#3 甘い崩壊-終

 私が初めてヴェネターボの庭園に行ったのは、まだ学校に通い初めて1、2年のときこと。

 ある日お母さんに、とっておきの場所があるのと教えてもらった。でも、お母さんは着いてきてはくれない。王妃の仕事が忙しくて、それどころではないのだ。それに不満を感じた私は、夕食前、お手伝いさんの目を盗んでその場所に行くことにした。


 着いた頃にはもう辺りが暗くなってしまっていて、私は少し淋しくなってしまう。

 花壇や木々の美しさよりも、人気がないことの恐怖が上回っていた。


 「君、なにしてるの?」


 突如背後から、自分と同じくらい幼い男の子の声が聞こえた。振り返ると不思議そうに私の事を見つめていて、なんだか恥ずかしくなる。

 

 「もう遅いのに、帰らないの?」


 「私、今来たばっかりなの……」


 その時の私は、自分でも何を言っているのか分かんないくらい寂しさで動揺していた。それでも彼は……


 「そうなんだ、じゃあ案内するよ」


 と言って手を差し伸べてくれた。

 それから庭園をぐるっと一周して、お花についての事を教えてくれた。更にはブランコに腰掛けて、お互いの素性や身分について、たくさんおしゃべりしたのも覚えている。


 「レク、どうして私につきあってくれるの?」


 そう聞くと、彼は少し考えた末、口を開く。


 「寂しそうにしてたから。たすけきゃって、思ったんだ」


 とっくのとうに摩耗してしまっているけれど、色褪せてはいない。これは大切な私の思い出。

 レクとの最初の出会いでもあるこの物語は、これまた当時初めて出会ったあの人の声で締め括られたんだっけ。


 × × ×


 「久しぶりだなぁ、2人とも」


 「レイタード……さん?」


 ナツリが掠れた声を出すと、レイタードさんはにやりと笑みを浮かべる。


 「いやあ良かったよ、2人に会えて。もうとっくに死んじまったかと思った」


 笑みに狂気を感じる。笑っているのに、まるで死んだような目をしているのだ。


 「レイタードさん、どういう意味ですか?僕たちに会えて良かったって……国の人達は、他の兵士さんは?」


 「大丈夫、レクが思っているほど犠牲は出てない」


 そう告げた後、一拍を置き手を大きく広げて再度話を続ける。


 「俺はな、ずっと思っていたんだ。どうしてヴェネターボはいつ他の宗教国家に滅ぼされるのかも分からないのに、みんな平和ボケしてんのかって。だから、俺がこの国を救う事にしたんだ!」


 「今日という日を以て、我らがヴェネターボは、宗教国家レリジヨンの傘下となる!」


 「ふざけないで!」


 レイタードの声を掻き消すように、ナツリが声を荒げた。彼女は涙を浮かべる傍ら、レイタードさんを睨みつけている。


 「こんな事がお父様とお母様に許されると思っているの?この国の姫の名を以て命じる、今すぐこんな事辞めて!」


 ナツリの気迫を示すように、炎の燃え上がる音が部屋を包んだ。きっと、炎はもう王宮にまで広がっている。


 「あはは!面白い事を言うようになったなぁ、俺がどうして今ここにいると思う?」


 そう言ってレイタードは金色に輝く短剣を取り出した。赤色の液体が付着している。

 

 「民にとって最善を選べない王など、不要だ。無論、ナツリ、お前のような理解に乏しい皇族もな」


 タイレードは、思い切りその短剣をナツリ振りかざす。

 助けられない。鍛え上げられた兵士と、未熟すぎる僕じゃ庇う庇わないの土俵にすら立てなかった。

 短剣は、ナツリの肩に深く刺さる。


 「ゔっ……」


 「ナツリ!」


 すぐに血は滲み出して、衣服を赤く染めていく。どうして!どうして僕には何も……


 「光芒・一点」


 突如、大きな風圧がナツリとタイレードの間に発生した。魔法……ナツリが使ったのか?

 タイレードは風圧に押されて、向こう側の部屋の奥まで吹き飛んだ。


 「レク……こっち!」


 「待って、まだ肩に剣が」


 「いいから!」


 差し出された手を言われるままに掴む。ナツリはどうして、この状況でも冷静でいられるんだ。

 僕達は息を切らしながら廊下を駆け出した。


 「ナツリィィ!お前まさか魔法使いだったなんてなぁ!先程はああ言ってたくせに、お前の方が最初に裏切ってたなんてなぁ!」


 「レク、振り返らないで!」


 背後から大きな足音と、建物が崩れていく音がする。まるで、何か大きな怪物が追ってきているような。


 「光芒・四点」


 ナツリの走るスピードが上がった……のか?

 いや違う、僕のスピードも同じように上昇している。けれど、ナツリは傷が痛むのか苦しそうな顔をしている。


 「だけどよぉ、俺は力を貰っちまったんだ。今更小細工したところで、死ぬ運命はかわらねぇ!」


 地面が、割れた?いや、地面が爆発している!

 このままだと2人共吹き飛ばされて———


 × × ×


 「レク、私ね、旅人になるのが夢なの」


 「どうして?この国を出るのは危ないよ、魔物や他国の人間がいるんだ」


 「じゃあ、レクが守って?」


 そう言って、ナツリは緑色の澄んだ瞳で僕を見つめる。台詞も相まって、少しどきっとした。


 「僕はそんなに強くないよ、姫様に期待されるほど、強くなる予定もない」


 「そっか……つまり私が強くなれば良いのかな?」


 「そういうことでもないけど……ああもう!」


 ナツリはたまにこうやって揶揄ってくる。昔はそんな感じなかったのに、これも成長なのだろうか。その割に、僕は成長していないように思う。


 「お前ら、またここで遊んでんのか。仲良いなぁ。暗くなる前に帰れよ」


 タイレードさんだ。彼はいつも僕達を気にかけてくれていて、少し面倒くさいけど根は優しい。

 昔、1人で国を彷徨っていた僕を孤児院に連れて行ってくれたのもタイレードさんだ。


 × × ×


 全身に痛みが走り続けている。かろうじて、瓦礫の山に埋もれずに窓から外へ出られたようだ。


 「ナツリ、どこだ!」


 ナツリは肩にまだ剣が刺さったままだ。あれ以上傷が深くなれば、命さえ危険にさらされるかもしれない。


 「…ク……?」


 「ナツリ!」


 肩に刺さっていたはずの剣を手に持っている。咄嗟に自分で抜いたのか?でも、出血がひどい。何かで抑えないと……


 「今、手当するから」


 着ていた上着を破り、ナツリの傷口にあてる。


 「レク、ありがと。少しは動けそう」


 「良かった……」


 そう言って、ゆっくりとナツリは起き上がる。止めたいが、確実に逃げ切れるまではナツリ自身が痛みに耐える必要がある。


 「早く逃げよう。あと、魔法は使わなくていい。きっと負担があるんだろ?」


 「お見通し……か。分かった、もう使わない。一緒に、生き残ろう」


 立ち上がり辺りを見回すと、王宮は既に炎に飲み込まれていた。城下町も至る所が燃え上がっているが、高台のここから安全なルートに目処をつければ助かるかもしれない。


 「えっ?」


 背後から、何かに抱き付かれた。いや、何かじゃない。紛れもない、ナツリだ。


 「ご、ごめん!体勢崩しちゃって……」


 展望台の時よりも触れている面積が広く、暖かさが伝わってくる。でも、同時にいつも以上に浅い呼吸も聞こえてきて、僕は息を呑んだ。


 「辛いなら、このままでもいいよ」


 自分でも不思議なくらい、自然と出た言葉だった。


 「何呑気にしてるんだ?周りの炎が見えなくなったのか?仲が良くて何よりだなぁ!」


 タイレード……そりゃそうだ、トドメを刺さずに去ってくれるわけない。

 ゆらめく炎の中で、タイレードは一歩ずつ僕達の方へと歩みを進める。追われてた時から薄々勘付いてはいたが、彼は人間の姿を保っていない。全身が黒く結晶のような塊に覆われている。きっと何らかの魔術による変身だろう。

 ナツリが震えているのが、直接伝ってきた。 ああ、そうだ。僕だって少しくらい役に立ってから死んでやろう。


 「ナツリ、時間を稼ぐ。どれだけ辛くても、頑張って逃げてくれ」


 「……無理だよ、どうせ追いつかれる」


 「頼むよ!魔法だって使えるじゃないか。全力で逃げたら、まだきっとチャンスはある」


 ナツリは僕からそっと手を離した。分かって、くれたのだろうか?


 「そっか、そうだね。試してみるのは、ありかもしれない」


 戦えば、一瞬で決着が付いてしまう。どれだけ、この口が時間を稼げるかが勝負だ。


 「お前は———」


 えっ?後ろから、引っ張られて……?


 「光芒・白溺」


 「ナツリ、待て!」

 

 甘美な抱擁の感覚が僕を包んだ。これ以上ないくらいに、ナツリは僕を抱きしめている。

次第に僕の体は白い光にに包まれて、抱きしめるナツリの手も緩む。しかし、離すのを拒むかのように、少しずつ緩んでいった。

 ナツリは魔法で、僕だけを逃がそうとしている。


 「違う、逃げるべきは僕じゃない!」


 「……」


 彼女は、静かに首を横に振った。


 耳を劈く轟音と共に、僕の体は高台から吹き飛んでいく。一秒経たずに城壁を越え、森の深い、深いところへと。ぼんやりとした意識のまま、ヴェネターボを見つめていた。悪い夢なんじゃないかと思うくらい、そこには希望のかけらも残されていなかった。


× × ×


 葉が、擦れる音がする。瞼の裏がどことなく暖かい。首元に草が当たって、少しくすぐったい。

  

 「……っ……ナツリ!!」


そうだ、ナツリは僕を助けて……!


 「平民を救って、自らを犠牲にする姫がどこにいるんだよ!」


 握り固めた拳を、木の幹にただ打ちつける。


 「少しでも国の誇りがあるなら、姫として、いつの日かの再建を願い、思案する責任があるんじゃないのかよ!」


 血が出ても不思議と痛くない。ただ作業のように、それを繰り返した。


 でも、まだナツリが死んだというわけではない。彼女ならあの魔法を使った後でも一人で逃げられたかもしれない。

 いいや、これは妄想だ。ただ精神を落ち着けようとした僕の、勝手な自己防衛だ。でも、僕は国を失った。衣食住の全てと、それ以上のものも全て。この世界における存在の意義と場所を、失ったのだ。


 「宗教国家、レリジヨン……」


 あの国に辿り着けば、何か少しは取り返せるのか?

 僕の問いに答えてくれる人は、もう何処にも居ない。

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