


「でも、変わらないことが、必ずしも永遠とは限らないと思うの」


 その言葉は、エルミアの心に小さな衝撃を与えた。


「この庭は、変化を許さない場所よ。それが、この庭の存在意義なの」


 エルミアは少し強い口調で言った。しかし、カリアーナは優しく微笑んだまま。


「でも、変わらないことの中にも、美しい物語は宿るものよ」


 カリアーナは手を伸ばし、近くの白薔薇に触れた。その指先は、まるで花びらを愛撫するかのように優しかった。


「私に、この庭に留まることを許してくれないかしら?」


 突然の申し出に、エルミアは戸惑いを覚えた。しかし、不思議なことに、断る言葉が出てこなかった。


 カリアーナの存在は、永遠の庭にそぐわないはずだった。けれど、彼女が発する光は、この庭の美しさをより一層引き立てているように見えた。


「……少しだけなら」


 エルミアの言葉に、カリアーナの瞳が喜びに輝いた。


「ありがとう、エルミア」


 カリアーナが微笑むと、朝霧が少し晴れてきたように感じた。


 永遠の庭に、小さな変化の種が蒔かれた瞬間だった。


●第3章:彫られていく心


 朝露が光る庭で、カリアーナの手から新しい物語が生まれていった。


 彼女は庭園の石や木々に、繊細な模様を刻んでいく。それは決して大きな変化ではなく、よく見なければ気づかないほどの些細な痕跡だった。しかし、その一つ一つが物語を持っていた。


 エルミアは、最初は不安を感じていた。この永遠の庭に、変化を持ち込むことへの躊躇いがあった。しかし、カリアーナの仕事を見ているうちに、その不安は徐々に薄れていった。


「これは何を表しているの?」


 エルミアは、カリアーナが泉の縁に刻んでいる模様を覗き込んだ。


「見て」


 カリアーナは優しく微笑んで、エルミアの手を取った。その温もりに、エルミアは小さく震えた。


「この渦巻きの模様は、時の流れを表しているの。そして、この小さな点々は星々よ。永遠の時の中で輝く、数え切れない物語たち」


 カリアーナの説明に、エルミアは魅了された。彼女の作品には、単なる装飾以上の深い意味が込められていた。


 日々が過ぎていく。変わることのない永遠の庭の中で、エルミアの心だけが少しずつ変化していった。


 カリアーナの存在が、彼女の日常に色を添えていく。朝の挨拶、共に過ごす午後のひととき、夕暮れ時の語らい。すべてが、これまでになかった温かさを持っていた。


「エルミア、髪が綺麗ね」


 ある日、カリアーナは突然そう言って、エルミアの銀色の髪に触れた。


「え……?」


 思いがけない接触に、エルミアの頬が熱くなる。


「月光のような輝きがあるわ。この庭の永遠の美しさが、あなたの中に宿っているみたい」


 カリアーナの言葉は、いつも詩のように美しかった。


 エルミアは、カリアーナの手の温もりを感じながら、静かに目を閉じた。永遠の時の中で、確かに何かが動き始めていた。


「カリアーナ……あなたは、この庭をどう思う?」


 エルミアは、長年抱いていた疑問を初めて口にした。


「美しいわ。でも、その美しさは完璧すぎるかもしれない」


 カリアーナは庭を見渡しながら答えた。


「完璧な美しさより、小さな傷や歪みのある方が、時には心を打つものよ」


 その言葉は、エルミアの心に深く刻まれた。


 カリアーナは、エルミアの隣で静かに微笑んでいた。その姿は、永遠の庭の中で唯一、生き生きと輝いているように見えた。


「私の彫刻は、永遠の中に咲く一瞬の花のようなもの」


 カリアーナは、自分の作品について語るとき、特別な輝きを帯びた。


「あなたが守る永遠という大きな物語の中に、小さな物語を刻んでいくの」


 エルミアは、その言葉の意味を少しずつ理解し始めていた。


 永遠に変わらない庭の中で、彼女の心は確実に変化していた。それは恐れるべきことなのか、それとも喜ぶべきことなのか。


 答えは、まだ見つかっていなかった。


●第4章:揺らぐ永遠


 夏の日差しのような温かさが、永遠の庭に満ちていた。


 エルミアは、これまでにない感覚に戸惑いを覚えていた。カリアーナの存在が、彼女の中で大きくなりすぎている。


「エルミア、こちらに来て」


 カリアーナの声に導かれ、エルミアは庭の奥へと歩を進めた。そこには、新しい彫刻が完成していた。


「これは……」


 エルミアは言葉を失った。


 大きな石に刻まれた模様は、まるで生命が宿ったかのように躍動感に溢れていた。蔓のような曲線が複雑に絡み合い、その間から花々が咲き誇っている。


「私たちの物語よ」


 カリアーナは静かに告げた。その声には、普段には無い真摯さが込められていた。


「見て。この蔓は時の流れを表していて、花々は私たちの出会いや、共に過ごした時間を表しているの」


 エルミアは、思わず息を呑んだ。彫刻の中に、確かに二人の姿を見出すことができた。


「でも、これは……」


 永遠の庭に、こんな大きな変化を刻むことへの不安が、再びエルミアの心をよぎった。


「怖いの?」


 カリアーナは、優しく問いかけた。


「変化することが」


 エルミアは黙って頷いた。


「でも、あなたの心はもう変化しているわ」


 カリアーナの言葉は、真実を突いていた。


 エルミアは自分の胸に手を当てた。確かに、そこには以前には無かった温かさが宿っていた。


「私……」


 言葉に詰まるエルミアの頬に、カリアーナは優しく手を添えた。その手の温もりが、エルミアの不安を少しずつ溶かしていく。


「怖くないわ。私がいるから」


 カリアーナの言葉に、エルミアの目に涙が浮かんだ。


「この庭は、私の全てだった。変わることのない永遠が、私の誇りで、使命で……でも、あなたが来てから、すべてが違って見えるの」


 打ち明けるように語るエルミアの声は、震えていた。


「永遠って、何なのかしら」


 カリアーナは、エルミアの銀色の髪を優しく撫でながら問いかけた。


「時が止まることじゃないわ。心が止まることでもない。永遠とは、きっと……愛するものを守り続けることなのよ」


 その言葉は、エルミアの心に深く沁みていった。


 二人は黙って、彫刻を見つめ続けた。夕暮れの光が、石に刻まれた模様に生命を吹き込んでいるかのようだった。


●第5章:星月夜の告白


 満天の星が、永遠の庭を見下ろしていた。


 エルミアとカリアーナは、泉の傍らに腰を下ろしていた。水面に映る星々が、まるで二人を祝福しているかのように瞬いている。


「ねぇ、エルミア」


 カリアーナの声が、夜の静けさを優しく破った。


「永遠の庭には、星の位置も変わらないの?」


「ええ。すべてが、永遠に同じ位置にあるわ」


「でも、今夜の星は、いつもより美しく見えない?」


 エルミアは、空を見上げた。確かに、星々は普段以上の輝きを放っているように感じられた。


「私ね、エルミアと出会ってから、すべてのものが違って見えるの」


 カリアーナは、エルミアの手を取った。その手は、彫刻を作る時と同じように、温かく、優しかった。


「カリアーナ……」


「最初は、この庭の不思議な美しさに惹かれて来たの。でも今は、あなたという存在に惹かれているわ」


 カリアーナの告白は、星明かりのように清らかで、真摯なものだった。


 エルミアの心が大きく揺れる。これまで感じたことのない感情が、彼女の中で花開こうとしていた。


「私も……」


 エルミアは、震える声で語り始めた。


「私も、カリアーナと出会ってから、すべてが変わったわ。この庭での永遠の時間が、初めて意味を持ったの」


 カリアーナは、エルミアの言葉を聞きながら、ゆっくりと身を寄せてきた。


「永遠の時を生きる人と、彫刻家の恋。なんだか素敵な物語みたいね」


 二人の唇が、そっと重なった。


 その瞬間、永遠の庭全体が、かすかに輝いたように見えた。まるで、この純粋な愛を祝福するかのように。


「これが、永遠の意味なのかもしれないわ」


 キスの後、カリアーナはそっと囁いた。


「二つの心が、永遠に響き合うこと」


 エルミアは、カリアーナの腕の中で静かに頷いた。


 星々は、変わることなく二人を見守っていた。しかし、その光は確かに、以前とは違う輝きを放っていた。


●第6章:永遠という檻


 しかし、幸せな時間は、新たな問いを投げかけてきた。


 ある朝、エルミアは自分の鏡像に向かって問いかけていた。永遠の泉に映る彼女の姿は、相変わらず十七歳のままだった。


「このままでいいの?」


 その問いは、彼女の心を深く刺した。


 カリアーナが庭に来てから、エルミアは初めて「永遠」という概念に疑問を持ち始めていた。それは、これまで当然のように受け入れてきた自分の役割への、小さな反逆だった。


「エルミア?」


 カリアーナの声に、エルミアは我に返った。


「どうしたの? 朝から考え込んで」


「カリアーナ、私たちはこのままでいいのかしら」


 エルミアの声には、不安が滲んでいた。


「この庭は永遠に変わらない。私も、永遠に変わらない。でも、それは本当に幸せなことなのかしら」


 カリアーナは、エルミアの言葉を静かに受け止めた。


「永遠という言葉が、時々檻のように感じられるの」


 エルミアは、初めて自分の本当の気持ちを口にした。


「変化を恐れることが、本当の永遠なのかしら。心が動くことを否定することが、この庭の本当の姿なのかしら」


 カリアーナは、エルミアの手を取り、庭を歩き始めた。


「見て、エルミア」


 カリアーナは、自分が刻んできた彫刻の一つ一つを指さした。


「これらは、確かに庭に変化をもたらしたわ。でも、庭の本質は少しも損なわれていない。むしろ、より豊かになった」


 その言葉は、エルミアの心に染み入った。


「永遠は、固定された時間の中に閉じ込められることじゃないわ。永遠に続く愛は、むしろ日々新しい表情を見せるもの」


 カリアーナの言葉は、エルミアの中の檻を、少しずつ溶かしていった。


「私たちの愛も、永遠に同じ姿のままじゃなくていい。日々深まっていって、新しい色を帯びていけばいい」


 エルミアは、カリアーナの腕の中で静かに涙を流した。それは、解放の涙だった。


 永遠という檻から解き放たれた心は、より純粋な愛を感じることができた。


●第7章:刻まれる愛


 時は流れないはずの永遠の庭で、確かに何かが変化していた。


 それは、目に見える変化ではない。カリアーナの彫刻は、庭の美しさを損なうことなく、むしろその神秘性を高めていた。


 変化していたのは、エルミアの心だった。


「カリアーナ、不思議ね」


 エルミアは、二人で作った小さな休憩所で、カリアーナの肩に寄り添いながら言った。


「何が?」


「この庭は、永遠に変わらない場所。なのに、毎日が新鮮に感じられるの」


 カリアーナは、エルミアの銀色の髪を優しく撫でながら微笑んだ。


「それは、あなたの心が生きているからよ」


 カリアーナの言葉は、いつも詩のように美しかった。


「私の彫刻は、永遠の中の一瞬を切り取ったもの。でも、あなたの中で、それらは生き続けている」


 エルミアは、カリアーナの胸に顔を埋めた。カリアーナの心臓の鼓動が、優しく響いていた。


「永遠って、こういうことだったのね」


 エルミアの声は、幸せに満ちていた。


「ええ。永遠とは、愛する人と共に在ることよ」


 二人は、夕暮れの庭を見つめた。カリアーナの彫刻が、夕陽に照らされて、まるで物語を語りかけてくるかのようだった。


●第8章:永遠に咲く花


 永遠の庭は、今も変わらず存在している。


 しかし、その美しさは以前とは違う輝きを放っていた。カリアーナの彫刻が、庭のそこかしこに静かな物語を刻んでいる。


 エルミアは、今でも庭の管理人として、日々の手入れを欠かさない。ただし、その仕草には以前のような厳格さはない。優しさと愛情に満ちた手つきで、花々に触れている。


「エルミア、見て」


 カリアーナが、新しい彫刻を指さした。


 それは、二人の出会いから今までの物語を表現した大作だった。永遠の庭の中心に置かれたその彫刻は、まるで生命を宿したかのように、朝の光を受けて輝いていた。


「私たちの永遠ね」


 エルミアは、カリアーナの手を握りしめた。


「ええ。これからも、二人で刻んでいきましょう」


 カリアーナの言葉に、エルミアは幸せそうに頷いた。


 永遠の庭は、今も変わらず美しく存在している。


 しかし、その永遠は以前とは違う意味を持っていた。それは、硬直した時間の檻ではなく、愛によって彩られた永遠の物語となっていた。


 エルミアとカリアーナの愛は、この庭に咲く最も美しい花となり、永遠に輝き続けることだろう。


 変わらぬ永遠と、移ろう感情が織りなす物語は、まさに永遠に咲き続ける一輪の花のように、美しく、そして力強く生き続けているのだった。


(了)

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