06:聖女ソラ

 ゲーム主人公のウィルは、正義感の強いお人好しだが、ここまで自己犠牲に走るキャラではなかった。

 自分を安易に粗末にしない強さこそウィルの魅力だった。

 絶望的な状況でも、最後まで諦めず戦い抜く、眩しい勇気を持っていた。


 ――これはどういう状況なんだ。


 続編のシナリオか? 前作の主人公が魔王になる展開なのか?


 もしかして俺が原作改変をしたから、こんなことになったのか?


 じゃあ、俺が続編のシナリオを知っていれば、こうなることを防げたのか……?


 たくさんの疑問が頭のなかに浮かび、ぐるぐると渦を巻いてまとまらない。


 部屋に重苦しい沈黙が広がるなか、ウィルがぽつりとつぶやいた。


「たくさんの仲間が、俺を守るために命を落とした。もし俺が魔王になってしまったら、みんなに顔向けできない」


 その言葉に、俺は前作のシナリオを思い出す。


 魔王を倒せるのは固有スキルをもつウィルのみ。

 彼を生かすため多くの仲間が犠牲となり、壮絶な戦いの果てに魔王を倒した。


 ウィルが背負っているのは、魔王を討伐するという責任だけじゃない。彼のために散った仲間たちの覚悟、その重みも加わっている。


 彼はふっと、申し訳なさそうな笑みを浮かべた。


「いきなり言うのはマズかったね。でも、君しかいないんだ」


 俺に心理的負担をかけないために、明るく振る舞っているのだろうか。

 どれほどの強さと絶望からの笑顔なのだろう。


 ……なあ、このシナリオはどこに向かってるんだ。

 彼から平穏と仲間を奪い、さらに命まで奪うことが、正しいルートなのか?

 

 誰か続編を知っていたら教えてくれ。

 俺はどうすればいいんだ。


「……状況は、だいたい、理解した。俺の役割も」


 自分の手をじっと見つめ、拳を握ったが、力は入らない。


 持っている知識は前作までのものだ。

 この続編の世界で、どう動けば未来エンディングにたどりつけるのか、まったくわからない。


 頭がぐちゃぐちゃだ。考えても答えが出てこない。


「すこし時間をくれないか」

「もちろん、いますぐって話じゃないよ。でも……長くは待てない。いつ魔王になるかわからないから」

「ああ」


 会話が途切れた。


 ウィルは立ち上がって、窓の外を見ながら明るい声を出した。


「庭からの眺めが綺麗なんだよ。見てきたらどうかな? 風も気持ちよさそう」


 つられて窓のほうを見ると、大きな赤レンガの倉庫が半分見えた。

 ……レンガ? 村は木造の建物ばかりだったはずだ。


「ここ、どこだ?」

「あっ! 言うの忘れてたけど、ここは村から一番近い街だよ。村じゃダリウスの治療ができなかったから、運んだんだ」

「そうか……ありがとう」

「うん」


 再びの沈黙。

 ウィルが苦笑しながら、再度提案をする。


「ここは丘の上の病院なんだけど、庭からの眺めがよかったよ。行ってみる?」

「……そうだな」


 時間がほしいと言ったのは俺なので、素直に外へ出た。


 青空の下、昼過ぎの太陽が照っている。風が心地よく頬をなでた。


 病院はウィルの言った通り丘の上にあった。庭の端は崖になっており、木とロープの簡易な柵に縁取られていた。


 芝生を踏みながら、端まで行く。

 眼下には街の屋根が海原のように広がっていた。

 古びたレンガ造りの建物のなか、新しい建物がぽつぽつと混じっている。

 魔王討伐後、魔王城近くのこの街まで線路が伸びたことで、開発が進んでいるのだろう。


 平和に満たされた光景だ。

 このなかの誰ひとり、魔王の心臓の存在を知らない。


「参ったな」


 俺がつぶやくと、後ろから奇妙な歌が聞こえた。


「るるるーん、ららーん。たそがれてますねぇ、ダリウスさん」


 振り返ると、ニイロがかじりかけのパンを手に持ち、俺の方に歩いてくるところだった。


「変な歌を歌うな」

「ものがなしい雰囲気を演出しようと思って」


 ニイロは犬歯でパンを噛みちぎりながら言う。雰囲気もなにもあったもんじゃない。


「肉を食べてくるんじゃなかったのか」

「どのお店も混んでたので、パン買って帰ってきました。いまソラ様が来てるみたいで、街が機能してないんですよねぇ」

「ソラ様?」

「知らないんですか? 聖女様ですよ。私もさっき知ったんですが」

「聖女……?」

「魔王軍の爪痕の残る地方を巡回して、癒やしの魔法を施す? って感じ? らしいです」


 聖女という役職も、ソラというキャラも、前作ゲームにはなかった。


 魔王討伐後に現れた『聖女』。

 そして、いま彼女は主人公ウィルと同じ街にいる。


 ――もしかして、続編はここから始まるんじゃないか?


 ドクン、ドクンと心臓が高鳴った。

 脳が高速で回転し、シナリオが頭のなかで組み立てられていく。


 主人公は魔王を討伐したと思っていたが、実は魔王の心臓が埋められていて、絶望に打ちひしがれていた。

 そこに、続編ヒロインである聖女ソラが現れる。

 彼女の癒やしの魔法で魔王の心臓を破壊する――または、癒やしの魔法で主人公を延命しながら、魔王の心臓を破壊するための旅を始める……。


 あり得そうなシナリオじゃないか?

 この通りに進むなら、続編のダリウスは、『特殊な魔法を習得し、自身を幽閉へ追いやった主人公に復讐する中ボス』あたりか。


 もしこれが当たってるなら、悪役貴族を回避する方法は、前回と同じく『シナリオから距離を取って、真っ当に大人しく生きる』だ。


 仮説の正しさを検証しなければならない。

 そのために、まずは――。


「聖女を見ることはできるか?」

「ダリウスさん、そういうの興味あるんですか? やだぁ、ちょっと残念……硬派でいてくださいよ」

「見るくらい別にいいだろ」


 まずはキャラデザの確認だ。

 明らかにヒロイン風の凝った見た目だったら、俺の仮説の正しさが裏打ちされる。


「聖女様より私のほうがかわいいですよ」

「それで、聖女はいまどこに?」

「わかんないです。さっき街で話を聞いただけ――」


 ニイロの言葉が途切れ、うしろを振り返る。

 彼女がいま上がってきた坂の方から、複数の馬の蹄の音が聞こえてきた。


 見ると、4頭引きの豪華な幌付き馬車が坂を登ってきていた。左右には革鎧を着た騎士が2人、それぞれ馬に乗って並走する。

 坂道にいた数人の街人が、嬉しそうな顔をして、馬車に向かって大きく手を振っていた。


 ニイロはその様子を見ながら、のんびりとパンをかじる。


「明らかにあれが聖女様ですね。病院にいる人たちを励ましに来たんでしょうか?」

「ああ……そうだろうな」


 驚いた。

 予想が当たったようだ。

 このあと絶対に聖女とウィルが出会う。

 そして、『ラスト・アンダーテイク2』のシナリオが始まるのだ。


「……まずいな」


 悪役貴族のダリウスがここにいると、シナリオが狂ってしまうかもしれない。


「ニイロ、隠れるぞ」

「えっ、聖女様に会いたいんじゃないんですか?」

「会いたくなくなった」

「わーお、急に風邪でも引きました?」


 庭にある大きな木の後ろに身を隠すと、ニイロは慌ててパンを飲み込み、すぐに駆け寄ってきた。


「えっ、そんなヤバいんですか?」

「静かにしてくれ」

「理由くらい教えてくださいよ」

「いいから!」

「……ふぅーん、静かにしてればいいんですね?」


 木の幹に背をつける俺に、ニイロが正面から寄りかかった。

 彼女の細い腕が俺の腰に絡みつき、強く抱きしめられた。やわらかで小さな身体が密着する。頬が俺の胸板にぴったりとくっつく。


 赤みがかった灰色のポニーテールが揺れるのを、真上から見下ろす形になった。


「ちょっ……」

「しぃー。静かに、ですよね?」


 ニイロは上目遣いで俺を見上げ、楽しそうに目を細めた。

 彼女の食べていたパンのバターの香りと、それとは別の甘い匂いが鼻をかすめる。

 触れている面がすべて温かくてやわらかい。なにかがぐらっと揺れそうになる。


「そんな場合じゃ――」


 引き剥がそうと彼女の両肩を掴むと、壊れそうなほど繊細な薄さだった。すこしでも力を入れたらガラス細工のように砕けそうだ。


 木のすぐ後ろを馬車がガラガラと通りすぎる。

 その音でハッと我に返った。


「……離れろ」

「はいはーい」


 ニイロは案外あっさりと身を引いた。何事もなかったように、木の幹から顔をのぞかせ、馬車の方を見る。

 俺は数回深呼吸してから、同じように覗き込んだ。


 まずは、聖女の見た目を確認だ。


 馬車は病院の玄関前に止まっていた。ここからなら、玄関に入る彼女を真横から見ることができる。


 扉が開き、最初にメイド服の女性が降りた。メイドに手を引かれ、もうひとりが降りてくる。


 その姿を見て、俺は確信した。

 ヒロインだ。


 足元を見てうつむく彼女の頬を、長い髪がさらさらとなでていく。色は青から水色にかけてのグラデーションで、腰に届く毛先は宝石のように透き通って輝いている。

 豊かに広がるスカートは、水色の薄い生地が何枚も重なり、雲のように複雑なひだを作る。銀糸でも縫い付けてあるのか、布地は夕日をキラキラと反射していた。


 ふと、彼女が顔をあげ、こちらを見た。

 遠目でもわかるほどの美少女だった。

 水色の瞳は氷のように冷たく澄んでいて、桜色の唇は柔らかく微笑んでいる。

 雪原に舞うひとひらの花のような、神秘的な美しさがあった。


 年齢は俺やウィルと同じ18歳かすこし下だろうか。同じ人類とは思えないほどの造形美だ。


 彼女はすぐに視線を玄関に移し、優雅な動作で歩き始めた。その後ろに護衛の騎士たちが続く。


 病院の庭は、再び静寂を取り戻した。


「美人さんでしたね。いやぁ、完敗です。どう思います?」


 ニイロが聞いてくるが、そんなことはどうでもいい。

 重要なのはこの先の展開だ。


 病院のなかで無事にウィルと出会って、なんらかのイベントを発生させてもらわなければならない。


 俺が病院に向かって歩き始めると、ニイロも当然のようについてくる。


「結局、会いに行くんですか?」

「ちょっと確かめに行くだけだ」

「変なダリウスさんですね」

「お前に変と言われる日が来るとは、感慨深いな」

「えへへ」


 ――すべては、安全に続編シナリオを進めるためだ。


 頼むから、無事に終わってくれ。

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2024年12月12日 20:00
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残るはただドラゴンの灰と、燦然たる悪の正義のみ 可明 @heia

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