04:主人公ウィル
いまの俺は、巨大なグリフォンにとっては小石ほどの脅威もない。
それでも、ニイロが逃げる時間をわずかでも稼ぎたかった。
剣の柄をちぎれるほど強く握りしめて構える。
地響きとともに、グリフォンの巨体が迫りくる。
魔法発動の青い光が尾を引いて目の前に現れる。
――死ぬのか。
そう思った瞬間、視界の端から人影が飛び込んだ。
直後、グリフォンの巨体が横転した。
突進の勢いのまま背中で地面をえぐる。魔法は空に向かって放たれ、雲を貫いて穴を開けた。
地面に横たわるグリフォンのこめかみには浅い傷があり、脳震盪でも起こしたのか白目をむいて倒れている。
俺はなにが起こったか理解できなかった。
ただ呆然と、目の前に背を向けて立つその人物を見た。
茶髪だが毛先だけ金色に染まった特徴的な髪色。
長身で引き締まった体は、筋肉の張りが服越しにも感じられる。
その男は剣を構えたまま、肩越しにこちらを振り返った。
想像通りの整った顔立ち。
青い目を優しく細め、緊迫した空気に不釣り合いなほど柔和な笑みを俺に向ける。
「もう大丈夫、僕が戦うよ。よく耐えたね」
そこに立っていたのはゲームの主人公――ウィルだった。
この危機的状況を前に、18歳とは思えないほど落ち着き払っている。
「あとは任せて! 君は後ろの子を逃がしてあげて」
呆然として動けずにいると、背後から腕を引っ張られた。
見ると、目に涙をためたニイロが俺を睨んでいた。
「ダリウスさん、逃げましょう。魔王を倒した英雄のウィル様ですよ」
そうだ、ウィルは魔王を倒した実績がある。
彼固有のスキルで、魔物への有効ダメージが与えられる。
グリフォン程度なら簡単に倒せるはずだ。
それに、俺はこの場からすみやかに逃げなければならない理由があった。
――ついに会ってしまった。
俺は『悪役貴族』になりたくて地方を逃げ回っていた。
それが神がかり的な運命のいたずらで出会ってしまった。
どんなきっかけで『悪役貴族』にされるか不明のいま、ゲーム主人公の前から一刻も早く去るべきだ。
「わかった。あとは頼んだ」
俺の言葉にウィルは力強い笑みで応え、再びグリフォンに向き直った。
「任せて。君たちが逃げる時間稼ぎくらいはできるから」
「……時間稼ぎ? グリフォンなら余裕だろう?」
ウィルは俺の疑問に、背を向けたまま答える。
「魔王を倒したときに、全部のスキルを失ったんだ。小型の魔物ならともかく、グリフォン相手だと倒しきれるかどうか、だね。だけどまあ、しばらく戦えるから、そこは信頼して」
世間話をするかのような、笑い混じりの軽い声だった。
その背中はなにも気負ったものがない。
助けることは当たり前だ、と言わんばかりの、かつてゲームのなかで見たあの輝かしい英雄そのものだった。
ひたむきで、強く、誰かのために戦う姿。
俺はゲームで
彼のような人こそ英雄になるのだと、素直に感動した。
だが、現実とゲームは違う。
勝ち確の戦闘などなく、コンティニューもない。
目の前にいるグリフォンは、俺たちの命を奪うことができる、実在する魔物だ。
「……ひとりでグリフォンを相手にするのは無茶だろう」
魔物相手に、剣で衝撃を与えることはできても、ダメージはほとんど通らない。現に、あれほどの衝撃で切りつけても、切り傷程度しか負わせられない。
できるのはせいぜい足止め程度。
殴る体力が尽きたら、反撃されて終わる。
「お前、死ぬつもりか」
「君たちを守るだけだよ」
地面に倒れていたグリフォンが立ち上がろうとしていた。巨体を身震いさせ、体についた砂を払い落とす。それだけで地面が震える。
鋭いくちばし、太い鉤爪。
圧倒的な存在感を放つその巨大な魔物を前に、俺の脳裏に甘い考えが浮かんだ。
もしかして、これは続編のシナリオで、勝ち確定のイベントなんじゃないか?
彼の言うとおりに逃げても、大丈夫なんじゃないか?
――いや、違うだろ。
卑怯な考えが浮かぶ自分に嫌気が差す。
俺はいつもそうだ。無謀な行動をとりながら、肝心なところで誰かに責任転嫁しようとする。
最後の最後で逃げてしまう。すべてが中途半端だ。
ゲームで学んだ勇敢さや優しさはどこに行ったんだ。
目の前に、命をかけている男がいる。
やることはひとつだろう。
「ニイロ、高級ポーションはまだあるよな?」
俺の意図を察したニイロは首を左右に振るが、手を突き出すと、諦めたように小瓶を取り出した。
迷わず蓋を開けて喉へ流し込む。
その瞬間、心臓が激しく鼓動し始め、頭に鋭い痛みが走った。吐き気が込み上げて思わず口を手で覆う。
連続で飲むのは初めてだが、なかなかキツい副作用だ。俺は魔力関係のアイテムを使うと、毎回体が悲鳴を上げる。低級ポーションで死にかけたから、高級ポーションだとマジで死ぬかも知れない。
だが、おかげで魔力がすこし回復した感覚があった。
「君、逃げないの?」
ウィルが戸惑ったような声を出す。
説明の時間はない。グリフォンの目はすでに俺たちを捕らえている。
俺がグリフォンに剣先を向けると、ウィルは俺の覚悟を理解したようだ。
彼も同じように剣を構える。
「僕は、ウィル」
「ダリウスだ」
グリフォンは俺たちを睨みつけたまま、くちばしを大きく開けた。喉奥に埋まる宝珠が青白く輝き、魔法発動の体勢になる。
「ダリウス、無理はしないようにね!」
ウィルは言いながら駆け出した。
彼はボロボロの俺を戦力として見ていないのだろう。自分が的となり盾となり、俺すら守ろうとしているのが伝わってくる。
ウィルの接近に気付いたグリフォンは、苛立たしげに魔法発動を中止し、前脚で踏み潰そうと片脚を上げる。
巨体からは想像もつかないほど素早い動きで足を振り下ろした。
その動きをウィルは半身になって軽々とよけて、体の回転の勢いのまま、前脚の関節の裏側に剣を叩き込む。
浅い傷にしかならなかったが、踏み潰そうと前脚に体重をかけていたグリフォンは衝撃でがくんとバランスを崩し、前傾姿勢で倒れ込む。
その一瞬を逃さず、俺は全力で走り出す。剣に魔力を込め、渾身の力で脇腹を切り裂いた。
赤い血が勢いよく噴き出し、視界が真っ赤に埋め尽くされる。
グリフォンは痛みに甲高い悲鳴を上げて身をよじった。
ウィルは口をぽかんと開けて俺を見た。
その表情には先程までの悲壮感はなく、見開いた目はキラキラと輝いていた。
「すごいじゃん! 攻撃が通るってこと? じゃあ僕が隙を作るから、攻撃は頼んだ!」
彼は瞬時に役割を理解し、再び走り出した。
グリフォンの攻撃をかいくぐりながら、的確に剣を操って翻弄する。
その動きに合わせ、俺も次々と攻撃を加えていく。
ウィルは途中で俺の体力の消耗に気付き、俺が最小限の動きで攻撃に移れるよう、隙の導線まで考えて立ち回るようになった。
――お前、どんだけスゲェんだよ……。
気遣い、技術力、視野の広さ。なにに驚けばいいかわからない。
やがてグリフォンは全身に傷を負い、息を切らせて足を引きずるようになった。
それと同じように、俺の体力と魔力も限界に近付いていた。
「――ウィル、次で決めたい」
「どこやる? 心臓?」
「喉元を切る」
「わかった!」
短い会話で意思疎通が完了する。
ウィルはグリフォンに向かって一直線に走り出した。
グリフォンは鋭いくちばしを振り下ろすが、ウィルはその一撃を見事にかわし、左にステップを踏んで側面に回り込む。グリフォンはウィルを追って素早く体をひねり、再度くちばしを振り下ろす。
ウィルはグリフォンを引き付ける囮となって、降り注ぐくちばしの攻撃を剣でさばき続けた。
その間に、俺は狙いを定める。呼吸を整え、残りの全ての魔力を刀身に込める。
重心を落とし、全力で地面を蹴った。グリフォンの死角から回り込み、首を狙って走る。
「――ここだッ!」
真っ白な喉元が無防備になった瞬間、剣がそのなめらかな羽毛を散らし、肉を切り裂いた。確かな手応えとともに、血が鮮やかに噴き出した。
グリフォンは甲高い悲鳴を上げて硬直したあと、そのまま巨体をかたむかせ、地に落ちる――そう思った瞬間、鉤爪の前足が高々と持ち上げられた。
そして、俺に向かって振り下ろされる。
力を使い果たした俺は動けなかった。
頭上から迫りくる死の予感を背筋に感じた。
ああ、死ぬのか。
「ダリウスッ!」
ウィルの叫び声と同時に、俺は横から強い衝撃を受けて吹き飛ばされた。
グシャッ
水っぽい砕ける音。
直後、グリフォンの巨体が地面に叩きつけられる轟音が響きわたる。
砂埃が晴れると、目の前に巨大なグリフォンの前脚があった。
見る間に、その黒い鉤爪が白く変色していく。黄色の前脚や褐色の胴体も退色が進む。
グリフォンもまた、死ぬと『灰化現象』が起きるようだ。
前脚だった灰の下に、うつ伏せで倒れるウィルがいた。
地面には、大きく血の飛び散った跡が広がる。
「……ウィル?」
声が震えた。
呼びかけるが、返事がない。
俺は重い体をひきずって、ウィルの元へ這っていく。
彼の背中に乗る灰が、真っ赤な血を吸って赤黒くなっている。
腕で払ってどかすと、破れた服の穴から大きな傷口がのぞいていた。そこから血が絶え間なく流れていく。
「ウィル!」
俺は急いで上着を脱いで傷口に押し当てた。だが、止血は意味をなさず、服はすぐに血を含んでぐっしょりと濡れる。ウィルは動かない。
さっき、彼の背中を、鉤爪が貫いているように見えた。
服と、地面の砂と、灰が、血を吸って滲んでいく。
押さえつけても血が止まらない。
「ウィル、ウィル」
何度呼びかけても返事はない。
鉄臭い血の匂いが鼻を突く。手も、肘も、彼の血で赤く染まっていく。
「ウィル、違う、俺は……」
言い訳をしたかったが、言葉が出ない。
「違う、こんなこと……」
耳鳴りが強くなり、視界が狭くなっていく。
全ての力を使い果たした体は限界を超え、意識が暗闇に引き込まれていくのを感じる。
遠くで、ニイロの声が聞こえたような気がする。
音も、光も、すべてが遠のいていった。
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