東京にミサイルが飛来する日

遠藤伊紀

第1話 その日

それは暑い暑い夏の日だった。

“営業は足で稼ぐ”、そういう方針の我が社はその日も社員を四方に放ち、平の営業の僕も額に汗して客先をまわっていた。

次の目的地までの移動中、地下鉄駅から地上に出ると容赦のない陽光が全身を照らす。

―――たまらないな。全身が焼けるようじゃないか。

吹き出る汗が衣服をべっとり濡らしてしまう前になんとか次のお客の事務所にたどり着きたい。

御用聞きは容易いことではないが、それより空調の効いた空間に早く入りたかった。

熱した体から湯気が出るほど冷えた部屋では冷たいお茶も出されるはずだった。

しかし、現実は無情である。歩き出して数十メートルも進まないうちに交差点で赤信号に捕まってしまった。

何もせず信号を待つことなど既に出来なくなっている情報ジャンキーの僕は、すぐさまスマホを取り出しニュースサイトを開く。

―――戦争が始まるかもって?どうなっているのかな?

液晶画面には「事実上の宣戦布告?無差別攻撃を示唆」「開戦の場合日本も標的か!?」などのタイトルが流れてくる。

―――今朝見たニュースの通りだ。いつもの威嚇だって言う人もいるけど、いつか本気になったらどうするんだろう。

気も漫ろで過激な見出しをスクロールしていると、「核ミサイルが発射されれば東京は20分で火の海に」というタイトルが目に入った。

思わずギョッとして周りを見渡す。

しかし街は平静そのものだ。

道行く人達もまるでいつもと変わりはなかった。

不安になっているのは自分だけかも知れない。

どうせ口だけの強がりだ、マスコミは記事の閲覧数が伸びるから面白がって不安を煽るような事を書いているだけ。

理性ではそう分かる。

―――しかし今回はいつもと違う気がする。

そんな非論理的な直感が僕の心を掻きむしるのだった。

信号が青になると、僕はスマホの画面を閉じ、胸の不安も無理矢理閉じ込める様に暑さを無視して客先へと歩みを進めた。

客の事務所にたどり着くと、そこには期待した通りのオアシスが待っていた。

応接室に案内されて席につくと早速先日納品した商品について小言を言われたが、冷えた空間に包まれ冷たいお茶を飲み干すと、先程までとは別次元の清涼感が体の内側から広がり、客の横柄な態度も気にならなかった。

客は何が気に入らないのか、商品に対して抽象的な違和感を訴えるが、僕は適当に相槌を打ち、恐縮したふりをする。

具体的な問題が発生していない時は言わせるだけ言わせれば良いのだ。

多分に気分的な使用上の違和感など、使っていくうちになくなってしまう。

今はただ話を聞く態度を示せばいいだけ。

僕はそう自分に言い聞かせ、赤べこのように無心で首を縦に振る。

しばらくすると客は満足そうに「そういったことだからね、微調整を頼むよ」と言った。

僕は「はい、はい」と請け負ったふりをしたが、なあに、実際は何も変更していなくても、請け負ったという態度を見せれば勝手に改良されたと思い込んでくれる。

そう思って心の中で舌を出していたときである。

ウゥ―――ウゥ――ウー!!

平時は聞き慣れないサイレンが街全体を包み込むような音量で鳴り響いた。

それに遅れて放送が始まる。

「ミサイ・・・射、ミサ・・・発射。 ・・・から・・サイルが発射され・・・です。頑丈な・・・地下に避難・・・さい」

―――なんだ?なにが起きたんだ?

音声はビルに反射しているのか、音が何重にもブレて聞こえ、はっきりと聞き取れない。

しかし、僕は直感した。

―――きっと良くないことが起きたに違いない。それも今朝のニュースに関係したことだ。

血相を変えて客の顔を見ると、客はうるさいなとでも言いたげに顔をしかめ、放送が終わると小言の続きを言い始めた。

―――馬鹿な?さっきの放送が聞こえなかったのか?

僕は焦りを覚え「あの、異常事態が起きているみたいなのですが」と客の話を遮ったが、客は「いつもの誤報でしょう。何か飛んでくると言って、一度でも落ちたことがありますか?」と、侮るかの様な視線を僕に向けた。

僕はいたたまれなくなり、ガラス窓の向こうの客先の事務所を見渡す。

しかしデスクに座る社員さん達は平然と仕事を続け、誰もが先程の放送に無視を決め込んでいる様子だった。

―――これが大人な対応というやつなのだろうか。けど、ここにいてはだめだ。

僕はそう思うと、急いで荷物をまとめその場を立ち去ろうとした。

その様子に客は驚き、「なんです?どうしたんです?」と、立ち上がって僕を落ち着かせようとする。

「防災無線からアラートが出たようなので、避難します。失礼致します」

僕は客に構わずそう言うと、制止を振り払い応接室を後にする。

客は呆気にとられていたが、驚いたのは僕の方だ。

―――逃げろと放送があったのに、なぜ平静に日常を続けていられるんだ。信じられない。どうかしているんじゃないか?

僕が慌ててエレベーターホールに向かおうとすると、事務所の社員さん達が奇異の目を僕に向けた。

僕はそれに構っていられない。エレベーターも待たないほうが良い、エレベーターの中で何かあれば閉じ込められてしまうかも知れない。

僕は足を止めずそのまま非常階段に繋がる扉を開け、階段を駆け下りた。

ウゥ―――ウゥ――ウー!!

その時再び防災無線からアラートが鳴り響いた。

「直ちに避難。直ちに避難。直ちに頑丈な建物 や地下に避難して下さい。ミサイルが落下する可能性があります。直ちに避難して下さい」

今度は音声がはっきりと聞こえた。

僕は歩みを止めず非常階段から大通りの歩道に飛び出る。

―――街は既に大混乱だろうか?

人々が無軌道に右往左往する様子を想像していたが、目に映ったのは普段と変わらない速度で歩く人々。意外にも街は未だ平静を保っていた。

しかし注意深く見ると、道行く人々は軒並みスマホを凝視しながら歩いていた。

―――情報を収集しようとしているのだろうか?もし本当にミサイルで攻撃されるのだとしたら、そんな暇はない。

僕は一目散に来た道を引き返し、地下鉄駅に向かう。信号は全部無視だ。車だけ見て渡れそうならそのまま渡ってしまう。

道行く人々から避難めいた視線を送られたが、知ったことではない。緊急事態である。

―――確かあの駅は防災拠点になっていたはずだ。深いし、物資の備蓄もある。

そんな事を考えつつ、途中、自動販売機を見かけ、慌ててペットボトルの水を3本買いカバンに詰めた。

まるでこの街で自分だけが危機に気がついている様な錯覚に陥ったが、地下鉄駅の入口が見えると、ちらほらそこに駆け込む人達が見えた。

僕は仲間がいることに安心すると、信号を無視して階段に駆け込む。

深い。

普段そんなに意識してはいなかったが、この地下鉄はかなり後発の路線であり、既存の地下施設をくぐる形で更に下を通っている。

改札階の深さは地下5、6階にぐらいには相当するだろうか。

階段を延々と高速で駆け下りていると、だんだん段差の感覚が分からなくなり、踏み外してしまうのではないかと不安になった。

それにいつミサイルが着弾するか分からない。

―――階段だ、階段だけに集中しろ。

僕は自分にそう言い聞かせていると、やがて改札階が見えてきた。

改札階に降りると、そこはラッシュの時間帯でもないのに多くの人で溢れ、皆一様に改札に集まり更に深いホームへと向かおうとしていた。

「押さないでください。緊急事態により、只今列車の運行は中止しております。ホームは既に人で溢れており、入場制限を行っております」

駅員の悲痛な叫びが改札階にこだまする。

「おい!地下に避難しろって放送があったんだ!もっと深いところに入れろ!」

避難民の怒号も同時に鳴り響く。

僕は人々が殺到する改札を横目に、まだそんなに人が押し寄せていない地下通路の袋小路部分を目指した。

―――突き当りにはトイレがあるはずだ。ホームに降りられない以上は、水場の近くにいたほうが良い。それに、もし弾頭が核だったら、地上出入口からは汚染された空気が入るはずだから、そこからも離れたほうが良い。

そう判断した僕はまばらに人が座り込んでいる通路の奥を目指した。

ここには以前キオスクがあったのだが、それが閉店して撤去された後はなにもない空間が広がっている。

僕はトイレの臭いが気ならないぐらいの距離に陣取ると、座り込みその時を待った。

そしてやっとスマホを手に取る。

ニュースサイトには「ミサイル発射か?首都圏でJアラート」「38度線では既に戦闘開始の情報も」「日本政府、正午に緊急発表」などのタイトルが踊っていた。

現在の時刻は午前11:38。

―――誤報なら誤報でいい。これだけ騒ぎになっていれば客先から突然避難したことも叱責されたりはしないだろう。

相変わらず改札に殺到する人々を横目にしつつ、僕はだんだん落ち着いてきた。

―――そうだ、きっとまた僕の早とちりだ。大騒ぎはしたけれど、結局何事もないさ。今までもそうだったじゃないか。後でみんなに笑われればいいだけだ。

自分の感情に従ってここまで避難してきたが、今は無事を願って自分を騙す言葉を考え続けていた。

その時、である。

グゴオオオオオオオオオン!グゴゴゴゴゴゴオ!!

まるですぐ真上で飛行機が離陸したかのような轟音が地下空間に鳴り響いた。

直後に縦揺れの地震の様な激しい振動、それを追うように鈍い唸り声のような音が四方から押し寄せる。

―――何か、きた。とても、とてもまずいものが。

揺れと轟音は数秒で収まり、一瞬の静寂が辺りを包む。

皆あまりの衝撃に言葉を失ったようであった。

僕もそうだ。あらゆる感情が事態についてこられない。

するとその沈黙を破るかのように、地上に繋がる階段からファッサと音を立てて灰色の塵が舞い込んできた。

「熱い!」

誰かが悲鳴を上げる。

それを皮切りに阿鼻叫喚地獄が始まった。

「シャッターを!早く!」

「死んじゃうのよ!みんな死んじゃうのよ!」

「いやああああああああああ!」

「塵を吸い込むな!放射能にやられるぞ」

思い思いに人々が叫び声を上げる。

その瞬間、駅構内の電源が落ち、辺りは真っ暗になった。

人々の恐怖は頂点に達し、今まで聞いたこともないような音量で人間の声が鳴り響く。

そのままこの世が終わるかに思えたが、幸いこの設備には非常電源があるのか、すぐに足元の誘導灯だけはかろうじて点灯し始めた。

その明かりを見て人々は多少の落ち着きを取り戻したのか、多少は理性的な行動をとる。

「停電でシャッターが動かない」

「手で閉じろ」

「誰かおぶってくれ。手が届かない」

「熱い、熱いよ!」

様々な声が錯綜していたが、やがて方方でガラガラとシャッターが閉じられる音がし、人々はひとまずの危機を脱したのだった。


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東京にミサイルが飛来する日 遠藤伊紀 @endoukorenori

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