03:悪役貴族の覚悟

 魔除け石を一定間隔で配置すると、魔物はそのなかに入れなくなる。

 しかし、石の劣化や、魔除け石で防ぎきれない魔物の襲撃により、その守りが破られることがある。


 そうすると――想像通りの悲劇が起こる。


 隣にいるニイロを見ると、彼女も魔物の侵入に気づいたようで、顔が青ざめていた。


「どどっ、どどど、どうしましょう」


 俺は魔除けのペンダントを外してニイロに渡した。


「いい商品だった。森のなかで魔物に一度も会わなかった」

「……受け取れませんよ」


 ニイロは手を後ろに回して、俺を睨みつける。


 言いたいことはわかる。

 行くのはバカだってことだろ。そんなことはわかってるんだよ。


 俺はニイロの腕を掴み、無理やりペンダントを握らせる。

 彼女は泣きそうな顔で首を左右に振った。


「ダリウスさん、戦える体力ないですよね。歩くだけでもしんどそうじゃないですか!」

「丈夫そうな建物に隠れてろ。運が良ければ助かる」


 絶対助けてやる、と言いたかったが、そんな安請け合いはできなかった。

 

 ゲームの主人公なら、こういう場面で女の子を守り、村を救い、皆から称賛されるのだろう。


 だが、ここにいるのは、魔法がほとんど使えず、疲れ切った男がひとり。


 どうにかなるとは思えない。

 しかし――。


「どうにかするしかねぇだろ」


 覚悟を決める。


 俺は剣を抜き、魔物のいる方に向かって走り出す。



  ◇ ◇ ◇



 オオカミ型の魔物の胴体から剣を引き抜く。地面に転がった魔物は、完全に動かなくなった。


 俺はその場に膝をつく。

 地面に刺した剣にすがり、ふらつく体をかろうじて支える。激しい呼吸音が耳のなかに響く。


 これで5頭目。

 視界に捉えた魔物はすべて倒した。周囲には血だまりが広がり、転々と死骸が転がっている。


 俺の魔法はどういうわけか、魔物――魔力を有する動物――に対し凄まじい威力を発揮する。

 普通の武器では倒すのに一苦労する魔物を、一撃で沈めることができてしまう。


 だから、俺なら村を救えると思った。

 根拠のない自信を振りかざすのは悪い癖だな。


 かすむ目を凝らして周囲を見回す。

 地面に倒れているのは魔物だけで、村人の姿は見当たらない。


 村人たちは逃げのびただろうか。

 建物のなかに避難したか、あるいは、街道に出て街の方へ向かったか。


 魔物はこの5頭だけか? ほかの場所に被害は?

 探したいのに体が動かない。


 噛まれた腕と脇腹から血がにじむ。

 痛いのか痛くないのか、感覚が曖昧になってきた。

 額に浮かぶ汗を拭う余裕もない。


 目を閉じる。

 思考がまとまらない。


 俺は次にどうしたらいい?

 なにをすればみんな助かる?

 答えが見つからないまま、意識が薄れていく――。


 その時、耳元で囁き声がした。


「ダリウスさん」


 ニイロの声だ。近くにいるようだが、目を開ける力すら残っていなかった。


「……来るな。逃げろって」


 荒い呼吸の合間に、やっと声を絞り出す。


 ニイロは俺の頭に触れ、そっとなでた。


「村の魔物は、ダリウスさんがぜんぶ殺しました」


 まるで怯える子供を落ち着かせるような、優しい声音だった。


 村のなかの魔物を殺したからといって、破られた魔除け石の穴から新たな魔物が来るだけだ。

 俺の考えていたことを察したのか、彼女は優しく続けた。


「壊れた魔除け石の代わりに、ペンダントを置いてきました。ありったけの魔者よけアイテムも。しばらくは大丈夫ですよ」


 魔物よけのアイテムがあれば、その場所に魔物は近付けない。応急処置になる。


「そうか……」


 長く息をはいた。

 握りしめていた剣を、指から引き剥がすようにして離した。


 そのまま地面に座り込む。

 ボロボロの体で、格好はつかないが、俺は無事に女の子を守り、村を救ったヒーローになれたようだ。


「ダリウスさん、かたむいてください」

「かたむ……?」


 ニイロは地面に座る俺の肩を掴み、ぐいっと引っ張った。

 いまの俺は彼女の力にすら逆らえない。

 硬い地面に倒れ込むかと思ったが、頭の下に柔らかな感触があった。


 見上げると、ぼやける視界のなか、すぐ真上にニイロの顔が見えた。


 まとまらない思考で状況を理解する。


 ……膝枕、というやつだ。


 地面に正座するのは痛いんじゃないか? 座布団でも敷いているのか? それならその座布団に俺の頭を乗せればいいだろう……いくつも言葉が浮かんでは消え……俺は考えるのをやめた。


 彼女の言動に整合性や意味を見出そうとするのは無意味だと思い出したからだ。


 ニイロはポケットをごそごそ探り、青色の小瓶を取り出した。


「ダリウスさん、ぐいっといってください。傷口がふさがりますから」


 有無を言わせず、ニイロは俺の後頭部に手を添えてすこし持ち上げ、小瓶のふちを俺の下唇に当てた。


「ちょっ」

「それとも、口移しがいいですか?」


 ニイロは唇をとがらせ、からかうように鼻で笑う。


 俺は深いため息をつき、なにも言わずに小瓶の中身を飲んだ。


 甘ったるい液体が喉に絡みつくが、飲み終わると不思議とスッキリとした後味があった。

 体がふわっと軽くなり、傷口の痛みが和らぐ。

 まだ全身に倦怠感はあるが、さきほどまでの瀕死状態からは脱したようだ。


「……これ、高級ポーションか。払う金はないぞ」

「お金なんてとりませんよ。どうしてもっていうなら、分割払いもできますが」


 ニイロが目を細めて笑う。笑ったまま、目に涙が浮かび、目尻から雫がこぼれ落ちた。

 彼女の涙を見たのは初めてだった。


「……死んじゃうかと、思いましたよ、ばか」


 涙声で言う。

 俺の頭に添えている彼女の手が震えているのに気付いた。


 ニイロは袖口で涙を拭うと、いつもの安っぽい笑顔に戻った。


「泣かせた責任、とってくださいね」

「脅すなよ」

「ふふ」


 彼女の言動に振り回されている。

 だが、悪くないな、と思った。不器用な優しさを垣間見た気がする。


「あっ」

「どうした」

「男の子っておっぱい触ると元気になるんですよね。触りますか?」

「バカか」

「んふ、好きなくせに」


 前言撤回。やっぱりこいつは苦手だ。


「俺は清楚な子が好きだ」

「私のことですね」

「お前の耳の穴はちくわか」

「チクワ?」

「俺の郷土の食材だ」


 言いながら、ゆっくりと立ち上がった。体中の痛みはまだ残っているが、高級ポーションのおかげでなんとか動ける程度には回復した。


 魔物たちが現れた方角の森を見る。

 ニイロが置いてくれたペンダントが、どれほど持つかわからない。

 このままなにも起こらなければいいが。


「ひとまず、村の状況を確認して――」


 ドォン……


 遠くで重々しい地響きが聞こえた。

 一定の間隔で地面が震え、その音が近づいてくる。


 森の奥から、巨大な生物が接近している。


 俺たちは無言でその方向を見つめた。

 彼女がペンダントを置いてくれた場所とはまた違う場所だった。


 バキッバキッと大木がへし折れる大きな音ともに、それは現れた。


 高さはおよそ5メートル。

 純白のワシの頭と前脚、筋骨隆々とした褐色のライオンの下半身。

 漆黒の翼を広げると、巨大な影が大地に落ちる。


 グリフォンだ。


 鋭い鉤爪の前脚で、大木を掴んで握り潰す。その大木の幹には、割れた魔除け石が埋まっていた。


 もともと劣化していた魔除け石が、グリフォンが接近して自壊したのだろう。

 これほど強力な魔物の前では、どんな魔物よけも無意味だ。


「マジかよ、最悪だな」


 俺は剣を構えるが、戦えるほどの体力は戻っていない。

 このままでは到底太刀打ちできない。


「ニイロ、高級ポーションありったけ寄越せ!」

「あの、たくさん飲むと、ダリウスさんは副作用が……死ぬかも……」

「言ってる場合か! いま死ぬか、あとで死ぬかだ!」


 声を張り上げると、ニイロは怯えた顔でリュックから高級ポーションの小瓶を取り出した。


 だが、それを受け取る間もなく、グリフォンが俺たちに向かって突進する。


「くそっ!」


 俺はニイロを突き飛ばした。


「とにかく逃げろ!」


 そう叫んで、素早くグリフォンに剣を向ける。


 剣に魔力を込めようとするが、すでに底をついていた。

 高級ポーションはHPとMPを全回復させるはずだが、このダリウスポンコツの体はポーションの効果すら激減させる。


 絶体絶命、ってやつだ。


 さらに最悪なことに、向かってくるグリフォンのくちばしから青白い光が漏れ始めた。

 魔力発動の光だ。


「マジかよ……」


 ついにゲームオーバーか。


 だが、簡単に死ぬつもりはない。

 せめて一矢報いようと剣を構える。


 こんなときゲーム主人公なら、限界を超えても立ち向かう。

 そして勝利を掴み取る。


 なあ、そうだろう、主人公ウィル

 お前もこうするはずだ。

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