05:魔王の心臓
目を覚ますと、俺はベッドに横たわっていた。
見知らぬ部屋だが、村の誰かが部屋を提供してくれたのだとぼんやり納得する。
怪我の治療のためか俺の上半身は裸で、腕と腹には包帯が巻かれていた。全身が鈍く痛むが、動けないほどではない。
――ウィルが死んだ。
その事実に肺が押しつぶされるように重くなり、浅い呼吸を繰りかえす。
見上げている天井が暗く歪んで映る。
「俺が、生きてて、どうすんだよ」
なにかがこめかみを流れた。手で触ると濡れている。
涙だ。まだ感情の整理ができていないのに、体が先に反応することもあるのか。
ふと、隣でかすかな寝息が聞こえた。顔を横に向けると、ニイロがベッドのはしに身を丸めて、俺に寄り添うようにして眠っていた。
「……ニイロ?」
俺は上半身を起こして声をかける。彼女はゆっくりと目を開け、俺に気付くと、寝ぼけた顔でほほえんだ。
「おはよ、ダリウスさん」
彼女は横になったまま伸びをする。
まだ眠いようで目を半分閉じたまま、寝言のように言う。
「村の人たち、みんなすごく感謝してましたよ。グリフォン倒したことに驚いて、村に被害がなくて喜んで……私も誇らしかったです。私、ダリウスさんのこと、いっぱい自慢しましたよ」
称賛の言葉を聞いても、なにも頭に入ってこない。
ニイロが手を伸ばして、指先で俺の頬をなぞった。
俺は自分が泣いていたことを思い出した。
「どこか痛いですか? ポーションで傷は治りましたが、ダリウスさんは副作用キツイでしょう」
慌てて顔をそらし、涙を手の甲でぬぐった。
ニイロが俺の手をそっと握る。気を遣ってくれているのが痛いほどわかる。
「泣いた顔、かわいいですね」
「うるせぇ」
泣き顔を見られた恥ずかしさをごまかすため、ニイロをグイグイ押してベッドから落とした。床に転がった彼女は「ひどい」と笑った。
「ダリウス、怪我は大丈夫? って、お邪魔だったかな」
突然ドアが開いて飛び込んできた声に、反射的に顔を上げた。
死んだはずのウィルが立っていた。
しかも笑っている。半笑いだ。
「うぃ、えっ……?」
俺は意味不明な言葉を発してしまう。
確かにあのとき、グリフォンの爪がウィルの心臓を貫いたはずだ。
このゲームには死者蘇生のアイテムなどない。
仮に、奇跡的に生きていたとしても、笑って立っていられるほど軽傷のはずがなかった。
俺の混乱をよそに、ニイロとウィルがなごやかに会話する。
「ニイロちゃん、看病お疲れさま。食事してきなよ。食べてないでしょ」
「そうですね。お肉行ってきます! ウィルさん、あとはお願いします」
「気を付けてね」
「はい! あ、ダリウスさんに添い寝していいのは私だけですからね」
「やらないよ」
ニイロは俺の頭を軽くなでてから部屋を出ていった。俺は乱された前髪を手でかき上げる。
ウィルは俺に向き直った。
「まず、村の心配はいらないよ。案の定、魔除け石の整備を怠ってたみたい。街から技術者を呼んで、魔除け石の点検と、新しい魔除け石の設置を進めてるんだって」
「お前は……大丈夫なのか」
「見ての通り」
ウィルは軽快な調子で両手を広げてみせる。
いまだに生きていることが信じられないが、ニイロに見えていたということは、どうやら幽霊ではないらしい。
こいつのために泣いてしまったのが悔しいが、生きてくれていた嬉しさがギリ上回った。それもムカつくが。
とりあえず、なんらかの奇跡が起きて軽傷で済んだと仮定して先に進める。
「で、お前はなんの用だ」
「もちろん看病だよ。ダリウスは2日寝てたんだ。医者が言うには、もう1日は安静にしていたほうがいいんだって」
ウィルは木製の椅子を引き寄せて腰を下ろした。
その表情は笑顔だが、わずかにぎこちない。膝の上の指先が、服の裾をずっと触っている。
……なんかあるな。
俺はベッドの上であぐらをかいた。
ウィルはあわててとめる。
「寝てなよ。体を休めないと」
「ポーションでほぼ治ってる」
「傷口は治ったかもしれないけど、万全じゃないでしょ。ニイロちゃんから聞いたよ、副作用が大変だって」
彼は言いながら、棚の上の白いシャツを俺に手渡した。
着替えを用意してくれていたのか。村の誰かのものだろう。袖に腕を通すとぴったりのサイズだった。
服を着たあと、わずかな沈黙が降りる。
俺は単刀直入に切り出した。
「回りくどいのは嫌いだ」
「え?」
「言いたいことあるなら言えよ」
声を低くして問うと、ウィルは面食らった顔をした。
「けっこう口が悪いんだね。あんなにも綺麗な剣筋だったのに」
「口じゃなくて性格が悪いんだよ」
で、本題は? と視線でうながすと、彼はごまかすように笑った。
「まずは仲良くなろうよ。ろくに会話もしてないんだし」
「用がないなら寝る」
「ちょ、ちょっと待って」
彼は視線をさまよわせてたが、意を決したように口を開いた。
「君の魔法について知りたい」
「…………はあ。なんだ、そっちか」
てっきり、続編シナリオに関わる重要な話かと思いきや、単なる興味本位の質問だった。
俺の魔法を見たやつは、決まって同じように質問してくる。そのたびに何度も同じ説明を繰り返す。
うんざりするが、この手の質問は下手に無視するとずっと詮索される。だから俺は聞かれたら正直に答えるようにしていた。
「あれはただの魔法だ」
「魔物に干渉できる魔法なんて聞いたことがないよ」
「そうなってるもんは仕方ねぇだろ」
「怒ってる?」
悲しそうに眉尻を下げるウィルに、俺は短いため息をつく。
「『説明できない』って答えると毎回キレられるから、最近は先にキレるようにしてる」
「なにそれ」
ウィルは笑いながら戸惑いの表情を浮かべるが、果敢にも質問を続けた。
「その魔法って、どんな魔物にも効くの?」
「いまのところ、スライムからドラゴンまで、全部に攻撃が通る」
「すごい! 瘴気を放ってない魔物に、だよね?」
「そうだ」
通常、魔物に攻撃が通るのは、体内の魔力が変質して瘴気を放ち始めてからだ。それまでは物理や魔法の攻撃はほとんど通らない。
俺の魔法は、普通の魔物に致命傷を与えられるし、瘴気を放つ魔物には通常の攻撃の何倍もの威力を発揮する。
普通に考えたらこの『魔物に攻撃が通る』というのはかなり重要な性質だと思うが……それは魔王がいた時代だったら、の話だ。
魔王が討伐されてから、凶暴だった魔物たちはおとなしくなった。
魔除け石で人間との棲み分けが可能になり、遭遇しても音や光を駆使すれば追い払える、害獣程度の扱いになった。
王都や大きな街は魔物よけの対策をガッチガチに固め、そもそも魔物が近づかないようにしているため、俺の出番がない。
小さな地方の村には俺を通年で雇うほどの余裕はないし、今回のようなグリフォンとの遭遇はごく稀な事案だ。
そのため、俺の魔法は珍しいものの、利用価値がほぼない。
せいぜい『十数人必要なドラゴン駆除をひとりでできるすごい人』程度だ。
「いや、本当にすごいよダリウス!」
「褒めてもなんも出ないぞ」
「心からの言葉だよ」
「もういいか? 気が済んだなら寝るが」
続編シナリオに関する情報はなさそうだ。
虫を追い払うようにシッシッと手を振る。
「俺はあまりお前と関わりたくない」
「ひどいね!」
冗談だと捉えたのか、ウィルは愉快そうに笑った。
いや、本気の言葉だ。
俺がどんなきっかけで『悪役貴族』になるか不明だが、ゲーム主人公の近くにいるのは非常にマズいということはわかる。
治療が終わったらすぐ出発しよう。
部屋をみわたすと、俺の荷物と、剣とナイフがまとめられていた。いつでも出発できる。
「俺の退院はいつだ?」
「明日だね。朝、ニイロちゃんと迎えに行くから」
「そうか」
彼らが来る前にここを出て、始発の汽車で王都にでも行くか。
シーツを引き寄せて再び横になろうとしたところ、ウィルが「ちょっと待って」と静止する。
「ひとつ、お願いがあるんだけど……いいかな?」
そう言って、彼は上の服を手早く脱いだ。鍛えられた体があらわになる。
なんだ急に。そんな趣味ないぞ。
「これ、なんだけど」
ウィルは自身の胸元を指差した。
黒曜石のように艶のある楕円の石が、胸の真んなかにあった。
はじめはペンダントを首から下げているのかと思ったが、その石にはチェーンがつながっていない。
よく見ると、皮膚に半分埋まっていた。
ウィルは石に爪を立てる。
「1年前、僕は魔王を倒した……と言われている。でも、少し違うんだ。魔王が最後の力を使って、これを僕に埋めた」
「埋めた? なにを?」
「魔王の心臓だ」
俺は石を見た。
魔王の心臓?
「これのせいで、僕はいま不死の体になっている。ほら、見て」
ウィルが剣の切っ先を左胸に向け、ためらいなく刺す。引き抜くと同時に傷が塞がり、皮膚に血の跡だけが残る。
俺は目の前の光景をただ見ていた。
「何度もコレを破壊しようとしたけど、傷ひとつつかない。体は元通りになって死なない」
彼は血を拭き、服を着ながら続けた。
「どんどん、僕の体が変わっていくのがわかる。前はここまで治りが早くなかった。いずれ僕はコレに飲み込まれ、魔王になってしまう。そうなる前に、君に頼みたいんだ」
ウィルは俺の目をまっすぐに見て言った。
「僕を殺してほしい」
言葉を理解できず、頭のなかで繰り返す。
――俺がウィルを殺す?
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